第20話-2 僕に助けさせてくれ
深夜の森の中、人知れず命を懸けた鬼ごっこが行われていた。
「止めなさい、ユーリィン!」
痛む手をさすりながら怒鳴るが、やはり返事は無い。ただ、規則正しく自分の後を追う足音だけが聞こえる。
浮かれすぎていた、リティアナは臍を噛んでいた。
「なんて厄介な…!」
必死に走りながらもリティアナはすばやく左右を見極め、なんとかして逃れようと闇を透かし見る。
荷物に差し挟まれた書置きを見てやってきたが、まさかユーリィンに命を狙われると思ってもいなかったため装備は松明以外まったく持っていない。その松明も、先刻の襲撃の際手傷を受けて落としてしまい今は無い。
「困ったわ…今どこにいるの? せめて、ルーク班でもいいから誰か他の生徒たちのいるところへ行かないと…」
森に逃げ込んだのは失敗だった。
夜闇と深い木陰のせいで星を見て位置を特定することもできないため、自分の居場所がわからないまま闇雲に逃げ回るしかない。
一方、この程度の暗闇は森人にとって何らの障害にならないだろう。暗闇の中で音も無く襲い来る森人の恐ろしさを想像したリティアナは死の危険を肌に感じ取っていた。
「諦めなさい! 助けは来ないわ!!」
もちろん、ユーリィンがそうなるよう追い立てたのだ。
暗い森の中で感覚に優れる森人相手では、魔人でもなければいつまでも逃げつづけられるものではない。 邪魔さえ入らなければ、確実に相手を仕留められる。
「しまった!」
一瞬のことだった。
左手の道が抜けられるかと気をとられた隙に、自分の背でたわんだ枝が跳ね上がった音に反応してしまったのだ。慌てて向き直った結果、足元を見ていなかったせいで太い木の根に浅く踵を踏み入れてしまう。
ずるっと足が持っていかれる感触に気付いたときには手遅れだった。追いついたユーリィンが、脚を痛めて倒れ伏したリティアナの眼前にカタナを突きつけた。
「どうして?」
幾度と無く繰り返した質問をリティアナはもう一度投げ掛ける。はじめて、答えが返って来た。
「あなたを殺さないと、このフューリラウド大陸に未曾有の災難が訪れるから。これで納得した?」
硬い表情のまま、淡々と答えるユーリィン。その回答はしかし、リティアナにとって到底納得できるものではない。
「どういうこと? 何故わたしなの? 未曾有の災難って何?!」
それ以上答える気は無いとばかり、ユーリィンは右顔前にカタナを構える。
ここまでか、覚悟したリティアナが目を瞑ったそのとき。
「させるかあっ!」
突如頭上から降って湧いた、ばきばきと枝が何本も折れる音に二人の視線がひきつけられる。
見上げたユーリィンは、ちょうど自分に向かって怒声をあげながら落ちてくる人影と目が合った。避けるよりも速く体当たりを食らい、ユーリィンは悲鳴を上げて吹っ飛ばされた。
「アベル?!」
想像もしていなかった救い主の登場に、リティアナも驚きを隠せない。
「無事だった、リティアナ?」
痛みを堪えながらアベルはすばやく立ち上がると、ユーリィンが体勢を立て直す前にリティアナを庇うように立ち塞がる。
「アベル…まさかここにあなたが現れるとは思っても無かったわ」
「それはこっちの台詞だ。何で君がリティアナを!」
返答の代わりにユーリィンはカタナを構えた。
「どうしてもというなら…僕が相手になる!」
視線を外さず傍に落ちていた枝を拾い、剣代わりにして構えを取る。
敵対する意志を受け取ったユーリィンは、硬い口調で尋ねた。
