第18話-2 大蟷螂拾いました
楽しみにしている時間が訪れるのは早いものだが、今度の催しについてもその通例に洩れない。
アベルたちもなんだかんだで楽しみにしていたのだ――当日になるまでは。
「なんであいつらまでいるのよ!」
転送用の部屋にリュリュの怒声が響く。レニーも口にしないだけで不愉快に思っていることはその表情を見れば明らかだし、アベルも楽しみがいきなり台無しになった感が否めない。
そして、そう思っているのはアベルたちだけではなかった。
「…それはこっちの台詞なんだがね」
これまた不愉快そうに吐き捨てたのはルークだ。
当日まで互いの行き先を知らなかったため、よりにもよって彼らの班とも同じ場所で行うと聞いたときのアベルたちの失望はかなりのものだった。
「むしろ楽しみにしていたのに君たちのような下賎な輩と過ごさねばならない我々こそ遺憾といわざるを得ないのだが。大体、何故僕たちが君たちと同じところで野営などをしなくてはならんのかね。ユーリィン君の条件だから飲まざるを得なかったとは言え…」
「ルーク」
それまで黙って少し離れたところに一人たたずんでいたユーリィンの視線に鋭く射抜かれ、ルークは慌てて口をつぐんだ。
「ユーリィン…」
彼女が同じ野営地にするように進言したと聞き、アベルは妙な胸騒ぎを覚えた。
僕らがクゥレルたちと同じところを選んだことは彼女には伝えていない。だけど、こうして同じところに向かうのは果たしてたまたまなのか…今の彼女の雰囲気にはそう疑念を抱かせるものがある。
「あー、だまりなさーい、みなさーん」
両手をぱんぱんと打ち鳴らし注目を集めながら、引率のメロサーが部屋に入ってきた。
この催しの際空いている教師は手分けして引率しているため、彼が引率だとわかったこともアベルたちの士気を削ぐことに大きく貢献している。
「リティアナくーん、準備はーぁ、できましたかーぁ?」
「はい、こちらに」
返事をしたリティアナが手早く荷物を持ってくる。
彼女以外の監督官は今回参加しないため、実質先生の助手みたいなことも行っていた。そんな彼女は薄手の袖無し胴着を着ている。
(しかし…先生やリティアナは大分薄着だな)
リティアナの格好を見て、アベルはふと軽装でくるように彼女から厳命されたことを思い出した。
しかし、今の季節は冬の真っ只中。こんな格好では寒くてたまらないが、遺跡の奥にでも行くのだろうか?
とはいえ見渡してみれば誰もが夏服のような出で立ちだ。
自分だけがリティアナに担がれたのかと当初不安に思っていたー―昔のリティアナはよくそういう嘘をついたし――アベルだが、どうやらそういう訳ではないと知って羽織っていた薄手の上着をそっと荷物にしまった。
「各班代表者は一人ひとーつ、これを持っていきなさーい。中には今回ーの、野営で使う道具が一揃え入ってまーす。使い方は、習ってますーね?」
そう言ってメロサーは五つの頭陀袋を示した。
中には、学校から支給された幾つかの道具――素焼きの壺に収められた塩をはじめとした調味料と携帯用の調理器具、 天幕代わりに使う予定の防水加工を施された大き目の帆布や縄、それに針金と糸に携帯用の小型の鋤などが幾つか――が収められている。それ以外、私物は遺跡探索授業に使う物を除いて一切所持することは許されていない。
「それでーはぁ、各自班の代表が荷物を受け取り次第ーぃ、出発しまーす」
指示により各班に一つずつ行き渡ったのを確認したメロサーが一つ頷くと、懐から大きな丸瓜ほどもある転送球を取り出した。
「それではーぁ、行きますよーぉ。おどろかないようーに」
メロサーの合図に伴い転送球が解れると、彼らがいる部屋の中心を基点として視覚が急速に窄まる。色の認識できない空間が後に残されたかと思うと、逆送りしたように中心から眩い景色があふれ出し、周囲を塗り変える。
