第9話-2 お願いと言う名の命令
「ああ、やっと出てきましたね」
終始無言のままで遺跡の外に出た六人を、呑気な声が出迎えた。
「ドゥルガン先生?」
遺跡そばの木陰で読書していたドゥルガンが、アベルたちに気付くと本を懐にしまいこみながら歩み寄ってくる。笑顔を湛えていたが、アベルは妙な寒気を感じた。
「もう少し早めに出てきてもらえると思っていたのですが…」
じろりとリティアナを一瞥し、
「まあ、それについてはおいおいコツラザール先生からも言ってもらうとして…アベル君」
「はい?」
唐突に名を呼ばれ、アベルは戸惑った。
「少し、わたしについて来なさい。他の皆さんはそれ以外でご自由に」
それだけ言うとくるりと後ろを向き、すたすた歩き出した。
「…どうしよう?」
アベルの問いに、みなお互い顔を見合わせるだけだ。やや間を置いて、おずおずとリティアナが「行った方が良いと思う」と答えた。
「さっさとしなさい」
理由を尋ねようとしたところでドゥルガンにもう一度呼ばれ、アベルは諦めて首を振り振り後を追った。
二人は終始無言のまま校舎の三階左端、ドゥルガンの私室へとやってきた。
「どうぞ、お入りなさい」
ドゥルガンは真っ黒い樫の木の扉を開くと、部屋の中央に向けて小さな火の玉を飛ばした。ふわふわと飛んでいった火の玉は天井すれすれに設けてあった受け皿の上までいくと通り過ぎることなくその場に留まり、柔らかな光を部屋の中に満ちさせる。
中へ踏み入れたアベルはうわ、と小さな驚きの声をあげた。
仮にドゥルガンに連れて来られなくても、アベルはこの部屋の主が彼だろうとすぐに察せられただろう。
部屋全体が角ばった真四角で、左右には四隅に至るまでびっちり大量の本が納められた書棚が天井まで伸びている。正面も、立派な机とその上に大量に置かれている書物や巻物のせいで視線は遮られており、無駄な隙間がどこを探しても無い。
アベルはここまで大量の本が存在する部屋を生まれてはじめて見た。
紙自体がそれなりに高価な代物なのだ。それを潤沢に使った本が部屋一杯にあるとか、ドゥルガンの資産がどれほどのものかアベルには想像もつかない。
「そこの椅子に腰掛けなさい」
扉脇に置いてあった椅子を指し示し、自らは机の裏から椅子を持ってきたドゥルガンは部屋の中央に腰掛けた。アベルもそれに習い、彼の正面に腰掛ける。
「さて」
椅子に深く腰掛け、足組みをするドゥルガン。
「率直に頼みましょう。アベル君、もう一度グリューと戦ってください」
「…はい?」
そう切り出され、アベルは我が耳を疑った。
「もう一度彼と戦い、今度は公衆の前で彼を叩きのめすのです」
「まっ、待ってくださいよ!」
慌てて立ち上がり、アベルは辞退した。
「僕では…無理です。きっとあいつには…勝てません」
「ふぅん? どういうことですか?」
わざわざ自分の弱いところを認めるようで嫌だったが、アベルは自分が敗北したのはリティアナの制止のためではなく、単に己の力不足が原因であったことを説明した。
「ふむ…なるほど、あのままだと結局負けていた、と」
聞き終えたドゥルガンはふぅむと考え込んでしまった。
どうやらこれで考え直してくれるだろう、そうアベルは期待したのだが。
「つまり、あなたは今度は戦う前から負けを認めるという訳ですね」
呆れたような視線が返された。
「そういうつもりじゃ――」
アベルは思わず腰を浮かせて反論しようとしたが。ドゥルガンは表情を崩さない。
「そうでしょう。私はあなたなら十分勝てる見込みはあると思っています。が、当の本人がそれを信じていないのでは意味がありませんね。最初から負けると考えて勝てた者は古今東西いません」
そういうと、まったく残念に思ってない表情で首を振った。
「リティアナ君でしたか。彼女を追ってきたのは無駄なことになりそうですね」
出し抜けにリティアナの名前が出たことに、アベルは怪訝な顔をした。
「気付いていないのですか? あのグリューとかいう竜人族の小僧は、彼女の気を引きたいのですよ。だからこそ、子供のように殊更自分の力を誇示してひきつけようとする。まったく幼稚な…」
ドゥルガンは呆れるとばかりに小さく嘆息する。
「まあ、今は嫌がっているようですがいずれはどう転ぶかは判りません。人の心は移ろいやすいものですからね。ですが、それも挑みつづければこその話です。あなたのように、端から立ち向かうことを諦めた人にはリティアナ君も早晩興味をなくすでしょうね」
口ぶりだけは残念そうだが、彼の表情はまったくの無感情だ。彼にとって、生徒の色恋沙汰など心底どうでもいいことなのだ。
その冷淡さが、逆にアベルの心へ激しい危機感を植えつけた。
「…やります」
ドゥルガンの目が細くたわんだ。
「おお。良かった、君ならそういってくれると信じていましたよ」
そう答えざるを得ないように仕向けたくせに…アベルは心の中で悪態をついた。
「さて、しかしそうすると弱りましたね」
「…何がですか?」
ドゥルガンはふう、と一息吐くと事も無げにつづけた。
「決闘は一週間後なんですよ」
「はぁあ?!」
聞いて無いとアベルは椅子から立ち上がるが、そんな彼を横目にドゥルガンは淡々と続けた。
「実はあなたを治療したときにグリューと決闘するのは一ヵ月後だと約束していましてね。ちょうどそれが今日から一週間後なんですよ。ちなみに、殺すつもりで掛かれとも伝えてあります」
「何でそんな大事なことを勝手に!? というか、僕の知らないところで勝手なことを決めないでくださいよ!」
アベルの悲鳴にも似た追求を聞き流し、ドゥルガンはまるで授業でも行っているかのように喋りつづけている。
「今まで見たところ、あなたは確かにちょっと力が足りないかも知れません。ですが、私としてはあなたに勝って貰わないとなりません。せっかく手間を減らすお膳立てをしたのに、それを無駄にするのは勿体無いですからね。そこで」
立ち上がり、つかつかアベルの眼前まで来るとじっと見下ろした。
「これから一週間、あなたには私がある技を伝授します」
言いたいことは無いではなかったが、その単語はアベルの興味を強く引いた。
「…技、ですか?」
「ええ」
ドゥルガンは頷いた。
「その技を覚えれば、まずただの新入生程度に負けるということは無くなるでしょう。本来であればあなたは伝授の候補としては除外しているところですが…去年の一年を見て、あなたならばもしかして私の理念を理解してくれるかもしれないと考えましてね。そのためにも、ここでくじけてもらうわけには行かないのです」
「はぁ…理念、ですか……?」
彼が何を言いたいのか、アベルにはドゥルガンの真意がいまいちよく判らない。
「まあ今は理解できなくても構いません。ただ、私には私の、あなたにはあなたの目的があります。そのためにも、この取引はしておいて損にならないと思いますよ」
確かに、避けられない戦いなのであれば受けておくほうが良さそうだ。
アベルもついに覚悟を決めた。
「…わかりました。受けます」
アベルの回答に、ドゥルガンは大きく頷いた。
「では時間も惜しいですし、さっそくこれからはじめましょう」




