第8話-1 二年生としての初仕事
季節は移ろい、再び雪解月が巡ってきた。
耳の千切れそうな寒さはもうなりを潜め、部屋を温めるため絶え間なく灯されつづけた各教室の暖炉がようやくその仕事から開放されるのと同時に、ぽつぽつと生徒たちも野山に飛び出しはじめていた。
「よう」
裏山を下ってきたアベルを見つけたクゥレルが右手を挙げて声を掛けてきた。早朝から出たおかげで背中の背負い籠には一杯の山野草が収まっている。
「やあ。ちょうど今帰ってきたとこだけど、そっちは?」
一人のアベルと違い、彼は班員たちも一緒だ。
「こっちもさ。たっぷり釣れたぜ、これだけあれば今日の主菜には十分足りるだろ」
いいながら誇らしげに腰の魚篭を見せてくる。どれどれと覗き込むと、中では大小さまざまな魚がぴちぴちと銀色にきらめく鱗に光を跳ね返している。他の班員たちも、誇らしげに各々見事な釣果を見せてくれた。
「へぇ、こりゃまた大量に釣れたね」
アベルの感心した言葉に、クゥレルは喜んでいいやら嘆かわしいやら、複雑な面持ちになった。
「そりゃまあ、な。人がごっそり減ったから、今じゃ入れ食いだよ。針を投げ込む傍から食いついてくる」
「…仕方ないさ。その分こちらの腹が満たされると思うしか無いよ」
顔を曇らせ言うアベルに、これまた神妙な顔でクゥレルは同意した。
「ちげぇねえ」
春を迎え、暖かな日差しの差し込む日がアグストヤラナにも増えたが、残っている生徒たちの気持ちは率直にいってあまり明るいとはいえなかった。
今、アベルの同期の数は入学当初と比べて三分の一にも満たない。授業の辛さなどから逃げ帰る者はそれなりにいたが、もっとも大量に退学者が発生したのは年越しの日空けて数日のことだった。
「ディル皇国がフューリラウド大陸の覇者を自称してもう三ヶ月だったか…最初は何を血迷ったかと思ったもんだがなぁ」
クゥレルは年終わりの日のことを思い出し言った。
食事中に齎された急報は、フューリラウド大陸をスダ・ザナ山脈沿いに移動した南端にある小国、ディル皇国がフューリラウド各地にある国々に対して宣戦布告したというものだった。
当初、生徒たち、そして教師たちも一笑に付したものだ。
無理もない。ディル皇国は山間にあるごくごく小さい、ほとんど無名の一小国に過ぎない。伝統ある強力な騎士団を擁する、近隣のオイトランド公国ならまだしも、そんな国が、しかも各国に敵対表明を示すなど滅ぼしてくれと言うようなものだ。まともなら真に受ける方がおかしい。
生徒の中には、これを学園側の茶目っ気ある催しごとだと決め付けた者も少なからずいた。
だが…数時間後学府へ齎された連絡に誰もが唖然とさせられることとなる。
オイトランド公国、陥落。
侵略を宣言してたったの数時間で、それなりに戦力で大陸中に知られた国が落とされた。
それでもまだ信じられない生徒たちが大半だったが、傍の周辺国も蹂躙されたという連絡、そして滅ぼされた故郷でかろうじて生き残った者からの連絡に泣き崩れる生徒たちが日を追うごとに増えるにつれ、誰もが信じざるを得なくなっていた。
ディル皇国はフューリラウドを征服する気でいるのだ――と。
アベルもすでにディアンへ手紙は送っておいてある。今後ディル皇国がどういう進軍経路を取るかは不明だが、それまでに安全なところへ逃げていてくれることを願うのは誰もが同じだった。
「クゥレルの家族は大丈夫か? 確か貴族だっただろ?」
アベルが気にしているのは、貴族の務めのことだ。
この時代、貴族は国にその立場を保障してもらう代わりに、戦争となると一族郎党兵を率いて国の下に付くことが求められる。その責務はどこの国においてもほとんど変わらず存在するのだ。
「まあ、そうなんだが…俺の故郷は幸いディル皇国からは遠いからな。攻め込んでくるにしても、それなりに後になるだろうさ。それに今戻っても今のままの俺は何の役にも立たん。兄貴の足を引っ張るくらいなら、本番までここで腕を磨く方がマシってもんさ」
そう答えたクゥレルだが、すべてが本心ではないだろうとアベルは感じた。
「家長の兄貴に何かあれば俺の置かれてる状況が変わるだろうが…国が亡くなっちまったら元も子もないからな。まあ、なるようしかならんさ」
アベルの視線に気付いたクゥレルが補足する。それ以上アベルはこの話題に触れることを避けることにした。
「そうだね。それに、今は少し落ち着いてるんだって?」
確かに、不思議なことだが雪解月に入ってからディル皇国の北進は落ち着いていた。
戦力の再編、糧食をはじめとした物資の補給、和平交渉の折衝…いずれも噂の域を出ないが、現実にディル皇国は動きを止めている。
