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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
二年目
54/150

第16話-1 問題山積



 校長室を荒らした不審者を取り逃した後、アベルは寝床にムクロが戻ってきていないことを真っ先に確認してから、自室で床に就いていたガンドルスを起こしに向かった。



「なるほどな」



 その際アベルは迷った挙句、侵入者については顔を見ていないことにした上で説明した。


 校長を騙すようで疚しかったが、ユーリィンが敵対した今、更にまた大切な仲間が手の届かないところに行ってしまう…口に出して言うことで、それがはっきり確定するのが怖かったからだ。



 終わりまで黙って聞いていたガンドルスは、アベルが喋り終わってからようやくあごひげを梳く手を止めた。その間じっと自分を穏やかに見つめるガンドルスの目を、アベルは真正面から受け止められない。



 目を反らし、いつ隠し事をしていることを責められるかと内心びくびくしていたが、結局最後までガンドルスの口からアベルを責める言葉は出なかった。



「どうやら…俺がもっとも危惧したことが起こっているようだ」


 ガンドルスがぽつりと漏らしたのが耳に入り、アベルははっと顔を上げた。



「まずは現場を確認しよう。他に盗まれたものがないかどうか、調べてみなくてはな」


 そういうと、早足で部屋を出て行ってしまう。アベルも慌てて追いかけた。



 校長室の扉が開かれると、アベルはあっと息を飲み込んだ。あちこちに書類や机上にあったはずの小物類が散乱している。



 驚いているアベルをよそに、ガンドルスはざっと部屋を改めていく。最後にいつもの机に向かって座ると開け放されたままの引き出しを確認したが、そこではじめて表情が曇った。



「どうやら他には盗まれていないようだ。さて…そうだな。アベル、君はそこの椅子に腰掛けてくれたまえ。手間だが他のもよろしくな」


 そういうとガンドルスはアベルに横倒しになった椅子たちを戻すよう命じると、底を上にして戸棚にしまわれていた杯を二つ取り出して机に乗せた。



「うむ、このお気に入りの水差しが壊れてなかったのは僥倖だった。勝手に横倒しにならない錬金具でな、こう見えてかなりの値打ち物なのだ。ただの物取りで無かったことが幸いだったわい」


 そんなことを殊更明るく言いながら、机上にあった水差しを傾けてこぼれきらなかった中身を注ぎ込んだ。深緑色の液体は離れていても判るくらい、安堵させるような上品で優しい香りを漂わせている。



「本来なら酒がいいんだが、教師と言う対面上おおっぴらに生徒へ奨めるわけにもいかんでな」


 そう言いながら校長はわざとらしく一つ咳ばらいするとそそくさと自分の杯に口をつける。


 アベルも真似して少し口に含むと、ほのかな松脂香と穏やかな甘さが口の中に広がった。針葉樹の新芽か果実辺りでも漬け込んであるのだろうか。



「君が最初に事件を目撃してくれたのは僥倖だった。校長室に俺の許可無く侵入があったことは大問題だ――それについては君にも賛同してもらえるだろう。他の先生方とも協議せねばなるまいが、アベル。リティアナに関わり、かつ学府内に敵がいる可能性が拭えぬ以上、君と先に話しておきたい」


 アベルの同意を確認したガンドルスは、手にした羊皮紙を机の上に広げた。



「この書類は十枚綴じになっておったが、リティアナの人相書きを残すだけであとはここには無い。残りの研究についての報告書は、賊の手にあると考えるのが妥当だろうな」


「でも…どうしてわざわざそれを? いや、その前に校長は何故リティアナを調べてたんです?」


 ガンドルスは眉根を曇らせる。だがしばし逡巡した後、意を決したようにガンドルスは重い口を開いた。



「あの書類は本来、門外不出の物だ。俺は元々とある国の依頼で動いておってそこへ提出するための報告書をまとめたものだ――依頼の品物をこちらの都合で勝手に紛失した訳だからな。もっとも、リティアナのことを考えた結果実際にはもう一通別に報告書を作成し、適当ながらくたと一緒にして報告した。『すでに”力”が解き放たれていたため、砕けて使い物にならなくなっていた』とな」