やや遅れて漂ってきた潮の香りとのんびりした拍子で繰り返される潮騒の音、何より肌を刺すような寒さがからっとした暑さに取って代わったことで、そこが見慣れた学府内の石に囲まれた転送室ではなく、どこかの島であることを伝えてきた。
「うわぁ…?!」
「すごい、綺麗!!」
山国育ちのアベルやリュリュはその光景を目の当たりにして歓喜の声を上げた。
一面の青い海、海、そして海。
確かにウィベルでも海は見たが、そことは海の青さがまるで違う。
黒っぽくさえあったウィベルのそれに対し、こちらはずっと広がる青い海がこれまた真っ青な空とどこで混ざり合うのか判らないくらいに馴染んでいる。足元の白い砂浜と空に浮かぶ雲、そして波間の純白だけが唯一別の色として景色に混ざりこんでいた。
アベルたちは今、南海の島にきているのだ。
「さーて皆さーん、呆けている場合ではーぁ、ありませーん。まずーぅ、さっさと今日の寝床を設営しーて、次いで食事の準備をはじめなさーい」
メロサーの言葉とそれにぶうぶう言う他班の文句――彼と親しいと思われたルーク班の中からも聞こえていたのには少し驚いた――にはっと我に返ったアベルは、不思議に思った。
「あの…先生、それは急がないとならないんですか? ここで少しあそ…いや、休んでからでも罰はあたらねぇんじゃ…」
全員の気持ちを代弁してウォードが天を見やった。空には、まだ東の空から中天へと差し掛かったばかりの太陽が見えている。
「だめでーす!」
だが、あまりに愚かなことを尋ねたと言わんばかりに目を細めたメロサーは唾を飛ばしながら怒鳴った。
「休憩も何ーも、今来たばかりでーす! やれることはーぁ、やれるうちにさっさと済まーす! これはーぁ、冒険屋でなくとーも、重要なーぁ、ことでーす! 何故ならーばぁ、いつ何時情勢が変わるかもしれないからでーす。今時間が空いていてもーぉ、後で時間が無くなることなど幾らでもありまーす! そのときーに、泣いてからではーぁ、遅いんでーす!!」
「わ、判りましたよ……ちぇっ、蟷螂が外に出たからはしゃいでるぜ」
幸い、後半の小声は対象の耳に入らず済んだようだ。
「それではーぁ、開始でーす! しばらくし-て我輩が見回りに来たときにーぃ、完成してなかった班とーぉ、明らかに手を抜いたと判る班はーぁ、覚悟しておきなさーい!!」
普段に輪を掛けて感情的な反応に、それまでぶつぶつ文句を言っていた他の班もようやく踏ん切りがついたようだ。
「あぁ、めんどくせぇなぁ…さっさと終わらそうぜ…」
「蟷螂じゃないけど、手抜きはするなよ?」
「判ってるよ、成績掛かってるだけじゃなく自分たちが寝るんだからな。んじゃまた後でな」
こうしてクゥレルたちとも別れ、アベルたち三人とリティアナは野営に良さそうな場所を探すことにした。
「ボクらはどこにしよっか?」
「私はこういうのはあまり経験がなくて…」
「そうだなぁ…」
アベルが野営の知識を簡潔にまとめていく。
「まず、水に流される可能性がある水辺は避けたい。見た限り空は晴れ渡ってるけど、よく知らない場所でいきなり雨が降るかもしれないしね。だけど飲み水も確保する必要があるから、まずは砂浜沿いに回って川を探そう。そこから少し森のほうに入ったところで、なるべく地面が平らなところを探したい」
採取学でも習ったが、アベル自身も野営の経験はある。
そう時間も掛からず狙い通りの場所を見つけることができたアベルたちは、荷物を置くのもそこそこに早速寝床の作成に入ることにした。
ここでもアベルの経験が基になった。
「まず、レニーはなるべく乾いていて綺麗な枯葉を大量に集めて」
「何に使うんですの? 」
「寝床に使うんだ。夜寝るときの地面の冷え込みは思っているよりきつい。幾ら温かいところにいるからといっても、夜はぐっと寒くなるし、冷え込んだまま寝ると体力を消耗するから、落ち葉を下に敷いてその上で寝るんだ」
「なるほど、そういうことでしたら。頑張って集めてまいりますわ」
