第13話-1 隠し遺跡の三馬鹿
闇の中、目を覚ましたとき最初に気付いたのは、どこにも痛みが無いことだった。
意識のなくなる前、結構深い穴に落ちたらしいことだけは覚えている。何故…?
混乱する頭を落ち着かせようと軽く頭を振る。そのときにふと後頭部が柔らかく、暖かいものに包まれていることに気付いた。 微妙なぬくもりと柔らかさが心地よい。
なんだろう?
草の褥にしては決め細やかな感触がある。
おまけに、微妙にしっとりとしていて、かつ緩やかに上下しているようだ。そもそも穴に落ちたのに、草が底にそう都合よく生えるものだろうか?
その正体が気になったことで逆に気持ちが落ち着き、これからどうするかに思案をめぐらせることが出来るようになった。
まず、周りがまったく見えない。
視界を確保するのが先決だ、そう判断し目を瞑ることにした。
過日山篭りから帰ってきたアベルが、暗闇の中では下手に目を凝らすよりも一度目を完全に闇に慣らしたほうが良く見えると言っていたのを思い出し、実行したのだ。
…………よし、もうそろそろ十分暗闇に慣れたはず。
そう判断し、ゆっくり目を開いていくとまず目先に手を差し上げる。
周囲はまだ真っ暗だが、それでも手の輪郭を把握することはできた。これなら問題無さそうだ。
そして、そのまま目だけ動かして周囲を確認する。視界に入ってきたのは豊かに膨らんだ肉の盛り上がりだった。
「これは…」
独り言が自然と洩れる。その声はしんと静まり返った空間に飲み込まれてしまった。
何だこれは…そう考えながら身を起こし、自分が今まで頭を置いていた箇所に目をやる。そこは、大きく開いた股間の真上だった。
「うわあああ!」
反射的に硬く握った拳が中心部めがけて振り下ろされる。
遅れてグリューの魂消る悲鳴が闇を切り裂き木霊した。
はじめはむくれていたレニーも、ずっと地面を七転八倒しながら地の底から響くような惨痛のうめきをあげつづけているのを見て多少は罪悪感を覚えたようだ。ダーダも脂汗にまみれる彼の顔をべろべろと舌で舐めてやっている。
「…悪かったですわ」
ようやくグリューがまともに喋れるようになった頃合を見て、レニーが謝罪した。
「でも、あなた方も悪いんですわよ。その痛みは人が楽しみにしているものを奪った報い、そして何より汚らしい物を私の顔に押し付けた咎と知りなさい」
「…別に俺が好き好んで押し付けたわけじゃ…あっはい」
鋭い眼光にグリューは押し黙った。
単なる力押しなら負けない自信はあるが、彼女の機動力や天幻術の応用力などを見るに分が悪いとこれまでの追いかけっこで痛感している。確かに以前アベルが言ったように、一筋縄ではいかないようだ。
決して、怯えたから黙ったわけでは、ない。
「ダーダ、あなたもです。次同じことをしたら…もぎますわよ」
こきこきと鳴らした指を見たダーダがひゃん、と情けない悲鳴を上げる。
もがれまいとダーダが慌てて後ろに隠れるが、それに何か言うこともなくグリューは周囲をぐるりと見渡した。
「ところで…ここ、どこだ?」
「さあ?」
レニーの即答に、グリューは呆れ顔になる。
「さあ…って、あんたこんなどことも知れない場所で呑気に気絶してたのかよ」
「好きでしてた訳じゃありませんわ。そういうあなたも同じことではなくて?」
「…気絶はそうだけどよ。俺が知る訳無いだろ? まだ入学して一月しか経ってないんだぜ」
「あら。たった一年前入学した私がアグストヤラナの隅々まで知っていると決め付けてるくらいですもの、そういうあなたきっとさぞや色々お詳しいんでしょう?」
レニーにやり返されたグリューは口の中でいやとかしかしとかもぐもぐ何かを呟くしかできない。
「さて、それはともかく困りましたわね」
そういって上を見上げる。
「これでは、ここから飛んで帰るという訳には行かなさそうですわ」
彼女たちが落ちてきた穴は大分遠くに見えた。ざっと見ても校舎より高いところから落ちたにも関わらず、誰にも怪我が無かったのは幸いだ。
