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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
二年目
47/150

第13.5話  或いは他し事その2 リュリュの日常的非日常



 この日も、リュリュはむしゃくしゃしていた。



「またそれ弄ってるんですの?」


「そーだけど? 悪い?」



 定位置となった机の上に胡坐をかいていたリュリュがレニーの言葉にむっつりと顔を上げた…が、すぐにまた再び手にしている――レニーたちが地下遺跡から持ち帰った――遺物を弄繰り回す作業に戻った。机の上には他に、大小さまざまな良く判らない部品が散乱している。



「あんまり根詰めないほうがよろしいのではなくて?」


「いいからほっといてよ」


 心配したのににべもなくそう言われたレニーは肩をすくめる。



 リュリュはこのところ、空き時間はいつもこの遺物を弄ることに費やしていた。



 例の品がどうやら錬金術に使う素材らしいということはすぐ判ったものの、どう使う物かどうしても判らない。



 練金術で使う道具は、基本は下地となる素体と、魔素をどう操作・変換するかを指示する補助機関の核鋼と呼ばれる二種の素材の組み合わせで作成される。素体や核鋼はこれまでも種々雑多発掘されており、ここアグストヤラナの練金学科でもその組み合わせや特徴について学ばれている。



 リュリュは試用として借り出せる素体や核鋼をありったけ借り出してきては、それらと組み合わせて何か変化や動作が無いか片っ端から試しているのだが、めぼしい成果は未だあがっていない。そもそもこれが素体なのか、核鋼なのかすら判らないのだ。



「あらそう。もうすぐ次の授業がはじまると教えて差し上げようとしましたのに…それなら勝手になさったら結構ですわ」



 そう言われてもリュリュは動かない。レニーは呆れたように嘆息すると、教室を出て行った。



 誰もいなくなった教室の中、リュリュを一層強い寂寥感が襲った。


「…ちぇ」



 いつもなら、練金に使えそうな新しい素材を前にしたら何に使えるのだろう、どんなことができるんだろうと心がわくわくする。けれど、今はもやもやしてどうしても集中できない。



 しばらく黒い箱の左右から生えている枝と手にしている素体の下部にある小さな小筒が繋がらないものかと色々弄くっていたが、やがてそれに飽きたリュリュは無造作にぽいっと投げ出すと大の字になって寝転んだ。



 確かに、異物の調査がほとんど進んでいないことは大きな苛立ちの要因には違いない。けれど、リュリュがむしゃくしゃしているのには他に理由がある。



「…ちぇ、つまんないの」



 一月程前のグリューとアベルの決闘――もっと言えばアベルがリティアナを庇った瞬間――以来だった。



 あのときの光景を目の当たりにしてからというものの、思い出すたびに胸の奥でかすかな痛みがちくりとうずく。こんな経験は生まれてこの方はじめてのことで、リュリュは自身のうちに芽生えたその感情とどう向き合ったものか判らなかった。



「ユーリィンならどうしてか、判ったのかなぁ」



 妙に世故長けているユーリィンならきっと即座に解決できないまでも、納得できる助言をくれたに違いない。



 けれど、最近のユーリィンは険しい顔をしていることが増えて話しかけにくい雰囲気を纏っている。よほど嫌な占い結果でも出たのだろうか?



 かといって、他の人に相談するのもあまり気乗りがしない。



 レニーは何かあるたびに礼節だのなんだの小難しい話に発展させてきそうで面倒くさいし、リティアナは授業のことに摩り替えそうだ。ムクロは話し相手になってくれるかすら怪しい。



 そしてアベル。いつもならユーリィンに次いで色々相談に乗ってもらえる相手なのだが、今回は何故か彼に訊いてみるのが躊躇われた。



 大体、なんて 聞けば良いというのか。「ねえ、君の事を考えるとむしゃくしゃするんだけど何でだと思う?」と正面から聞かれても、相談される方も困るだろう。



 ぼんやり天井を見つめていると授業開始の鐘の音が耳に入ってきたが、リュリュは動かなかった。どうせ今受講しても頭に何か入らないのは間違いないのだから。



「なんなんだろうなぁ、もう…」


 何度と無く繰り返した質問を呟く。



 勿論、今回も答えが出るはずは無く、リュリュははあとため息をつくと起き上がった。別段何か思いついたとかではなく、寝転がることにも飽きただけのことだ。



 その拍子に部屋の隅においてあったクロコが目に入り、リュリュはやっておかないとならないことを思い出した。



「あ、そういえばクロコの魔素溜めとかなくちゃならないんだった」



 クロコは普段命令を与える以外に、自身が動くため魔素の蓄積を別途必要とする…


のだが、ここ最近利用が増えているせいか、微妙に魔素の消費量が増えたような気がする。同じくらい溜めても、以前ほど起動時間が確保できていないのだ。


 ついでに点検してみるつもりだったことを思い出し、リュリュは魔素の充電も兼ねてクロコを持ち出したのだった。



「さてと…ん? 待てよ…」


 魔素を注ぎ込もうとしたところで、リュリュは動きを止めた。



 遺物だが、今までは核鋼と素体いずれかの組み合わせで動かないかと試していたから反応しなかったのではなかろうか、と思いついたのだ。



 錬金術の授業の中で、聞いたことがある。



 リュリュ自身はまだ見たことも無いが、稀に素体と核鋼との組み合わせに更に組み合わせることによって影響を与える補助用素材というものがあるのだそうだ。



 補助用素材には使い捨てのものとそうでないものとがあるが、いずれも組み込んだり使うことで制御が楽になったり、魔素の消費量が跳ね上がる代わりに珍しい能力を所有したり、元来の能力を飛躍的に向上させることができると教わった。



「まさか、ねぇ…」



 補助用素材はほとんど発掘されないため、希少性が高い。市場に出回っているのも大抵高値で取引されていて、安くて数百ルゼイニー新金貨は掛かると聞く。


 一応アグストヤラナにも教材として幾つか存在するらしいが、何れも厳重に管理されているそうだ。



 それがまさかひょっくり拾ってこられるなんて馬鹿馬鹿しい、とは思ったものの。



「まさかね、あはは」



 どうせそんな大した手間ではないし、ちょうどここに良い錬金具もある。軽い気持ちで試してみようと考えたのも、無理の無いことと言えよう。



「えぇと…どこがいいかな」


 ちょうど背中に隠れそうな大きさなので、クロコの上着をずらして合わせてみる。


 クロコの透き通りそうに真っ白な肌へ沿わせた異物は、腰から首の根元までで大きすぎず小さすぎず、良い具合に合わせられそうだった。



「うん、ここでこうして支えて。えーっと、たしか前見たときにお腹側に差込口があったから…わ、ととっ」



 人間ならばたいしたことの無い規格でも、小翅族のリュリュにとっては大人と子供くらいの大きさの違いがある。自分よりちょっと大きい人形を自分に寄りかからせながら、これまた大きい素材を支えるのは一苦労だ。じたばたしながら脇から生えている紐を弄っていると、どこかでかちりと引っかかったような感触を手に感じた。



