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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
二年目
38/150

第9話-3 獅子は我が子をなんとやら



 三日が経った。



 アベルは今、学校の裏山の更に奥深くにある大きな岩の上にいる。


 両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで腰掛けたまま、身動きせずにいた。



「うぐっ」


 いや、厳密にはまったく身じろぎもしない訳ではない。



 時折小石が飛んできて、アベルの頭や肩などにぶち当てられている。ここ数日の間、何とか上体を捻ってそれをかわそうとしているが、一度も上手くいっていない。



 無理も無いことで、アベルの目元は厚手の真っ黒な布で厳重に覆われていた。


 耳までしっかり覆われていることで視覚どころか聴覚まで奪われており、暗闇の中どこからか飛んでくる石飛礫を避けるのは至難の業だろう。後頭部の辺りには特注の小さな錠がついており、ドゥルガンが開錠するまでは飛んだり跳ねたりしても外れないという念の入り様だ。



「いやはや、驚くほど見込みの無い生徒ですねあなたは」


 どこからか聞こえてくるドゥルガンの声には、深い失望がありありと溢れていた。



「校長に切りかかったときの威勢の良さはどうしたんですか? とんだ見込み違いですね…まったく、私の人を見る目も衰えたものです」


 その間も、二つ三つと石飛礫を四方八方から投げつける。



 嫌味に絶えながらもアベルはどうにか意識を集中させ、飛んでくる石飛礫の被害を減らそうと試みる――が、残念ながら大して効果的な結果は得られていない。



 と、アベルの腹がぐぅと鳴った。


「…昼になりましたか。しばらく小休止です。何か食べるものを探しなさい」


 その言葉を皮切りに石飛礫の攻撃が止み、アベルはほぉっと安堵の吐息を漏らした。



 けれど、のんびりしてはいられない。この小休止の間に食べられるものを探して食べなくてはならないのだ――目隠しをしたままで。



 手持ちは普段使っている稽古用の剣しか無くて火を熾すこともままならないのに、視界と聴覚まで閉ざされている。ひとまずは生でも食える果実を探さなくては…


「何か、何か無いか…」



 ついさっき腕にこしらえた真新しい傷をさすりさすり、アベルは嗅覚に集中する。


 初日はただやみくもにうろうろしただけで――自分では結構遠くに出たように感じていたが、実際には座っていた岩から五ディストンも離れていなかった――無駄な時間を費やしていたが、昨日ようやく採取で嗅いだ覚えのある木の実の匂いを見つけたのだ。



「こっちだったはず…」


 よたよたと歩きながらどうにか目的の木を見つけ、手探りで木の実を毟り取ると口に運ぶ。



「…ぶぇっ、ぺっぺ!」


 だが、次の瞬間強いえぐみと渋みが口の中一杯に広がった。



 どうやら匂いがそっくりなだけで、目的の実とは違うものだったらしい。しばらく口の中を袖で拭う様を、少し離れたところからドゥルガンがじっと見ていた。


 結局この日もアベルはほとんど腹を満たすこともできず、すきっ腹を抱えたままで夕刻を告げる半鐘を迎えた。



「待ちなさい」


 目隠しを取ろうとしたところで、ドゥルガンの制止の声が飛んできた。



「このままでは到底予定に間に合いません。今日から期限まで、あなたは目隠しを取ってはなりません。」


「え、でもそうすると部屋に戻るのが…」


 有無を言わさぬ口調でドゥルガンはアベルの反論を断ち切った。



「いいえ、部屋にも戻らなくて結構。これからは最終日まであなたはここで過ごしなさい――夜の間も」


「え?! ま、まさかずっとこのままなんですか?!」


 アベルはぎょっとしたが、ドゥルガンはどこ吹く風といった様子でつづける。



「そうです。この修行は、まずあなたの感覚を研ぎ澄ますことが前提です。ですがあなたの場合、中途半端に野宿などを経験してきたせいで小手先でどうにかしようとしています。また、わたしがいるとそれだけで安心してしまっているでしょう? それではいつまで経っても先へ進めません」