「お願いね。その間、僕は天幕を張るよ」
「ねぇねぇ、ボクは何をしたらいい?」
「そうだな…僕が何本か木を寄せるから、重なるところをこの紐でしっかり縛って欲しい。あまり高くなると逆に隙間だらけになるから、この布を半分に折ったくらいの大きさのところ…この辺にしてね」
「判った。ボクの力で縛れるかな?」
「こういう結び方をすればリュリュでも出来ると思うよ」
そういってアベルは傍の立ち木で実演してみせる。
「うん、判った。それじゃやってみるね」
数回やってみせたところで完全に飲み込んだようで、三本の支柱がアベルの頭上でがっしり重なる形に組まれた。そこへ帆布の一枚を被せ、地面に垂れた部分には大きめの石を載せて固定する。
これでひとまず雨風は遮ることができる。
この頃にはレニーも山ほどの枯葉を確保できたので、三人は手分けして枯れ草を満遍なく支柱の中へ敷き詰めてから、その上にめくった帆布を敷いた。
「よし、こんなもんだね。三人なら広いくらいだし」
「あら」
突然声を掛けてきたのはリティアナだった。
「わたしもよければ入れてもらおうと思ったのだけど…場所空いてない?」
「いや、問題ないよもちろん」
リュリュが何か言いかけようと口を開いたが、それより早くアベルが答えていた。
「えと…」
ちらり、とリティアナがリュリュを見る。が、リュリュはすぐに表情を取り繕って答えた。
「…構わないよ」
「そう…ありがとう、助かるわ」
リティアナはほっとしたようだった。
「わたしも本当なら寝床を用意しないとならないんだけど、さすがに一人だと大変だったから。せっかくこんな綺麗なところに来たんだから、時間は有効に使いたいじゃない」
「別にここじゃなくても有効に使うべきだと思うけど…」
「それはその通りね。だけど更に効果的に使いたくなる時間や機会というのもあるのよ」
リティアナはそう流しながら周囲を見渡した。
「ところで、丁度今は寝床を作ったところね?」
「これからかまどと、ここの周りに雨がたまらないよう水路を掘るところだよ」
アベルの予定を聞き、リティアナが満足げに頷いた。
「いい進み具合ね。それじゃあ、その間にわたしたちは飲み物と薪に出来そうな枝の確保と、食べられそうなものを探してきましょう」
「良いの? 監督生がそんなことして?」
怪訝そうに見上げるリュリュに、リティアナは悪びれる風も無く答えた。
「いいのよ。今回は監督生というよりも仲間ということで手伝うわ。それに」
「それに?」
リティアナが珍しく口ごもる。
「こ、こうやって、他の人と一緒に野営訓練するの…わたし、はじめてなんだもの。楽しみにしてたのよ。悪い?」
直後、リュリュとレニーの表情が慈愛に満ちたそれに変じた。
「そういうことなら、大歓迎ですわ」
「そうだね、楽しい思い出をつくろう!」
「ありがとう、二人とも」
リティアナが嬉しそうに答える。女性陣が認めてくれたのなら、アベルとしても反対する余地は無い。
「よし、それじゃあ今回は仲間と言うことでよろしくねリティアナ」
「ええ、まかしておいて!」
「それじゃあ早速行こ? アベルはかまどお願いね」
「わかった。こちらは僕一人で間に合うから、よろしく頼むよ」
そうしてリティアナはレニーとリュリュを連れ立って森の中へ消えていった。
順調にかまども作り終え、水路を半分ほど掘り終えたところで。
「どう、アベル?」
拾った棒を肩に担いだリティアナたちが戻ってきた。三人が担ぐ水平な棒の左右の先端には、たっぷり膨らんでいる皮袋がぶら下がっている。
「水多めに汲んでましたわ」
「薪も持って来たよ!」
「こちらは食べられそうなものを幾つか」
三者三様に集めていたために時間が掛かったのだろう。
「ああ、お疲れ様。こちらももう少しで終わるよ。ありがとう」
「おお~、こりゃなかなかしっかりした大きいかまどだね~」