「お? お? これは当たりかも?」


 どうなっているのか覗き込もうとして人形の胸元を抱きかかえていたリュリュの腕が汗で滑った。遺物とクロコ、両方が将棋倒しでリュリュの上に圧し掛かる。



「うわっ」


 体勢を崩したリュリュは、反射的に何かを掴もうと空いた手を滅茶苦茶に振り回す。その手が、反対側から生えていた紐を握ったとき。



「ぎゃぴ?!」


 びりびりびりっ、とまるで電流に打たれたような衝撃がリュリュの全身を打つ。びぃんと手足が伸びきった反動でクロコがぐりんと半回転し、リュリュと向き合う。


 意識が暗転する直前、リュリュの記憶に残ったのは、自分を見上げる自分の顔だった。





「う、うぅーん…」


 どれくらい経っただろう。



 リュリュが目を覚ましたのは、顔に当たる西日のせいだった。目をしばたたかせ、そのまぶしさから逃れようと無意識に手を差し伸べたときにようやく違和感に気付いた。



 いつもの見慣れた小さな華奢な手ではない。



 黒いローブの裾から突き出たのは、金属製の無骨な二対の鉤爪だった。



「なにこれ?!」


 喋ろうとする…が、口がぱくぱく動くばかりで声が出ない。



 どういうことかと混乱して周囲を見渡したリュリュは更に驚いた。すぐ傍に、見覚えのある赤毛の少女が倒れている。その背中にある小翅族独特の透明な翅が、窓から差し込む夕日を跳ね返していた。



「え…あれ? ボク? でも、ボクはここにいて、あれ? え? どういうこと? んんー???」



 混乱の極みにいるリュリュをよそに、倒れ伏していたリュリュ?の目がゆっくり開く。



「ん…あ…わたし……いったい、何を…」



 リュリュの身体は目を開くと、むくりと身を起こして軽く頭を振る。そこでリュリュは、遅まきながら本来の自分の体が目覚めたことに気付いた。



「ああっ、ボクの身体! いったいどういうことなんだよー!」



 慌てて立ち上がり、詰め寄ろうとする…が、球体関節の膝がかくんと折れ曲がってその場につっぷしてしまう。



「きゃっ」


 急に背後から倒れこんできたリュリュに驚かされ、リュリュの身体が驚きの声をあげた。が、すぐにその姿から倒れたのがクロコだと気付いてあと小さく声をあげた。



「わたしの身体…!」


「え」



 その言葉に顔を上げると、己を見下ろす自分の顔が目に入った。途端、先刻気を失う直前に見た光景が脳裏に蘇る。


 ここに至ってようやくリュリュは、今主不在の自分の体を動かしているのが何者か気付いた。



「クロコ?!」


 リュリュの驚きは尋常ではない。



 そもそも今回こうやって話すまでは、クロコに自意識があるなどとリュリュにも想像もつかないことだった。



 ちなみにクロコは単なる武器、人形ではない。


 人型をしていることからも伺えるように、単独での偵察行動ができるようクロコは簡素な集音や録画の機能も搭載されている。今のリュリュは、その機能のおかげで視覚や聴覚を確保できているのだろう。