「そうか? あれくらいなら飛べるだろ。まあちょっと回りが見づらいから注意しないとだけどよ」
穴の先には夜空が広がっており、そのためあたりは真っ暗だ。ずいぶん長い間気絶していたようだ。
「私たちだけならそうですけれど…」
そういうと、傍でくつろいでいるダーダに視線を向ける。自分に注目が集まってると気付いたダーダが一声吼えた。
「ダーダを抱えて跳ぶのは貴方と言えども無理でしょう?」
「…俺一人でかよ」
「当たり前ですわ、私これ以上汚れたくありませんもの」
レニーはきっぱり言い切った。
「まあそれ以外にも、私ではそもそもこんな重いの抱えて飛べませんわ…槍も持っていますし。そう考えると、あの穴から出るのはさすがに厳しいのではなくて?」
何せダーダは控えめに見ても、ちょっとした巨体だ。グリューもその意見には納得せざるを得なかった。
「ですから、まずは出口…あるいは、手が届くほど天井の近いところを探しましょう。あそこから出るのは、それらが無かったことがわかってからでも充分ですわ」
「…なあ、俺か先輩がひとっ飛びして助けを呼びに行けばいいんじゃねえの?」
我ながらいい考えだとグリューは思ったが。
「駄目ですわ」
きっぱり断られた。
「なんでだよ?」
少し傷ついたように尋ねるグリューに、レニーが白い目を向けた。
「お忘れ? あなた方があちこち逃げ回ったせいで、ここがどの辺りか判らないでしょう? 明るければ目印も見えますけど、この暗さじゃ無理でしょう? ここから出て校舎に戻れたとして、その後ここにきちんと戻ってこれる自信はありまして? それにここがどんな場所かも判らない以上、漫然と待つのも憚られますわ。それを採るなら、最後の手段ですわね」
しばし思案してみて、反論を諦めたグリューは両手を挙げた。
「まあ…その通りだぁな」
「ユーリィンかリュリュがいればまた違ったでしょうが、ここにいないのに考えても無駄ですわね。納得いただけて?」
「してるって。んで、賢いレイニストゥエラ先輩はまずはどうするね?」
「そうですわね…ああ、そうだ」
天井を見ながら少し思案していたレニーは、視線を下げた。
「ダーダさん、あなたも犬の端くれなら臭いでどこかに繋がる出口みたいなのを探せませんの?」
ダーダは抗議する素振りも見せず、一言短く吼えるとあちこち向きながらふんふんと鼻をひくつかせはじめる。ほどなくダーダはゆっくりとではあるが歩き出した。
「出口を見つけたのか?」
「さあ…でもついていってみましょう」
他にやることもないし、と付け足すとレニーはすたすた後を追う。
「へいへい」
うんざりしたような表情でグリューが後につづいた。
「どこまで行くんだろうな、そのアホ犬は…あいてっ」
暗闇の中で何かに躓いたグリューが毒づく。
真っ暗闇の中を移動しているとどの辺りを移動しているのかわからなくなる。レニー、そしてグリューともども前を行く者の薄ぼんやりとした影だけが頼りだった。
延々と下っていたようだったが、いつの間にか足元が平らな棚の上に出たようだった。
すぐ傍に巨大な岩壁が立っているも、行く先と来た方とでゆったりと湾曲している。岩壁に手を付きながら何度も右に左にと曲がるうち、道幅がだんだん狭まってゆき、やがて彼らの眼前に巨大な金属の壁が立ちふさがった。
「なんだ…こりゃあ…」
グリューがあんぐりと見上げた。
暗くてよく見えないが、壁はずっと上に伸びている。どうやら大分下ったらしい。下をと見れば地面に潜り込んでおり、自然に出来たものではないことがはっきり判った。
「すごいですわね…何かの遺跡かも」
レニーが感に堪えぬとばかりに嘆息した。
「…この学府に、ですかい? しかしなんでまた」
返事を期待していないグリューが壁を拳で叩くと、鈍い反響音が返ってきた。
「こいつぁかなり分厚いみたいだなぁ…どうする? 行き止まりみたいだし、さっきのところまで戻るか?」
答えを出す前に、レニーは気付いた。
