第14話-3 不穏
部屋に戻ったアベルは寝床を確認して、同居人がまだ戻っていないことを確認した。これで一週間、連日夜遅くまでどこかへ出歩いていることになる。
いつも通り明日に備えてさっさと布団にもぐりこんだアベルだが、今日はガンドルスに言われたことが頭にこびりついて早々に眠れそうになかった。
結局ムクロが部屋に戻ってきたのは、就寝時間を告げる鐘が鳴ってから更に大分経ってのことだ。音を立てないようにして扉が開かれ、部屋に潜り込んできたのを見計らってアベルはむくりと身を起こしながら口を開いた。
「遅かったね。何をしてたんだ?」
部屋に入った人影は一瞬びくり、と大きく揺らいだがすぐに平静を取り戻したようだ。
「ああ…ちょっと、自主鍛錬に熱が入りすぎてな」
「そうなんだ。ここ最近、ずっとみたいだけど」
「まあな」
言葉を濁すムクロに、アベルの疑念は大きくなっていく。
アベルとガンドルスが、校庭で最後まで残っていたのだ。ムクロの姿はその間、一度も見ていない。
寝床に腰掛け見上げたアベルは、努めて明るい声で提案した。
「そんなに訓練がはかどるなら、是非僕も参加させてくれないかな?」
「それは…すまん、できない」
暗くてよく見えないが、その声からかすかな動揺の響きが混じっていることにアベルは気づいていた。
「…どうしても、か?」
「ああ」
それだけ答えると、ムクロは硬く口を噤んでしまった。にべもない。
何か取っ掛かりは無いか…そう考えたアベルは、ふと校長から聞いた話でかまをかけてみようと思い至った。とはいえ、流石に君怪しまれているよと直接言う訳にはいかないのでその辺りは誤魔化すことにする。
「…実はさ。ムクロがみんなに隠れて一人でこそこそ美味しい物を食べてる、ってグリューが言っててさ。そんな訳無いだろって幾ら言ってもあいつ聞かないんだ。だから、何やってるか教えてくれたらあいつも納得すると思うんだけど」
自分でも驚くくらいすらすらと嘘をついたことに、アベルは我ながら驚いた。
「あいつ…そんな訳無いだろ。どれだけ食い意地が張ってるんだ」
ムクロが大仰に嘆息する。どうやら嘘とばれていないようだ。
「ダーダと張り合ってるからねぇ…それで、どう?」
「どう、と言われてもな…」
困ったように言うムクロに、ならばとアベルはもう一押ししてみることにした。
「でも、遅くなってるのは事実だからね。僕も心配してるんだよ?」
「それは…すまん」
その口調から、悪いと思っているのが伝わってくる。その感情を利用しているようで、アベルの良心がちくりと痛んだが、それでも不信感を拭いたいという気持ちが勝った。
「うーん…そうだなぁ、それじゃあ代わりに別のことをしてくれたら許すよ」
「代わり? どんなことだ?」
「そうだな…」
ちょっと考え込む素振りを見せる。実際には、交換条件はあらかじめ決めてある。
「仮面を取ってみせる、ってのはどう?」
ムクロが小さく息を呑んだ。
校長が言うくらい、仮面の下を見せるのを嫌がるならきっと教えてくれるだろう。
それがアベルの狙いだったのだ。しかし…
「…判った、見せてやろう」
あっさりそういうと、ムクロはアベルの方を向き直り仮面の留め金に後ろ手を掛けた。
「え?!」
まさか、と驚くアベルにムクロは淡々と答える。
「お前、そこまでして俺の仮面の下を見たかったってことだろう? わざわざ回りくどいことしなくても、お前にならば見せてやったのに」
そう言ってかちり、と留め金を外した。
「わーっ、判った! 良い、良い!」
すんでのところでアベルは慌てて自分の目を覆った。
「…お前、その反応。魔人の掟を知ってたのか」
ムクロが呆れたように嘆息した。もう仮面から手を下ろしている。
「お前、知っててそんなこと言うのは良くないぞ」
「…うん、僕が悪かったよ。ごめん」
素直に謝ったことでムクロも許してくれたようだ。
「…いや、お前が心配してくれたのは素直に嬉しいさ。こちらこそ、説明不足だったな。すまん」
ムクロも謝ったが、つづけた言葉は反論を許さない毅然としたものだった。
「だが、何やっているかはお前たちに教えられないんだ。……今は、まだ」
最後が曖昧になったのは、ムクロの良心がそうさせたのかもしれない。
「……形になってから、お前たちに教えたいんだ。びっくりさせたいしな」
「びっくりって…」
ムクロがにやりと口の端を吊り上げた。
「お前だって、修行の成果を仲間に見せるなら、形になってから見せたいだろ?」
「…うん、その理屈は判るな。そのときを楽しみにしてるよ」
ムクロは視線を反らしたが、仮面に阻まれアベルには見えなかった。
「でもやっぱり気になるなぁ。もし気が変わったらいつでも誘っておくれよ?」
「…ああ、もちろんさ。話はこれで終わりか」
「うん。それじゃあ寝ようか」
互いにもそもそと布団に潜り込み、肩まで布団を引き上げたところで、アベルはたった今思いついた一言を掛けた。
「ムクロ」
「何だ?」
「もし、何か困ってることとかあったら、どんなことだろうと遠慮なく頼ってね。僕たちは仲間なんだからさ」
それで、きっと伝わるはず。アベルはそう信じ、ごろりと顔を背けた。
音を立てず木製の梯子を上りきり、自分の寝床に潜りこんだムクロはしばらく黙っていたが、やがて
「ああ、覚えておくよ」
それだけ言うと、再び黙り込んだ。
やがて規則正しい寝息が聞こえるようになっても、アベルはしばらく考え事を続けていた。目はすっかり闇に慣れ、窓の外に煌々に照らす月灯りが照らす室内をぼんやりと映している。
アベルは世間知らずだが、感情の機微にはそれなりに鋭い。
ムクロは一度も明確な説明をしていない。あえて仮面に触れたりして話題に触れないよう誘導に苦心していたのが、普段と比べて微妙に早い口調からも伝わっていた。
残念なことだが、ムクロは確かに嘘をついている――アベルはこの短いやり取りの結果そう判断せざるを得なかった。
ムクロが何か隠していることはまず間違いないと見ていいだろう。
だが、一体何のために? そして、何を隠しているのか?
幾ら思惟しても、当然ながら答えは出ない。
それに、彼の頭を悩ますことは他にもあった。
ユーリィンのことだ。
修行の前に交わしただけのとても短い会話だったが、今のアベルはあのやりとりがいつものユーリィンが見せる気まぐれと同じとは感じられなくなっていた。
仲間が災厄を齎すことになる何かを起こそうとしている…まさか、ムクロが?
何が起きようとしているのだろうか。
考えてみればユーリィンについても、ムクロと同程度何も判っていない。
二人が学府に来た理由、そして卒業後共に歩めない理由とも関わりがあるのだろうか?
何もかも、わからないことばかりだ。
輾転反側しながらも慎重な熟慮をつづけた結果、眠りに落ちる直前まで考え抜いてほとほと疲れ果てたアベルは、約まるところいましばらくは他の仲間たちにも告げず二人の様子を見るべきだという無意味な結論に落着したのだった。