「その中にいるのは…我が主ですか?!」


 クロコもびっくりしたようだ。クロコの発した声が教室に反響する。



「そうだよ! ボク、リュリュだよ! なんでかクロコに入っちゃってるんだ!」


 勢い込んで喋る…が、やはり声は出ない。それでも、リュリュはきっとクロコが理解してくれるものと喋るのを止めなかった。



「多分、さっきの補助用素材のせいだと思うんだけど、それを取り外してくれない? この手だと取れそうに無いし、下手したらこの体を傷つけそうだから…」


「あ、あの…リュリュ、様?」


 おずおずとクロコが口を挟んできた。



「どったの、クロコ?」


「あの…何か伝えようとしてるようですが…ごめんなさい、さっぱり判りません」


 きっぱりそう告げられ、リュリュはがっくりうなだれた。よくよく考えてみればクロコには声帯なんて付けていないのだから至極当然の話である。



「ごめんなさい、ついでにもう一つ謝っておきます」


「へ?」


 どうしたら自分の意思を伝えられるか。思索を巡らせていたため、リュリュはつづいて喋ったクロコの発言への反応が遅れてしまった。



「しばらく、この身体貸してください!」


「はえ? …あ、ちょ、ちょっと?!」


「それじゃあ我が主、すみませんが私はこれで失礼します」


 制止する間もなく、クロコは翅を羽ばたかせてふわりと舞い上がる。



「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!」


 リュリュは慌てて立ち上がり、反射的に飛び掛かる。だが机を蹴った直後今の体には翅が無いことを思い出したところで、机の下に転がり落ちた。



「あいだぁっ」


 見上げると、ちょうどクロコがレニーが開けたままの扉から出て行くところだった。



「ああ…はやくあの方にお会いして私の想いをお伝えしなくては…」


「ま、待って…待ってよボクの身体~!」


 追いかけようとするが、脚はかくかく変な動きをするばかりでとても追いかけるどころの話しではない。



 それでも何とか苦心惨憺の末、どうにかひょこたんひょこたんと、不恰好ではあるが歩けるくらいにはなった。


「どこ行っちゃったんだろクロコの奴…とにかく、今は誰かに背中の補助用素材を外してもらわないと。これさえ取れれば元に戻るはず!」


 こうして不本意なことに、不慣れな身体になってしまったリュリュは教室を後にしたのだった。





「それにしてもどこ行っちゃったんだあの子…ん?」


 クロコの後を追って教室を飛び出した直後、リュリュはふいに周囲が暗くなったのを感じた。見上げようと足を止めた途端、



「おわっと!」


 その声とほとんど同じくしてすぐ背後で地響きが鳴ると共に振動がリュリュの足元を揺らした。



「きゃっ」


 再び体勢を崩し、こてんと仰向けに転がるとそこには見慣れた顔が見えた。



「おや? こいつぁ…」


 グリューが怪訝そうに見下ろしている。先ほどの振動は、彼が歩いているときの衝撃だったらしい。



「えぇと、あのちびっこいのが使ってる武器だったか」


 ひょい、と背中を摘まれ鼻先でもがくリュリュにグリューは呆れたように言った。



「おいおい、先行偵察の練習でもしてんのか? まあいいけど、あまりうろちょろするなよ。もう少しで踏み潰しちまうとこだったじゃねぇか」


「あ、おーい、おーい! ちょっと、話を聞いて! ねぇ、あっ、ちょっと、置いていくなってばー!! おおーい!!」


 そう言いながら廊下の端へ置くと、尚も立ち上がってひきとめようとするリュリュに気付かずグリューは大股で歩き去っていった。



「…だめかぁ。まあ、考えようによってはグリューに手伝ってもらわなくてもそれはそれでよかったかもしれないけど」


 粗暴なグリューのこと、背中から剥がせと言ったが最後力任せに引っぺがしそうだ。貴重な補助用素材をそんなことで壊されてはたまらない。



 気持ちを切り替えると、リュリュはどうにか立ち上がり再び歩き出した。


「ん?」


 中央踊り場に差し掛かったとき、上から声が響いた。



 見上げると、ちょうどガンドルスが階段をゆっくり降りてきたところだった。


「ほほう…クグツ型錬金具とは珍しい。生徒の私物か…いや、どこかで見たような? まあいい、今はそれどころではないわい。まったくアルキュスの奴め、人使いの荒い…資料はこんなに溜め込まないで小まめに返せというに。ドゥルガンに怒られるのは俺なんだぞ……」


 両腕一杯に本を抱えているガンドルスはちらとリュリュを打ち見ただけで、そのまま大股のまま歩み去っていく。リュリュの足では到底追いつけるものではない。



 彼の姿が曲がり角で完全に消える寸前、思いついたようにのんびりとした声が掛けられた。


「好奇心は素晴らしいものだが、ほどほどにしておけよ? あんまり長居していると、戻れなくなるからのう」


 それきり、ガンドルスの声はしなくなった。



「…どういうことなんだろ?」


 もしや、他の生徒に向けて言ったのではないかと思い周囲を見渡してみるものの、他に生徒の姿は無い。



「まさか、ボクのこと…かなぁ?」


 首を捻って考えるが答えは出ない。しばらく考えこんだが、やがてリュリュは諦めて探索に戻ることにした。



「気にしてもしょうがないか。仮にボクのことだとしてもどうせクロコを捕まえれば済む話だし…あ」


 角を曲がりガンドルスがやってきた廊下の先へ出ると、今度はちょうど向こう側からウォードがやってきたところにかちあった。



「ん? あれ、これ…確かリュリュのだったか」


 右手の鉤爪を挙げて助けを求めるリュリュを見下ろしながら、ウォードは辺りをきょろきょろと見渡した。



「あいつは…この辺にはいないようだな」


 その様子は不審極まりない。何事かと気になったリュリュに向け、ウォードは頼まれもしないのに話し出した。



「お前に言ってもわかりゃしねぇだろうけどな。これからパオリンを誘いに行くつもりなんだが、顔見知りに知られると気恥ずかしいからなぁ。あのちびすけはお喋りだから下手に見つかると煩いし…」


 どうやら、ウォードはクロコが偵察に使えることを知らないらしい。



「大体、この間だってそうだぜ。俺がパオリンの料理こっそり食ったこと告げ口しやがったせいでしばらく口聞いてもらえなかったんだからよ…参ったぜ。まあ代わりにレニーが隠してた果実の砂糖漬けを頂いたからいいけどな。ハルトネク班の女たちはおしゃべりでいけねぇ。まったく、お前くらい口数が少なけりゃいいのによぉ。…ん、どうやら壊れてるところとかはなさそうだな」



 そういえば数日前彼女からそんな話し聞いたっけ、とリュリュはぼんやり思い出した。


 確かみんなに振舞うお茶請けにするつもりで作っていた、とても楽しみにしていた干し紫蔓の実の砂糖漬けが無くなっていたと激怒していた。丸一日犯人を探し回ったが、未だに見つけられていなかったとか騒いでいなかったっけ? ついでに言えば、そのときグリューがぼっこぼこにされていたはず。



「ふぅーん…」


 様々な響きを含んだ声が洩れるが、にこやかに笑っているウォードには届かない。



「はぁ、言いたいこと言ったらすっきりしたぜ。やっぱり隠し事なんて根が正直者の俺には荷が重いってこったなぁ、わっはっは」


 周りを確かめ、誰も見ていないことを確認するとその場に人形を下ろし、にこやかに立ち去るウォード。その背中を見送りながら、リュリュはしかと今の言葉を心に留めおいた。



「いやあ本当に良かったよ~、面白そうなネタに出会えて…にゅふふ♪」


 これからどんな風に得た情報を生かそうか。そう考えるだけで心が弾んでいたリュリュは、だからすぐ傍に近づいている危険に気付かなかった。



「んぁ?」


 ばくん。



 視界が闇に閉ざされ、生暖かいものにいきなり包まれる。顔中べとべとする粘液にまみれる中、空中に持ち上げられぶんぶん振り回されたリュリュは悲鳴を上げた。


「何、何、何これ?! 何が起きてるの?! うひゃああ、振り回さないでぇえ! やぁめてぇええ?!」



 リュリュの一人鞦韆は落ち着いた女の声が掛けられるまでつづけられた。



「こらダーダ、何を咥えてるの?」


 リティアナの問いかけに、ようやくダーダが咥えていたリュリュを開放した。



「足が見えたからそうじゃないかと思ったけど、やっぱりクロコか…」


 リティアナは表情を変えずその場に屈みこむと、ぺしんとダーダの軽く頭を叩いた。



「むやみに口にするんじゃないの。ここには口に含んだら危ない物だってあるのよ」


 叱られたダーダが哀しそうにうなだれたのを見て、リティアナはやれやれと呟いた。



「まだ食事時には時間があるから、お腹が減ったのなら裏山にでも行って鳥でも取ってきたら。それくらいなら問題ないわよ」


 一声嬉しげに高く吼え、ダーダは素早く駆け出していった。



「落ち着いたと思ったけど、何でも咥えたがる癖は何とかしないとならないわね…後でアベルに相談しなくちゃ。さてと」


 傍に屈みこんだリティアナがじっと無言で見つめてくる。無言の圧力に、リュリュは妙に居心地が悪く感じた。何故か反射的に硬直してしまう。



(も…もしかして、中にボクがいるって…気付いている?)


