第14話-1 葛藤
夏が過ぎ、朧夜月も中盤に差し掛かると、ここ最近の二年生たちの話題はもっぱら麦蒔月の頭に行われる試験と班対抗戦のこと一色になった。ディル皇国も未だ目立った動きを見せていない以上、生徒たちにとっては差し迫った危険に意識が向くのは当然のことと言えよう。
もっとも喜色を示す者は殆どおらず、逆に昨年は年末にやったから…と、まだ時間が余っているだろうという甘い予想を裏切られた大勢の生徒たちが怨嗟の声を上げていた。
アベルの班にも、一人いる。
「うぐぐ、めんどくさいですわ…」
教室で季節ごとの採取可能な野草の復習をアベルに教わっていたレニーがばたり、と机に突っ伏した。一年前半おろそかにしてきた仇が今、実を結んでいるのだ。
「おいおい、せっかくずる休みしてまで教えてるのにめんどくさいはないだろ…」
ずる休みと言うのは、この時間アベルたちはジーン先生の占術学科を取っていることを指す。今回、レニーの補修のため二人は占術学科をすっぽかしているのだ。
もっとも、それは彼らだけの話ではない。
占術学科に対しユーリィンを除く大多数の生徒たちは『明日をも知れぬ冒険屋や兵士に占いがなんの役に立つのか』とばかりに早々に見切りをつけており、その上で目端の利く生徒は占術学科の授業をもっぱら自習や睡眠時間の補完に当て込んでいる。ジーン先生自身が生徒の出席を気にせず受講している生徒に最低限の評価を与えてくれることも生徒の自習化に拍車を掛けていた。
ちなみにリティアナ曰く、ジーン先生が授業を受け持って以来、連綿と先輩方が受け継いできたアグストヤラナ伝統の抜け道なのだそうだ。
「こんなもの、適当でいいじゃありませんの…」
「馬鹿なこと言うなよ、いいわけないだろ!」
筆を鼻と上唇で挟みながらぶつぶつ文句を言うレニーにアベルが叱った。
そう返すアベルの顔や腕にはあちこち泥がついている。区別がつかない彼女のためと、わざわざ見本として毒草と似たような野草を集めてやったのにこの言い草だから文句の一つも言いたくなるというものだ。
「野草の中には毒を持つのだって多いんだ。おまけに食用に適しているのとそっくりな奴もごろごろある。適当にやって全員野垂れ死に、なんてことになったら嫌だろ?」
アベルをちらと見やったレニーはこのために考えておいたとっておきの屁理屈を言い返した。
「それはそうですが…でもそれなら判ってるのだけ採取すればいいのではなくて?」
「なるほど、それは一理ある」
アベルがそういうと、レニーはぱっと顔を輝かせた。だが、それも一瞬のこと。
「レニーのご飯はこれからずっと野芋や芋茎一種類だけでいいね」
「うぐ…そ、それは……ごめん蒙りたいですわ」
レニーはしぶしぶと否定した。
「けれど、やっぱり色々覚えるのは面倒くさいですわ…」
「ああもう、何度も何度も同じことをアベルに言わさないで」
いい加減聞き飽きたのだろう、それまで監督官として傍で黙って聞いていたリティアナがレニーを鋭くにらみつけ言った。
「今後は学府の外へ出ることも増えるのだから、ここでしっかり役に立つ物を覚えなくては無駄足になりかねないんだって言ってるでしょう? うろ覚えのままに出て依頼された物を採ってこれなかったなんてことになれば、参加した仲間だけじゃなく、斡旋してくれた相手、ひいてはこの学府にすら迷惑が掛かるのよ! そうなったらあなた、どう責任を取るつもりなの?」
「…ごもっともですわ」
しゅんとなったレニーを見て、リティアナが盛大にため息を吐いた。
「大体、あなたはまだましでしょう…今のところ詰め込まないとならないのは採取学だけなのだし。アベルは元より、リュリュやムクロなんてもっと大変なのよ?」
アベル以外に名前の出た二人は、新しく追加された授業に出ていて今はいない。