季節はこれから暖かくなり、本来ならばこれから活発化するのが戦における常道なのに…確たる情報も伝わってこず、只ひたすら不気味さが募る。
「いつまで大人しくしてくれるか判らんがなぁ…このままでいて欲しいもんだぜ」
「まあね」
無論アベルも今が仮初の平和にすぎないことはわかっている。それでも長く続くことを願わずにはいられない。
「今はディル皇国がどういうつもりだろうと、関係ないさ。むしろ、今後の身の振り方をじっくり考える時間ができたと考えようよ」
アベルの言葉にクゥレルも同意する。実際、生徒たちに考える時間は必要だった。
単に家族や故郷だけの問題ではない。
アグストヤラナは各国からの寄付も受けている軍学府だ。
いずれは各国から要請を受けて出兵する、という可能性も十分に考えられる。その覚悟を持てないと判断し辞めていった者も少なくない。
なお、アベルたちはすでにそのことで話し合っており、学徒出陣の可能性は踏まえた上で各自残ることを選んでいる。それはクゥレル、ウォード、パオリンたちの班も同様で、見知った顔が残っていることにアベルは内心ほっとしたものだ。
「ついでにルークも帰りゃよかったのにな」
ほとほと残念そうに呟くクゥレルに、アベルも頷く。それだけは実に残念だった。
「真っ先に帰りそうな彼がなんで残ってるのか謎で仕方ないよ」
「アベル、おっそーい! 何やってんのよもう!!」
ルークが居残っていることについてより一層互いの理解を深め合おうとした矢先、飛んできたリュリュの怒声に遮られた。
「はやく料理しないと、今夜の新入生歓迎会の準備に間に合わなくなっちゃうよ! レニーやユーリィンも待ってるよ!!」
そう、リュリュの言うように、今日は新入生のための料理を作らなくてはならない。そのために多めに収穫してきたのだ。
「判ってる、判ってるって。そのための打ち合わせをしてたのさ。んじゃ後でな」
すぐに機転を利かしたクゥレルが片目を瞑って応えた。
「ああ、それじゃあまたね」
腰に手をやりながら苛々しているリュリュをつまんで頭に載せクゥレルと別れたアベルは、途中でドゥルガンとなにやら話し込んでいたムクロと合流し教室へ向かった。
「すごい人数ね」
そう呟いたのはリティアナだ。
程なくクゥレルたちの後からやってきたウォードたちの班も含め、いつものたまり場にしている教室は総勢三十人近い生徒で溢れかえることとなった。出来上がりを大食堂へ運ぶことを考えると、アベルたちの教室で作るのがもっとも良いと判断したためだ。
「しょうがないよ、大食堂とは目と鼻の先なんだし。それにしても、何でこんな面倒なことをしなくちゃならないんだろう」
口を尖らせるアベルに、リティアナはそっけなく答えた。
「しょうがないでしょう。毎年新入生がやってくる日の食事は、先年入学した生徒たちが受け持つという伝統があるんだから。アベルたちだってお世話になったでしょ」
生憎、アベルだけはその恩恵に浴したとは言い難い…自業自得なのだが。
「わざわざなんでそんなことをさせるのさ」
むすっと呟くアベルに、リティアナが冷たい視線を向けて応じた。
「その質問はもう何度目かも忘れたけど、答えてあげる。幾つか理由があるけど、まず生徒がしっかり準備できることで一年間の授業が無駄じゃなかったと教師たちに伝えられる。それから新入生に自分達がどれくらいすごいかを伝えることができるわ。それに何より、アグストヤラナの財政負担が減らせるからよ」
淡々と要点をまとめて説明され、アベルは一層憮然となった。彼が求めてたのはそういう返答じゃないのを判っていながら、リティアナはつづけた。
「他の生徒のようにお金を支払うってこともできたのに、そうしなかったのはアベルたちでしょ? なら、諦めて頑張りなさいな」
「判ってるよ、そんなこと」
はぁと小さくため息を吐くとアベルは目の前の料理に専念することにした。
お金を支払うことを選べないのは仕方ないにしても、それならせめて美味しく食べてもらえるように努力しよう。それもすでにみんなで相談して決めたことだ。
大振りの鉄角牛の肉を串に刺し、かまどに挿しくべて炙るアベルをリティアナはじっと見守っていた。
「ねえアベル、こっち手が空いたんだけど、手伝えることは無い?」
じっくり炙って塩と香辛料をまぶした表面が満遍なくこんがり狐色になるまで焼き上げたアベルにパオリンが声を掛けてくる。
「そうだね…それじゃあちょっとこれ焦がさないよう見ていてくれる?」
隣ですりつぶした蕃茄や紅苹果へ葡萄酒を入れて煮詰めている鍋をパオリンに任せると、先ほど下ろした肉をこれまた前もって確保しておいた大朴葉の葉で丁寧に包んで余熱を逃がさないようにする。
