第14話-2 個人教授という名の情報共有
アベルとガンドルスは校庭の外れ、もっとも人目に付きにくい場所で稽古していた。
「なーにしておる。しっかり打ち落とさんからそういう目にあう。目に頼りすぎだ」
直後、アベルの身体が宙を舞う。
あご下へもろに、樫製のアベルの太もも程もある太い棍棒の一撃をもらったためだ。巧みな手加減のおかげであごは砕かれていないが、それでもアベルはくらくらして思うように立てない。
「これこれ、何をのんびりしておる? 敵はのんびり待ったりはしてくれんぞ」
言いながらガンドルスが追撃をお見舞いする。胸元、腹部と重い一撃をもらいアベルは前のめりに倒れこんだ。
「ぐぇっ、げぼっ」
反吐まみれになるアベルを、ガンドルスは顔色変えずに見下ろしている。
「あ~あ~、まったく校庭を汚してくれて。下級生が困るから、後でちゃんと掃除するんだぞ」
「は…はいっ」
膝に手を置き、まだ痙攣する腹を押さえ込みながらアベルは立ち上がる。
「少し休んだからな。今の分を追加だ」
「はぃぶべっ」
返事の直後、横っ面を棍棒が張り飛ばす。間髪を容れず右肩、左腿にもほとんど同じ瞬間に棍棒が突き込まれるが、そちらはアベルが前に踏み込みながら剣で払った。
「そうだ、そうやって恐怖に立ち向かえ。相手の動きをよく観よ。相手の動きを読み、攻撃の起点を潰しながら己が次の攻め手へとつなげるのだ」
「はいっ」
返事をしながらアベルは果敢に前に出る。
喉元目掛けて放たれる突きを軽くあしらいながら、ガンドルスはまるで片手剣でも振る勢いで棍棒を上段から、そして右からと振り下ろす。左から来た攻撃をアベルはかろうじて弾いたものの、攻撃を跳ね返した衝撃で空いたところに上からの打ち下ろしを綺麗にもらってしまった。
「違う、弾くのではない! それではわしのように膂力に優れた相手には押し負けてしまうだろうが! 力の入り具合を見極め、攻撃の軌道をずらすのだ!!」
「はいっ!」
たたらを踏みながらも、アベルは必死にガンドルスの追撃をいなすことに専念する。
二人が校庭の外れを稽古場として選んでいるのは、明らかに同学年での授業に比べてこの稽古が異質だったためだ。
メロサーをはじめとする、他の先生が教える戦技学科では、主に自分の身を守る、或いは眼前の敵を切り伏せることに重点をおいている。
だが、アベルは違う。
種族として特別な能力も術者としての才能も無い自分が班のために出来ることとは何か。それは少しでも敵の前に立ちつづけることだ――そうアベルは結論付けていた。
耐えしのぐことさえ出来れば、後ろにいるリュリュの術法や背後をつけるムクロの短刀が敵を斃せる。癒し手でもある中核を担うレニーが術を使うまでの補助にもなるし、敵の懐に飛び込んでカタナを振るうユーリィンも安全に切り込める。
とはいえ、実践するのは言うほど簡単なことではない。
アベルの体格は中肉中背で、人族の中でも飛びぬけて恵まれているわけでもない。
それを理解しているアベルが自ら苛烈な肉体鍛錬を行ってきたという過程を踏まえてみても、尚技術という大きな不足がある。その大きな足枷を乗り越えるには、文字通り命を秤に掛ける覚悟が必要だった。
数回目の気絶を経た頃、ようやく夜の訪れを告げる鐘の音が鳴った。
他の生徒たちは皆、食事の準備に取り掛かっている頃合だ。
「むぅ、もうこんな時間か」
物足りなさを言葉ににじませながらガンドルスが呟く。
一方のアベルは安堵の吐息を吐きながらその場に寝転んだ。校長との稽古が終わった後はいつも手足を動かすのが億劫なくらい疲れ果てる。
「折れてるところは…ふむ、無い様だな。ならそこいらの落し物をきちんと片付けてから部屋に戻りたまえ」
「…はい」
気息奄々のアベルがゆっくり立ち上がったところで、
「お、そうだ。少し待ちたまえ」
校長が呼び止めた。
「はい」
周囲を見渡し、誰も傍にいないことを確認するとガンドルスは手近な切り株に腰を下ろした。
懐から皮袋を取り出し、中身を軽く口に含む。水音が聞こえてきたことから、恐らく中には酒でも入っているのだろう。喉を鳴らし飲み込むと、まるで世間話でもするかのようにガンドルスはのんびりと口を開いた。
「やはりというかなんというか…あの当日、デッガニヒの船や転送球を使って長時間に渡って学府を留守にしていた者がいたという情報は見つからなかった。もっとも、これは嘘をついている者がおらん、という前提だからあまり当てにはならんのだが…」
アベルは驚いたものの、すぐにあわてて咳払いし、周りを見渡しながら努めて自然に見えるようにゆっくり背を向けて荷物をぐずぐず拾いはじめた。
「…そうですか。転送球は確か、管理台帳に記載されているんですよね、備品として。それなら…」