 なんとも言えない戸惑いが顔に出ていたのだろう、アベルの表情を見てガンドルスは苦笑した。



「…おほん。嘘をつくというのは道義的には問題であろうが、なぁに、元々俺はそう報告するつもりだったのだよ。矢鱈に強力な力などは人の手に余るから、手の届くところに無いと思わせておいたほうがよほど良い」


 そう言われてはアベルも返す言葉が無い。



「ただ、そういう事情は顧みても情報は残さねばならぬ。化獣に関してはいまだ未知のことが多すぎるため、どんな些細なことでも残す必要がある。それは、あの子の力についても同様だった」


 ガンドルスはアベルのために、慎重に言葉を選んでいる風だった。



「ともかく、原文は各国にとっては喉から手が出るほど欲しかろう」


 その理由に、アベルは心当たりがあった。


「それは…リティアナの能力が詳しく分析されているためですか?」


 アベルの言葉にガンドルスが大きく頷いた。



「うむ…本来は彼女を助けるためのものだったが、読んだ者が軍事転用することを思いつくのはそう難しいことではあるまい。あの娘の能力は即席で強力な軍事力を持つにはうってつけだからな。そして、今はそれをなんとしても我が手にしたいと思う国も多かろう」


 他には何も盗まれていないということをみても、それが狙いなのは明らかだ。決して軽視できる事態ではない。



 だが、それはそれとしてアベルにはどうしても気になることがあった。


「だけど…果たして、リティアナ一人で軍隊ほどの組織を作ったり、操れたりするものなのでしょうか?」



 アベルの疑問に、


「うむ…そう、そうだな…アベルは知らんか」


 杯を大きく煽ったガンドルスは二杯目を注ぎながら語り出した。



「リティアナの力は、非常に珍しいものだ。天幻術はもとより、煉気術にもああまで強力に他者へ影響を及ぼす力はこれまで存在しておらん。リティアナが全力で魔素を放てばどうなるか、俺にも想像できん。だが、それはリティアナ自身が試そうと思わなかったからであって、できないという保障ではない」


「じゃあ、試すためにもまずはリティアナを手に入れようとする輩が今後現れる可能性が…!」


 思わずアベルは悲痛な声をあげた。



「十分、あろうな」


 ガンドルスは苦々しげに、杯の中身を一口含む。



「俺は、リティアナがこういう厄介ごとと一生関わらずに過ごしてもらえればと願っておったのだがな…それゆえ、この学府に半ば虜囚のように閉じ込めておったようなものだのに…」


 ガンドルスは大きなため息を吐く。その姿に、不意にアベルはまるで老いさらばえた老人のような弱々しさを垣間見たような気がした。



「閉じ込めて…とは?」


「アベル、君にはすでに話したと思う。ブレイアで君と会ったときのことだ…封印するつもりの大きな力をそのとき持っておったとな。だが、俺はその考えをすぐに捨てざるを得なかった。それというのも、リティアナを治療するのに急がねばならなかったということもあるが、もう一つ、その力が無くては助けられんと判断したためだ」


 ガンドルスの言葉がいまいちよく理解できない。



「ええと…どういうことですか? 力とは一体?」


 ガンドルスはそんな彼を責めず、噛み砕いて説明してくれた。



「判りやすく一括りで大きな力と言ったが、それにも色々な種類がある。そのとき俺が預かっていたのは、見た目は赤子の掌大の穏やかに光る蒼い石だ。だがそんな見た目でも生命を司る力を持つ物の中では最も尊く、かつ最上位におけるものだった。傍にあるだけで周囲へ活力を与え、場合によっては喪われた命でも還すことすら出来る…そんな力を持っておった」


