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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
二年目
43/150

第12話-1 ただいま情報整理中



「あ、そうですわ皆さん。再来週からの授業について、今後のことを話し合いたいのですがけどよろしくて?」



 季節は代わり、夏の真っ盛り。


 昼食を終え、食後の茶菓子を囲んでいるときにレニーが口を開いた。



 リュリュが首を傾げる。


「ん、なんかあったっけ? 受けた依頼はもう済ませたし、試験はまだ先だし、クゥレルたちに渡す分もすでに確保した…後はグリューの餌の分だっけ?」


「それもそうですが違いますわよ。私が聞きたいのは」


 仲間たちを一度見渡してから、レニーは言葉を続ける。



「二年目の夏…来週から、様々な講義が細分化されて本格的に開始しますわよね? それをどう受けるか、お互い聞いておく必要があるんじゃないか、ってことですわ」


 真っ先に理解したのはユーリィンだった。



「ああ、受ける予定の講義をすり合わせるということ?」


「ええ、私たち全員の活動にも良い影響が出るように組み合わせたほうがよろしくなくて?」


「うーん…そんなに重要なことなの?」


 まだよくわかっていないアベルに、レニーはうなずいてみせる。



「それは当然。最終的な目標は各人で決めるべきだと思いますわ。でも、受ける授業がてんでばらばらだったら、今後一緒に行動し続けるのが大変かも知れないでしょうし、かといって逆に同じ授業ばかりでも班全体で見ると無駄になってしまうでしょう?」


「そりゃ…まあ、そうだね」


 そう答えるアベルを、レニーは白眼視した。



「アベル…あなた、もう少しちゃんと将来のことを考えておいた方がよろしくてよ。まさかとは思いますが、これからもずっとここで芋を掘って生きていくつもりじゃないでしょうね?」


「う…」


 そう言われてみれば確かに、深く考えていなかった。



 それまでの人生において、狩りをするにしても自分ひとりか、或いは祖父と一緒に行ってきた。ここに来てからにしても日々の鍛錬に一杯一杯で、そこまで余裕をもって将来について考える時間が無かったためだ。



「そうね。アベルは特に、この学府に来ること自体が目的だったみたいなんだから。この機会にしっかり考えておいたほうがいいんじゃないの」


 有無を言わせぬ口調でリティアナも補足する。痛いところを突かれたアベルの顔にさっと赤みが差したが、彼は「判ったよ」とだけ答えるに留めた。



「それじゃあ、まず決めないとならないのは…おおまかな進路ってことね」


「戦士学科とかの?」


 アベルの疑問に、それまで果実の後味を楽しんでいたムクロがうなずいてみせる。



「そうだな。ディルが終戦宣言しない限り、今後は外でも敵対者と相対する可能性があると考えておいたほうが良いだろう。その構成を前もって固めておければ、授業も無目的に受けなくて済むな」


 ムクロの言を継いでユーリィンが頷き、アベルに向けて説明を続ける。



「この場合、リュリュを例に挙げるなら、彼女の特性や能力から後衛以外はありえない。その上で、得意とする錬金魔法を専攻することになるわね。遺跡の罠に錬金術が使われていることもあるし、その対処を覚える”錬金術師”が相応しいわ」


「なるほど、確かにリュリュらしい立ち回り方だな…ん? そういえば何故煉気術とか錬金術は一年から教えないんだ? リュリュは入学前から使えてたのに」


 その質問にはリティアナが答えた。



「アグストヤラナでは未経験者は暴発などの危険性を鑑みて、練金術は二年次から、煉気術は三年次から受講可能になってるわ。先に基礎を徹底的に身につけさせるってことが学府の方針なの」


 それを聞き、アベルは目をひん剥いた。



「え、そうすると今のリュリュの技術はほとんど独学って訳か? すごいな」


「えへへ~、すごいでしょ!」


 リュリュはほめられてまんざらでも無さそうにしている。



「というか術の基礎座学は一年次でアベルも受けたはずでしょ。そのときに職業学科との関連性についても説明されたはずよ?」


 横目でじろりと睨まれたアベルは困ったように頬を掻いた。



「えーと…ごめん、ほとんど覚えてない…」


 アベルはがむしゃらに鍛錬をしていたせいで、座学の時間はほとんど居眠りしていたか疲労と眠気からくる睡魔と闘っていたため、天幻術の基礎はまるで頭に残っていなかった。



「あのねぇ…魔法は職業学科の選択の重要な指標なのよ? ついでに確認するけど、他に魔法の座学について自信ない人はいる? …ああ、いたんだ」


 ムクロもちゃっかり手を挙げている。稽古疲れが原因で聞いていないアベルとは違い、こちらは単に興味なかったから聞いていなかったためだ。



「しょうがないわねぇ。…リュリュ、ざっとで良いから魔法について説明してくれる? 魔法についてはあなたの方が分りやすく説明できるでしょ? その後はあたしが説明するわ」