 そう考えたところで、リティアナは不意にリュリュの名前を呼び、手を伸ばした。



「はひゃい?!」



 これはばれてる!



 怒られる、とリュリュは身構えた。



「聞いてる? ダーダはじゃれ付いてたの。よだれまみれになっている以外に大きな損壊などは見当たらないようだわ。注意しておいたから、叱るにしてもあんまりきつく叱らないであげてね」


 だが、リティアナはただ被害状況を確認するつもりだったらしい。



 恐らくリュリュが実験で動かしていると判断し、後で確認することを見越しての言葉だろう。何があったか状況を説明している間、懐から手巾を取り出すとあらかたダーダのよだれを拭ってやっている。



「こんなものかしら?」


 人形を捧げ持ち、ざっと眺めて目ぼしい汚れが無いことを確認するとそっと地面に下ろしてやる。



「リュリュのことだから偵察の訓練か、或いは何か新しい悪戯でも思いついたというところかしら。まあどちらにしろ、あんまり派手にやりすぎないようにね」


 最後に崩れた帽子を直してやり、リティアナはそのまま立ち去ってしまった。



「うぅむ…良い人だ」


 思わずリュリュは感心していた。リティアナは表情をほとんど変えないため、もっとざっくりしている――悪く言えば色々と周りに対して無関心なんだろうとリュリュは思い込んでいたがそうではないようだ。


「ちょっと見直しちゃったかも」


 今度からもう少し、色々話しかけてみるのもいいかもしれない。



「よし、それじゃまた探索に戻るとしよっかぁ」


 そう独り言を呟きながらもリュリュは歩き出していた。


「また面白いことがあるかも知れないしね、えへへ」



 こうしてクロコとして校舎の中をうろつくのも存外面白い、といつしかリュリュはこの環境を心の底から堪能していた。元々面白いことに目の無いリュリュのこと、もはや背中の補助用素材を外してもらうという目的は頭の中からすっぽり抜け落ちている。



「さ・ぁ・て、と。次は誰に出会うかなぁ」


 次に出会ったのは、自分の教室でせっせと繕い物をしているクゥレルだった。



「おや? 何してるのかな?」


 クゥレルは穏やかな調子の鼻歌を唄いながら、もくもくと手を動かしている。



「へえ…」


 無骨な見た目に反し、クゥレルは小さな針を器用に動かしてはほつれを次々縫い上げていく。手にしていた脚衣の膝にあてがったつぎはぎを縫い止め終わり、一息つこうと机の上に置いた杯へ手を伸ばそうとしたところで、クゥレルはようやく見物人の存在に気付いた。



「おや、お前だけでこんなとこへどうしたんだ? …覗き見か? まあいいけどよ」


 ちらと教室の扉へ一瞥をくれるが、そこに人形の主がいないことを見て取るとクゥレルは杯の中身を一口含み、ごくりと飲み干した。



「さてと、次は…と」


 杯を元の場所に戻し、机に向き直る。先刻は気付かなかったが、机の上にはまだまだ他にもたくさんの衣服が載っていた。



「え、まさかあれ全部一人でやるの?!」


 机の上にある衣服の量は、アベル班の仲間では到底一人で片付けられる量ではない。しかし、クゥレルは素早い動きでさっさと片付け、どんどん繕っていく。



「うわぁ…すごいなぁ…」


 内心舌をまいて見とれていると、その視線に気付いたのかクゥレルが苦笑した。



「おいおい、人形でもそうじっと見つめられるとなんか照れくさいな。そんな面白いもんでもあるまいに」


 それでも、尚二つ三つと終わらせてもまだ人形が立ち去ろうとしないのを横目で見たクゥレルは、やがてゆったりと口を開いた。



「やれやれ、こうして俺が一人で繕ってるのがそんなに珍しいもんかね? まあお前さんが面白いんなら、好きなだけ見ていくといいさ。どうせすぐ終わるしな」


 確かに、とリュリュも思った。まるで手自体が自ら意思を持つように滞りなく、幾つものほころびを縫っていくのを見れば、この程度物の数ではないだろう。



「よし、終わり…っと」


 八重歯で余り糸を噛み切り、衣服を手早く畳みはじめた。



「俺は親元を頼れない生活が長かったせいでこういうのが得意でな。班員も繕い物くらいはできるんだが、俺がやった方がはるかに早いからこうやって任されるって訳だ」


 衣服を畳みながら、クゥレルは立ち上がる。



「ま、俺も気が落ち着くから嫌いじゃねえけどな。そういう点じゃ持ちつ持たれつって訳だ、そっちとはちょっと毛色が違うが。お互い、いい仲間にめぐり合えたもんだな」


「うん、ボクもそう思うよ」


 思わずリュリュもそう返していた。



「よっしゃ、それじゃ洗いに行くかね。ほい、済まんがちょっと通るぞ」


 両腕一杯の繕い物を抱え、よたよたと部屋を出て行ったクゥレルを見送ってからリュリュもその場を後にした。



「うーん…人はみかけによらないもんだなぁ、無骨なクゥレルが縫い物得意だなんて。今度クロコの服かなんかお願いしてみようかな? ユーリィンたちはさっぱりだし」


 そんなことを呟きながらも廊下を歩き出したリュリュだが。



「あ、あれれ?」


 思うように足が動かず、つんのめってしまった。



「ありゃ…なんだろ?」


 慌てて壁に手をついて転ぶことは避けられたが、妙に体が重いような気がする。



『好奇心は素晴らしいものだが、ほどほどにしておけよ? あんまり長居していると、戻れなくなるからのう』


 不意にリュリュはガンドルスに投げ掛けられた言葉を思い出した。



「もしかして、これ…そういうこと?」


 長居とは、リュリュがクロコの体にいることを指しているのではないだろうか。



 けれど、今までは問題なく動けていたのに…そこまで考え、リュリュは思い出した。


「あ!」



 元々魔素を充電するつもりでいたけれど、ごたごたしていたせいですっかり忘れていたのだ。考えてみればもう結構な時間が経っており、いい加減蓄えられた魔素がなくなってもおかしくは無い。



「ん…待てよ? この身体で魔素が切れたら…ボク、どうなるの?」



 今こうして動いていられるのは魔素のおかげだ。


 それがなくなると言うことは手足が動かなくなる…だけで済めばいいが、視覚や聴覚も断たれる可能性は高い。いや、そもそも果たして自意識が残るのだろうか…?



