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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
二年目
57/150

第17話-2 ムクロとネクロ



 部屋の前までたどり着くと、四人は入り口傍の壁に身を寄せ、中の様子を伺う。



 中は先の広場とほぼ同じくらいの円形になっている。


 ただ大きな違いとして、大量に置かれた円筒はこの部屋には一本も無く、代わりに周囲をぐるりと囲むようにして雑多な荷物が乱雑に散らかされている。アベルたちの部屋から伸びた人一人分の通り道と中央だけ歩ける場所が残されているのを見るに、ここが遺跡の終端らしい。



 中でも目を引くのは中心部にある空間に配置された祭壇のようなものだ。高さは腰くらいまでだが、陰になっていて詳しくは判らない。



 灯りはその真上に置かれた灯具のみで、祭壇前の三人の影を床に大きく映し出していた。



 一人は頭巾を脱いでいるようだがこちらへ背を向けており、その左右に立っている二人は頭巾を目深にかぶっていずれも顔が見えない。



「つまり……なわけか…」


 今喋ったのは手前の人物のようだ。警戒しているのか、話し声は小声でかつ訥々としており、反響しているせいもあって喋っている内容は聞き取りづらい。



「では俺は…」


「お前はもうここにいる必要はありません。ただでさえ壊れかけているのに、目を付けられている道具は使えませんからね」


 唯一、はっきりした声が聞こえてきた。低い男の声。



 どうやら先ほど聞こえたのはこの声のようだ。別の声がそれにつづく。


「…すまん、俺が失敗したせいでお前には辛い任務になったようだな。埋め合わせはするから、先に戻って母さんの傍にいてやってくれ」


「判った、そうさせてもらう。兄さんも気をつけて」


 そういうと、頭巾をかぶった片割れが光に包まれ、姿を消した。転送石を使ったようだ。



「それで、俺はこれからどうすればいいんだ?」


 その声は、どこか厭悪の響きが込められているようにアベルは感じた。



 だが、相手は口調を変えず淡々と指示を出す。しばらくひそひそ話がつづいた後、今度は怒声交じりに返答した。


「はいはい、判ってますよ先生様。まったく、ご立派なもんだ」


 その言葉を聞いたアベルたちは思わず互いに顔を見合わせた。



「そういえば何でわざわざ、相手の膝元でその寝首を掻く真似をするんだい? そんなにあの髭達磨が嫌いなのか?」


 短い怒鳴り声が聞こえ、重い物を殴りつけるような音が響く。



「…判った判った。これ以上は余計な口を利くのは止めるさ…」


 殴られた衝撃で頭巾が外れ、灯具の灯りに照らされた翠の髪が舞い広がる。その髪にアベルは見覚えがあった。



「あれは…!」


 顔をもっとよく確かめようと思わず身を乗り出した瞬間、足元にあったがらくたを蹴り飛ばした。甲高い金属音が室内に反射すると会話をしていた二人はその音にはっとし、こちらを振り返った。手前にいた人物は逆光になっていて顔が良く見えない。



「お前ら! ええい、ここは任せます!」


 しまったと臍を噛んだアベルたちが部屋へ飛び込んだのと、男が短く怒りの言葉を吐き出しながらすばやく転送石で逃げてしまったのとはほぼ同時だった。



「ここを知ったからにはただで返すわけにはいかないねぇ!」


 残された侵入者はと言うと、喚きながら腰の後ろから短刀を抜きアベルたちに向き直る。仮面は付けていないようだ。



「ああもう、アベルのばかっ!」


 リュリュが文句を言いながらクロコに魔素を吹き込んだ。



「悪かったよ!」


 アベルはばつの悪い思いをしながら祭壇もどきまで全力で駆けると剣を構えた。隣ではレニーが唇を尖らしながら槍を構え、最後尾をついてきたリティアナも嘆息しながらアベルの空いた隣に並び立つ。



