第12話-2 食い物の意趣は恐ろしい
「待ちなさーい!」
「待てと言われて待つ奴はいねぇんすよ!」
日が傾きかけた頃になっても二人と一匹の鬼ごっこは続いていた。
他の生徒ならもうとっくに終わっているところだが、逃げる方は体力溢れる竜人と化獣、追う方は空を自由に移動できる天人だ。学府内では収まらず、文字通り縦横無尽に裏山を駆け回っていた。
それでも、物事に終わりというものは必ず来る。
裏山の中腹辺りを逃げ回っていたダーダの足が止まった。
辺りは一面草木が生い茂っていて、屈めば姿も隠してくれる。裏山のどの辺りまで来たか判らなくなっていたが、グリューが上空へ飛べさえすれば大体場所は把握できよう。
しかし、迂闊に飛ぶと見つかってしまう。
まずは逃げ延びることが先決だ。
「ああ…腹、減ったなぁ…」
グリューが呟き、恨めしそうに道連れを見やった。
下手に走り回ったせいですでに激しい空腹を覚えている。この男、腹持ちの悪さはダーダとどっこいどっこいだ。
「まったく、お前のせいでとんだ厄日だぜ、まったく!」
自分のことを棚にあげ殴ろうとするが、ダーダも大人しくやられるたまではない。ひらり、とその巨体に似合わぬ華麗な動きで避ける。しかもかわしただけでなく、唸り声をあげつつその腕に噛み付いた。本気でないらしいが、それでも痛いものは痛い。
「いでででで! この畜生が、俺の腕は食いもんじゃねえぞ!」
ダーダのだだっ広いおでこめがけ、ごんごんと力の限り空いている拳を振り下ろす。その痛みに、ダーダも一層噛みつきに力がこもった。
「こ、この…いい度胸じゃねえかこのクソ犬! なんならてめぇを食ってやろうか!」
グリューの罵声に、ダーダは唸り声で応える。
こうなればお互い意地だ。何から逃げていたのかも忘れた二人は互いに死力を尽くして殴りつづけ、あるいは噛み付きつづける。いつ終わるとも知れない不毛な争いはしかし、すぐに終わりを迎えた。
「みぃつけた」
まるで冷や水を被せてくるような声。恐る恐る見上げたグリューたちは、見た。
「だめですわよ、勝手に潰しあわれては。私が自ら手を下さなくてはならないのに」
夕日を背にして優雅に羽ばたく処刑人の姿を。
その口元は、夕日で逆光となっているにも関わらず耳元まで裂けているようにグリューたちには見えた。
「や、やべえ! クソ犬、ここは一先ず逃げるぞ!」
ダーダもわう、と同意を示す。そのままきびすを返して逃げようとしたグリューとダーダだが、どちらも持ち上げたはずの足が上がらず勢いを付けてびたーんと顔から地面へ突っ伏した。
「あらあら…折角見つけた獲物ですもの、逃がしはしませんわ」
すぐに地面を通した水の冷気で、足元から氷漬けにしたのだとグリューたちも気付いたが後の祭りだ。
槍を大上段に振りかぶり、レニーが高く跳ぶ。
ご丁寧なことに、槍の穂先には氷で刃渡りがダーダの全長ほどもある馬鹿でかい鎌が造られており、夕焼けを照り返していた。
「それでは、まずは…これは私の紫蔓の分っ」
「ま、まてっ、それは死ぬ! さすがに死んでしまうから!!」
落下の勢いをつけるため更なる高みへ羽ばたいていくレニーに、グリューの必死な懇願の声は届かない。
「大丈夫ですわ、死にはしませんわよ。死ぬほど痛い思いをさせるだけでしてよ」
「嘘付けっ! 痛い思いするだけじゃすまないだろそれ!?」
馬鹿でかい鎌を上空から勢いと体重を込めて振り下ろされたらどうなるか…その想像に青ざめたグリューは慌てて足を地面から引き剥がそうとあがく。ダーダも同じ危機感を抱いたようで、必死に足踏みして拘束を解こうとするも。
ぱきり。
「ん?」
ふとグリューは何か乾いたものが割れるような音を耳にした。
同時に自分達の体が沈みこんだのが足から伝わってくる。
といっても地面にゆっくりめり込むような感じではない。どちらかと言えば、それまで支えていてくれた薄い板が足元で真っ二つに割れたような感触だ。
「お、おおお? じ、地面が…?!」
このままでは落ちる!
とっさに判断し、皮翼を披いて体を浮かそうとするが。
「な、なにぃいい?!」
「ばうるるるるっ」
「おいいっ、ふざけんなぁああっ」
「くらいなさいいっ、紫蔓の仇ぃぃっ!」
おいていかれまいとダーダがグリューの足に噛み付き、そのせいで体勢が崩れたところへちょうど勢いづいて突っ込んできたレニーが飛び込んでくる。
偶然、抱きかかえる形で三人はもつれ、一塊になった。
鎌の刃は狙っていたところを大きく外し、ぞりっと小気味いい音を立ててグリューの頭の上を擦過して地面に深々と突き刺さる。
そしてこの一撃が完全に止めとなったようで、ばきゃあっと凄まじい音と共に足元が消失した。こうしてレニーが激突した勢いそのままに二人と一匹は悲鳴をあげながら、ぼっかり大きく口を開いた足元の穴に落ちていったのだった。