「ん、わかったー」



 ふいっと飛び上がり、テーブルの中心に降り立ったリュリュ。彼女へ講師役を委託したユーリィンは、この間にお茶の準備をしてくると言い残し部屋を出て行った。


「これはボクも受け売りなんだけどね。えーとね、魔法と括られる術法の形態は、大きく分けてこの世界では三種類あるんだ。それらは天幻術 、煉気術 、そして 錬金術って呼ばれてるの」



 親指と小指を折り、三本指を立ててみせるリュリュ。そのうち、薬指を折った。


「そのうち、ボクが使ってる錬金術はまったく別の体系だから、それは後で説明するとして…さて、それ以外の二つなんだけど…はい、ここで問題! この二つに共通することって、なんだと思う? はいっ、今にも寝そうなアベル君!!」


「えっ、えっ?! そ、それは…うぅん、何だろう?」


 急に名指しされて驚くアベルの動揺を楽しむように、リュリュはにやにや笑みを浮かべている。



「ちっちっち…ざーんねん、時間切れです! っても、知らないんならしょうがないか。答えは、この二つは『同じモノを媒介としてより大きな力を発動する』という特徴があるんだよ」


「へえ…」


「この世界には至る所に目には見えないけど、“魔素”ってのが満ちてるんだ。それに、適切な言葉で語りかけることで好きなように使える技術が、魔法なんだよー」


「へえ…ん? でも、それならわざわざ分類なんてせず全部一くくりにしてもいいんじゃないか?」


 アベルの疑問に、得たりとばかりにリュリュが笑みを浮かべた。



「んっふっふー。それが、そうもいかないんだよ! まず、魔素は誰もが自分の体にあるものを最初に使うことになるの。で、その働きかける先によって変わるんだ」


「…どういうこと? さっきは至る所にって言ってたじゃないか」


「あわてないあわてない、そこもちゃんと説明するから。まず、天幻術。これはいったん自分の中の魔素に働きかけてから、それを触媒として外のすべてに向かって働きかけるんだ。大きな力をいきなり動かすのはすごい大変だからね」


「んーと…焚き火を熾すのに、まずは小さな種火をつけてから大きな枝を燃やす…って感じ?」


 アベルの合いの手に、リュリュは嬉しそうに大きく頷いた。



「そうそう、正にそういう感じ! 雷落としたり、火をつけたりね。で、発動させることが出来ればあとは外にある大量の魔素を利用できるから、理屈ではそこに魔素がある限り想像できることはなんだって出来ちゃう!…と言っても、そう上手くいくもんじゃないんだけどねー」


「ふむ…それが祝福か」


 ムクロの言葉に、リュリュが頷く。



「そう。生まれもっての神々の祝福が必須なんだ」


「つまり、適正が無い奴は使えない…と」


 アベルががっくり肩を落とした。



 彼は入学後最初の天幻術の授業で、祝福を与えられていないと明言されている。


「まあね。しかも祝福された神様によって出来ること出来ないことが大きく存在するし、もっと言えば何ができるかもその人の資質次第なんだ。少なくとも、人の身で大きな力を自由自在に扱えたのは、昔話に出てくる、創造神様と一緒に邪神と戦った神魔様くらいじゃないかな」


「なんだよ、制限ばっかりじゃないか」


 口を尖らせたアベルに、リュリュは頷いた。



「そんなもんだよ。世の中そう都合いい話ばかりじゃないってことだね。それに大きな力が使えなくても、使い方によっては十分便利なんだよ?」


 と言われても、元から持てない物の便利さを説かれてもどうにもならない。アベルは先を促した。



「天幻術についてはもういいよ。次は?」


「はいはい。次は煉気術だけど、これは自分の中にある魔素を使って、自分の身体を頑強にしたり力を強くしたり出来るんだよ。極めると、外に向かって放つこともできる――校長がレニーの水球を弾いたときみたいにね」


「それは便利そうだな」


 興味を持ったのか、ムクロが身を乗り出してきた。



「うん。こちらの方は、それなりに魔素を持ってる人なら訓練することで身につけることもできるから、天幻術よりは使いやすいと思う。ただ、問題点もあるよ…ほい、あんがと」


 ちょうど戻ってきたユーリィンからお茶を受け取り、一口飲んでからリュリュはつづけた。



「まず、自分の体を強化できるって言っても限度はあるから。よっぽど鍛えぬいたなら別かもだけど、鋭い刃物は当然刺さっちゃうし、息継ぎしないで泳げるようになるって訳でもない。それと、自分の体の魔素を使い切っちゃうとしばらく動けなくなるし、酷いときになると死ぬこともあるんだって」


「…なるほど。乱用できるものでもないのか」とアベル。



「うん。あと、外に放出するにしても純粋な破壊力と言う点では天幻術に比べて格段に威力が落ちるって問題もある。天幻術は外部に無限にある力を使ってるんだから当然だよね」