「いや…お待ちなさい、ダーダがまだ歩いてますわ」
それまでと違い、何かを探すように壁に沿って歩きながら鼻をひくつかせている。と、少し行ったところで足を止めると振り返り、二人を呼ぶように一声吼えた。
「こいってことか? やれやれ、人使いの荒い犬だぜまったく」
近寄ると、ダーダは今度はレニーの腕に鼻先を当てる。次いで、傍の壁にこすり付けた。その辺りに視線を向けると、注意するまで気づかなかったが親指大の不自然に整形された突起物を発見した。
「あら…何かしら、これ」
そっと手を触れると、微妙に弾力がある。思い切って押してみると、かちりと微かな音が鳴る。同時に先ほど通り過ぎた壁に変化が生まれた。
「おわっ、な、何事?!」
グリューの眼前で、それまで何も無かった壁面に縦線が引かれる。その線は土の粉を降らしながら幅を増やしつづけ、やがてグリューたちが並んで入れるほどの大きさまで真四角の口を開いた。
「な…なんだこりゃあ?」
その先の光景に、グリューがまた驚く。レニーもまた、驚きに言葉が出なかった。
眼前には通路が広がっている。何故そんなことが判るかと言うと、周囲の壁の異様さにあった。
あちこちが、赤、青、黄色と鮮やかな光で明滅している。決して激しい光では無いが、それでもまばらに配置された光源のおかげで比較的遠くまで見渡すことが出来た。
「あっ、ダーダ?!」
静止する間もなく、その中へダーダが駆け込んでいく。巨体に似合わぬ素早さで、早くも廊下の奥へ姿を消した。
「…行きますわよ」
「ええ?!」
「ダーダさんが入ったのですから命に別状はないはずですわ。ここでじっとしていても仕方ない以上、先に進むべきでしょう?」
「まあ…そりゃあ、そうだが…」
「あらあら、怖気づいたのですの? そんな大きな図体しているのに。それじゃあお先に失礼いたしますわ」
「ちぇっ、でかかろうが小さかろうが、怖いもんは怖いんだよ…」
そういってにやにや笑いながら先に入ったレニーを、グリューはぼやきながら後を追った。
おっかなびっくり、一歩ずつ足元を確かめながら踏み入れた二人がまず最初に気付いたのは、空気の違いだった。
この洞穴には、古い遺跡にありがちなカビや埃の匂いがまったく無い。どちらかと言えば新しい金属の臭いのほうが強いくらいだった。
また、壁自体も謎の素材で出来ている。
それなりに硬いが、岩や金属ほどの硬さはないように思える。だのに、刃がほとんどめり込まない。その癖爪を立てればその痕がつくが、指を離せばすぐに元通りになる…といった妙な弾性があった。周囲の壁自体もこれまでに馴染んだ岩壁と違い、入り口同様分厚い金属の壁をすっぱり切り落としたようになっている。
灯りとなる光源にも驚かされっぱなしだ。
コツラザールの採取授業で洞窟の中で発光する物についても触れたことがあったが、その授業で触れた発光苔などと違うのははっきりしている。発光しているのは壁に埋まっている窪みからであり、しかも透明の覆いが被さっている。岩の上に生え、触るともげる苔とはまったく別物だということまではレニーにもかろうじて理解できた。
「だ、だめだこいつ…かってぇ…」
ちなみに発光体を取り出せないかと爪を立ててみたグリューだが、剥がれそうになって諦めた。
その窪みの奥で何かが光っているのは判るのだが、硬くて透明の覆いに覆われていて手を出すことができない。レニーも槍で抉り出せないかと試してみたものの、隙間に突き立てられるどころか刃先が欠けたのに対し、覆いには傷一つ付けられなかった。
「…きっとこれは危険な生き物の殻なんですわ。刃物も通さないくらいですし、捕まえられない方がきっと安全でしてよ」
怒りと悔しさをにじませながら言ったレニーの言葉に、グリューも大きく頷く。
「…そろそろ行こうぜ。こんなのにいつまでも構ってられるかってぇの、アホくさ」
「まったくですわ」
紛らせようの無い徒労感を抱えたまま、二人は再びダーダの追跡を再開した。