 そこまで考えたとき、リュリュはぞっとした。



「こ、こうしちゃいらんない…」



 慌てて足を動かそうとするが、動くどころかもつれてその場に倒れこんでしまう。



 急いで立ち上がろうとするも、気ばかり急いてうまく立ち上がれない。そうこうするうちに、身体を動かすための魔素は急速に失われていく。



 腕で体を支える重みすら苦痛になったリュリュは、たまらずその場に突っ伏した。



「あれ?」


 その声を聞いたとき、リュリュははっとした。



 聞き間違えるわけが無い。どうにか顔を上げると、こちらに歩み寄ってくるアベルが目に入った。


「どうしてこんなところにクロコが…」


「アベル! 助けて! ボク、ボクこのままじゃ…」


 必死に助けを求めようとしてリュリュは愕然とした。



 今の自分の声は彼に届かない。



「そ、そんな…」


 もし、他の人みたいに放置されたら…



 きっと、魔素はもうすぐ尽きてしまうだろう。絶望したリュリュは、がっくりとうなだれた。



「…クロコ?」


 ぱたりと倒れたのを見て、アベルは慌てて駆け寄るとクロコを抱き上げた。



「アベル…」


 しばし険しい顔をして思案していたアベルは、やがてふむと一つ頷き言った。



「…リュリュにきっと何かあったんだな?」


 言うなりアベルはリュリュの背面から胴体を支えると、右腕を球体関節の膝下に差し入れ持ち上げた。



「きゃっ?!」


 横抱きにされたリュリュが驚くが、アベルは構わず走り出す。



「どこにいるんだろう?」


「お、お願いアベル、急いで…」


 いくらもしないうちに、リュリュの異変は手足だけでなく、意識にまで及びんできていた。



 視界が狭まり、急速に眠さを増していく。


 窓の外の生徒たちのざわめきが、遠い世界のように遠のき、かすかになっていく。



 リュリュの意識をつなぎとめているのは、アベルの腕のぬくもり、そして伝わってくる彼の鼓動の音だけだった。





 どれくらいの時が立っただろう。



 かなりの間そうしていた気もするが、リュリュには良く判らない。



「いた! リュリュ!」



 アベルの声に、リュリュはうっすらと目を見開く。



 クロコ(が入っているリュリュ)は、星見台にいた。


 空は薄暮から紫紺へと移り変わりはじめている。直に月がはっきり見えよう。



「あ…」


 ゆっくり振り向いたクロコが一瞬、ぎくりとしたような視線をリュリュに向けたが、すぐにアベルのほうを見た。



「アベル、来てくれたんだ。あはっ、嬉しいなぁ」


 そういうと、微笑みを浮かべながらアベルの元へ飛び寄った。



「ね、アベル、せっかくだしゆっくり色々お話しようよ…ね?」


「アベル…だめ……それ…ボク、じゃない……」



 リュリュが必死に止めようとするが、アベルは嬉しそうに微笑むクロコの方を向いたままだ。見上げる形になるため、アベルがどんな顔をしているか見えない。



 こんなにもすぐ傍にいるのに、自分の声は届かない…それが、リュリュにはとても悔しく、辛かった。



「お願い…わかって……アベル…」



 リュリュのかすれ声をさえぎるように、クロコはいつもアベルが聞きなれた口調で話し続ける。



「そうだ、せっかくだし、お散歩に行こうよ! この季節、風が気持ちいいから、外を歩くのも気持ちいいと思うんだ! 暗くなってきたから星もよく見えて、すごく綺麗じゃないかなぁ。あ、あとそれとそれと…」



「ねえ」



 楽しそうに喋りつづける彼女に向け、アベルは口を開いた。


「君は、誰?」



「…え?」


 クロコは言葉を失い、リュリュは息を呑んだ。それでもクロコはすぐに笑顔を浮かべると、小首を傾げて言った。



「な…何を言ってるの、アベル? ボクだよ、ボク。リュリュだよ? あ、もしかして新手の冗談のつもり…」



「ううん」


 きっぱりアベルは断言した。


「君は、違うよね」



「違う…ボク、ボクは……」


 笑顔を強張らせながら尚も言い張るクロコに、アベルは寂しそうに微笑む。



「うん…確かにリュリュの体だし、何が起こってるのかはわからないけど…でも、それだけは僕にははっきりわかるんだ」



 そうやってアベルがクロコと向き合っている間、リュリュは必死に彼の名を呼んだ。


「アベル…アベル!!」



 もしこの身体が生身なら、きっと大粒の涙がぼろぼろこぼれ出るのを止められなかっただろう。


 何故かはリュリュにも判らないが、今目の前にいる自分の中身が違うことにアベルが、アベルだけが気付いてくれたことが無性に嬉しくてたまらない。



 そんなリュリュを見て、クロコは寂しそうに顔を曇らせた。


「どうして…わたしが我が主じゃないって、わかったんですか?」



「…どうしてって…」


 急に雰囲気が変わったことに戸惑いながらも、アベルはうーんと首を傾げた。



「自分で言うのもなんですが、わたしは我が主の言動をうまく模倣できたと思っています。それなのに何故…」


「何故って言われても…判らないな。……あ」


 困ったように答えたものの、何かに気づいたように小さく声をあげたアベルはちょっと考えてから補足した。



「…うん。強いて言えば…目、かな」


 クロコが可愛らしく小首を傾げた。こうしてみると、まったく瓜二つの仕草だ。



「目…ですか?」


 だが、アベルは確信をもって頷いた。



「うん。リュリュは、普段はもっと好奇心に溢れてて、楽しいことをいつも探してて、あけすけで。そんな彼女に僕は今まで何度も支えられてきた。でも、今の君は違う。口ぶりや仕草は確かにいつものリュリュそっくりだけど…どことなく、後ろめたそうに見えたんだ。多分、それが最初に気付いた違和感なのかな」