「ふむ…だが、考えようによれば外部の影響を受けにくいって利点もあるか…」


 考え込むムクロを尻目に、リュリュの講座はつづいていく。



「それと、種族的な問題もあるんだよ。森人の感覚が優れているのは体内の魔素を自分の強化に回す能力が生来優れているおかげなんだそうだけど、煉気術も同じように体内の魔素で肉体強化を行う術だからね。お互い干渉しあってしまうらしいんだ。だから、実は森人であるユーリィンは煉気術とは相性が悪くて使えないの」


 何か得るところがあったのか、ムクロは何度もうなずいている。アベルにとっても判りやすく、改めて聞いた価値はあった。



「そして最後は…錬金術だね。よしっ、じゃあおいで、クロコ!!」


 ぱちんっとリュリュが指を鳴らすと、彼女の眼前の空間がぶぅんとひずんだ。一瞬後、そこには以前の模擬試験などでリュリュが愛用している戦闘人形が腰掛けていた。



「あ、それ…!」


「そう、この子がボクのクグツ、『クロコ』なんだ!」


「へえ~…」



 思わずまじまじ見つめてしまう。


 整った顔は今は目を瞑り、力なくうつむいている。耳の後ろに短くたらしたお下げだけでなく、身につけている長外套、そして目深に被った鍔広のとんがり帽すべてが名前の示す通り黒一色に染まっていた。


 以前見かけたときは遠くから、あるいはすぐに戦闘に入ったので、こうしてじっくり間近で見るのははじめてだ。



「改めてみるとやっぱり人形、だな……すごい造りこまれてるけど」


 アベルが思わず頬にそっと触れた。



 見た目幼い少女のようにしか見えない造作だが、長い裾からわずかにはみ出て見えるくるぶしが球体関節になっていることと、これまた長い袖から飛び出ているのが人間の手ではなく、クロコの身長ほどもある二対の太い金属製の鉤爪であること、何より頬を触る指に返る硬い感触から人間でないことが分る。



「うん。こんなもんでいいかな…よっ、と」


 一瞬リュリュの身体を包んだ赤い光が移ったクロコは、光が収まるとぱちりと目を覚まして立ち上がる。そのままとことこと食卓の上を歩いたり簡単な踊りを踊って見せたが、その動きはまるで生きていると思わせるほどに滑らかだった。



「ほお…改めてみるとすごいな」


「うん…これも魔法なの?」


「すっごい広い意味でね」


 ぺこり、とお辞儀したクロコを元あった場所へ戻しがてら、リュリュが説明する。



「ボクの使ってるクロコをはじめとする錬金具は、高濃度の魔素を圧縮させて造られた『核鋼』と、同じく高濃度の魔素を含む特別な鋼材――『素体』って呼ばれてるんだけど――の二種類を組み合わせて造られるモノなんだ。クグツってのはその際出来上がった物の分類名の一つなの。他には、たびたびお世話になった転送球も錬金術なんだよ」


 リュリュの言葉にアベルはびっくりした。



「え? でも、見た目ぜんぜん違うじゃないか」


 方やただの玉っころ、方や精巧な人形――まったく見た目が違うではないか。だが、リュリュの判りやすい解説を聞いて氷解する。


「それはね、組み合わせに使った核鋼と素体が違うからなの。核鋼は簡単な命令が組み込んであってね。転送させることを含まれた核鋼を使い捨ての素材に組んで使うと、使い捨ての転送球になる。一方で、戦闘人形の形を採るように指定された核鋼が、それ用の素体と組みあげられたのがクグツなの。組みあわせ方によって、その品のできることや、見た目が大きく変わるんだよ」



「そういう性質があるのか、なるほどなぁ…じゃあ、例えば転送球用の素体に、クロコの核鋼をくっつけたらどうなるの?」


「多分、まず起動すらしないだろうね」とリュリュが即答する。



「あの核鋼はそれなりに大量の魔素を使うから、転送球用の素体だとクロコの頭くらいしか作れないと思う。質にもよるけど、大体は素体の見た目どおりの大きさくらいにしかまず変わらないと思っていいよ」


「なるほど、用途と素材によって変わるってことか。それと、さっきリュリュが赤く光ったのはなんで?」


「うん、いいところに気付いたね。あれは、ボクの魔素をクロコに注いで動かしてたんだ。『動け、踊れ』って命じてね。だから、厳密には天幻術の理論も応用してると言えるかな」



 そう説明されて、アベルはぴんときた。


「じゃあ錬金術と他の術の違いって、魔素だけで動く技術かどうかってことか?」



 その通り、とリュリュは大きく頷いた。


「そ…」


「そう。錬金術は、『遺跡から発掘された技術で生み出されたモノ』あるいは『それを動かす遺跡の技術』、『その運用方法』を広義で総称してるの。だから、術とは銘打ってあるけど魔素を介する他の二つとは毛色が違うから区分けされるってわけ」



 だが今度は代わりにユーリィンが補足する。 その手にはいつの間にか、台所から持ってきた皿が載っていた。


「まだ話はつづくし、これでも摘みながら話しましょ」


紫蔓(むらさきかずら)の実! いいですわね!!」



 仲間たちが受け取った皿の上には、さっきまで井戸水できんきんに冷やされていた、瑞々しい紫蔓の実が鈴なりに生っている房が乗せられている。レニーが特に気に入っている果物だ。