「で、でもこのまま目隠しがあったら身動きすら…」


「何、たった数日の間食事を摂らなくても人は死にませんよ」


「そんな、無理ですって!」


 情けない声をあげてしまうアベルだが、


「それでも食べたいと思うならそのままで何とかするんですね…匂いなどに頼ろうとせず。目隠し無しでも自由に動けるようになれば自力で寮まで戻るのは簡単なこと…ううっ」


 ドゥルガンの言葉が途中で断ち切られ、同時に足元の砂利を蹴立てる音が響いた。



「ドゥルガン先生?」


 驚いたアベルが名前を呼ぶが、ドゥルガンからの返事が無い。



 しんと静まり返った中、目隠しをかなぐり捨てようかと迷ったところでようやくドゥルガンの声が聞こえた。


「はぁはぁ…くそ、またか! まったく忌々しい体だ…」


 はじめて耳にしたドゥルガンの苛立ち紛れの悪態にアベルはびっくりする。


「仕方ありませんが、今日はここまでです」


 しかし、再び聞こえてきたドゥルガンの声は普段どおりに戻っていた。



「ドゥルガン先生! 目隠しを!!」


「先ほど言ったとおりです。あなたはそれをつけたまま過ごしなさい」


 そしてそっけなく最終日の夕方にお会いしましょうとだけ言い残すと、ドゥルガンはすたすた立ち去ってしまった。



「ま、待ってください…うわっ」


 後を追おうとしたが、慌てていたせいでつまずいてしまう。立ち上がったときには、とっくにドゥルガンの足音は風に紛れて聞こえなくなっていた。



「なんてことだ…」


 信じられない。今のアベルの心情を一言で表すとそれに尽きた。



 アベルも過去に夜の森の中野宿したことはままある…が、そのときは火を熾し、かつ手元に武器を所持していた上でだ。無力なままで闇の中へ放り出されたと言う恐怖が、夜の寒さと共にゆっくりと心身に浸み込んでくる。



「…ここでこうしていたらだめだ」


 今いる場所は普段採取している場所よりもっと奥まった場所だ。



 視覚が不自由なままで寮へ辿り着ける見込みはまったく無いと言って良い。じっとしていても好転しないなら、せめて何かしなくては。



 今までの採取で危険な生物に遭遇したことは無いが今後もそうとは限らないし、何よりも、寒さをしのぐための準備をしなくてはならない。



 山の夜は夏であろうと休息に冷え込んでくる。


 特に恐ろしいのは、地面から来る冷えだ。冷え込むと体の芯から硬くなり疲労が倍増するし、雨に降られようものなら命を落とす可能性が格段に跳ね上がる。



 まずは手探りで大きな木を探し、その根元に少しでも身体を休められそうなくぼ地を探すことにした。そうすることで小雨程度ならば濡れずに済む。


 それを見つけた後は、まだ葉っぱを残している大振りの枯れ枝を幾つか捜した。どうにか身体を覆えそうな分をかき集めた頃には、すでにかなりの疲れが溜まっていた。



「眠れるかな…」


 寒さに震えながら枯れ枝をかき集め、尻の下に引いた。残った分を胸に抱いて身体を丸める。



 寮の寝床とは比べるべくも無いが、これで少しはましになった。


「…お腹、空いたな…」


 いつもなら、仲間と共に暖かい汁物や香ばしい香辛料をまぶした肉、新鮮な魚料理などに舌鼓をうっている頃だ。



 アベルは、今の自分がとことん惨めで仕方なかった。



「みんな、どうしてるんだろう…」


 傍にいたときはいたたまれなさが強かったが、誰ともまともに話していないこの数日では人恋しさが募る。リティアナやリュリュたちは元より、クゥレルやウォード、パオリン、果てはルークでも傍にいてくれればいいのにとすら思うようになって来た頃。



「…ん?」


 何か聞こえたような気がする。



「まさか…ね」


 わずかに身を起こし、耳を済ませる。



 今度は確実だった。


「何か、いる?!」


 さっきより近い。



 物音ではなく、くぐもってはいたが明らかに何かの生き物が発する唸り声がしっかり聞こえ、アベルはぶるっと大きく身震いした。



「おうい、誰か…来てるのか?」


 むしろ誰かであって欲しい、そんな願いを込めて問いかけてみるが返事は無い。



「気のせい…じゃないよね?」


 もう一度、今度は立ち上がりながら尋ねた途端、飛び掛ってきた気配にアベルは無意識で後ずさる。



「うぐっ」


 石を踏んでよろけた次の瞬間、右肩がぱっと血しぶいた。



 鋭い何かがえぐった。


 アベルはぞっとした。もし偶然よろめいていなければ、代わりに喉が切り裂かれていたに違いない。何か――しかも明らかに自分に害なす意思を持つ何かが、いる。



「うっ…、うわあああああっ」


 アベルの混乱は最大に達した。



 身を守らなくてはという思いから、遮二無二に剣を振り回す。もはや剣技の型など微塵もなく、本能的に寄せ付けまいとするだけの動きでしかない。



 はじめのうち警戒していた相手が、何度もアベルの手足に牙や爪を突きたてる。喉笛をいきなり噛み千切らないのは、アベルの反撃を警戒して先に身動きできないようにするためだろう。