「そんな…そんなことができるんですか?」


 アベルの問いに、ガンドルスは「できる」ときっぱり頷いた。



「なぜならば…それは、唯の石などではなかったからだ。魔素を可能な限り圧縮した、いわば純粋な力の塊。逆に言えば、それだけ純粋だからこそ失われかけた命を蘇らせるほどの力を持てたとも言える」


「自然にそんなものが生まれるんですか?」


「無論、そんなわけは無い。あれは元々は太古に滅びたとされる()()を蘇らせるための鍵として造られた物だったのだ」


「神様?!」


「おう、神様だな。…そやつらは、生神アクナムを崇拝しておった」


 驚きのあまり腰を浮かして叫んだアベルの様子に、ガンドルスが嬉しそうに笑みを浮かべた。



「俺がどういう経緯でそれを手に入れたかは今は割愛しておこう。興味あるなら話してやってもいい――下手な御伽噺より面白い自信はあるぞ――が、それだけで丸一日無駄にするわけにもいかんからな。ともあれ、邪神を蘇らせようとした者たちが作り出したそれを、俺が奪って逃げたということだけ覚えておけば今はいい」


「ですが…邪神なんて、存在したかも判らないものを…」


「いや、いるぞ」


 ガンドルスが断言したのはちょっと意外だった。アベルの表情を見てとったガンドルスは、ちょっと困ったような顔をして咳払いした。



「ああ…良いかねアベル、魔素は目にこそ見えんが存在する。それと同じで、自分の目に見えないと言うだけのことで決め付けてはならん。それは視野を極端に狭くさせるからな」


 だが、それでもアベルは納得できない。


「でも、はるか昔のことじゃないですか」


 そのとおりだ、とガンドルスが答える。



「だが、蘇らせようとしていたその連中にとってはそんなことはどうでも良かったのだ。狂信者というのは、自分に都合のいいことしか受け入れようとせんからな…まあそれはいい。ここで重要なのは、できると思い込んで生み出された物が、確かにそれだけの力を持った代物だったということだ。あれを造るのに、どれだけの命が奪われたか…俺には想像すらできん。仮に邪神が復活できなかったとしても、命を与えられるような物をおいそれとそんな連中に持たせるのは危険だ…何に使うにしろな」


 確かにそうだろう、アベルも同意した。



「ともあれ、由来は何であれその力はリティアナを助けるには十分だったし、救える命が目の前にあるのにこれ以上見捨てるような真似は俺にはできなかった。だから取って返し、アルキュス先生の手を借りながらリティアナを助けることにしたのだ。石を、彼女の胸に埋め込むことによってな」


 ガンドルスの小さな息継ぎの音以外、部屋には何の音もしない。



「若かったからか、それとも相性が良かったからか…いずれにせよ、当初は拒絶反応を心配したが幸いに彼女の肉体は石を受け入れてくれたようで、治療は無事成功した。俺と手術をしたアルキュスの二人は、幼い命が助けられたとわかったその瞬間はとても喜んだものだ…だが、それがとんでもない過ちだったと俺はすぐに思い知らされることとなる」


 いったんそこで切り、ガンドルスは深く息を吐いた。



「治療する際、元々は体が治り次第石を除去する予定だった――先に述べたように、強力な力を持つ石だからな。だが、石は…一晩と経たずリティアナの身体に癒着して、剥がすことができなくなってしまったのだ。仮にも神を蘇生させるだけの力を、子供のちっぽけな身体が受け止めてまともでおれるはずがない。何らかの代償があることを俺は考慮するべきだったのだ…」


 ガンドルスが重苦しく言った。



「まずその一つとして、感情の希薄化」


 アベルも頷く。


「それだけでも大きな障害だが…もう一つ、石は大きな置き土産を残した。それが、化獣を制御することができる力だ。どちらも以前話したな」



 アベルが質問した。


「そういえば僕もダーダを制御していますが…」


「君の場合は違う」


 ガンドルスははっきり否定した。



「ダーダは、自らが君に服従することを選んだのだ。比較的人間に懐きやすい頬垂犬が化獣化したという珍しい事例が前提にあったとはいえ、あの化獣は君に尊敬の念を持ったからこそ恭順することを選んだ。つまり、君たちの間には確固たる絆が存在する」



 尊敬の念?