苦笑するアベルもこうしてレニーに付き合っている時間を、本来ならば校長との剣技訓練にもっと時間を割きたいというのが本音だが、さすがにそれを当人に向けて明け透けに言う訳にもいかない。
「それはそうと、ムクロが技工士学科、リュリュは錬金学科を追加で受けてるんだっけ。二つの違い、良く判らないんだよなぁ…」
気持ちを切り替えようと呟いたアベルの独り言を聞きつけ、リティアナが白い目を向けた。
「アベル、あなたねぇ…仮にも班を束ねる身なんだから仲間の受講する学科の違いくらい把握しておきなさい。自分、そして仲間が何が出来るかを把握しておくことは脱落者を出さないために重要なことよ」
「わ、判ってるよ…」
飛び火してうへぇと首をすくめたアベルを見やり、小さく嘆息したリティアナはむっつりとした相好を崩さぬまま解説をはじめた。
「かいつまんで説明すると、主に錬金学科は遺跡の中での練金具や錬金術を用いた仕掛けの解除など。技工士学科はそれ以外の罠への知識や索敵を主に担当するのよ」
「なるほど、だから遺跡への探索が解禁された頃から受講がはじまってるのか」
後を引き取ったアベルの言葉に、ええとリティアナも頷く。
「どちらも実地で体験した方がわかりやすいでしょ」
「それはそうかもね。それにしてもムクロが技工士学科というのはちょっと意外だったなぁ。リュリュが錬金学科志望なのは前にも聞いたから判るけど」
アベルの独白を渡りに船とばかりに、レニーも会話に混じってきた。
「私もユーリィンあたりが選ぶものと思ってましたけど。訓練が忙しいから無理だって言っていましたわ」
ああ、と感心したようにアベルは頷く。
「だから今日も来てないのか。ユーリィン、ここのところずっと忙しそうだなぁ…そんなに刀術士って大変なのかな」
みたいですわね、と答えたレニーはリティアナの冷たい視線に気づき、慌てて再び手元の本に視線を落とした。
「と、他の方の心配してる場合ではないですわ。ええと…『短い円柱形の柄の先に、傘を開く』…これは確か、食べられる茸でしたわね」
ちらと問題を流し見たリティアナは嘆息一つ。
「いいえ、それだけじゃ不十分よ。似たような見た目の毒茸だってあるわ。『暗い場所で光らない』、『縦に割ったとき、付け根に黒い染みがない』そこまで付け足さないと点にならないわ」
さすがにリティアナは冒険屋としてやっているだけあって詳しい。
「なるほどですわ…」
レニーは素直に頷き、手にした羊皮紙に書き込んでいる。
それをみてようやく目元から力を抜いたリティアナがふと窓外に目をやり、あらと小さく声をあげた。
「いつの間にかもうこんな時間。アベル、確かこれからガンドルス先生に直に稽古をつけてもらうんでしょ? 後はわたしが見ておくから早めに行って準備しておきなさい」
アベルも言われて外を見る。太陽に照らされ伸びる木の影の長さからみて、確かに準備した方が良さそうだ。
リティアナの言うとおり、最近は空き時間にガンドルスから直々に稽古を付けてもらっていた。
アベルはドゥルガンが継続すると思っていただけに、それを知って驚いたものだ。
ちなみに何故かと尋ねたところドゥルガンは答えようとせず、代わりにガンドルスが一寸困った顔をしてから『求める物が違っていたから』とだけ答えてくれた。
その言葉の意味は判らなかったものの、以降のドゥルガンは入学当初のようにアベルとは一定の距離を空けた接し方をするようになっていた。恐らく彼にとって自分が何か受け入れ難いことをしてしまったらしいとおぼろげながらに察したアベルは、以降は大人しくガンドルスに師事していた。
「アベル、修行の具合はどう?」
採取学の教材を片付け出すアベルへ、リティアナが心配げに尋ねた。
結果として、一見二人が纏まった時間を得られるため相談しやすくなったように見えるが、元々の目的が稽古である以上ガンドルスは教育には決して手を抜かない性格なため実際には生傷が倍増している。