 真っ先に受け取ったレニーはすらりとした細い指で一粒つまみ、丁寧に皮をむくと口の中に押し込むようにしてゆっくり食べている。



「よく冷えていていい感じ…ん~、実に美味ですわ♪」


「僕は面倒くさいわ渋いわでこれあんまり…」


 紫蔓は彼女のように、鈴なりについているのを一粒ずつ上品に皮をむいて味わうのが本来の食べ方なのだが、アベルは一々皮を剥く手間が掛かるからあんまり好きでは無い。


 無造作に掴んでまとめて口に放り込み、皮ごともっちゃもっちゃと咀嚼するアベルを白眼視しながら、レニーは新しい粒の皮を剥きはじめた。



「さて、ここまでで学府で学べる魔法については大まかに理解できた?」


 アベルはこくこくと頷く。今口を開いたら渋みですべて噴出してしまいそうだ。



「それを踏まえた上で、今後どうするか…職業学科を選ぶことになるわけだけど。職業学科には強制的に魔法や技能の講義を習得しなくちゃならないものもあるから、しっかり考える必要があるわ」


 ごくり、と音を立てて飲み込んだアベルが茶で渋みを押し流してから口を挟んだ。



「…でも、今までは魔法についてだけの話じゃないか。それだけだと判断できないんじゃ?」


 最後に紫蔓の実を受け取ったリティアナが助言する。



「そういう場合は逆に考えるのといいわ。あなたたちでも、班内で各自が担う役割があるでしょ? そこから考えてみるとわかりやすいと思うわよ」


 リティアナの言葉に、ムクロがつづけた。



「すると…まず、前に立って攻撃を裁いたり、直接敵を殴る前衛。後ろに待機して仲間を回復したり、魔法や飛び道具などで攻撃する後衛。その中間に位置し、戦況に応じて前に出たり、その位置から攻撃したりする中衛…だいたいそんなところか?」


「そう、そういう考え方で間違いないわ」


「後期の学科はそれに応じて代表する職業名を冠した細分化がなされているんだったな。魔法に関しては、その職業学科で何を補足したいか…で考えるといいわけか」


「なるほど、そういうことなら判りやすい…のかな?」



 アベルも納得したところで、リュリュが手を挙げた。


「で、ボクはさっきも言われてたけどクロコで擬似的に中衛を増やしたり、あとは炎の天幻術で援護する戦い方になるかな。リティアナと同じような感じの立ち居地になるよね。ボクはここで『錬金術師』として練金魔法を極めるんだ!」



 次いでレニーも口を挟んでくる。


「私もどちらかというと後衛ですわね。槍はありますが、前に出るというより後ろから攻撃するとか、後ろからの攻撃を裁くためと考えたほうがいいでしょう。科は…『槍術師』か、『天幻術師』か…今のところは平行して学べるだけ学んでみるつもりですわ。幸い被る講義も多いですし」



 そしてムクロが自分の考えをまとめた。


「そういうことなら。前衛の俺が魔法を習得するとしたらまず煉気術だな。後は闇の天幻術にも聊か適正があるらしいから、それを伸ばすつもりだ」



「闇の天幻術は面白い使い方ができるそうだから、夢が広がるわね。で、あたしは魔法は風の天幻術に絞ることになるかしらね。科に関しては、デッガニヒさんから個人教授で伝授されることになってるから、特殊な形で登録されるみたい。名前をつけるなら『刀術師』ってとこかしら?」


 一通り全員の進路も聞き終え、アベルは嘆息した。



「なるほどなぁ…」


 みんなしっかり考えていることにアベルはどことなく置いていかれたような気持ちを味わっている。考えてみれば当然のことで、むしろ学府に入ることだけを目標としていたアベルの方が異端なのだから仕方ない。