 新たな疑問が沸いたものの、さすがにそれは今口にするべきではないと判断したアベルは再びガンドルスの話に集中する。



「だが、リティアナの場合は違う。君たちのように、互いの信頼関係の元に構築される関係ではない。相手の意思を踏みにじり、己が意のままにすることができる力だ。やれといえば相手が嫌がろうがなんだろうがどんなことでも――例えば自害させることすらも――できるだろう」



 アベルは陸王烏賊と戦ったときのことを思い出した。


 小山のような陸王烏賊がリティアナの一声でびたりと動きを止めたときの光景は、今でも脳裏に焼きついている。



「その力がほとんど制御できなかった時期があってな。リティアナが幼い頃、戯れに上級生へ命じたことがあった。からかわれて『あっちへ行け』と返したというだけの、本来なら実に他愛もないことではあったのだが…その生徒は従って、ふらふらと教室の窓から外へと飛び出したのだ。幸い大事にはならなんだが、それが広まったせいで他の生徒からは化け物のように避けられるようになった」


 そこまで聞いてアベルは、今までリティアナ本人から自分が学府でどんな生活を送っていたのか教えてもらったことが無いことに思い至った。


 そういうことがあったのなら、なるほど口にしたがらないのも頷ける。



「今は大分自制出来ておるようだが、当時は当然のこととはいえ突然自分にそんな力が備わったことすら把握しておらんでな。その力を制御するためか、或いは人恋しさを紛らわせるためか――恐らく両方だろうと俺は見ておる――以来、リティアナは人一倍鍛錬に励んできた。今の彼女の力はそうやって培われたものだ」



 感心すると同時に、アベルは熱いものが胸にこみあげてくるのをこらえきれなかった。


 武勇を謳う学府で身を立てるほどの力を、幼い少女がたった一人で身に着けた苦労は如何程のことか。並大抵でなかったことは想像するに難くない。



 遠い目つきをしていたガンドルスもまた、しばし回想に耽溺していたようだ。


「話を戻そう。ともかく、リティアナは今はある程度自分で制御できるようになったとは言え、化獣や人を強制的に従わせる力は依然として持っておる。愚かな俺のせいでな…」


「別に、校長のせいでは…」


「いいや、俺のせいだ」ガンドルスはきっぱり言い切った。



「俺はあのとき、驕っていた。本来ならば、まずはこの学府で保管しておき、封印を施す術者を呼び寄せればよかったのだ。ここでは防ぐだけなら幾らでも何とでもなる。だが、俺は自分の能力を過信していた。追っ手に襲撃されたとしても、俺ならば切り抜けられる――そういう自負があったのだ。確かに、俺自身は無事に切り抜けた。しかし――ブレイアが巻き込まれることについてはまったく考えが及ばなかったのだ。まったく、どれだけうぬぼれていたのだ俺は! 俺の傲慢が、あの子からすべてを奪った。そう、何もかも。年相応の笑顔も、両親も、故郷も、平穏な日常も、幼馴染と過ごすはずだった人生もだ…そして今度は更なる危険にまで巻き込もうとしておる。それもこれも、過去の俺が無鉄砲で思慮が浅い愚か者だったからだ!」


 ガンドルスのはじめて見せた激しい告解、そして弱さにアベルは驚いた。



「俺は、それまで大勢の人を殺してきた。それについて後悔したことはない。俺は兵士だったし、相手も兵士だったからな。だが…ブレイアは、違う」


 ガンドルスの声が掠れた。



「あそこでは、俺一人のせいで数え切れない者が死んだ。若い娘も、年老いた老人も、若い子供たちも。いずれも、戦うための兵士ではない。戦や人殺しとは無縁の、幸せに暮らしていた人々たちが…俺に巻き込まれて死んだのだ」