リュリュが拾ってきた薪を傍に下ろしながら、出来上がったかまどを眺めている。
アベル謹製のかまどは軽く地面を掘った上に太い枝を二本差し渡し、後ろには一点だけ道を空けて覆うように大きくて平たい石をぐるりと囲むように置いてある。そうすることで具材への熱効率を上げられるようアベルが工夫したものだ。
「食べられるものは何があった?」
「採取学を学んでおいて本当に良かったですわ」
そういって満面の笑みを浮かべたレニーが見せてくれた収穫物の中には、お馴染みの物だけでなく目新しい食材がちらほら見受けられる。
補習の成果がきちんと出ているようだ。
「うん、これなら大丈夫だね」
それからはアベルが水路を掘り終えるまでの間女性陣が料理を行い、全員が丁度空腹を覚える頃にはすべての作業が完了した。
「さて、これでひとまずの準備も終わったし、食事も終わった後だけど」
昼過ぎになった朝食を済まし、沸かした川の水で喉を潤したところでリティアナがおもむろにそんなことを言い出した。
(……ん?)
表情は変わらないのだが、妙に口調が普段と違って浮かれているようにアベルには感じた。
「これからは更に、食料を確保する必要があるわ」
「えぇ?! 今食べ終わったばっかりじゃん!」
腹がくちたばかりのリュリュが口を尖らす。が、
「そうね。でも、見て。まだ、お昼をちょっと過ぎたばかりなのよ」
リティアナは怒るどころか、かすかに口元を上げた。そこに何か含みがある、そう気づいたレニーが先を促した。
「…そうですわね。それで?」
「ここにはすぐ傍に綺麗な海があって、きっとそこには豊富な食料がある…そう思わない?」
その言葉に、遅ればせながらもリュリュにも何かぴんとくるものがあったようだ。
「…確かに、そうだねぇ」
「なら、これから食事時まで、ゆっくり食料を探すのは…おかしいことじゃないわよね?」
「いいえ、全然。むしろ必然ですわ」
最後にようやくアベルもリティアナが言いたいことを飲み込めた。
「ああ、そういうことね…それならそうと回りくどい言い方しなかったらいいのに」
呆れてため息を吐くが、リュリュにはこの小芝居は大受けだったようだ。
「あはは、確かにね! …あ、だけどどうするつもり? まさかこの格好のままで行くなんて言い出さないよね? ボク余分な着替え持ってきてないよ?」
自分の服を摘んで困ったように尋ねるリュリュに、リティアナはにやりと器用に口角だけ吊り上げた。
「ふふふ…そんなこともあろうかと、わたしが準備しておいたわ。みんなの分の水着をね!」
レニーとリュリュが歓声を上げた。
「…リティアナ、元から遊ぶつもりだったね?」
「違うわ。わたしは監督生として、あらゆる状況に対応するべく前もって準備をしただけよ」
胸を張りしれっと答えるリティアナに、アベルももはや苦笑するしかなかった。
「まあ…そういうことだったら、魚獲りのほうはお願いするよ」
「えっ、アベルは来ないの?!」
「あなたの分の水着もあるわよ?」
残念そうに叫ぶリュリュとリティアナに、アベルは気まずそうに答えた。
「一応僕が班長だからね。先生に報告しないとならないし、他の班の様子も確認しておきたいんだ」
「うぅん…そういうことならしょうがない、かぁ…」
心底残念そうに呟くリュリュに、アベルは付け足した。
「早く用が済んだら付き合うから、それで勘弁してよ」
「…判った。絶対だよ」
「うん。それじゃあ僕は行って来るね」
そういうとアベルは立ち上がり、そそくさと森の中へ足を踏み出した。
リティアナたちがああまで楽しみにしていたのだから、着替える時間を少しでもはやく設けてやろうという心積もりもある。
「それにしても、リティアナも大分羽目を外すようになったなぁ」
森の中を進みながらアベルは一人ごちる。
再会したばかりのころはもっと杓子定規な性格かも知れないと思っていたけれど、実は猫をかぶっていたのだろう……?
