第9話-1 腫れ物アベル
新学期が始まってから一月が経つが、最初の壁は遺跡の探索だった。
班対抗戦の舞台とはまた違った遺跡で、石造りの建築物の風合いを残したそれとは違い、今アベルたちがいるところは洞穴そのままと呼ぶほうが似つかわしい。
春になったにも関わらずひんやりした空気、時折どこからか聞こえてくる水滴の反響する音、灯りを群青色に照り返す複雑にうねった岩肌…それらに感心していたのも数分のこと、すぐに一行はこの遺跡にいるのが嫌になっていた。
「うう…落ち着かない」
真っ先に音を上げたのはユーリィンだ。
「ああ、あたしこういう空気がよどんだところ駄目……気持ち悪くなって…うぷっ」
彼女曰く、肌に風を感じているのが当たり前だったため、自分が動いているにも関わらず大気の変化がまったくといって感じられない閉鎖空間の移動では酔うような感覚を覚えるのだそうだ。
尚、真っ青な顔をしている彼女ほどではないが、他の仲間も気持ちが重く沈んでいる。
涼しいのも当たり前で、岩肌に結露した水が絶え間なく滴り落ちて足元に溜まっている。そのせいで編み上げ靴はすでにびしょびしょだ。
ぬかるんだ泥道をわずかな灯りで移動するのは並大抵の気苦労ではない。ましてや、このどこかに危険な生き物が棲んでいるかもしれないともなればなおのこと。
鎧のこすれる音や、足音が反響して自分達の居所を常に喧伝しているような錯覚。
ほんの少しの先も見通せない暗闇。
そういった恐怖を拭い去り、これまで遺跡に巣食う敵に襲われずに進んでこれたのは偏にユーリィンの鋭敏な視聴覚のおかげだったが、そろそろ限界のようだ。
「一端休憩しよう」
多少開けたところに出たところでアベルは足を止め、みんなに宣言した。辺りには大きな石筍が幾つか散在している。
「ここならそれなりに広いし、分かれ道からここまでは一本道だ。ここなら襲われても対処しやすいはず」
ちらりとリティアナのほうを見る。リティアナは表情を変えず、また何かを喋ろうとする様子も無い。
監督生としてついてきているため、同道こそするが問題が起きたとき以外は口だしもしないと侵入するときに彼女自身前もって言っていたとおりだった。
アベルは小さくため息を吐いた。
「それで、この先まだ進むかどうかだけど、誰か偵察に…」
アベルが指示するより早く、リュリュが飛び上がる。
「ボクが前に行くよ、見つからないよう偵察するのは得意だし」
「そうだね、リュリュならうってつけだ。よろしく頼むよ」
アベルも、誰も立候補しないなら彼女にお願いするつもりでいたので異論は無い。二つ返事で頼むことにした。
「まっかせて~!」
びし、とおどけて敬礼するとそのまま飛んでいってしまう。彼女を見送ったところで、今度は濡れてない地面へ荷物を下ろしたムクロが立ち上がった。
「ならば後ろは俺が見てこよう」
「うん、頼むよ。ここの警戒は僕とレニーが受け持つね。ユーリィンは休んでてくれ」
アベルの言葉に、ここまで踏破した地図を羊皮紙に記し終えたユーリィンが慌てて断った。
「あ、いや、アベルは休んでていいわよ。あたしが受け持つわ、もう平気だから」
「ああ、そうだな、その方がいいかも知れない」
ユーリィンの答えにムクロも頷く。二人の返事を聞いて、アベルはここ最近お馴染みになったうら寂しさを覚えていた。
「それでアベル。これからのことですけれど、ここまで描いた地図によればこの先は以前にも来ていたみたいですわ…アベル?」
それまで松明の下、筆を片手に羊皮紙と睨めっこしていたレニーに呼ばれ、ぼんやりしていたアベルは我に返った。
「あ? …あ、ああ、良いんじゃないかな」
取ってつけた返事にレニーは一瞬いぶかしげな顔をしたが、
「それじゃあ今回はここまでということでいかがかしら。作成してきた地図を確認した限り抜けは無さそうですし、一度地図を提出して、問題があれば改めてまた来るということでいかが?」