 ガンドルスを苛む深い後悔が痛いほどアベルには伝わってくる。



「…校長は、間違ってます」


 だからこそ、はっきり言わなくてはならない。



「一番悪いのは、化獣をけしかけた奴です。そうでしょう?」


「アベル…」


「確かに失われたものは大きい。けれど、リティアナ、そして僕はこうして生きていられた…あなたのおかげで。それは紛れも無い事実です」


 言いながら、アベルは彼女に髪飾りを返したときの表情を思い出していた。



「後ろを向いて後悔するのはいつでもできます。でも、僕たちまでその感傷に巻き込まないでください! ガンドルス校長、あなたの存在はリティアナにとってとても大きな支えなんです。そんなあなたがそうやっていつまでも自分を責めつづけているのを見て彼女がどう思うか…」


 今の自分では到底、リティアナからあんな嬉しそうな表情は引き出せないだろう…拭いがたい敗北感を堪え、それでもアベルは恩人のために喋りつづける。



「ここに来るまでに色々あったのは確かです。けれど、そのおかげで僕はリティアナにまた会えた。素晴らしい仲間に巡り会え、大切な人を守れる力を身につけられる機会を得た。千人、万人の人が恨んでいるとしても…僕と、そしてきっとリティアナは、あなたに感謝こそすれ恨みなんてしません。全ての人が、あなたを恨んでるわけじゃないんです」


 ガンドルスが節くれだった傷だらけの手で顔を抑え、かすかなうめき声を上げた。



 アベルはガンドルスが落ち着くのを待ってから、もっとも大切な質問をぶつけた。



「まずはやらなければならないことがある。そしてそのためにわざわざ僕だけを呼んだんでしょう? それを教えてください。僕を導いてください、校長」


「うむ…うむ。そう、だな」


 まだ幾分動揺を残しているガンドルスだが、ぱぁんと己が頬を叩くと杯の中身をぐいと呷った。



「いかんな、年を取ると心が弱くなる。負うた子に教わるとはこのことか…まったく、年は取りたくないものだ」


 そう自嘲したガンドルスはようやくいつもの彼に戻ったようだ。



「話が大分逸れてしまったな。とにかく、奪われた書類は今説明したように、リティアナの今後に関わるきわめて重要な物だと考えていい。先生方にも事情を説明しなくてはならん…が、またドゥルガンあたりが嘘をついていたとか言って怒りそうだな」


 杯に水差しを傾けながら想像しているのか、苦笑いを浮かべた。



「ん?」


 ふと、アベルは気になったことがあった。



「…校長、一つ質問してもいいですか?」


「何かね?」


「校長は先ほど、依頼された相手には別の報告書を渡したと仰いましたね?」


「ああ、そう言ったな」


「その相手が、本当の――つまり、今回盗まれた書類ですが――が存在したことについて知ったから動いたのでしょうか?」


 ガンドルスは眉間にたて皺を寄せて、しばし考え込む風に下唇を手にした杯のふちでとんとんと軽く叩いた。



「それは考えにくいな。当時は少なくともリティアナの存在を知っていた者はおるまい。かといって現在は知ることすらできなかろうな」


「というと…?」


「とうに滅びておるからだ。その王国…ガデラーザという名前に、君は聞き覚えあろう?」


 確かに聞き覚えのあった名前にアベルは吃驚(びっくり)した。



「ガデラーザ…僕の故郷じゃないですか!」


「そうだ。ブレイアが消滅して以降、隣国だったボルメスと王族同士の婚姻を機に合併して今はボルメイザとなっておるがな。実際はガデラーザの国王一派が暗殺され、混乱していたところを残った保守派貴族がボルメスの国王に庇護してもらう形で吸収されたのが真相だ。余談だが、国王が殺されたのは近親でもある強硬派の大臣が、国内に忍び込んだボルメスと反対側に位置していた隣国ヘストンの手が掛かった邪教徒の情報を掴んだと名言したことが発端とされておる。それによってヘストンへの侵攻へと王宮内の意見が急速に傾いた矢先での暗殺だ。邪教徒の復讐か、はたまた侵攻を危惧したヘストンの先制攻撃か…その後ヘストンも別の国に滅ぼされた今となっては事実は闇の中だ。ともかく、ヘストンへ攻め込む機会を伺っていたガデラーザが、当時戦力を欲していたにも関わらず動かなかったことから見て、リティアナの情報を掴んでいなかったのは間違いあるまいて」