「…いや、考えてみれば、昔のリティアナはどちらかといえばおてんばだったな…」
幼少時は、リティアナが年上だからということもあろうがあちこちアベルを引きずり回して遊んでいたものだ。
回りに弱みを見せられないと気を張っていたから生真面目にしていただけで、今のリティアナが本来の彼女なのだろう。
自分達と一緒にいることで素に戻ってくれていることがアベルは嬉しかった。
「ん?」
がさがさという物音と、苦しそうなうめき声に気づいたのは、そんなことを考えながら歩いている最中だった。
「どこだ…あれか?」
最初見たときは、ちょっとした小山かと思った。
が、もぞもぞ動いているのですぐに違うとわかった。
よくよく見ると、巨大な朽木の下敷きになったメロサーがもがいている。遠目だとなんとなく大蛇に襲われている大蟷螂を想起させるが、さすがに放置しておくわけにはいかない。
「大丈夫ですか先生?!」
慌てて木を持ち上げると木はかなり重く、背後から綺麗に押さえ込まれた形ではなるほど痩せぎすのメロサーではいかんともできなかったろう。アベルが四苦八苦してどうにか隙間をつくると、メロサーはほうほうの体で這い出た。
「ぜぇはぁ…たすかりましーた、ありがとーう…巨大だかーら、簡単に倒れないと油断してましーた」
苦しそうに胸を押さえているのにアベルは肩を貸して適当な石へ座らせた。
「怪我とかはありませんか?」
「大丈夫でーす…たーだ、胸が苦しいのでーぇ、すみませんが水を用意してくれぇませんーか」
アベルははいと答え、無人となった自分達の野営地へと戻ると水を皮袋に汲んで引き返す。
水を受け取ったメロサーは礼もそこそこに飲み干し、感謝の礼と共に安堵の吐息を大きく吐き出した。
「助かりましーた…そういえばーぁ、君はどうしてここにーぃ?」
ひとまず野営の準備が終わったため確認してもらうためにきたことを説明すると、メロサーは頷いた。
「わかりましーた。ですがーぁ、まだ見に行く予定の時間ではありませーん。何よーり、我輩自身の野営のーぉ、準備ができてないのであるからしてーぇ…」
確かに、先刻の様子では野営の準備どころじゃあるまい。
「なぁのでーぇ、君は我輩が野営の準備を終えるまでーぇ、好きにしていなさーい」
そういって立ち上がろうとする…が、まだ胸が痛むのかごほごほと咳き込んだ。
「えぇと…その、先生。よろしいですか?」
ちょっと迷ったものの、アベルは少し考えて提案することにした。さすがにここまで関わったのに何もしないで帰るのは気の毒に思ったのだ。
「なんですーか?」
「もしよろしければ、その…先生に、作業工程を確認してもらえればと思うのですが」
いぶかしげに目を細めたメロサーだが、すぐに何を言わんとするか察したようだ。
一旦は顔をほころばせかけるが、はっとしたように顔を背けるとわざとらしく咳払いした。
「…なるほーど。たしかにーぃ、実地で君の能力を確認するのもよさそうですーね…わかりましーた。ここは一つーぅ、それでいきましょーう」
こうして、アベルはメロサーの寝床の作成を手伝うことになった。
元々メロサー自身も教師なだけに手馴れているのにアベルも手伝ったことで、そう時を経たずして特に問題も無くメロサー用の野営とかまどの設置は無事終了した。
「ふーむ…なかなーか、いいかまどでーす。こうしてみる分にはーぁ、君の班はーぁ、問題なさそうですねーぇ」
水路を掘り終えたメロサーがアベルに任せたかまどを確認して何度も頷いている。さすがに戦技の講師をしているだけ合って、鍛えられた体はもう回復したようだ。
「ありがとうございます」