「だが、それも当日の使用された様子は無かったそうだ。こちらは先生方が複数人で確認しておるから、抜けは無かろう。まあ、当然といえば当然だな。よもや学府の備品を使って足が付くような真似をするほど馬鹿な犯人ではあるまい」
ガンドルスはそう答えたものの、アベルは納得していなかった。実は、彼には以前から一つ引っかかっていたことがあった。
一旦集めていた荷物をその場に置き、アベルは顔を上げた。
「あの…僕の考えを、聞いてみてもらえませんか?」
「ふむ? 構わんよ、今はどんなとっかかりでも欲しいからな」
ガンドルスに促され、緊張しているアベルは上唇を舐めて軽く湿らせる。
「ドゥルガン先生は、どうでしょうか」
その名を聞いたガンドルスは、僅かに眉を顰めた。
無論、アベルも校長がドゥルガンに深く信をおいていることは知っている。
しかし、どうしても引っかかるのだ。
修行のとき、彼が立ち去ってから化獣が現れたことがどうにも都合よすぎる。
採取をこまめに行ってきたアベルだからこそ、学府の裏山でそれまでに頬垂犬を見たことも無いと断言できる。
それに、ドゥルガンであれば校長の動向をもっとも良く把握できよう。
そういった旨を多少乱雑になりながらもアベルが説明すると、ガンドルスは一言も口を差し挟むことなく最後まで聞き終えた。
「ふむ…話はわかった」
「じゃあ…」
ガンドルスは首を振った。
「だが、ドゥルガンの可能性は無い」
「どうしてですか!」
内心、自分の考えに自信があったアベルはガンドルスに断言されたことで思わず語気荒く反論してしまった。
そんなアベルに、ガンドルスは穏やかに言い諭す。
「確かに、化獣に関しては俺も気にはなっておった。だが、それはただの推論に過ぎん。
それまでに無かったからと言うだけで、今後も魔素溜まりが生まれないという保証もないし、頬垂犬を誰かが連れ込んだ可能性もまた否定できん」
「それは…」
「そしてだ。仮にドゥルガンが連れ込み、化獣化したとしよう。それをする意義も意味も俺には見出せん」
それは、アベルにとっても説明できない点だった。言葉を失うアベルに、ガンドルスは更に畳み掛ける。
「そして、奴の生い立ちを俺は知っておる。それ故、戦争を拡大化するような真似をするわけが無いと断言できる」
「そんなこと…」
なおも言い募るアベルに向かい、ガンドルスはゆっくり首を横に振った。
「ドゥルガンはな…戦災孤児なのだ」
ガンドルスの言葉に、アベルははっと息を飲み込んだ。
「ここから先は、聞かなかったこととして明日からは忘れて欲しい。一生徒が教師の過去を吹聴して回るのは余りよろしくないからな」
そう前置きし、ガンドルスはドゥルガンに連なる学府の過去を話しはじめた。
現在のアグストヤラナは幾つかの国の出資を元に成り立ち、その国々と提携して兵を供出したり戦力を強化・提供する形で成り立っている。
しかし、四十年以上前。フューリラウド大陸の中心に存在する大国、今は亡きヴェグリース国が己が権勢を示す為、同盟と言う名の侵略地から新兵を徴用するための機関として設立されたのがアグストヤラナのはじまりだった。
当時ヴェグリースの将であったガンドルスは兵の教導に当たることとなる。
その教育は当時から見事なもので、結果として優秀な兵を多数輩出。元の祖国へ戻った兵たちは、学府の価値を各国へと広く喧伝することとなった。
しかし、良いことばかりでもない。
手当たり次第に領土拡大のための侵略を繰り返すヴェグリースは疲労の一途を辿り、抑えつけられた属国は反撃の刻を辛抱強く待っていた。
そして三十年前。
一斉蜂起した属国はヴェグリースを滅ぼし、そのままの勢いで周辺国を巻き込んだ大戦を開始する。ドゥルガンは、そうして滅ぼされた国の中、ただ一人うろついていたところをガンドルスが拾った孤児だったという。
「そのときの辛さは筆舌に尽くしがたいものであった。同じ学び舎で学んだ兵士たちが、国の命令の前に無駄でしかない戦いにあたら若い命を散らしていく。その愚かしさにほとほと嫌気がさしたから、俺は唯々諾々と従うだけの兵士を育てることを止めた。戦争は何も生み出すことは無い。笑いあい、涙を流した友と命を懸けて戦って、後には焦土しか残らん。まったくもって実に馬鹿げた話だ」
そう、ガンドルスは苦々しげに吐き捨てた。
「戦争で喜ぶのは、つまらない面子に拘る国王や貴族くらいなものだ。他の者は深く傷つき、多くの物を失う。実に下らん。そして、兵士というのもそうだ。君の祖父、ディアンがアグストヤラナに良い印象を持っていないのも同じ理由からであろうな」
そう言われ、アベルは得心した。実際に戦争を体験したというのならば、ディアンのあの頑ななまでの態度は理解できる。
しかし、アベル自身は話していないのにガンドルスはいつディアンのことを知ったのだろうか?