「アベルは剣があるもんね?」


 そんなアベルを気遣ったリュリュがふわりと肩に腰掛けたが、すぐにユーリィンにたしなめられる



「だめよリュリュ。それはアベルが決めることなんだから」


「わ、分ってるよぉ」


 彼女が元の席に戻ったところで、ムクロも口を開いた。


「確かお前の荷物に半弓もあったな。お前が中衛でも俺は構わんぞ?」


「だからあんたも余計なことを言わない。これは、アベルがどうしたいかに関わるんだから」


「どうしたいか、か…」


 それなら、答えは出ている。


 ちら、と横目でリティアナを見て、アベルは仲間たちに向き直った。



「仲間を守るために前に出る、そんな科があればそれを選びたいな。リティアナ、そんな科は無いかな?」


「うぅん…そうねぇ…」


 その言葉を聞き、リティアナは少し目を瞑った。


「なら、『盾騎士』か『王騎士』かしらね。『重戦士』とも迷ったけど、これはどちらかといえば前線で敵を叩くことが重要だからグリュー向けね」



 レニーも口をさしはさんできた。


「盾騎士と王騎士だったら多分盾騎士ではないかしら? 王騎士は確か、天幻術と槍の授業もあったはず。多分今のアベルではもういっぱいいっぱいなんじゃなくて?」


「その代わり盾騎士だと盾の使い方に重点が置かれるし、三年になれば煉気術も増えるから…後か先かの違いだけで、やることが増えるのはどちらも変わらないわよ」


「でしたら、後々のことを考えるなら王騎士が断然いいと思いますわ。士官するにも箔がつきますし」


「いや、やっぱりそこは…」



 やり取りするうちに興奮してきた二人のやり取りに、ユーリィンがはぁと大きく嘆息した。


「はいはい、二人ともそこまで。さっきも言ったけど、アベルの進路なのよ。外野がああだこうだ言わないの」


 もっともな言葉にレニーたちが黙り込んだのを見て、アベルは苦笑した。



「あはは…参考になったよ。王騎士に盾騎士だね。後で僕も先生方に相談してみる」


「そうね。それがいいかも」


 ようやく一段落ついた、と論戦に参加していなかったものは一様に安堵の表情を浮かべる。温くなった茶を飲んだり、紫蔓の実をつまんだりと、思い思いに残ったお昼の時間を満喫していたが。



「…って、今後のことについての話はまだ終わってないじゃありませんの!」


 慌てて軌道修正するレニーの言葉にリュリュが小首をかしげる。



「今後のことって言っても、今度は何についてさ? 進路については終わったよ?」


「具体的には、私たちの班の方向性ですわ」


 レニーは辛抱強く話をつづける。


「その…ですね? ここまでやってきて思うのが、私たち結構良い班を組めている……ん、じゃないかなぁと思いますの。ですからね、折角良い具合にやってこれていますわけですし、この学府を出た後どうするかを考えるのも良いかと思いまして。あ、もちろんこのまま組んで差し上げることに私はやぶさかではないわけですが…」



 そこまで言いかけたところで、黙って聞いていたムクロが突然立ち上がった。


「俺は用があるから先にいく。ついでで悪いが、俺は卒業後の計算から外しておいてくれ」


「え」


 レニーが凍り付いてしまう。



「どういうことだ? まさかハルトネクから…」


 アベルもあわてて尋ねるが、ムクロはレニーを一瞥することなく淡々と答えた。


「いや、ハルトネクを抜ける訳ではない。ただ、卒業した後まで組むつもりも無い」


「そんな…せっかく仲良く慣れたのに」



 思わず腰を浮かしかけたアベルの裾をユーリィンが引っ張った。


「駄目よ、アベル」


「どうしてさ?!」


「さっきのあなたと同じ。ムクロにはムクロの人生があるのよ。それを邪魔する権利は誰にもないわ」


 彼女の言うことはもっともだ。



「うぐ…だけど!」


 しかし、それで割り切るにはアベルも深入りしてしまっている。何と言えば良いか判らずもどかしげにユーリィンとにらみ合っているアベルの様を見て、ムクロは僅かに口元をほころばせ呟いた。



「…ありがとう。俺も未来を自由に選べる生まれだったならお前と…」


「え? 何か言ったかい?」


 聞き逃したアベルが振り仰いだときには、ムクロはいつもの仏頂面に戻ると咳払いした。


「…その代わりと言ってはなんだが、ここにいる間は抜けるつもりは無い。これで俺のことはいいだろう? なら、俺は先に行かせて貰うぞ」


 そういうと、ムクロはすたすたと部屋を出て行ってしまった。



 気まずい思いをした一同だったが、冷静に振り返ればムクロは班を抜けると宣言したわけではないのだ。卒業後のことはそのときが来てからでも考えればいい、アベルたちはそう気持ちを切り替えることにした。



「考えてみれば、何が目標でここに来たのかとか、彼の家族のこととか、ムクロのことほとんど何も知らなかったな…いつか、聞かせてくれる日が来るといいんだけど」


 アベルの言葉に、仲間たちも頷く。



「まあ、ムクロについては今は保留するしかないですわね…皆さんは?」


 リュリュがはいはいと手を挙げて答えた。



「ボクは、アベルと一緒に冒険屋になる!」


 屈託無くそう言い切るリュリュ。


 ふとアベルは自分に向けられたリティアナの視線が冷たくなったような気がした。



「こほん! そうですわね、あなた方二人では不安ですから私も無論ついていきますわ。もちろん、ユーリィン、あなたもついてきますわよね」


 その言葉を待ってましたとばかりに食い気味にレニーが賛同し、更に仲間に取り込もうとユーリィンに水を向けた。



 ユーリィンもまた、当然ついていく…そう答えるだろうと誰もが思っていたのだが。


「あたしは…うーん、そうねぇ。言いにくいけど、一応保留ってことで」


 そう答えたユーリィンに真っ先に驚いたのは、やはり一番親しいリュリュだった。



「な…なんでぇ?! ボクのこと嫌いになったの?! この間勝手に果物食べたから?!」


 さすがに言葉が足りなさ過ぎたと思ったのだろう、ユーリィンは嘆息すると改めて説明した。



「あ、やっぱりあれはあんただったのね…って、そうじゃないの。あたしがここに来たのはリュリュのように外の世界に興味があったからじゃなく、事情があるから。だから、多分卒業する頃、それによってはあたしは…みんなと一緒にいられない、かも」