一方礼を言うアベルは言葉少ない。さすがに自分達の班だけでなく、メロサーの分の作業をこなしたためかなり疲れていたため、さっさと開放してもらいたかったのだ。
「ん…そうですねーぇ」
だが、その願いは儚く潰えた。
「まだ日も高ぁいですねーぇ。折角ですしーぃ、採取の実地訓練もしましょーう」
「えぇ…」
野営の手伝いで終わると思っていたアベルは流石にうんざりした表情を表に出してしまったが、メロサーはそれを無視して喋りつづけている。
「そうですねーぇ…まずはちょっと火を熾しておいてくださーい。それが終わったーら、我輩の背丈ほどの長さでーぇ、頑丈でよくしなる枝を二本切っておいてくださーいねーぇ」
アベルの返答を待たず、メロサーはさっさと荷物を置いてあるところへ行ってしまった。いい加減放置して帰りたかったがさすがにそうするわけにもいかず、アベルは仏心を出して迂闊な提案をした自分を呪いながら火熾しに取り掛かった。
「んー、いい具合に燃えてますねーぇ」
ある程度燃え盛ったところでメロサーが戻ってきた。手には小さなかなづちと針、そして何故か火ばさみを持っている。
「枝を切ったーら、すこーし、待ってなさーい」
そう言うとメロサーはよく使い込まれた火ばさみで針をつまむとしばらく火で炙った。赤くなったところを見計らい取り出すと、それを適当に拾ってきた平らな石の上に載せてかなづちで叩き出した。
「……こんーな、もんでしょうねーぇ」
針を鉤状に加工するのに数分も掛かっていない。メロサーの見た目によらない意外な器用さにアベルは少し驚いた。
「用意しておいた枝をもってきなさーい」
「釣り、ですか?」
ちょうど枝を二本切ってきたアベルの問いに、メロサーは大きく頷いた。
「さーぁ、海岸に行きまーすよーぅ。ついてきなさーい」
枝を両方受け取るとメロサーはさっさと先を行く。
疲れているアベルは更にどれだけ歩くことになるかと心配したが、島をよく知っているのだろう、メロサーは迷い無くすいすい森の中を進み、程なくして磯へと辿り付いた。
「それじゃーあ、さっさと釣りますよーぉ」
歩いている間に紐と針をしっかり括りつけた枝を一本アベルに放ってよこすと、メロサーは足元に見える岩場の隙間を穿り返しはじめた。
泥のようなところを掻き分けると、うねうね蠢く褐色の線虫のような生き物が飛び出した。それを素早く捕らえると器用に針先につけては海に向かって放り投げる。
「さーぁ、君もやってみなさーい」
促され、アベルも同じように真似をする。難なく餌をつけると同じように竿を振った。
間をおかず、針を放り込んだ二人の枝が大きくしなった。
「うわっ、すごいっ?!」
いきなりの引きにアベルが感嘆すると、メロサーはにやりと笑った。
「そうでしょーう、そうでしょーう! ここの魚は人にすれてないのーで、最高の穴場なのでーす! ここでの釣りーは、我輩の毎年の楽しみなのでーす! さーぁ、どんどん釣りますよーぉ!」
実に嬉しそうな笑顔を浮かべ、メロサーが竿をひく。
アベルもはじめる前は億劫さが前に立っていたが、枝を垂らした片っ端から釣れればさすがに楽しくもなってくる。当初の不満もどこへやら、気付けば彼らは魚釣りにのめりこんでいた。
そうやって小一時間互いに魚釣りに興じていたが、いい加減腕が疲れてきた頃ようやくメロサーは口を開いた。
「…これからいうのはーぁ、我輩のひとりごとであーる」
いつしか彼と並んで腰掛けていたアベルは、メロサーの言葉を最初聞き間違えたかと思った。
「我輩ーぃ、こう見えて元々は貴族の生まれなのであーる」
唐突に何を言い出すのか?