「他にも?」


 まさか、とクロコが驚きの声をあげた。自分では主の真似に自信があったという自負があっただけに驚きが隠せない。



「うん。といっても、具体的にどこら辺と聞かれると答えに困るんだけど。やっぱり、全体の雰囲気…なのかな。一つ一つの仕草だけならすごくそっくりなんだけど」



 最後まで聞いていたクロコは小さく嘆息すると、寂しそうに笑った。


「そこまで言われたら、引き下がらざるを得ませんね。本当はわたしがあなたの傍にいたかったですが…」



 クロコの願いに、アベルは首を振った。


「…ごめん。僕にとっては、リュリュも大切な子だから…」



 はっきりそう告げられ、クロコも小さく頭を振る。


「ううん、判ってます。それに、そういうあなただからわたし…」


 そこまで言って、クロコはにっこり微笑んだ。



「もうそろそろ時間切れですね。ごめんなさい、迷惑掛けて」


 そういってアベルに抱きかかえられたままの人形に飛び寄り、クロコは背中に付いたままの補助用素材に触れる。



 他の部分がアベルに触れないよう注意しながら先ほどと同様、むき出しになった紐をしっかり握り締めた途端。


「うわっ」


 ばちっという激しい音と共に、眩い光が周囲を満たした。



 強い光の影響からようやく免れたアベルは目をしばたたかせながら手元に視線を落とす。



 そこには抱きかかえられたクロコの上にもたれかかるように、リュリュがかぶさっていた。それまでと違うのは、補助用素材が自然に外れて転がり落ちていたことだ。



「う…んぅ……んん?!」


 と、その赤毛がゆれ、むっくりと身を起こした。



 ごしごしと目をこすっていたが、慌てて飛び起きるとその両手を穴の開くほど見つめている。かと思ったら、今度は大きな安堵の吐息を吐き出した。



「よ…よかった……戻ったんだ! 戻れたよぉ!」


「…リュリュ、か?」


 アベルに問われ、リュリュは大きく頷いた。


「うわぁあんっ、ありがとうアベル、もう駄目かと思ってたよ! 本当にありがとう!!」


「あ、ああ、ど、どういたしまして…?」



 喜びの余り首元に飛びついてきたリュリュに、アベルは何ガ起きてるのかさっぱり判らずただ目を白黒させるのみだった。







 翌日、日盛りの午後。


 昼食を済ませたアベルたちは昨日の騒ぎについて話し合っていた。



「んん、今日のお茶請けは特に美味ですわ~♪」



 お茶請けはレニーがウォードから先に食われた菓子の対価として――強制的に――『貸与』してもらった特製の焼き菓子である。



 心優しい彼女は仲間たちと食べるが、食べ切れなかったら返すと約束してある。


 ちなみにユーリィンは今日も占星術の授業に出ており、リュリュも用事があって席を外していることをウォードは聞かされているが、代わりに事情を話しておいたグリューがしっかり居座っているためお菓子が残る可能性はまず無いだろう。



「それじゃあ、その後リュリュは錬金術学科のバゲナン先生にしこたま怒られたと」


 ムクロの問いに、レニーがむっつりとした顔になって頷く。


「ついでに、私とグリューも拾得物を報告しなかったことがバレて、みっちり校長にも怒られましたわ…」



 ガンドルス曰く、この学府の地下には教師にしか入ることを許されていない古代文明の遺跡が眠っているのだそうだ。


 稀に知って侵入を試みる生徒が例年わずかなりといるため、落ちた場所を秘密にすることを条件に補助用素材の所有を許してもらっている(混乱を起こした原因を放置するのはどうかと思うものの、自己責任だと突っぱねられた。要するに今後の対応という厄介ごとを押し付けられたとアベルは考えている)。


 遺跡に通じる穴はいずれ埋め立てることになるだろうが、そこから先は教師側の問題であってレニーたちがもう心配することではない。



「それで済んで良かった位だろ! そこから持ち帰ったことのせいでリュリュがえらい目にあったんだから」


 アベルの非難めいた目に、レニーは傷ついたような顔になった。



「そ、そのことは反省してますわ。ですが言い訳するなら、私たちは拾ってきたあれがそんな大それたもんだとは知らなかったんですもの。勘弁してくださいましな」



 グリューも同意した。


「大体、あんなもんが錬金術の素材になるなんてことすら俺たちゃ知らなかったんですぜ、先輩」



 開き直る二人に、ムクロが呆れたように言った。


「そもそもそんなあやふやな物を他人にくれてやるなよお前ら」


「あ、あははは…」


「そ、それはさておき、アベルもムクロもお菓子を食べる手が止まってますわよ。ほらほら、折角のお茶会なのですもの、楽しまなくては損ですわ」


「調子がいいなぁ…」


 呆れるアベルに向かい、レニーがぺろりと舌を出す。



「まあまあ、無事解決したんだからもうその話はいいじゃないっすか!」


 レニーに促されたグリューがわしっとお菓子を掴み、口に放り込んだのを見てムクロが拳骨で頬を殴った。


「お前はもう少し遠慮を覚えろ!」



 そういって無言でグリューから比較的被害の少ない物を毟りとろうとする。


 どうやらムクロはこのお菓子をいたく気に入ったようだ。



 お菓子を奪い返そうとするムクロとそうはさせじとするグリューが掴みかかっているのを横目に、リティアナがお茶を一口啜った後質問を切り出した。



「それで、あの騒ぎは結局どういうことだったの? アベル、何か知らない?」


 水を向けられたアベルは頷くと、新しいお菓子に手を伸ばしながら説明する。



「僕もはっきり理解してるわけじゃないんだけど。バゲナン先生の話によると、あの補助用素材ってどうやら錬金術の道具に特定の命令を与えることができるらしいよ。けど、そのせいで騒ぎが起きたんだってさ」



 レニーとリティアナが互いの顔を見合わせる。


「どういうこと?」


 それでも意味が判らないというリティアナたちに、アベルが頷いて説明をつづけた。



「えぇとね。これはバゲナン先生の受け売りなんだけど…クロコで説明すると、今のクロコは命令どおり戦ったり、歩いて行って見たり聞いたりする簡単なことしかできない。けれど、あの素材を利用すればもっと複雑なこと…例えば自分で考えて戦う相手を選んだり、一々命令しないでもあちこち見て回るなんてことができるようになるそうなんだって」