「そう…その木切れであたしと戦うつもり?」
「君がリティアナの命を狙うのを諦めない限りは」
「なら、あなたが逃げるまで痛めつけてあげるわ!」
そう吼えると、ユーリィンが一瞬、大きく横っ飛びに飛んだ。 足場の安定しない夜の森の中だろうとお構いなしである。
「そらっ!」
傍の木の幹を蹴り、アベルの死角から切りかかる。だが、アベルは一歩も退かずそれをしっかと受け止めた。
「やるわね!」
言いながらユーリィンは驚いていた。
アベルを一撃で昏倒させるつもりで打ち込んだのに、まるで巨大な岩にぶち当たったかのようにびくともしない。一昔前の彼相手ならこれで決着をつけていた自信があっただけに、その驚きは一入ではなかった。
「でやあっ」
その動揺を狙ったように、アベルが下からかち上げるように枝を振り反撃する。それを踊るような滑らかな動きでかわしたユーリィンはすぐさま反撃に転じた。
「そういうユーリィンこそ!」
判っていたことだが、こうして戦ってみてアベルは改めてユーリィンのすごさを肌で感じていた。
今の一撃は確かに動揺した隙を付いた。それを僅かに上体を逸らすことで避けられたのは、ひとえにユーリィンの優れた動体視力によるものだ。
「リティアナ、逃げられるか?」
一端立ち上がりかけたリティアナだが、すぐに小さく呻いてその場に崩れるように膝を落とした。
「駄目…さっき足を捻ったみたい」
「そうか…なら!」
アベルも覚悟を決めた。
リティアナが動けない以上、ユーリィンの戦意が折れるまで盾となろう。
枝をしっかり構え、ユーリィンの一挙手一投足を見逃すまいと意識を集中する。
「どうしても邪魔をすると?」
沈黙。
返事を待つことなくぐん、とユーリィンの体が沈む。そしてあえてアベルの足を狙った大降りの一撃を地面すれすれに繰り出してみせる。そのままの姿勢でアベルの反撃を待つ。
予想通り、アベルはそれを飛び上がって避ける――が。
ユーリィンの予測が外れた。
アベルは枝を振り下ろさず、そのままの間合いを維持したまま何もしない。
反撃することでできるだろう隙を見てからかわせるからそこへ併せて打ち込むつもりだったのに。動かないアベルに不審を抱いたユーリィンが自ら飛びのき間合いを離した。
「どういうつもり?」
リティアナも口を挟まなかったものの、その違和感に気付いた。
アベルの戦い方は、積極的に間合いを詰め相手の動きを封じる戦いを本分としている。
だが明らかに、アベルは追い討ちをしないつもりのようだ。
「…余裕のつもり? 言っておくけど、邪魔をするならあなた相手でもあたしは容赦しないわ」
「僕は仲間に危害を加えるつもりはない。ユーリィン、それは君もだ」
ユーリィンの声には殺気が込められている。だが、決して譲るまいとするアベルの気迫も決してそれにひけをとらない。
枝を向けたアベルに対し、ユーリィンはカタナを鞘に納めたまま腰を僅かに落とし、上体を不気味に揺らしながらじり、じりと摺り足で間合いを計っていく。
不気味な静寂がつづくが、リティアナには判る。二人の間で目には見えない幾重もの応酬が行われていることに。
(さすがに手ごわい…敵に回るとこんなに厄介だなんて…)
アベルは直接ユーリィンの戦いぶりを見たことはほとんど無い。
守り手として最前列に立っていたため、ユーリィンを目視するのは主に対敵を切り伏せた後になるからだ。だが、今の彼女の動きがどのような意図があるのかは何となく判る。
(さあ、打ってきなさいアベル。そのときこそ…仕留める!)