 アベルもそれが判ったから、一層激しく剣を振る。だが、悪戯に空を切るだけの行為に加えて空腹や疲労が合わさり、瞬く間に緩慢な動きになっていく。


 幾度目かの痛みを感じたとき、アベルは死を実感した。



(し…死ぬ…? 僕は、こんなところで殺されるのか…?!)


 狩人として幼少から暮らしていた中で、アベルは大自然の中で生きる以上、自分も野生動物に狩られる可能性があることは弁えていたつもりだった。



 しかし、実際に死を間近に感じたとき、そのような覚悟は一切の意味を成さない。


 脳裏に浮かんだのは、


「う、う、あぁ、う」


 その場から逃げたい――その一心。悲鳴を上げてアベルは背を向け、駆け出した。



 けれどもすぐ後ろから動物のものと思われる息遣いが追ってくる。あっという間に追いつかれ、背中に体当たりを受けたアベルはごろごろと地面を転げた。


「う、うあああっ」


 それでも剣を離さなかったのは、祖父との稽古の賜物か。追撃を食らう前に大振りした剣が偶然当たり、襲撃者はぎゃんと悲鳴を上げてひるんだ。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 その機会を逃さず、アベルは片膝を突いて身を起こそうとした。深手ではなかったことは手ごたえから判る。どうにか剣を構えようとするが、手が強張り上手くいかない。



 そうしたうちに、折角の機会は再び失われてしまう。



 相手の動揺が治まるほうが早かった。



「ぎゃあっ」


 先刻傷つけられた意趣返しのつもりだろうか、はたまた遊んでいるのか。



 今度は左腕に噛み付かれた。慌てて右腕を振るが、刃先の届くの範囲にはすでに何もいない。



 今にも暖かい吐息が肌に感じられそうな緊張感の中、アベルの脳裏はいつ急所にむき出した牙を突きたてられるのかという恐怖で一杯になっていた。



 そして、命を刈り取ろうと飛び掛ってきた瞬間をアベルは確かに感じた。



「いやだ、死にたくない…死にたくない! 死にたくない! 死ぬのは嫌だ…ああっ」



 かろうじて防ぐことは出来たが、剣が手を離れてしまう。喉笛を噛み千切ろうとする現実の影が、アベルの閉ざされた視界の中で襲い掛かるグリューの姿と重なる。



 次いで幻は腕を切り飛ばされたとき、リティアナに視た魔素の生み出した幻像へと移り変わった。



「リティアナ……」


 目の当たりにしたときは、確かに寒気を覚えたほどの不気味な力の奔流。だが今、死を身近に感じたアベルにとってはそう恐ろしいものとは感じていなかった。



 何より、そのとき気づいてやれなかったことをアベルは思い出していた。



 あのとき、彼女は泣いていた。


「…リティアナ……? そうだ…何をしてるんだ、僕は!」



 彼女を護る、そう決めたのは自分じゃなかったのか。



 それを簡単に諦めるのか?



 否!



「僕は…強くなるって決めたんだ! 今度こそ、護るって決めたんだ!!」


 その覚悟が切欠となり、アベルの意識が大きく啓かれた。



 それまでは恐怖によって塗りつぶされていた外界の様子が一斉に意識化へ流れ込んでくる。



 肌の上をそよ吹く風の冷たさ、背後に負った木のたまゆらな揺らぎ、足の裏から伝わるかそけき土の温もり…そして対手の動き。



 目は塞がっていても、何故か判る。



 小刻みな呼吸音… 先ほどよりも気ぜわしげだ。



 奥の方で聞こえる枯葉を踏みしだく足の音…後ろ足に力が篭ったのだろうか。


 今のアベルは、視界が開いていたときよりはるかに多くの情報を知覚していた。



「そこ、か…」



 すい、とアベルが右へとかわした一瞬後、アベルの喉があった辺りを牙ががちんと音を立てて通り抜ける。唸り声を上げつつ振り向いた追跡者の動きより早く、アベルは渾身の力を込めて拳を振りぬいた。


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