怪訝な面持ちで見やるが、メロサーは水中の針を見つめたままぽつぽつとつづけた。
「とはいーえ、今はまったく関係ないのであーる。なぜならーば、我輩の祖国はーぁ、十数年前に滅ぼされたからでーす」
メロサーの声の調子は変わらない。淡々と喋る彼は、水面に沈む針先ではなく、はるか遠くの過去を見ているようだった。
「当時の我輩はーぁ、一軍団長として戦っていましーた。攻め込まれたときにーぃ、真正面からそれを押し込む任を受けて戦ったものでーす。我輩の兵はーぁ、文字通り死力を尽くしてよく守りましーた…がーぁ、後ろで待機していた支援部隊が相手の勢いに怖気づーき、きませんでしーた。我輩の軍はーぁ、よく持ちこたえてくれましたーが、結局一人ーぃ、また一人と討ち倒されてゆーき、我輩も敵兵の刃を受けて倒れましーた」
メロサーの手が、わずかに震える。針の傍にいる魚はまったく食いつく気配がない。
「逆に相手は我が軍を破ったことで勢いづーき、あっさり後方支援部隊をも飲み込んーで、本国を蹂躙しつくしましーた。我輩たちのことを信じてくれて残っていた家族たちーは、逃げることすら出来ずに敵軍に殺されたましーた。我輩が意識を取り戻ーし、戻ったときにはすべて手遅れだったのでーす。そのときにーぃ、家族も何もかも無くしーぃ、一人になったところーで、校長に拾ってもらったのでーす」
アベルはメロサーにそんな過去があったことに驚いた。
彼が、どうして突然そんな話を自分に話して聞かせるのか、アベルには判らない。
どう答えたものか判らず、アベルは気休めしか言えない。
「でも、それは先生のせいじゃ…」
「いいーや、そのような慰めはいりませーん。実際に戦っていた我輩にはわかるのでーす」
そこで一端切ったメロサーは唇を舐め、再び話をつづけた。
「戦いの場においーて、勝敗を分ける決定的な要素は何ーか。大きな戦力でーも、優ぅれた兵でも強力な魔法でもありませーん。 もっとも重要なのーは…士気でーす。如何に味方を鼓舞しーぃ、相手をひるませるーか」
メロサーの持論に、アベルは眉をひそめる。軍隊が士気だけで成り立つなら、鍛える必要など無いではないか。
「それは…極論じゃないですか?」
「そーう、極論でーす」
驚いたことに、メロサーも素直に頷いた。
「ですーが、力も気力も何もかーも、出し尽くしたあとにーはその気迫こそーが何より物を言うのでーす。…我輩の軍はそれが足らなかったのでーす。我輩ーは、 士気を維持することができなかったのであーる。支援部隊が来ないとーぉ、判って浮き足立った部下たちをまとめることーが、我輩にはできなかったーぁ…」
アベルの反応を待たず、メロサーは再び回想に浸っていく。
「最低でーも、我輩だけでーも最後の最後まで立って戦いつづけるべきであったのでーす。そうすることーで、仲間たちの士気を鼓舞しーぃ、戦況を長引かせることもが出来れば支援部隊もきたかも知れませーん。そしーて、それが兵をまとめる立場にある者の義務なのでーす」
メロサーは一端そこで切り、気を落ち着けるように一度深く呼吸するとつづけた。
「故にーぃ、我輩は言うのであーる。校長やドゥルガンがなんと言おうとーぉ、いまだにつづくこの戦乱の世においてはーぁ、己の力こそすべてなのであるとーぉ!」
アベルははじめて彼の授業を受けたときの訓戒を思い出していた。
聞いた当初はアグストヤラナとはまったく方針が違うのではないかといぶかしんだものだが、今の感想は違う。
説明が圧倒的に足りないこととかんしゃく持ちだから生徒から誤解されがちだが、メロサーは自身の信念に基づいた上で生徒たちが生きぬく術を伝えようとしているのだ。
ガンドルスがかつて言い諭してくれたように、メロサーもまた立派なアグストヤラナの教師なのである。
と、メロサーは一つ空咳をして感慨に浸るアベルを我に戻した。