ユーリィンはアベルが焦れて動くのを待っていた
迂闊に動くことは、攻撃を当てられない場合相手に大きく体勢を崩した状態で身をさらすことになる。特に、体を大きく捻ることで切れ味を得るカタナならば尚のこと。
そのため、対手からはカタナの届く範囲が悟られないよう攻撃の直前まで鞘に収めていた。自らの刃の届く範囲、そして抜く速度を熟知しているからこそできる業だ。
だからこそアベルはじっとして動かない。
それがまた、ユーリィンには恐ろしい威圧感になっている。どのように打ち込んでも、それを受け止め跳ね返される…そんな迫力がある。
いずれも後の先を得手とする故の葛藤。互いの手を知り尽くしたからこその攻防。
しかし、二人には決定的な違いがあった。
ついにお互いが確実に殺傷できる範囲まで足を踏み込んだとき、ユーリィンが先に動いた。
白刃が瞬く。
リティアナでさえ、かろうじてその軌跡がわかったくらいの素早い残撃だった。
「うぐ…っ」
遅れてアベルが呻く。
「アベル?!」
切られた、と思った。だが、アベルは倒れない。よくよく見れば、カタナは振り下ろす前で止まっていた。
「くううっ」
残撃の一瞬を待っていたのがお互い様だということはユーリィンもよく判っていた。
彼女の誤算は、アベルが枝を剣として扱う――自身の体勢を崩すために払うなり振るなりするだろう――と思っていたことだ。
だが実際には踏み込みの瞬間、アベルは枝を躊躇無く手放した。そしてユーリィンが振り切るよりも速く懐に飛び込み、振り下ろす柄を肩で受け止めたのだ。
両手が開いた今、後は捕まえるだけだ。
まるでユーリィンに抱かれる格好になったアベルはそのまましっかりユーリィンの効き腕を掴んでいる。万力のような力で締め付けられ、ユーリィンは退く も進むもできない。なんとか離そうともがく彼女に、アベルは険しい顔で尋ねた。
「聞かせてくれ! こんな馬鹿な真似をするためだけに、わざわざ君は僕たちと別れてルークの班に移ったのか?」
ユーリィンが顔をしかめた。
「そうだと言ったら?」
「何故だ!」
ユーリィンは答えない。
「君はリュリュがどれだけ心配したと思ってるんだ!」
ほんの少し、ユーリィンの表情が曇る。だが、すぐにもとに戻った。
「あの子があたしのことを心配しようがしまいがアベルには関係ないことでしょ? まあ、あの子はどうせここに来るための口実に過ぎなかったし、今となってはどうでもいいことよ」
「嘘ね」
きっぱり否定したのは、それまで黙って成り行きを見守っていたリティアナだった。どうやら確証があるらしい、アベルは態度からそう判断ししばらく彼女に任せることにした。
「…何でそう思うのかしら?」
「あなたがわざわざルークの班に移って、かつ時間を置いたからよ」
一度リティアナは息を深く吸い、つづけた。
「最初は何故そんなことをしたか判らなかったけど、あなたの目的がわたしを殺すことだったと考えたら判ったわ。あなたは、一緒にいることでアベルやリュリュたちが自分のせいで迷惑を蒙ることを避けたかったのよね」
長い沈黙が訪れる。
反論が無いことで一層確証を深めたリティアナがまた口を開いた。
「アグストヤラナでは生徒同士での故意の殺人は許されない。殺人者が出た場合所属していた班は連帯責任を追及されるし、今後の生活にも大きな影響が出る。だから、あなたはわざわざルーク班に入って敵対することで、ルーク班に罪を引っかぶってもらうつもりだった。ついでにアベルたちが自分のいない戦術に慣れる期間を設けるためにも実行までの時間を空けた…違う?」
驚いたアベルは視線をユーリィンに戻したが、彼女は無言のままだ。
「何故そんなことを? そんな手間を掛けてまで…」
再び、先に問うた質問が口をついて出る。
そうまで回りくどいことをして、親友を切り捨ててまで殺害に及ぼうとした理由。アベルはその答えをどうしても聞く必要があると感じていた。
「恐らく…わたしの“力”、が原因なんでしょう? さっき言ってたものね、このフューリラウド大陸に未曾有の災難が訪れるって」
が、答えはリティアナの方から示された。
ユーリィンの視線が一端リティアナに向き、再びアベルに戻される。 とうとう諦めたのか大きく嘆息するも、カタナを握る拳は未だ硬い。