「なるほど…」


「そのとき関わった大臣たちはすでに全員死亡が確認されておる。把握できないほど末端の小物が動いた可能性は皆無ではないが、今までまったく残党勢力に動きが無いことからまず考えなくてもよかろうな」


 ならば、新しい疑問が残る。



「…それじゃあ…?」


「どうしたかね?」


 怪訝そうに見つめられたアベルは答えるか躊躇したが、説明するなら今しかないと判断した。



「実は…侵入者の顔は、見知った相手でした」


 ガンドルスの表情が険しくなった。



「なんだと? それは…事実かね?」


「…はい。僕と同室の、同じ班にいるムクロでした。ただ、先に聞いたように仮面は被ってませんでしたが…」


 校長に面会する前に自室を確認したことを詫びると、ガンドルスはそれくらいは構わんと不問に付した。



「…本当にあれは…ムクロだったんでしょうか」


 アベルの疑問に、ガンドルスは頭をがりがり掻き毟りながらわからんと答えた。



「仮にそうだとしよう。だが、一介の生徒(ムクロ)が何のためにブレイアに関する資料を盗む必要がある? そもそも、俺がその書類を持っていたことをただの生徒が知る由も無い。そこに今回の情報を流した者――」


 確かに、アベルもこんなことがあるまでリティアナの調査資料があるなどと想像すらしていなかった。



 仮にムクロが実行犯だとして、一生徒に過ぎない彼が校長が秘匿する書類の存在をどうやって知ったのか? (かんが)みるに、協力者に学府の内情に詳しい存在がいると考えるのが妥当だろう。



「あまりにもブレイア、そしてリティアナを巡る事態が起こりすぎておる。まとめてみるに、恐らく…ブレイアを滅ぼしたのと、背後にいるのは同じ者…俺はそんな気がしてならぬ。そしてそいつは情報を得やすく、また生徒に接触しやすい立場であることから見て、教師の可能性は更に高まったとみてよかろうな」


 アベルもその意見に同意した。



 学府にいる者しか知らなかったはずの校長の行き先で、自然発生しない化獣の群れをけしかけた存在…この二つを結びつけて考えるのは自然な流れだ。



 だが、アベルは一つ確認しておきたいことがあった。


「あの…デッガニヒさんの可能性は?」


 アベルは、あの気の良い老人を気に入っていた。


 彼が敵だとは考えたくない。内心外れていて欲しいという願いを込め、アベルは尋ねる。



 そんなアベルの願いが届いたのだろうか。


「あいつは潔白だ。何しろ、ここで働くようになったのはブレイアが滅びてから後のことだったからな。だからあいつは無関係だと俺は思っておるよ」


「よかった…」


 その言葉に、アベルは心の底から安堵した。



 お互い杯を空にしたところで、ガンドルスが結論をまとめた。


「ひとまず犯人のことは置いておくことにした方が良かろう。俺は地下遺跡に何かある気がする。ムクロが関わっているかどうかも判らぬ現状、そこから調べるのが筋というものだろうな。先生方に見回りを強化してもらおう」


「僕も…」


 遺跡を調べる手伝いをしたい。そう言いさしたアベルを、ガンドルスは目で制した。



「君はまだ試験があるのだから、まずはそれに集中したまえ。そこまで余裕がある状態では無いだろう?」


 アベルは口を噤んだ。


 確かに、まだ山場ははじまったばかりだった。


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