「そんな! ボク、そんなのいやだよ! ユーリィンがいなくなるのやだ!!」


 ユーリィンはあわてて飛び寄るリュリュに困ったように頭をなでてやる。



 そして彼女の視線がリュリュ、アベル、そしてリティアナへと向けられ、再びリュリュへと戻った。 


「だから、とりあえずは保留だってば。もしかしたら唐突に錬金術に興味を持つかもしれないし、それ以外のことに興味を持つかもしれないからね。大体、今のまんまのあんたじゃ危なっかしくて放っておけないわ」



「む~…」


 リュリュはまだむすっとしているものの、すぐに結論を出すつもりではないと判って一応納得したようだ。



「それに…気になってることもあるしね。この学府のことで。それを調べるために残るかも知れない」


「気になってること?」


「うん。そうね…」


 ユーリィンは、今度は値踏みするようにリティアナを見た。そして、ちょっと考え込んだ後、改めてゆっくり仲間たちを見渡していく。



「依頼用の掲示板、みんなも見たでしょ? 二年生は後半からは採掘任務なども追加されていく、って」


 一応頷いたものの、アベルは何故そんな話をしたのかよく判らない。それについて尋ねるかどうか迷っている間にも、ユーリィンは話を進めていく。



「多分、今後は掲示板の情報が変わっていくはずよ。どんどん難しく、危険なものに」


「ん? どうしてさ? ボクにはよく判らないよ?」


 流石に突飛過ぎたと自分でも思ったのだろう。



 リュリュの疑問に、ユーリィンはあご先に手をやり、考え考え言葉をつむいでいく。


「うーん、どこから説明したものかしら…そうね、まず、あたしが気づいたことから説明していくわね」


「うん、そうしてくれ」


 アベルに促され、ユーリィンが頷く。



「まず。前にアベルにもちょろっと話したことあると思うけど…この島で取れる薯蕷芋とかの分布。それが変なのよ」


 首を傾げたリュリュがアベルを見上げる。


「うぅん? なんか変なことでもあるっけ? アベルは判る?」



 アベルは答えの代わりに肩をすくめた。まだ、ユーリィンの話の狙いが見えない。


「あなたなら判ると思ったのだけど。ねえアベル、今の季節は?」


 今は遠日月、夏真っ盛りだ。



 ユーリィンの諷示に、アベルとリティアナはあっと期せずして声をあげた。


「何だよ、二人だけで。ボクにも教えてよ!」


 置いていかれたような気がしたリュリュが、ちぇっと口を尖らせる。レニーはまったくわかっていないようでまだきょとんとしていた。



「ああ、ごめんごめん。えっとね、薯蕷芋は寒い冬を越すときにこそ大きくなり、逆に夏になると芽吹いて味が落ちる。つまり、今の時期だと食べられないくらい小さいのがほとんどになるはずなんだ」


 アベルの説明に、へえそうなんだと感心しかけたところでリュリュもようやく気がついたようだ。



「…おんや? でもこの間渡したとき、結構大きいなってデッガニヒさんが感心してたけど…」


「そう、そこよ。おかしいのは」


 ユーリィンが勢い込んで指をつけつけてくる。



「ここ一年見て分ったんだけど、この島の中は薯蕷芋に限らず様々な植物が生えてる。季節に関わらずによ? 冬に花を咲かせる木のそばに、夏に花を咲かせる草が生えている。こんなこと、自然のままに起こることじゃないわ。自然じゃ絶対有り得ない速度で植物の繁茂が起きてるのよ」


「なるほど…」


 そう言われてみればアベルにも心当たりがある。掘ったはずの薯蕷芋が、半年もしないでまた元ほどの大きさになっていたことを幾度か自分の目で見ていた。地域などによってそういうものかとも思っていたが、どうやら違うらしい。



 あごに手をあて、少し考え込んだレニーが答える。


「この島の気候のせい…?」


 ユーリィンが頷く。



「うん、学府の四季の変化もかなり緩やかなせいでもあると思う。ほとんどが年中通して花を咲かして実をつけてるし。だけど多分、別の理由があるわ」


 アベルたちは互いに顔を見合わせる。そんなことを言われてもぴんとこない。



「納得できないみたいね。でも今はそれでいいわ、今回の話題に直接関わり無いし。次に問題にすべきなのは『どうして生えたか』よ。芽吹いてから育てるまではそれでいい。でも、種はどこからやってきたか?」


 当然、アベルたちが答えられるわけがない。



「まるきり違う季節に種をつける植物、しかも全てが食用に適している種が自然に集まり、年中生えているなんて不自然すぎる。何か、種があるんだと思う。さっきあたしが気になることがあるって言ったわよね? それが、今言ったことよ」