「いいみんな、殺さないで無力化させるのよ。彼からは聞き出したいことが色々あるんだから」


 リティアナの台詞に、対手が不敵に笑った。



「へえ、俺に勝てるつもりでいるのか! おもしれぇ…適当に甚振ってから逃げるつもりだったが気が変わった。お前ら全員、痛めつけて動けなくしてから悠々と逃げてやるよ」


 そう言ってその場で小さく飛び上がる。



 本来なら床に着地するはずの長身の体は、影に触れた途端まるで水面に没するようにとぷん…と影に沈んだ。影は祭壇の陰に紛れ、アベルたちの足元へと伸びている。



「これは…!」


 アベルがぞっとする気配を感じ、反射的に後ろに飛びのく。直後、さっきまで彼の足首があった辺りを影から伸びた手が短刀で薙いだ。



「気をつけろ! 影にもぐりこんでいる!」


「ほお…やるじゃないか、俺の攻撃をかわすとは」


 祭壇から伸びた影の中から這い出た相手に、アベルは剣を向けた。



「何でこんなことをするんだ、ムクロ!」


「ムクロ…?」


 急な接近に慌てて振り下ろされたレニーの槍の穂先を短刀で反り滑らすようにしてあしらい、鉤爪を振り上げたクロコを無造作に蹴り飛ばしながら相手は怪訝そうな面持ちになる。


 だが、すぐに何か得心が言ったのか、ああと声をあげた。



「なぁるほど、お前らか。ムクロが言ってた仲間ってのは」


 リティアナの鎖が草薮の中から飛び出す毒蛇さながらに瓦礫の隙間から飛び出したが、それを上体を捻って避けると後ろに飛びのいた。



「俺はムクロじゃねえよ。兄貴のネクロだ」


「兄?! ムクロに兄弟がいたのか?!」


 その言葉にアベルたちは驚いた。言われて見れば確かにムクロと似ている。



「おいおい、兄弟がいて悪いかよ。魔人族だって木の根っこから生えてくるわけじゃあるまいに」


 その驚きが面白いのか、ネクロは口を歪めた。表情、言動何れもムクロよりは大分あけすけなようだ。



「ああ…あいつは口下手だからな。どうせ兄弟がいることは言わなかったんだろうさ」


 だが、今は呑気に兄弟の違いを観察している場合ではない。アベルは剣を振り上げ駆け出しながら問いただした。



「その、ムクロの兄弟が何故こんなところに? いや、それよりもムクロはどうした!」


「あいつは帰ったよ、元のところにな」


 回答しながらもちらり、とネクロは視線を周囲に巡らせる。



「それではあなたにムクロは何か脅迫させられてるんですのね!」


 レニーが素早く呪詛を紡いで氷の矢を放つ。それと同時に反対側に回りこんでいたリュリュが火の矢を放ったが、二人の動きはすでにネクロに見破られていた。


 腕組みをして立ったままのネクロの足元の影が左右を覆うようにぐぅんと伸び上がり、膜のように広がって火と氷の矢を包み込むと闇で塗りつぶした。



「きゃあっ」


 その光景に気をとられたアベルの傍にいたリティアナが悲鳴を上げた。振り返るとリティアナの身体を大蛇のように影が絡み付いて拘束している。影を操る能力はムクロより上手のようだ。



「リティアナ!」


「おっと、そっちだけに気をとられていていいのかよっと」


 自分の影を踏み台にして高く飛び上がったネクロが空中でくるりと身を翻すと、飛んでいたレニーの肩目掛けて体重の載った踵落としをお見舞いする。アベル同様リティアナに気をとられていてもろに受けてしまったレニーは祭壇の向こうへ吹っ飛ばされた。



「このっ!」


 着地しようとしたところを横薙ぎにしようと駆け出したアベルだが。



「そうはさせないぜ」


 先ほど氷と炎の矢を受け止めた影の盾がぱぁんと弾け、アベルとすぐ傍で術を撃とうとしていたリュリュに降り注ぐ。かろうじてアベルは剣で切り払い事なきを得たが、術に集中していたリュリュは飛散した影をもろに浴びてしまった。