「うん…大変だよ。ドゥルガン先生の特訓とはまた質が違うけど、どちらもきついね…前よりは大分もつようにはなったけど、いつも終わる頃にはへとへとだよ」
「朝には採取もされてますものね…」
いつまでも仲間たちに自分の作業を押し付けるわけにはいかないので、アベルは代わりに毎朝自主練の前に一人で採取していた。おかげで最近はムクロより早く起きることもある。
「じゃあ行ってくるよ」
「気を抜かないようにね」
「うん、判ってる」
心の底から頷く。
荷物をまとめ終え、アベルは恨めしそうなレニーの視線を受け止めながら愛用の剣を手に部屋を出た。
三十分以上前に校庭にいて前もって走り込みなどを済ましておかないと、稽古終了後にガンドルス曰くちょっとした罰則(大抵基礎訓練を三倍以上増やされることを指す)を課されるので、出来うる限りそれは避けたい。
リティアナに教えてもらったおかげで準備運動の時間に余裕が持てそうだ、稽古の荒々しさだけで言えば校長と教頭は同程度だからな――そんなことを考えながらのんびり窓の外を見つつ歩いていたアベルは、踊り場で駆けてきた誰かともろにぶつかってしまった。
「きゃっ」
「ご、ごめん…あれ? ユーリィン?」
反動で地面に尻餅をついていた相手はユーリィンだった。
「占術学科ちょうど終わったとこだったんだね」
助け起こすために手を差し伸べると、ユーリィンはその助けを借りて立ち上がる。その顔が妙に浮かないことに気づいたアベルだが、ユーリィンが何事も無かったように礼を言ったことで思考の隅に追いやった。
「ありがとう」
「うん。僕も人のこと言えないけど、ぼんやり歩いてたら危ないよ」
「そうね、気をつけるわ。ちょっと考え事してたから…」
「そっか。それじゃあ僕は稽古に行くから、また後でね」
「あ、ねえ!」
アベルが立ち去ろうとする前に、ユーリィンは呼び止めた。
「実は相談したいことがあるの。少し時間、もらえない?」
「え?! うぅんと…」
しばし迷ったが、まだ多少は時間があるだろう――アベルは二つ返事で了承した。
「良かった。それじゃあ、余り人に聞かれたくないから…ついてきて。星見塔なら良さそうだから」
「うん、わかった」
星見塔を昇る間、先を行くユーリィンは難しい顔をしている。互いに幅の磨り減った狭い石の螺旋階段を無言のまま昇りきると、季節はずれの暑さが残る秋日和が差し込む無人の屋上へ出た。
星見塔は元々夜間に天候の確認を行うために設けられた塔で、天辺は人が三、四人も入れば一杯になる狭い空間になっている。内緒話にうってつけと言えよう。
彼女が壁付き椅子へ腰掛けたのを確認したアベルは、対面に腰掛けると早速尋ねた。
「で、どうしたんだ、こんな改まって。みんなに聞いてもらった方がいいんじゃないのか?」
「いいのよ、リュリュに聞かれたら煩く付きまとわれるし。だからまずはアベルに聞いてもらいたいの。その上でどうするかは貴方に任せるわ」
どうやらかなり真剣な悩みらしい、アベルはそう判断した。
「それで、相談って?」
少し考え込んでから、ユーリィンは口を開いた。
「そうねぇ…うーん、何から言えばいいかしら…」
「う、うん」
普段見せないユーリィンの真面目な表情に、知らずアベルも顔が強張る。そんなアベルの頬を、ユーリィンの手がそっと撫でた。
「やだ、そんな、緊張しないで」
そういうとユーリィンは蒼空を振り仰ぎ、詩を諳んじるように滔々と吟じだした。
「『滅びし街の幼子たち再びあい見えるとき、災厄の鍵放たれん。其はすべてを飲み込む戦火の種とならん。宿星学び舎に集いて討ち果たされん』」
そこまで言い切ると、ユーリィンはアベルの方をじっと見る。
アベルはその間、ずっときょとんとしていた。何を言えばいいか判らず、しばし迷った結果アベルはずばり尋ねた。
「えぇと…今の、何?」
「預言よ」
さらりとそう答えたユーリィンは振り向き、真剣な顔でアベルをじっと見つめた。