それを尋ねる前に、ガンドルスはドゥルガンの話に戻っていた。
「そしてドゥルガンだが、幼くして身寄りを亡くした彼はここで育ち、教師となってからは一層アグストヤラナがただの兵士育成機関とならないよう尽力してきてくれた。恐らく、彼の力添えが無ければアグストヤラナは今のような姿になっていたかどうか…俺の理念をもっとも理解してくれた男だとも言える。そして、それこそが俺があいつは違うと断言できる理由なのだ。……判ったかね?」
ガンドルスのドゥルガンへ抱く深い信頼を感じたアベルはぎこちなく頷く。
ディアンのように戦争を憎むのならば、なるほど確かにドゥルガンが犯人とは考えにくい。
「でも、そうすると他に追い詰める方法はないですね…諦めるしかないのでしょうか」
悔しそうに呟くアベルへ、ガンドルスはちょっと考えて答えた。
「いや、まだ無くはない。例えば、転送球が使用される際、使用者は魔素に変換されて送られる。そのときの魔素を調べることで、使用者が限定できる場合はある」
「じゃあそれを調べれば!」
顔をほころばすアベルに、ガンドルスが首を振ってみせる。
「…が、これには問題が二つある。一つは、時間が経ちすぎた。転送時の魔素は二、三年くらいならば残ってもいようが…さすがに数年も経っていては無理だ」
「そうなんですか…ん?」
ふと何か引っかかり、懸命に記憶を手繰る。
「ヴァンディラだ!」
すぐにそれに思い至ったのは僥倖だった。
だしぬけに叫んだアベルをガンドルスが怪訝な面持ちで見つめた。
「何か、気づいたのかね?」
穏やかなガンドルスの口調で、興奮したアベルが説明する。
「ああ、はい、ごめんなさい。実はあのとき、僕たちは転送球をちょろまかしたんですが…」
「ああ。あれか。あれはなかなか痛快だったぞ」
ガンドルスがにやり、と笑った。
「わしの若い頃を思い出す。わしらも軍規違反上等だったからな…とと、すまんすまん、話の腰を折ってしまったな。先を言ってくれ」
促され、アベルはつづけた。
「ええ。実は、ヴァンディラで僕たちは不審な人物を見かけたんです。頭をすっぽり頭巾で覆っていて顔は見えませんでしたが、ユーリィンが何か魔素を使っていると断言しました」
「ほう…わしのところにはそのような報告は上がってなかったが、そんなことが…」
ガンドルスが眉を顰めた。
「ええ。それと、転送する前に見たのですが、保管されていた球が四つありませんでした。そのうち二つはレニーが持っていたのは確かですが…」
ガンドルスが頷く。
「なるほど、もしその不審人物が学府から来ていたなら、転送球を使っておる可能性はある。そして、君たちの行動の前後で確認できるな」
「はい。どうですか、それなら…」
勢い込んで尋ねるアベルに、ガンドルスは依然険しい顔を崩さない。
「悪くは無い。…いや、むしろかなり重要な情報だ。よく思い出してくれた。しかし…それでも、まだ突き止められるとは断言できん」
「何故ですか?!」
思わず気色ばんだアベルにガンドルスが説明する。
「その情報を得るためには専用の設備が必要なのだが、それは学府には無い。大抵は王宮などの警備が厳重なところで使用されるものだからな…要するに手段として存在していても利用できん」
その回答に、アベルはがっくりと肩を落とす。これで本当の犯人に辿り着けると思ったのに…アベルは深く落胆した。
「なるほど…それじゃあこの方から攻めるのは無理そうですね…」
ガンドルスがうむ、と頷く。不思議と、こちらにはあまり気落ちしている様子は無い。
「まあ、それは正攻法での話しだ。本命は別にある」
その言葉に、アベルは俯かせていた顔を思わず振り仰いだ。
「別の手があるんですか?!」
「まあ、な。あまり表ざたに出来る手ではないのだが…」
それに、とつづけるガンドルスの顔が渋くなる。手を挙げて制止し、改めて周りを見渡し他の者が視界の範囲内にいないことを確認してからつづけた。
「何よりそれは俺の都合だけでどうこうなる物じゃないのだ。確実性に大きく掛けるから、この手にはあんまり頼りたくない。だから、そうそうあてにできん」