「…あれ? でもそれがさっきの、今後依頼の難易度が上がる話とどう繋がるんだ?」


 そこまで考えたアベルは、ふと本来の疑問点に何の関係も無さそうなことに気付いて軌道修正しようと質問する。その問いを待ってましたとばかりに、ユーリィンが嬉しそうに目を細めた。



「軍学府で、生徒たちが自然発生で尽きない、しかも、わざわざ誰かが植えた芋を掘って暮らすのってよく考えたらおかしいと思わない? そこに何の意味があると思う?」


「それはもちろん、……うぅん? そういえば何でだ?」


 言われて見ると、確かに疑問ではある。



 どれだけの分限者が運営していようと、ほんのわずかな小銭を志望者から受け取るだけで広大な敷地を運営していくことには無理がある。その結果が、農民と同程度のことしかできない生徒を輩出するなど無意味もいいところであろう。



「ここからは推察でしかないのだけど…恐らくあれは、本当に食べていけない人向けの救済策だとあたしは思う。依頼の形式で生徒たちが飢えないで済むように誘導してるのよ」


 なるほど、確かに筋は通っているように思える。しかし…


「でも、それだと農家とやってることと変わらないよね?」


 事実そう騒いでいる生徒もちらほら散見していることをアベルも思い出した。同じことを思っていたのだろうリュリュが尋ねたのに対し、ユーリィンはうなずいた。



「そのため他の任務があるのよ。採掘とか、後は恐らくだけど交換もそうね。覚えてるでしょ、依頼をこなすと任務の種類が増えるって話し」


 ぽん、とレニーが両手を打ち鳴らした。



「つまり、いずれ他の仕事を請け負うための訓練用ということですわね。どう仕事をこなすか、どれくらい自分達ができるかという判断を見極めるための」


 ようやく身近な話題になったことで理解が及ぶようになったらしい。



 会話に加わってきたレニーの推察をユーリィンは肯定する。


「そうだと思う。初期段階は本当に基礎的なことだけをやってるだけだけど、後々他のこともできるようになっていく必要がある。班の組み分けをかなり早い段階で組ませたのもそのためと考えればありそうな話じゃない?」


「…確かにそうかも知れないな。だから、今後僕たちに回される採掘や採取も難易度があがりそうだと…?」


 ふむ、とうなずくアベルにいまいちまだ良くわかってないリュリュが尋ねた。



「どうして?」


「簡単な採掘などなら素人一人でも出来る…それこそ軍学校じゃなくてもね。戦技を身につけさせるということは、それが必要だからだろうな。逆に言えば、一人でいることを認めないのも関連付けて考えるに、一人だと生きていけない任務が増えるから…とみれる。そういうことだろう?」


 アベルの指摘にユーリィンも同意する。



「ええ。恐らくは化獣狩りとか、遺跡の調査とか、いずれはそういうことをさせるんじゃないかしら。戦争をはじめる国だって無いとは言い切れないし、戦う術を身に着けるのはきっと無駄にならないはず。どうかしら、あたしの推理は? …リティアナ、あなたなら先輩なんだし何か知ってるんじゃない?」


 唐突に名を挙げられ、みんなの注目を集めたリティアナはいつものように表情を変えずさあ、とだけ答えた。



「…答えられないのか、それとも知らないのかしら? まあ、どっちにせよ推察するのは自由よね」


 ユーリィンとリティアナが静かに睨みあう間、リュリュはぶつぶつ呟いていた。


「うぅん…化獣狩り、かぁ…怖いけど、うぅん…」



 リュリュの独り言を耳ざとく聞き逃さなかったユーリィンがこほんと咳払いし、


「…まあ、それは可能性の話しだし、何より選ぶ依頼の方向性もどうするかはみんなの今後の目標に関わるだろうから、選択する講義の内容も把握した上で各々厳選していけばいいんじゃない? それに応じて、あたしはどうするかを決めていくつもり。あたしも楽して暮らしたいもの、もしみんなと組むのが一番楽して暮らせるならそうするわ」


 表情を和らがせておどけた。



 あはは、という笑い声が教室に響く。



 だが、ただ一人――アベルは素直に笑える気持ちになれない。それというのも、先ほどユーリィンがリュリュからの誘いを拒んだときの表情を見たためだ。リティアナを見やったとき、ユーリィンの表情に何かざわつくものを感じていた。



 それに、今までの話も確かに興味深い内容には違いない。


 が、果たしてそれだけで単独行動を選択するだろうか? 聞いた限りでは、別に仲間と共に調べても問題ないように聞こえる。



 ひょっとして、自分に去就について関心をもたれるのを避けるためユーリィンは話をわき道へ反らし煙に巻いたのではないか…?