「…そうよ。あたしは森人の中でも特に星詠みの力に長けた巫女。そして、数年前からこのアグストヤラナに大きな力を持つ者が現れ、その者がフューリラウド大陸を飲み込む大災厄の引き金となるという預言を知った」
喋りつづける間、俯いたままのユーリィンは視線を合わせようとしなかった。
「大災厄? それって一体…」
「具体的には判らないわ。ただ、大勢の…それこそ、ありとあらゆる種族を巻き込んで、大量の血が流されることだけははっきりしている。だから、あたしはリュリュを誘い、ここへ入学することにしたのよ。…その原因であるリティアナを排除するためだけにね」
アベルが首を傾げる。
「星詠み…占術課のことか? じゃあジーン先生がこんなことをやらせたのか? 何かの間違いじゃ無いのか?」
ユーリィンは苦笑する。
「ああ、それは違うわ。ジーン先生の授業はまるきり嘘っぱち。あたしも彼女の授業を受けて少しでも未来が何か変わるか、その手助けになればと思ってしばらくは真剣に受けていたのだけど、結局ただの時間の無駄だとしってがっかりしたわ。それはともかく、去年も星辰が同じことを告げた。間違いないわ」
だが、アベルにはやはり予言というものについていまいちユーリィンがそこまでこだわることが納得できない。
「それは本当に信じられるのか? 所詮、ただの占いじゃないか」
「人族には信じられないでしょうね」
アベルの疑念を感じ取ったのか、ユーリィンは硬い声で答えた。
「星詠みは、星々などに連なる魔素の動きを詠み解く、森人にだけ長年伝わり磨かれてきた誇り高い技術なの。魔素は、人や木々、動物だけじゃない。この星や、他の星々にも満ちていて各々が繋がっている。だからこそ、感覚の鋭い森人の中でも限られた、特に感覚に優れた者だけが詠める。そしてその内容は、世界が関わることだから余程のことが無い限り覆されることは無いわ。だから星詠みに選ばれた者は、己の責任に掛けて運命を見通し、その預言にはすべてを掛けて責任を負う。誇り高い私たちの星詠みを、人族の適当な法螺吹きなんかと一緒にしないで!」
「ご、ごめん」
反射的に謝るアベルをいまだ冷たい目で睨んでいたユーリィンだが、しばらくしてふぅと嘆息した。
「…といっても理解できないわよね、あなたたちには。さ、これで判ったでしょ。アベル、あなたに以前聞いたわよね? リティアナを守るということは、この大陸に住む他の人々までもが大いなる災厄に見舞われることになる。それでも守るというつもり? ただ一人を守るため、大勢を犠牲にする…そんなこと、あたしは見逃せない」
そういうと、腕を引き抜くことを諦めたユーリィンは鋭い目つきでアベルを見下ろす。
「だから殺す、か。決意は固いんだな」
そんな彼女の視線を、アベルは真っ向から見上げた。
「ええ。あたしにだって、譲れないものがあるもの」
「大災厄は避けたい。でも、それが適わないならせめて自らの手でリティアナを殺すことで、他の人――例えばリュリュ――を守りたい、ってところか」
一瞬、視線が迷った。
「…あたしにとっては、あの子も所詮は別の種族。犠牲にしても気にならないわ」
「なら君はどうしてここにいる!」
アベルが問い返した。 アベルは、とうにユーリィンの迷い、嘘を見抜いていた。
「本当に避けられないものなら、アグストヤラナへなんか来てないで大切な仲間だけを引き連れ、安全なところへ避難したら済むことじゃないか! 本当はユーリィン、君自身だってこんな真似やりたくないくせに嘘をつくな!」
「違うわ!」
反射的にユーリィンが身をよじり、カタナを持っていない手が自由になる。その手でアベルの顔を力いっぱい殴りつけた。
「違うもんか!!」
だが、アベルはそれでもユーリィンの利き腕を抑える手を緩めない。
「ユーリィン、君は嘘つきだ!!」
「くっ、このおっ、まだ…言うかっ!」
がっ、がっ、と幾度もアベルの顔を打つ。
それでもアベルはつづけた。
「何で法螺吹きだって断言するなら、ジーン先生の授業を今でも真面目に受けてるんだよ! 本当は、自分を縛る預言以外の可能性が無いかを調べていたんだろう!」
その言葉に、リティアナがあっと驚きの声を上げた。
そう言われてみれば、確かにやることが決まっていたのなら彼女が真剣に占術に取り組む意味が無いのだ――占術とは、迷える者を導くための技術なのだから。