「うわぁあっ、なにこれっ、べたべたするぅ?」


 まとわり付いた影を翅にへばりつかせたリュリュも自由を失い、その場に落ちた。



「ほい、いっちょ上がり。後はお前だけだぜ。さっさとおねんねしな!」


 素早い踏み込みで飛び込んできたネクロが、アベルの喉や股間を的確に狙い短刀を素早く振る。何とか避け、払いしたところを足元から這い上がろうとする影に気付きアベルは飛びのいた。



「へえ…お坊ちゃんだらけの生徒にしちゃやるもんだ。お前、名前は?」


 剣を構え周囲に注意を払いつつアベルは自分の名前を告げた。



「ほぉ」


 ネクロがぱっと目を見開いた。こいつはどうもこういう大げさな反応が癖らしい。



「じゃあお前があの堅物を引き込んだ珍しい人族ってことか。前から興味あったんだよ」


 そういうと、油断無く短刀を腰溜めに構えたまま、動けなくなっているリュリュを見やった。



「質問ついでにもう一つ聞かせろ。お前、なんで人族以外ともつるんでる?」


 その問いの意味が判らず、アベルは思わず間抜けな声を上げてしまった。



「は?」


 ネクロはというと、アベルの反応を気にせず質問をつづけていく。



「そこの小翅族やさっきの天人族もそうだが、決して人族と仲がいいとは言えない連中だ。噂だと森人もだっけか? それがどうして一緒に組んでるんだ? 何で釣った?」


 そう尋ねるネクロは気安い口調こそ先刻までと変わらないが、口元に刷いていた笑みは消えている。



 その間にアベルはちらと視線だけを下へ落とし、ネクロまでの間の障害物の様子を頭に叩き込んでいた。



「ま、どうせ答えは聞かなくても判ってるがな。他の奴らと同じで、金で釣ったか…」


「違う!」


 そう叫びながらアベルは駆け出した。躊躇い無く駆け出したアベルの足は障害物に囚われることなく敵の元へと辿り付く。



 このために周囲を観察し、脚の踏み出せる場所を記憶したのだ。



 速攻が来ると思っていなかったネクロが慌てて短刀を引き、かろうじてアベルの勢いが乗った一撃を鼻先で受け止めた。



「ぅおっと! なかなかいい踏み込みじゃねえかお前。思い切りがいい奴は嫌いじゃねぇぜ…人族じゃなけりゃぁなあっ」


 前髪が一筋断ち切られ、風に流されるが、ネクロの眼差しはアベルの目を真正面から見据えて一歩も退かない。その目に宿る意思の強さに、アベルは奇妙な感覚を覚えながらも反論する。



「僕にとってムクロは大切な仲間であり、友達だ。その友達がいなくなったら心配するのは当たり前だろ!」


「友達だぁ?」


 後ろで気配が動いたのを察知したネクロが器用にアベルと体を入れ替える。



「くっ…」


 さっきまでネクロがいたところを絡めとるつもりだったリティアナはアベルの首筋に伸ばした鎖を慌てて引きとめた。影の拘束から手先だけ自由を取り戻したのをネクロは気付いていたのだ。



 しかし、アベルもこの隙を見過ごさない。


 体を入れ替える動きに併せて剣を下からかちあげる様にして、柄頭でネクロのあごを狙い打とうとした。



「うぉっと! おっかないなお前。一番暢気(のんき)してるように見えたが、ここぞというときにはすごい集中力を持っているとみたぜ」


 言いながら、アベルの死角から影の触手を伸ばす。だが、今度の触手は氷の矢に弾かれた。



「そういうあなたは集中力が足りないのではなくて?」


「ちっ、もう戻ってきやがったか」


 今の一手が無駄になったことがネクロにとっては後手に回る結果となる。


 右から左へ、また或いは足元を狙ったかと思えば鼻先へアベルの剣尖が伸びてくる。



 足元は先ほど見て邪魔にならない位置を記憶してあるので躓くことは無く、いずれもしっかり力の載った攻撃で、日ごろの鍛錬が如実に現れている。必死に捌きながらもネクロは精一杯の嫌味を口にした。