こうすれば、葉に閉じ込めた余熱により火から下しても中までじっくり火が通る。 以前ウォードから教えてもらった蒸し焼きのやり方を聞いて思いついた料理法だ。
「こんな感じでどうかしら」
「うん、良い感じ。その調子で煮詰めて、汁の量が今の半分になったら呼んでくれるかな」
「判ったわ」
指示してから周囲をざっと見渡す。
少し離れたところではユーリィンが乾燥した菜豆と刻んだ丸葱の汁物に取り掛かっている。
その後ろの食卓ではレニーが焼き色をつけた丸い麦餅を薄く輪切りにしたものに葫根をこすりつけ、続いて蕃茄をこすり付けているところのようだ。
隣ではたれにでもするのだろうか、リュリュが木椀に卵を溶いたものに酸味の強い果汁を入れて飛び回りながら器用に混ぜているところだ。
離れた流しでは、ムクロが受け取った魚を慣れた手つきで三枚におろし、幾つかの香草と抱き合わせて粉をまぶしている。傍に卵や熱した油を入れた鍋なども置いてあるところを見ると油で揚げるつもりらしい。
他の班も同様で、統一感はないがそれが逆に自分達らしいや、とアベルは少し面白く思った。
「アベル、できたわよ」
呼ばれて確認すると、確かに良い具合に煮詰まっている。鼻をくすぐる香りが実に快い。
「よし、それじゃあ僕が肉を持っていくからパオリンもその鍋を持ってきて。食堂で皿に載せてそのまま掛けるから」
「わかったわ」
そう答えたパオリンだが、
「おいパオリン! お前がさっき切った緋緋色鵞鳥の腿肉、どこやった?! こっち来てくれー!」
「それならさっきあっちの棚に置いたでしょ!」
「棚ぁ? 棚ってどれだよー?」
「朴葉を下に敷いてあるから見れば…ああもう、めんどくさいなぁ! 今いく!」
ウォードに呼ばれ、パオリンがすまなそうに頭を下げた。
「ごめん、あいつに任せたらいつになっても見つからなさそうだからちょっと行くわ」
「え、あ?! ちょっと!」
鍋を食卓の上に置くと、パオリンはさっさと行ってしまった。周りの人々は忙しそうに動いていてこちらの方まで気が回らないようだ。
「うーん…流石に鍋を置いていくと、知らない人は混乱するだろうし…どうするかな」
そう考えあぐねていると。
「…なら、わたしが手伝おうか?」
リティアナが声を掛けてくれた。
「そうしてもらえれば僕は助かるけど…いいの? 二年生だけでつくらないとならないんじゃないの?」
アベルの疑問に、リティアナはこくりと頷く。
「ええ、そうよ。だからつくるのは手伝わないけど、運ぶのだけ手伝ってあげるわ」
そういうと、鍋を手に取った。
「…いいのかな?」
「わたしが言うんだからいいの。それよりほら、ここでずっと考え込まれる方が周りにとっては邪魔になるわ。さっさと行きましょ」
そうして肉を抱えたアベルのすぐ後ろを、リティアナが鍋を持ってついてくることとなった。
大食堂への扉は大きく開かれていて、アベルたち同様料理などの準備を行う他の生徒たちが頻繁に出入りしている。
「えーと、料理は確か…」
料理を置くための机はすぐに見つかった。
教師用の壇の傍に幾つか長机が寄せられ、すでに大量の皿と気の早い他班が用意した料理がちらほら置かれている。
すぐ傍ですでに起動させられていた甲冑たちが、がちゃがちゃ甲高い金属音をかき鳴らしつつ敷布を設置された食卓に被せたり椅子を並べたりして忙しく立ち働いていた。
「この大きな皿がちょうどいいかな」
適当な皿を選ぶと肉を載せる。ちょうど良い大きさにアベルは満足した。
「よし、このまま少し置いておこう」
「すぐに切らないの?」
「うん。冷ましてから切る方が美味しいんだ、これは。だから今は鍋と肉だけここに置いておいて、少ししたら戻ってこよう」
「どんな味なのかしら?」
珍しく後ろ髪惹かれるような反応に、アベルはくすりと笑みを漏らした。
「気になるようなら後で少し分けてあげるよ」
「まあ! それは楽しみだわ。さ、それじゃあさっさと戻りましょう。まだ作る予定の料理はあるんでしょう?」
そういうとリティアナは早足で教室へ向けて歩き出している。いつもどおりのあまり抑揚を感じさせない喋り方だったけれど、アベルにはリティアナが心から楽しみにしていることが伝わってきていた。
鉄角牛:山岳に棲むウシ科ウシ亜科の1グループ。長く細い角をしており、中でも一風変わった特性として食事に火山岩を好む。胃袋、及び腸内に火山岩を消化吸収する酵素を持ち、そのせいか独特の風合いをもつホルモンは一部の好事家に好まれている(美味しいとは限らないが)。
それ以外の肉は普通の肉とほぼ同じ味。