「貴方の仲間が、いずれこのフューリラウド大陸に棲む多くの人々にこの後未曾有の大災厄を齎すことになる」
出し抜けにそんなことを言われアベルは仰天したが、ユーリィンは真面目な顔を崩さず尋ねてきた。
「…信じた?」
アベルは返答に困り、ぎこちなく頷くだけにとどめた。普段ならいつもの冗談かと笑い飛ばすところだが、今のユーリィンにはそうさせまじとする不可解な迫力がある。
「やあね。例えばの話だってば」
それを見て、ユーリィンは苦笑した。
「う、うん」
だが、そういうユーリィンの目が、これまでに見たことの無い昏さを湛えているようにアベルは感じた。そんなアベルの心の動きに構わず、ユーリィンは尚もつづける。
「だけどよ。…もし、そうなるとあらかじめ判っていたら、貴方だったらどうする?」
「ど、どうするって…」
「指を咥えて見ているか、あるいは…」
そこで一端区切ったユーリィンは、続く言葉をはっきり口にした。
「元凶を排除する? それとも…」
その表情がユーリィンにしてはやけに珍しく困っているように見えたため、つられてアベルは眉根を寄せて真剣に考え込みはじめた。
「排除って、そんなこと…うぅん、大体そんなこと急に言われてもなぁ……」
と、ユーリィンは不意にぷっと吹き出した。
「まあ…そりゃあそうよね。困るわよね」
そう言ってけらけら笑うユーリィンの表情は、アベルが知るいつものものだった。普段よく知る彼女に戻ったことで、アベルはようやく肩の力を抜いた。
「う、うん、当たり前じゃないか。急に何を言い出すのさユーリィン」
苦笑いするアベルに、笑い終えたユーリィンは笑みをたたえたまま尋ねてくる。
「急ついでに、もう一つ質問いいかしら?」
「うん、何?」
「例えば…そうね、リティアナや、リュリュのような班員たちがさっき言ったような止むを得ない事情で殺されそうになったら…」
すぅ、とユーリィンの顔から笑みが消えた。
「アベル、あなたならどうする?」
あまりの急激な変化に戸惑ったアベルはまじまじとユーリィンの顔をみた。
その目は真剣そのものだ。
どう答えたか迷ったアベルは、しばらく考えた末正直に答えることにした。
これこそが彼女が真に自分に聞きたかったことだ――アベルはそう直感したからだ。
「僕は…幾ら止むを得ない事情があっても大事な人たちがおいそれと害されるのを黙ってみているつもりは無い、かな」
「他にどうしようもなかったとしても?」
次の問いにアベルは、今度は間を置かず頷いた。
「気付かなかっただけで何か打つ手があるかも知れないし、もしかしたら誤解かもしれない。だから、その辺りを確かめるためにも戦うだろうな…まずは守るためにもね。アグストヤラナに来たのも、そのための力を得るためだった…今はそう思えるから」
ユーリィンはじっとアベルの目を見つめている。
「…なるほど。あなたはそう考えるのね」
そういうと、頤に手をあて何事か考え込む。
「うん。…変かな?」
ユーリィンは頭を振った。
「アベルらしいと思うわ」
「そっか。…それで、少しはユーリィンの役に立てたかな?」
「ええ。とっても」
「そっか。それはよかったよ」
「まあね」
そう答えたユーリィンの顔が先刻見た影をちらと湛えたのをアベルは見逃さなかったものの、それについて尋ねようか逡巡していた間に鐘が鳴った。
「あっ、しまった! ごめんユーリィン、僕もう行かなくちゃ…この後稽古があるんだ」
すまなさそうに頭を下げるアベルに、ユーリィンは判ってると頷いた。
「校長直々の稽古、頑張ってね」
「うん、ありがとう」
慌てて階段を駆け下りるアベルを見送るユーリィンは、彼の姿が完全に見えなくなってから一人呟いた。
「…こちらこそありがとう、アベル。あたしも覚悟を決めたわ」
朧夜月:9月。
技工士学科:日本のRPG風に言えば、「シーフ学科」。