「おいおい、俺を生け捕りにするつもりじゃなかったのかよ」


 アベルだとて勿論そうできればそうするつもりだ。だが、この対手は手加減できる相手ではない。



 彼にできるのは可能な限り相手を弱らせ、後をリティアナたちに任せることだけだ。そのために今ネクロを抑えられるのは自分しかいないと理解しているからこそ、ネクロに惑わされること無く攻撃の手を決して緩めない。



「大体、なんでそんなに必死になるんだよ。ムクロはお前たちを裏切ったんだぞ?」


 ネクロの言葉に、アベルは剣を振る手に一層力を込める。



「ムクロに直接事情を聞くまでそんな言葉信じられるか! 例えそうだったとしても、あいつが進んでやったとは僕は信じない!!」


「だからっ、なんでそんなに信じるんだよ! 魔人だぞあいつぁ!!」


 右上から首筋を狙って切り下ろされた短刀を、下から放ったアベルの剣ががっきと食い止めた。



「ムクロが、笑っていたからだ!」


「何?」


「一緒の班になって以来、僕たちは彼が笑ったのを何度も見ている。本当にどうでも良かったなら、いつでも裏切れるような関係だったならあんな楽しそうな笑い方はしない――そう僕は信じる!」


 互いに鼻先が触れ合いそうな距離でも、アベルの目はネクロから外れずまっすぐ見据えている。



「…ちっ。止めた、めんどくせぇ」


 先に視線を逸らしたのはネクロだった。



 そういうと、ネクロは剣を退き後ろに数歩下がった。



「おっと、余計な手出しするなよ。今回はその甘ちゃんに免じて引き下がってやるがよ、まだちょっかいを出そうってんなら今度は容赦はしないぜ」


 背後で飛び掛る隙をうかがっていたレニーたちを一瞥しそういうと、ネクロは真面目な面持ちになってアベルに向き直った。



「おいお前。ここは俺を見逃せ。そうすれば今、てめえらのことは見逃してやる」


 そう言って顎をしゃくりアベルにだけ注目させた先には、あちこちの残骸に紛れた無数の細い影の矢が他の三人を向いている。



 いつの間にそんな仕掛けをしたのか、まったく気づかなかったアベルは舌を巻いた。


「お前……一体どういうつもりだ?」


 だが、それだけの実力を持っていながらあえて手の内をさらしたネクロの意図が判らない。



 未だ警戒を解かないアベルに、ネクロは肩をすくめた。


「考えてみれば、俺だって別に好き好んで面倒なことしたかねぇんだ。お前らと戦ってたらどうやらこちらも只じゃすまなさそうだし。どうせすでに失敗を犯してるんだ、今更失点が一つ増えたところでかわりゃしねえ…なら、適当なところで退いた方が無駄に痛い思いをしないで済んでお得ってもんだろ」



「本当にそれだけか?」


 じっと見つめるアベルの目を、ネクロも正面から受け止める。



「さあて、ねぇ…まあ俺が何を言ったところで信じやしないだろ?」


 短く答えくるくる回した短刀を腰の鞘に戻したネクロの顔には、苦々しい、自嘲気な表情が浮かんでいた。



「さて、楽しいおしゃべりの時間はここまでだ。俺はお暇させてもらうよ」


「待ちなさい!」


 捕縛すべくリティアナの鎖が飛び掛ったが、体に触れる前にネクロの姿は転送石によって掻き消えた。



「逃げられましたわね」


「…そうだね」


 だが実はむしろこちらが見逃してもらったと言った方が正しいだろう、アベルはそう判断していた。影の矢はすでに消えている。


 ここは彼を無理して捕まえられなかったことを嘆くより、全員無傷で済んだことを喜ぶべきだろう。



「あのネクロって奴、底意地悪い! 今の今まで捕まえてるんだよ?! ボクはトリモチに掛かった鼠じゃないっての!!」


 ようやく影から解き放たれたリュリュがふくれっ面でアベルの周りを飛び回りながらずっと放置されていたことの屈辱を訴えつづけている。



「しかしとんでもない相手でしたわ…私たち四人掛りで手も足も出ないなんて…」


 悔しそうに呟くレニーに、リティアナも同意した。



「かなり戦いなれてるわね彼。わたしが近接戦闘苦手なのを真っ先に見抜いて真っ先に封じに来たもの。あなたたちのことも術法が得意と見抜いたからこそ影で油断無く守ってたし、何より影がわたしたちの方に向くように動いていた。恐らくある程度情報を得ているだろうけど、全員での戦い方を改めて見直した方がいいかもしれないわね…わたしも含めて」