「へえ、そいつぁすごいですね!」


 抑えつけたムクロから奪い取った、拳大もあるお菓子を二噛みで飲み込んだグリューが感心した。


 ちなみに、あまりに食べるため、レニーがグリューからお菓子の入った皿を彼の視界に入らないようこっそり遠のけているのをアベルは視界に捉えている。



 しかし、グリュー、そしてムクロも見逃していない。



「それが使いこなせりゃ、新しい班員として戦わせることもできるってわけだ」


 お菓子の皿を引き寄せてから楽しげに笑うグリューの隙を突き、ムクロが素早く中身だけ掻っ攫う。代わりにごみを置いているのは工作のつもりか、はたまた意趣返しか。



「それがそううまくいかないようでね。実はあの補助用素材、珍品揃いの補助用素材の中でもかなり高性能なようで、細かい意思疎通が出来る代わりに、受け皿となるほうにもそれなりの性能が求められるらしい」


「なるほど…つまり、今回はクロコの性能が足りなかったため…か」


 ごみを無造作に口に放り入れ、血相変えて吐き出すグリューを無視してムクロが口を挟んだ。当然ながらすでに手に入れたお菓子は胃袋に収納済みだ。



「うん、そのせいでリュリュの意識にまでクロコの意識?が干渉したってことらしい」


「ん? それでは、クロコとリュリュの意識が交換したわけじゃないのか?」


 ムクロが不思議そうに首を傾げるのを見て、アベルも苦笑した。



「うん、そうらしいよ。僕もこの辺り、先生に何回も聞いたんだけど…ややこしいよね。先生の言うには、元々クロコには人格なんて存在していないんだ」


 アベルの言葉に、仲間たちが驚いた。



 リュリュの言動は、明らかに『クロコに意識がある』という前提だったはずだ。


「アベルが追いついたとき、リュリュはクロコとして受け答えしてたんだろう?」


 その疑問に、アベルも大きく頷く。



「うん。僕もそのときはそう感じたんだ。だけど、あのとき受け答えしてたのはリュリュなんだよ、やっぱり。と言っても、まだ判りにくいよね? えぇとね…」


 判りやすく伝えるため、アベルはちょっと考えて自分の前にあったお菓子を取り出した。背後でグリューが何か騒いでいたが、これはアベルの持ち分なので無視だ。



「この二枚重ねがリュリュで、一枚だけのがクロコとするね。上に載っているのはリュリュの人格だと思って」


 大き目の平たい焼き菓子を二枚横に並べて置き、その上にもう一枚少し小さい焼き菓子を載せる。


「人格というと…」


「僕らが普段話してる、リュリュの意識とでも言えばいいかな。何を考えてどうするとか、そんな判断するものと考えて」


「ふぅむ…霊魂のようなものか?」


 ムクロが不思議そうに呟く。



「うーん…うん、そんな感じでいいと思うよ。それで、普段はクロコは何も無い。ここまでが普段どおりなんだ。で、今回は」


 アベルは二段重ねのほうの上に載っていた焼き菓子をぱきりと二枚に割り、今度は両方の焼き菓子の上に載せた。



「リュリュの意識が、補助用素材の影響でクロコにも載った。これが、今回クロコが自分で動いた理由。つまり、クロコは自分がリュリュだと認識していた」



 そういうと、今度はクロコの上に載った焼き菓子を手に取り、また二つに割った。片方をさっきまで載っていたクロコの焼き菓子の上、そして残った方をリュリュの焼き菓子の上に載せる。



「でも、クロコの性能が追いつかなかったため、載りきれなかった分がリュリュの上に戻っちゃったんだ。ご丁寧に、自分はクロコの人格だと思ったままね」


「むぅ…。つまり、リュリュの中は元々変わらなかったが、クロコを経由したせいで一時的にクロコになりきっていた…そういうことか」


「そういうことらしいよ。今の話は全部コツラザール先生の話したことの受け売りだから、もしかしたら僕が誤解してることもあるかも知れないけど…」


 そういうとアベルは、説明に使った焼き菓子をムクロの伸ばしてきた手より素早くかき集め、口の中に放り込み噛み砕く。



「だから実際はどちらもリュリュだったと…なんだかこんがらがりそうな話ね」


 リティアナの意見にアベルも同意する。


「うん。だから実際はどちらもリュリュなんだよ。最初に先生に相談して、どういうものかちゃんと聞いていればこんな大事にはならなかっただろうな」


「んん? …少し、お待ちになって」


 それまで考え込んでいたレニーが唐突に口を挟んだ。



「そうすると、クロコが入っていたと言っていたリュリュは自分のやりたいことをやっていただけ…ということですの? わたし呼びとか」


 そう言われてみるとどうなのだろう。アベルはうーんと首を捻った。



「そうなるのかもね。まあリュリュ本人の前で確認するのも悪いから、僕はこれ以上言及しないけど…おや、おかえりダーダ」


 そこまで話したところで、ダーダが帰ってきた。



「ん…ダーダ、あなた…」


 リティアナの目が険しくなり、ダーダがその視線から逃れるように顔を反らした。



 その間、一切口を開こうとしない。


 代わりにきょろきょろ瞳だけを動かしているが、その間たるんだ頬がぷにんぷにんと跳ねている…まるで中の何かが外に押し出ようとするように。



「…おい」



 ムクロがダーダの頭を垂直に拳骨で叩く。それと連動して、わずかに開いた口の隙間から何かがべっと床に吐き出された。



「うう…し、死ぬかと思った」


 よだれで全身余すところ無くべちょべちょになっているリュリュが泣きべそをかきながら身を起こすが、ダーダはまるで彼女が今までどこにいたかなどついぞ知らぬという素振りで部屋の外へとことこ歩き去って行った。