「…我輩ーぃ、去年のとある新入生には呆れましたーぁ。右も左もわからぬ若造がーぁ、校長にいきなり切りかかるなどと身の程知らずにも程があるーと。どうせまた校長を倒して名をあげようという野蛮な田舎者の一人だろーう、と当初は思ったものでーす」
無論、アベルにはメロサーの言う“野蛮な田舎者”とやらに十分心当たりがあった。
思わず言い返そうとしたが、メロサーの水面を見つめる表情が今も尚穏やかなのに気付いた。
どうやら責めるつもりで話題にしたわけではないらしい。
「ですーが、どうやらそれは我輩の思い込みに過ぎなかったようでーす。最初の戦技試験のときーや、ヴァンディラへ向かったことなどーで、そのような愚かしい野望を抱く有象無象とは違うのではー?と、薄々感じるようにはなりましーた」
メロサーの竿がしなり、すばやく手繰り寄せる。針先には、大降りの魚が掛かっており、しばし無言のまま手慣れた動きでそれを外すと再び海へ竿を垂らした。
「それかーら、校長に彼の事情を聞かされたときは驚いたものでーす。野蛮どころーか、いやいーや…彼の過去は我輩にも共感できるもーの。我輩ーぃ、まったくもって己の不明を認めぬわけにはー、いきませーん」
「えっ?」
アベルは驚きに大きく口を開いたまま閉じることができない。己の非を認める言葉があのメロサーの口から飛び出るとは夢にも思っていなかった。
その驚きように呆れたのか、メロサーがじろりと横目で睨んだ。
「なんであるーか? 我輩ーぃ、これでも校長ほどでは無いーが、高度な柔軟性を持っていると自負しているのでーす」
「えぇ……」
嘘だ、反射的にそう言いかけたアベルは強靭な意志をもって口を噤むことに成功した。
メロサーはそんなアベルをちらりと一瞥すると微笑んだが、すぐにいつもの仏頂面に戻して宣言した。
「…こほーん。話をもどしーて。その生徒に関してはーぁ、我輩今後は他の生徒と同様ーぅ…否ーぁ、むしろより厳しくしていくつもりであーる。なぜならばそれが我輩の務めでありーぃ、また信頼の証でもあるからですーぅ。その生徒にはーぁ、より一層の精進を積むよーう、願うのでありまーす」
メロサーはそこまで言うと、
「…我輩の独り言はーぁ、以上でーす」
それだけ言うと、口をへの字にかたく結んでしまった。
しばらくそうして沈黙のまま釣り糸をたらしていた二人だが。
「その…一つ、質問があります。どうしてその…急に?」
アベルは、どうしても尋ねたかったことを口にすることにした。
他にも色々尋ねたかったことはある。が、うまく言葉にできない。
けれど、メロサーは意図するところを汲んでくれた。
「…我輩ーぃ、自分の過ちからいつまでも目を背けていることはーぁ、自身の信念において許せないからでーす。たまたま今日は都合よく時間が空いたからであってーぇ、決して決してーぇ、助けてもらったことでほだされたとかそんなことはないでーす!」
そういうメロサーの耳が赤いことにアベルは気づいた。
「そ、そうですか…」
その答えを聞いて、アベルも判ったような気がした。この教師は、良くも悪くも一々不器用な人なのだ。
「…おほーん。大分長い間ーぁ、釣りしていたようでーす。そろそろあがりましょーう」
そう言いながらメロサーは餌の無くなっている釣り針を上げた。
気づけばすでに日は暮れなずんでいる。
「我輩ーぃ、小食故これだけで構いませーん。残りとその釣竿ーは、君が持ち帰ってよろしーい。今回の手伝いをしてくれた駄賃代わりでーす」
先ほど独白中に釣った一際大きな赤い魚だけを持ち、メロサーは立ち上がるとアベルのことを振り返らず元来た道へ歩き出していく。
残った分だけでも、ハルトネク隊の皆が腹いっぱいになれる分はあった。
「ありがとうございます!」
慌てて立ち上がったアベルは、振り返ることなく遠ざかっていく彼の背中に向かい万感を込めて一礼した。