「それにリュリュだってそうだ。犠牲にしても構わないなら、リティアナが言ったとおり僕やリュリュを気にすることも無ければ一々ルーク班に移るなんて周りくどいことをする必要だって無い。何より、僕に預言のことを教えたのもそうだ。ユーリィン、君は…本当は、その預言を君自身が信じていない、あるいは信じたくないんじゃないか? はっきり答えてくれ、ユーリィン!」
ユーリィンの振り上げた拳が、幾度もアベルの顔を打ち据える。だが、次第に力の行き場を失くし、やがて力なく垂れた。
それが、アベルの言が正しいことを証明していた。
「…君があのとき問いかけてくれたから、今日こうして間に合うことができた。本当にリティアナを殺したかったなら、そんなことをする必要は一切無かったんだ」
アベルは無論、責める気は無い。
あれは、ユーリィンの精一杯助けを求める声だった。
今度こそ、アベルは間に合ったのだ。
「ありがとう、ユーリィン」
突然の礼に、ユーリィンが怪訝な面持ちになる。
「何でお礼を言うのかって顔してるけど…当たり前だろ。仲間の窮地を教えてくれたんだから」
アベルは尚もつづけた。
「忠告してくれたのは、僕にユーリィン、自分を止めて欲しかったから。君もリティアナを限界まで殺さないで済ませる方法を模索していたから…そうだろ?」
たっぷりした間を置いて。
とうとう踏ん切りがついたのだろう、ユーリィンはそうよと小さな声で答えた。
「でも、しょうがないじゃない。他に止める術は視えない。大難の刻は刻一刻と近づいてきているのに、大切な人を守るためには大切な仲間を殺さなくちゃならない。あたしだって他に手があれば…そう悩んでいたのよ」
「刻限はわかるのか?」
「あと、約一年。そのときが来れば、誰にも止められない」
一息に言い切ったユーリィンの手がわずかに震えているのを認め、アベルは手を離した。
「だったら、考え方を変えようよ」
「…アベル?」
「あと一年もある、って。その間に防ぐための方法を探すんだ。もし起こることが防げないなら、被害を最小限に食い止めるような手立てを探し出してみせる。きっと何か、ユーリィンとリティアナがすべてを抱え込まされるより良い手段はあるはずだ。だから、僕に二人を助けさせてくれ」
「なんでそう断言できるの?」
「当たり前だろ」
アベルがきっぱり答える。
「この世界を揺るがすような出来事が、ただ一人の人間で起こせる訳無いじゃないか。大体、リティアナは不思議な力を持っていてもちゃんと制御できているし、制御できるようになってから数年の間誰も傷つけないよう徹底的に気をつけてきたことを僕は知っている。なら、今更彼女が自分から誰かを傷つけようとするわけがない。仮に事の発端がリティアナだとするなら、彼女の力を利用としようと関わってくる奴が絶対いる。ならそいつを抑えれば済む話だろ」
アベルの脳裏には、その相手の推測がついていた。
ブレイアへ化獣をけしかけた黒幕こそがユーリィンをも苦しめた相手である、という確信にも似た非常に強い感情が胸の内にあった。
もちろん、それは理屈ではない。そう決め付けることで、アベルは自身感情の整理をつけていたと言える。
「アベル、あなたまだ森人族以外はどうなっても良いと言ったあたしの言葉を信じるというの? 大災厄なんて、裏切り者のたわ言だって笑い飛ばしたら良いじゃない!」
一方、ユーリィンもアベルの覚悟を見て取った。
彼のここぞというときの頑固さはこれまでにも嫌と言うほど目の当たりにしている。このままでは、彼は重荷を背負い込むことになる。
内心呆れながらも、それでも意見を翻すことを促そうとするユーリィンだが。
「もう一度どころか何度だろうと、僕は君を信じるよ。リュリュやリティアナを守ろうとたった一人で足掻いた優しい君を知っているから、信じられる」
即断され、ユーリィンは二の句がつげない。
「ねえ、ユーリィン一人じゃ何とかできなくても、諦めないで皆で協力して模索すればきっとなんとかなるはずだよ。だから、ユーリィンも僕たちを…僕を信じてくれ」
「アベル、あなた自分が何を言ってるか判ってるの?!」
ユーリィンが絶叫する。
「あなたの言っていることは、問題を先送りにしているだけよ! もし災厄が止められなかったら、どう責任を取るっていうの?! あなたが責任取るとでも言うつもり? ふざけないで!!」