「あー、えーと…」


 誰もがなんと声を掛けていいものかわからないでいると、リュリュはよろよろと立ち上がった。



「~~この馬鹿犬! いい加減にしろぉ! ボクは食べ物じゃないんだぞ! 阿呆犬ーーー!! …ぐすっ」


 リュリュは怒りのままに罵声を浴びせるが、すでに相手には届かない。



 泣く泣くリュリュは飛び立とうとする…が、よだれまみれの翅が浮かせられるわけも無く、すぐにべしゃりと床に墜落した。



「うううう…」


 目元に涙を溜めてよろよろ立ち上がるリュリュを見て、アベルは席を立った。



「あー…もう、しょうがないなぁ。連れて行ったほうが早いし、手伝うよ。ムクロ、悪いんだけど次の授業の先生に少し遅れるよう伝えてもらえないかな」


「おう」


 ムクロが手を挙げて応えたのを横目で見ると、アベルはリュリュを抱き上げて教室を出た。



「えっ、あ、アベル?!」


 返事するよりはやくアベルに抱きかかえられたリュリュは言葉が出ない。



「とりあえず部屋まで連れて行くからさ、着替えを用意してきなよ。それから大浴場までは連れてってやるから」



 そう言いながら歩き出したアベルを、リュリュはじっと無言で見つめている。


「ん? 何?」


 その視線に気づいたアベルは、腕の中で見上げたリュリュの顔が普段より赤味がかってるのには気付かなかった。



「ぅうん、…なんでもない」


 それだけいうと、リュリュはきゅっとアベルの胸元にしがみつく。彼の広い胸から伝わる規則正しい鼓動に、リュリュは奇妙な安らぎを感じていた。



 そして、クロコとかわした言葉を思い出し、ようやく得心したのだった。


「…なんか、今日は得しちゃったかな」



 リュリュの呟きを聞きつけ、アベルが不思議そうに返す。


「…そうかぁ? 災難だと思うけど」



 だが、リュリュは即答した。


「ううん」


 リュリュは、


「だって、ずっとわかんなかった謎が解けたんだもん」


 そう言って晴れやかに破顔したのだった。






 一方、教室に残されたムクロたちは菓子も食べ終わり、茶器などを片付け午後の授業に向けて掃除していたが。



「うーん…」


 リティアナ一人、箒を握り締めたまましきりに首をかしげている。



「なんですの、リティアナ。うんうん、お通じがきてないような顔をして」


「失礼ね。そんなんじゃないわよ!」


 レニーの言葉にリティアナが顔をしかめる。



「どうもすっきりしないのよ」


「…ほら、やっぱり」


「そうじゃないってば。さっきのアベルの話」


 そういわれ、今度はレニーが首を傾げる。



「あら? 何か変なことがありまして?」


「まあ、変なことというか何と言うか…」


 リティアナが納得できないという風に尚も首を捻っていると、こちらも見かねたムクロが尋ねた。



「何がそんなに気になるんだ? 俺もレニーと同じで、別段引っかかるところは無い様に感じたが…まあ、リュリュの内心の希望ってのがわたし呼びでした、ってのは面白かったが」


「そうか…それよ!」


 ムクロの言葉に、リティアナがぽんと両手を打ち鳴らす。



「違和感の正体はそれなんだわ」


「どういうことっすか先輩?」


 心配そうに見つめる仲間たちに、リティアナは腕組みをして説明する。



「リュリュがあの言動をとったのが、深層心理の反映だって話だけど…果たしてそれが本当なのかしら。わたしにはちょっと、考えにくいのよね」


 三人が訝しげに互いの顔を見合わせた後、リティアナを見る。



「…どういうことか判らないって顔してるわね。まあ無理も無い話しだけど…多分、ユーリィンなら納得できるんじゃないかしら」


 リティアナはようやく箒を動かしはじめながらつづけた。



「あの子、自分の感情にすごく素直じゃない? それが美徳でもあり欠点でもあるわけだけど…どちらにしろ、心に深く秘めておく、ってことはしない子だと思うの」


 そういわれてみれば…とムクロたちは納得する。



「そんな子が、アベルを騙してまで思いを伝えたい…ってちょっと考え付かないのよね、わたしには」


「だが…」


 ムクロが口を挟んだ。



「そうすると、その行動はどういうことだ? 辻褄があわないだろう」


「そうなのよねぇ」


 リティアナも、そこが判らないと首を傾げる。



 一つの答えに辿り着いたのは、グリューだった。


「なら、元からあったってことじゃねぇんすかねぇ」


「…どういうこと?」


 リティアナの疑問に、グリューが頭をばりばり掻きつつ答えた。



「うーん…俺はアベル先輩たちと違って考えるのが苦手だからなぁ…」


「いいから仰いなさいな。口にすることで、何かわかることがあるかもしれなくてよ」



 レニーに促され、グリューは大きなため息をつく。余計なことを言った、と顔にありありと出ている。


「わかりましたよ。変なことを言ってると馬鹿にして笑ったりしないでくださいよ」


 焦れたムクロがどやしつけた。



「ああもう、勿体つけるな。さっさと言え」


「へいへい。つっても別にたいそうな話じゃないっすよ。リュリュの真似までしてアベル先輩に想いをを伝えたかったのは、本当にクロコだったんじゃないか…って思っただけなんですって」


「ありえないだろう、そんなこと」


 ムクロが呆れたといわんばかりに一蹴する。



「クロコに使われている核鋼はそれなりに良い品らしいが、金さえ払えば普通に市場で買える物と変わらないと聞いたぞ。そんな機能がついてるとは思えん」


「いやまあ、俺もそうは思うんですけどね」


 グリューが困ったように補足する。



「ただ、あれって錬金術でしょ? 俺は錬金術に詳しくないから断言できないけど、昔の遺跡から拾ってきたもんのすべてが解き明かされたってわけじゃないんだし、もしかしたら俺たちが知らないだけでそういったことが起きることもあるのかもしれない…そう思ったんすよ」


 グリューの言葉に、三人は思わず黙り込む。



 言われて見れば、確かに古代文明の遺産である錬金術にはまだまだ謎が多い。彼の言う可能性がまったくの零ではないのだ。



 もしかしたら、本当に…?



 ふと、リティアナは奇妙なことを思いついた。


 確かリュリュ自身がぼやいていたはずだ。ここ最近利用が増えたせいか、魔素の消費量が微妙に増えたような気がする――と。



 それが、消費ではなく()()されていたからだとしたら。



 クロコは命令を与える際に魔素を媒介とし、術者のリュリュの意思を送り込んで操る。なら、微量の魔素がつもりつもって、術者とは別個の意志を創り上げる…そんなことが、本当に有り得ないと言い切れるだろうか?



 この奇妙な沈黙を破ったのも、またグリューだった。


「…でもまあ、やっぱきっと考えすぎですよ。だって、そんな意識があるならこれまでにだって何か反応があったでしょうしね」



 その言葉に、仲間たちも深く同意する。


「それもそうだな」


「ですわね。まったくもう、思わせぶりな言い方をするからうっかり信じ込んでしまうところでしたわ」


 その呑気な口ぶりに、つられた様にレニーたちも口々に賛同し、その後は別の話題に移りながら掃除を再開する。



 ――そうよね、そんな御伽噺みたいな話、そうそうありうるわけが無いわよね――



 リティアナも頭を振って馬鹿げた考えを追い出すと、その輪に加わった。


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