取り立てて違和感を感じなかったようで納得したようだ。
「ああ、うん、帰るんだね」
「…大丈夫かアベル? まだ腕の傷は痛むのか?」
心配してくるムクロに、アベルはぎこちなく笑った。
「大丈夫、ちょっと疲れただけだから。僕はあっちで休むよ」
そういうと、アベルは荷物を拾い上げ少し離れたところに腰を下ろした。 そのまま仲間たちが戻ってくるまで無言のままだった。
「じゃあ、戻ろうみんな」
仲間たちが戻ってきても、そういって言葉少なに告げるだけで返事を待つどころかまともに事情も説明しないまま、率先して元来た道へ歩き出していく。
今、アベルは誰にも自分の顔を見られたくなかった。
探索の授業が再びはじまって以来、アベルの班は大きく他班に遅れをとっている。
その原因が、みんなが大怪我をした自分をまるで腫れ物でも扱うみたいに気遣って進行速度を落としてくれているためであることをアベルも把握していた。
それがまたアベルを責め苛むのだが、結果仲間たちが心配して更に進行が遅れる…悪循環である。
「アベル」
早足で先頭を行くアベルに、それまで最後尾にいたリティアナが小走りで追いついてきた。仲間たちは何事だろうと、ちょっと歩速を落として様子を見守っている。
「その…アベル、ちょっと良いかしら」
「…ごめん、僕索敵に集中したいから…」
真正面を向いたままアベルは断ろうとするが。
「…お願い、ちょっとでいいの」
今日のリティアナは珍しく食い下がってきた。
「やっぱり、あのときの……わたしのせいで…?」
「リティアナには関係ないってば!」
かっと耳まで熱くなるのが自分でも判る。一瞬謝ろうかと迷ったアベルだが、結局口をついて出たのは拒絶の言葉だった。
「…ごめん、今は一人になりたいんだ。先行くよ」
そう言い捨て、アベルは足を速める。
自分でも子供じみたことをしていると思う。
みんなが気遣ってくれているのは自分でもわかっている…が、それに対してどう接していいか判らない。
アベル自身よく判っていないことだが、仲間たちが労わってくれることで逆に肩身を狭い思いをしているのは実際にはただの契機に過ぎない。
今まではたまたま表に出なかっただけで、実際にはグリューとの私闘よりもっと前からアベルはずっと蟠り、そして焦りを抱いてきていたのだ――優れた仲間たちと、何も無い自分との落差に。
自分には特別な能力も、術も、力すらも無い。
班では前衛を勤めているが、それは他にできることが無いからだ。
リティアナやユーリィンは元より、リュリュ、ムクロ、そしてレニーも各々の持てる力を立派に役立てている……けれど僕は?
今までは、前衛を務めること、それが彼の拠り所となっていた。陸王烏賊や班対抗戦の結果はその矜持を育み、このままいけばいずれは或いは疚しさを感じることも無くなったかも知れない。
だけど、芽生え始めたばかりの自信は、グリューの存在によってあっさり打ち砕かれた。
あの戦闘では、確かにリティアナの制止によって生まれた隙を付かれた。だが、アベルは仮にその制止が無くてもいずれは耐え切れなかっただろうと思っている。
必死に繰り返してきた鍛錬は、種族の才能の前には無力だった……
何がリティアナを支える、だ。僕はなんておこがましいことを考えていたのだろう。
悔しさと、情けなさに、目の前がにじんでくるのを僅かにぎこちなさの残る右腕でぐいと拭うアベルを、唇を噛んでうつむくリティアナは少し離れて後を追う。
多少腕が立とうと、アベルもまた精神は同年代の子供と代わりが無いのだ。
「……気まずい」とリュリュ。
「そうですわね…。アベルもリティアナも、自分のことで手一杯って感じですわ」
「かといって打つ手も思いつかないし…どうしたもんかしらね」
さらに後から追う四人は、いずれも不安げなまなざしで見守るしかできなかった。