「はぁ…?」
いまいちアベルにはガンドルスが何を言いたいのかよく判らない。
「あの、先生。確実性に掛ける、というのはどういうことなんですか? 人手が足りないとか?」
そう聞かれ、ガンドルスは困ったようにがりがりと頭を掻いた。
「いや…人手は問題ないはずだ。それよりは…」
あまり触れたくないのか、ガンドルスは曖昧に誤魔化した。
「接触するのが難しいというべきか。下手に手を借りようものならえらい目に会う。他にも色々と、もうとにかくめんどうな奴でなぁ…」
そうしみじみ呟くガンドルスは過去に何があったのか、心底うんざりしている様子だ。
「何にせよ、ただ待つだけってのも詰まらん。別の手も考えよう。まずは我々で何ができるかというところから改めて整理するのがよかろうな」
「そうですね…うーん、他の手かぁ…せめてみんなとも相談できたら、何か変わるのかなぁ…」
アベルの呟きを聞きつけたガンドルスが不意に膝を叩いた。
「おお、おお、そうだった、忘れるところであった。アベル、君に少し聞きたいことがあったのだ」
「何ですか?」
うむ、と重々しく前置きしてから、ガンドルスはずばり尋ねた。
「君の班員のムクロ。彼は夜の鐘が鳴った後どうしておる?」
「ムクロ…ですか?」
唐突に仲間の名前が出たことに、アベルは驚いた。
「そういえば最近は帰りが遅いみたいですけど。まあ、あいつは一人で訓練とかよくしてるのでそのせいじゃないかと…彼が何か?」
「ふむ…」
アベルの話を聞いてしばし考え込んだガンドルスは、やがて重々しく口を開いた。
「今から言うことは、当面君とわしだけのことにして欲しい」
有無を言わさぬ雰囲気に黙ってアベルが頷くと、ガンドルスはもう一度頷いて先をつづける。
「君と縁のある三人…いやさ、二人と一匹が地下に遺跡を見つけたことは知っておろう」
「ええ」
知らないわけが無い。
あの日、アベルたちも帰ってこないレニーたちを探して校舎内を調べていた。
さすがに日が落ちてから裏山を探すわけにはいかなかったので、翌日に改めて探そうと思って引き上げようとしたところで校庭に現れたレニーたちを発見したのである。
いきなり校庭に現れたこともだが、裏山の穴の先に大規模な遺跡があったと聞かされたときは大層驚いたものだ。
「まったく、面倒なことをしたものだ…あいつもちゃんと整備くらいしておけばいいものを…」
ガンドルスの独り言は、レニー捜索のことをぼんやりと思い返していたアベルには届かなかった。
「おほん。少し話がそれてしまったな。ともあれあの遺跡、我々としても放置しておくわけにもいかん。中で危険な障害もあったようだし、他にもどんな危険物があるかも判らん。君たちに口止めを命じたのは、君たちの真似をして突入する他の生徒たちを抑えるためだ。それはすでに伝えておろう?」
アベルが慌てて頷く。
レニーが遺物を口止め料代わりに貰う代償として、ガンドルスから直々にハルトネク班員全員が口を酸っぱくして注意されたのだ。
「そこで、穴を塞ぐまで夜には当番制で見張りを置くようにしておったのだが…先日担当した先生が、そこで見たのだそうだ。ムクロらしき人物をな」
アベルは妙な言い回しを聞き逃さなかった。
「らしき、とは?」
そうぼかした理由は、次の説明で納得できた。
「ちらと見ただけだから確実とは言えんのだそうだが、あの髪や体格などは間違いないという。だが、肝心の仮面はつけておらんかったそうだ」
「仮面を? それがそんなに重要なことなんですか?」
アベルが首を傾げる。仮面なら外せば問題ないではないか、そう考えたからだが。
「…いや、それが重要な決め手なのだ」
ガンドルスは静かに首を振り、言った。
「魔人族は基本、仮面を好きなように取り外したりすることはせんのだよ」
そういわれてみれば、とアベルはムクロが寝ているときも仮面をつけていたことを思い出した。入学直後は外したらどうかと何度か尋ねたことがあったが、一切外す気が無いと判って以来声を掛けなくなったものだ。