「あぁああああーーーー!」


 ユーリィンの真意を測りかね考え込んでいたアベルは、レニーの悲鳴で我に返った。



 どうやらちょっと目を放した隙に、いつの間にか戻ってきていたダーダに残しておいた紫蔓の実を半分ほど食われたらしい。



 レニーの受難はまだ終わらない。


「おや、残してるじゃねえか。いらねぇならまかしてくれよ」


 そう言いながら今度は、叱り付けようと立ち上がったレニーの背中側から手が伸びてきた。一拍遅れて気付いたアベルが制止する間もなく、奪い去られた紫蔓の実の残りは同じくいつの間にかやってきていたグリューの口内に放り込まれた。



 レニーが慌てて振り返るがもう遅い。そこには、もっちゃもっちゃと満足そうに咀嚼するグリューがいる。



「ああああああぁぁぁぁぁ……」


 先ほどより音量が上がっていた慟哭が、やがてゆっくりと掠れて…消えた。


 そして、


「ああああああぁぁぁぁぁっ!!!」


 吼えた。



「いつもいつもいつも…今日と言う日はいい加減頭にきましたわぁ!」


 普段の彼女とはうって変わった情動の激しさに、仲間たちは元よりグリューとダーダはびくりと身を震わせる。



 そういえば、とアベルは今更ながらに思い出した。


 普段からのんびり食べる習慣がついていた彼女は、ちょくちょくグリューたちにおかずや茶菓を奪われている。どうやらその鬱憤がついに爆発したらしい。



「…貴方たち、串焼きと氷菓とどちらがお好みかしら?」


 衆目の中そう尋ねるレニーの笑顔は、餌の蛙を前にした大蛇の顔を髣髴とさせた。



「え、ええと…どちらも好きかなぁ」


 グリューがおずおずとそう答えると、ダーダもつられるようにこくこく頷く。さすがにこちらも何か剣呑な雰囲気であることを感じ取ってはいるらしい。



 レニーはにっこり笑った。


「あらまあ、気が会いますこと。私も、両方大好きですわ」


 それなりに付き合いのあるアベルたちは今の彼女が怒りで滾りに滾っていることに気付いている。全員無言のまま椅子ごと素早く、グリューとダーダから距離を空けた。



「だから、両方お見舞いしてあげますわ」


 そういうと、素早い動きで右手を突き出す。向けられた手先がぼわっとゆがんだかと思うと、急速に生まれた冷気が水の球を形作りグリューたちにめがけ放たれた。



「それに当たらないほうがいいよー」


 一足先に安全圏の空へ退避したリュリュがのんびり声を掛けたのと同時に、何か嫌な予感がしたグリューがさっと避ける。直後彼の後ろにあった椅子が水球に当たったかと思うと、あっと言う間に傍にある机もろとも巨大な氷に閉じ込められた。



「まとめて氷漬けにする気だからー」


「見りゃわかりますよ!!」


「あ、あとねー、紫蔓はレニーの好物なんだよー」


「そういうことはもっとはやく教えてくださいよ!!」


 悲鳴じみた叫びを切り裂き、冷徹な宣告が告げられた。



「氷付けにしてから、たっぷり穴を開けてあげて差し上げます。大丈夫、多少の穴ならアルキュス先生に何とかしてもらえますわ…きっと」


「す、すみませんでした! 二度とやりませんから!!」


 ダーダもぺこぺこと頭を何度も床へ擦り付ける。それを見やったレニーは、その美しい顔に柔和な笑みを刷いた。



「私の家訓に、ちょうどこういうときに相応しい言葉がありますの」


 グリューはおずおずと尋ねた。


「それは…何すか?」



 新手の水球が作り出された。


「『痛くなければ覚えません』」


「それ絶対家訓じゃねぇええ!」


 飛び上がるのがあと少しでも遅れていたら、季節はずれの竜人と化獣が悶絶する氷像が誕生していただろう。



「うわったっとっと」


 教室を飛び出した途端、グリューの背後でまた何か大きなものが氷漬けにされる音が聞こえた。廊下を駆け出した彼の足が何かにぶつかり、思わず転びそうになって足元を見ると。



「ダーダ、お前もかよ!」


 ちゃっかり併走していたダーダがばうっと吼えた。



「待ちなさい!」


 怒鳴りながら教室を飛び出したレニーの手には、愛用の槍が握られている。それを取っていて少し出遅れたのだろう。



「一応先生には事情を説明しておくけどあんまり遅れないようにね」


 レニーは親切に申し出たアベルへ後ろも見ず手を挙げるとそのまま追跡を開始した。



「アベル、ほっといていいの?」


 騒乱の教室内で食卓を戻し、倒れていた椅子に座りなおしてはお茶を一口飲み干したアベルはのんびりリュリュに答えた。



「たまには良い薬だよ」


「…それもそうだね」



 リュリュだけでなくリティアナ、そしてユーリィンも、同様にお茶をゆっくり飲んで何事も無かったように残された昼休憩の時間をくつろぐ。



 こうしてグリューたちの話題は終わった。


紫蔓むらさきかずら:つる性落葉低木、またその果実のこと。その名の通り紫色の粒を房状に成らす。房の上から甘みが強く、下に向かうにつれ酸味が増していく。

一部地域ではこれを品種改良して酒に加工しているところもあるが、その上品な味わいは大層上流階級に好まれている。

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