「確かに、無責任な言葉かもしれない」
アベルは怖じず応じる。
「でも、僕からすれば君の言葉だけでリティアナが殺されるのを黙ってみているなんてできない。だから僕はリティアナを守るためにいくらだって立ちふさがる。それが納得できないなら…」
そういって、大きく両腕を広げた。
「今ここで僕を切ってみせろ」
「アベル?!」
リティアナが慌てて飛び出そうとしたのを首を振って制し、アベルはユーリィンを見据えた。
「ユーリィン、君が真剣に憂いた上ですべて投げ打って行動しているのは判るよ。だから、これでも尚自分の義務に殉じるというなら…止められなかった僕も付き合おう」
まんじりともせず、ユーリィンとアベル両者の視線が交錯する。
「その代わり、切れないならハルトネク隊に戻って僕たちと一緒に対策を探してくれ。その結果、もし災厄が止められずに君が責められるなら、僕がその責を共に負うことを約束する…これが僕の覚悟だ」
「…本気?」
「ああ、本気も本気だとも。隊長になるっていうことは、仲間の命を預かるってことだ。これぐらいの覚悟はいつでも出来ているつもりだよ」
それ以上アベルは答える代わり、口を硬く引き結ぶ。
やがて、ユーリィンも無言でカタナを高く構えると、
「だめっ!」
今まで黙って成り行きを見つめていたリティアナが制止するより速く振り下ろしたが。
「…本気、みたいね」
栗色の髪が一筋、風に舞い散った。
鼻先に切っ先を突きつけられてもアベルは瞬き一つしない。
「もう一度言う。お願いだ、ユーリィン。一人で何とかしようとするんじゃなく、僕たちを頼ってくれ。君の背負う物を分かち合って欲しい。そして、共に戦って欲しい…これからも」
しばらく対峙していたが、やがて大きくため息を吐いたユーリィンがカタナを退いた。
「…あなた、前にも言ったかもしれないけどやつぱり馬鹿よね。森人のためにそこまでする人族なんて、他にいないわ」
アベルはちょっとむっとした。
「別にすべての森人にする訳じゃないよ。君だから、僕も命を掛けたんだ」
しばらくの沈黙の後、ユーリィンはもう一度深くため息を吐いた。
「あなた… 本当に、馬鹿ねぇ。あたしもまったく、とんだ隊長の下についたもんだわ」
そういうとようやくカタナを鞘に納めた。
「ユーリィン、それじゃあ…」
喜色を浮かべるアベルに、ユーリィンも苦笑を返す。
「ええ、あたしもハルトネクに戻るわよ。ここまで熱烈な秋波を送られたのに袖にするなんて、女ならできることじゃないわ。ま、あたしも所詮はただの女だったってことね」
そういうとリティアナに思わせぶりに目配りをする。リティアナも、苦笑いして肩をすくめた。彼がそのつもりで言ったわけではないことくらい、二人とも理解はしている…だからこそ、尚更性質が悪いわけだが。
一方のアベルは二人のやり取りの意味がよく掴めず、不思議そうに見やっていたが。
「あ、でもさすがにこの実習中は抜けられないから、終わってからになるけど。そういうわけで、今日のところはあたしはルーク班へ戻るわ」
ユーリィンにそう済まなそうに言われた。
確かに、班絡みの問題をここで勝手に決めるわけにもいかない。
「そうか…まあ仕方ない、か」
「浮世の義理って奴よ。だからもうちょっと待ってて頂戴。それと…」
こほん、と咳払いしてユーリィンは頭を下げた。
「リティアナ、悪かったわね」
そうして、ユーリィンはすばやくリティアナの捻挫に手当てを施すと身を翻し森の奥へと駆け去っていった。
「ありがとう、アベル」
行ってしまったユーリィンの姿をいつまでも見ているアベルの横にリティアナが並んで立つと、手をそっと握りこむ。アベルも、その手を握り返した。
「それと…」
続きは語尾が小さくなったためよく聞き取れなかった。
「今なんて?」
「…さぁね」
アベルの問いにリティアナは微かに微笑んだだけだった。
今日の貴方は とても、かっこよかったわ。
「さあ、もう戻りましょう。明日は早いわよ」
リティアナは 心中のとは別の言葉を言うと、先を立って野営地へ向け一人歩き出す。
「あ、ちょっと…ああ、もう!」
聞き返したかったが、彼女の表情はすでにいつもどおりに戻っている。これはもう教えてくれないだろうという確信があったので、諦めたアベルは大人しく後を追い肩を貸すことにした。