「…どうしてですか?」
「うむ…魔人族には、様々な、その他の種族には無い文化が幾つか、今もなお色濃く残っておるのだ」
ガンドルスが説明する。
「その一つ。彼らにとって、仮面とは未成年の証なのだ。それと言うのも、ある種彼らだけが持つ種族的特徴と関わりがあるのだが…それについての説明はまたの機会にしよう。重要なのは、彼らは多少変わるものの、大体十歳を迎えたときに仮面を装着する。それを成人に達する前に外すのは、魔人族にとって精神的に激しい苦痛を伴うのだ。それ故、自分たちの都合でおいそれと付け外しできるものではないのだよ。最悪、素顔を見た異性とは結婚しなければならんと戒律で定められている一派もおるくらいだ」
「はぁ…なんでまたそんな訳の判らないことを? 不便じゃないですか」
まだ実感としてよく飲み込めないアベルはうろんげに首をひねっている。そんな彼に、ガンドルスは困ったように苦笑した。
「君にはよく実感できんだろうが、こればかりは良し悪しの問題ではなく文化の違いとしか言いようがないのだよ」
まだ釈然とはしないものの、アベルは頭を振って切り替えることにした。
「でも、それなら確かに仮面を外しているというのはおかしいんですね。…家族が取るとかも駄目なんですか?」
ガンドルスが頷く。
「うむ、家族ですら許されん。だから、彼はムクロではないとも、そうだとも一概に結論付けることができんわけだ。まあ、可能性としてはムクロが仮面を紛失した、ということもあるだろうが」
いずれにせよ、遠目に見たという情報だけしかない以上、結論は出そうにない。
「それで…話は戻りますが、遺跡でその人物は何をしてたんですか?」
「まだ判らん。目撃した先生は転送装置のある部屋へ向かうのを見たが、追いかけたところで見失ったのだそうだ。その先に何があるのかはまだ調査中だ」
転送装置を使っているのなら、遺跡の出入りも自由だろう。
だが、仮に侵入者がムクロだとして彼は何のために遺跡へ?
その考えを読んだように、ガンドルスがつづける。
「何分、あの遺跡は俺たちもまだよくわからんことだらけだ。一応報告があった部屋らに関しては我々でも調査をつづけておるが、どんな危険なものが転がっておるかも判らん。そのために遅々として進まんから、現在は封鎖して生徒たちの進入を禁止しておる訳だ。現状ではまだクロともシロとも付かんから君に聞いたが…これまた怪しいといえば怪しいとしか言いようのない状況だな」
「そう…ですね…」
仮にその侵入者がムクロだとして、彼が何のために単独で行動しているのかアベルにはわからない。今のムクロなら、みんなを誘って調査に行こうと提案するように思う。。
それからも幾つか浮かんだ、考えというにも陳腐な思い付きを述べてはみたが、結局のところいずれもガンドルスを納得させることはできなかった。
ガンドルスもアベルの考えに気づいていたのだろう、丁重に相手の言い分を受け流す口調で締めくくった。
「…ひとまず、ムクロの動向には君も気をつけておいてほしい。もし一人で遺跡の奥にいるときに落盤などに巻き込まれでもしたら助けられんからな」
「判りました、それとなく注意しておきます」
もし本当にムクロだとして、何か探しているようなら手伝いを申し出るのもいいかもしれない――そんなことをアベルはぼんやりと考えながら、それまで話したことを振り返った。
「それにしても、未成年かぁ。ムクロはもういい歳だと思ってたけど、魔人族の成年って何歳からになるんだろう?」
その言葉に、今度はガンドルスが怪訝そうにアベルを見た。
「……何を言っとるんだお前は」
「え?」
「ムクロは年下だぞ、お前より」
「…え?」
ぽかんと口を開けたままのアベルに、噛んで含めるようにガンドルスはもう一度言った。
「だから、お前より年下なんだ、ムクロは。書類で確認したから間違いない」
ガンドルスの言葉が脳内に染みこんだところで、アベルはこの日最大級の驚きの叫びを上げた。