 アベルも賛成だった。もし今回、ネクロが本気で殺しに来ていたらみんなを守りきれたかどうか…守りきれた自信は無い。



 だけど、今そのことを考えるのは後回しだ。



「戦術については明日にでも考えよう。でも、今は急いでこの部屋を調べるんだ。もしあの逃げたのが先生なら、この遺跡へ調査しに着たのがばれたから追っ手が来る可能性が高い」


「確かにそうね…手分けして探しましょうか」


 残った二人もリティアナの言葉に同意し、素早く散開し部屋を探すことにする。



 さっそくアベルは一番目立つ祭壇に近寄った。


「これは…祭壇、じゃないのかな?」


 近くに寄ったことで判ったが、普遍的な祭壇とは違うようだ。



 天辺はリティアナが魔素を流し込んだ岩によく似ている、平たい長方形の板が全面に敷かれている。中部は壁と同じ材質で作られた箱だが、下部からは陸王烏賊の触手のような物が無数に生えていて部屋のあちこちへと伸びている。ただ、陸王烏賊のそれとは違いえらく固く、剣で叩いても傷一つ付けられない。



「何かの生き物? 象ってる?」


 影になっている下のほうをよく見ようと屈みこもうとして、アベルは祭壇の上に手をついた。途端、ぽぉんという可愛らしい高音が耳のすぐ傍で短く鳴った。



「な、なんだぁっ!?」


 慌てて飛びのき剣を抜く…が、祭壇に変化は見当たらない。触手が動く様子もないのを確認したアベルは剣を鞘に戻しながら改めて周囲を見渡した。



 今のが錬金術に関わるものかもしれないと判断したからだが、真っ先に見たリュリュはまだ先ほどの部屋に未練があるようで、行かせまいとしているレニーと押し問答しているところだった。



「リティアナ、ちょっと見てくれないか」


 それまでネクロが残して言った灯具を色々調べていたリティアナが判ったと言って駆け寄ってくる。先ほど起こったことを手短に説明すると、彼女も祭壇が錬金具の可能性があることに同意してくれた。



「それじゃあ少し見てみましょうか。あ、折角だしアベルこの灯具で照らしておいて。傷をつけないよう気をつけてね、大事な証拠だから」



 そう言うとリティアナはアベルに持たせた灯具を調節し、根元から確認しようと祭壇に手を付いてしゃがみこむ。すると、再び祭壇の根元からもう一度、先ほどアベルが聞いた可愛らしい音が起こった。



「また聞こえた! さっきこれと同じ音が聞こえたんだよ!」


「そうね…確かに錬金術だけど…何で動いたのかしら?」


 そういいながら頭を上げると。


「あら? さっき、こんなの出ていたかしら?」


 祭壇の上の板に、何か文字らしきものが浮かび上がっている。



「いいや、無かったはずだけど…文字、なのかな? それ」


 アベルの質問に、リティアナはちょっと自身なさげに頷く。



「多分。昔ちょっと似たような文字を見たことがあるから…」


「なんて書いてあるか、読める?」


「ううん…ちょっと待って。かすれて読みにくいけど…『生体…管…を認…承』? でいいのかしら?」


 文字のかすれはそうこうしているうち段々と酷くなっていく。それに気付いたリティアナが慌てて鼻を石版にくっつけるほどに寄せて読んだが、結局全文読み終える前に祭壇の石版は元どおりに戻ってしまった。



「それから、ええと…『新たな……核……』駄目だわ、これ以上は読めなかったわ。ああもう、なんであんなくだくだしい言い回しだったのかしら! もっと要点だけ書いてくれればいいじゃないの!」


 珍しくリティアナが腹立たしそうに文句を言っている。そんな珍しい光景に、アベルは彼女に気づかれないように含み笑いを堪えた。



「…何か?」


「ううん、何にも」


 これ以上機嫌が悪くなる前に、慌ててアベルは顔を明後日の方角へ背けた。



 それからしばらくはあちこち調べまわってみたものの、結局リティアナも何も発見できなかった。



「まったくもう。必要なことは先に要点を書くべきだと思わない?」


 明らかにがっかりした声でリティアナがいうのを、手助けできることが何も無く黙ってぼけっと見ていただけのアベルは同意するしかない。



「うん、僕もそう思うよ。ところで、結局この祭壇って何だったの?」


「…さあ。遺跡に関わるものらしいけど何に関わるかはさっぱりだわ。ただはっきり判るのは」


「判るのは?」


 リティアナは頭を振った。


「これはネクロたちとも関わりが無さそうってこと。まだその灯具の方が役に立ちそうだわ」


「これがか?」


 そう言われてアベルは手にした灯具を持ち上げる。見たところ、そこいらで売っているようなものに見えるが…



「よく見てみて。傘のところに、交差した剣の上に七本足の蜘蛛が描かれてるでしょう」


 そう言われてまじまじと見つめると、親指大だが確かにあった。



「それ、わたしの記憶が確かだったならディル皇国の紋章だったはずよ」


 リティアナの言葉に驚いたアベルは思わず灯具を取り落としそうになったが、かろうじて取っ手を持ち直すことに成功した。



「じゃあ…ネクロはディル皇国の尖兵で、アグストヤラナに進入していた?」


「恐らくはね。兵を送り込めるかどうかの偵察に来ていたのかも。なんにせよ、校長に報告したほうが良さそうね」


 リティアナの言葉にアベルも同意する。



 流石にこれは自分たちだけの問題にはできない。


 しかし、結果的にはよりムクロの立場が悪くなった気がする…



「レニー、リュリュ。そろそろ帰るわよ」


「えっ、もう!?」


 リュリュは全然満足していないのが明らかだった。一方でレニーはリティアナの提案に賛成している。



「そうですわね…さすがにもう戻りませんと。でもどうやって戻りますの?」


「多分前使った転送陣はとっくに抑えられてるだろうから、そこから出るのは厳しいわね。恐らく校庭は見張られてるわ」


「なら、元来た道を戻るしかないんじゃない? あそこへ夜中に辿り着くのはまず無茶だしね。ダーダは…」


「ダーダはほったらかしでもなんとかなる気がしますわね。転送陣も使えるでしょうし…仮に教師に見つかっても、ダーダならばとがめだてされることは無いはずですわ」


 二人の意見にリティアナも納得したようだ。頷き、確認しようとして振り向いたところでアベルが何事か考え込んでいることに気づいた。



「それしかないわね…アベル、聞いてた?」


「あ? あ、ああ、うん。ごめん、なんだって?」


 生返事するアベルを、女性陣が白眼視する。



「…しっかりなさいましな。これから戻りますわよ」


「ねーねー、やっぱりボク、もう少し探索したい! ボク一人なら何とでも…」


「ならお一人でどうぞ。ですが先生やさっきの連中に見つかっても助けませんわよ」


 レニーに突っぱねられたリュリュから恨めしげに見上げられたが、アベルも黙って首を振る。やはり長居は危険なのだ。



 帰りは新しい光源が加わったこともあって、急ぎ足で来た道を戻っていくアベルたち。



 だから知らなかった。



 慌てて通路まで駆け抜けた後、少しして円筒が立ち並ぶ部屋の中で。


 唯一無事だった円筒が微かに振動しはじめ、中を満たした液体がぼこぼこと気泡を無数に生み出しながら、ゆっくりとした速度でぼんやり明滅しはじめていたことに。



 そして、その中で新しい有機体が緩やかに形作られつつあることに。


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