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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
一年目
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第7話-5 年終わりの日



 アグストヤラナにも、一年すべての締めくくりを迎える年終わりの日がやってきた。



 この時期、故郷にいたときならば年終わりの日そのものがだっただろうが、学府内ではもっぱら前日まで行われていた班対抗戦の話で持ちきりだった。



「ふぁ…」



 今日丸一日休みなだけあって朝っぱらから絶え間なく洩れ聞こえている歓声に、アベルは久方ぶりのたっぷりした睡眠から起こされた。



「えぇと…今日で今年の学府は終わりだっけか?」



 頭を軽く振って眠気を追い出し、予定を整理する。



 連日の班対抗戦でさすがにへとへとになっていたアベルたちは、昨日は食事も摂らず自室に戻るなり寝た記憶しかない。同室のムクロも、無言で寝床に潜り込んだくらいだからどれほど戦いが激しかったかは推して知るべし、である。



 おかげでまだ眠い。


 すぐにアベルは思考を放棄すると、もう一度とびきりでかいあくびをした。


「…ふぁ~あ、ムクロもおはよう…ムクロ?」



 大あくびをしながら挨拶するが、同居人からの返事は返ってこなかった。


 学生寮の寝床はどこも二段式になっており、この部屋ではムクロが上を使っているのだが、主の姿はそこに無い。どうやらムクロは先に起きて外へ出ているようだ。



「ちぇっ、先に起きたならついでに起こしてくれてもいいだろうに…」


 同居人の冷たい対応に愚痴をこぼしながらもアベルは身を起こす。寝床から抜け出るとそのまま軽く肩を回し筋肉をほぐした。



「…あれ? もう昼か?」


 今更ながらに気付いたが、窓外に目をやると、普段より高い位置に太陽が見えた。


 ようよう思い返せば、朝どころか昼の鐘さえ聞いた記憶が無かった。どうやら大分寝こけていたようで、おかげで疲れはしっかり取れているようだ。



「今日の晩は全員で食事できるんだっけ…そのときに結果発表するって話だったし。それまでは…何をしようかな……」



 寝床に腰掛けながらこの後何をするかぼんやり妄想していたところで、ムクロが戻ってきた。


「やっと起きたか」


「まあね。起こしてくれたらよかったのに」


「ぐっすり寝てたからな、起こすのはさすがに気が引けたんだ。大分疲れてただろう?」


「そりゃまあね。でもそれを言ったらムクロだって同じだろ?」


 その問いにムクロは肩をすくめるだけに留めた。


「そんなことより、今のうちに湯浴みでもしてきたらどうだ? その寝ぼけ眼がしゃっきりするぞ」


「うぅん…あんまり風呂は好きじゃないんだよな。匂いがきつくなってからでいいと思うんだ」


 ムクロの眉がぎゅっと(ひそ)められた。


「お前はそれでもいいかもしれないが同室の俺の迷惑を考えろ! お前が気付かないだけで、最近大分匂いがきつくなってきてるぞ」


「え、そんなこと…ない、はずだけど…」


 自分で匂いを嗅ぐアベルに、ムクロはため息を吐くと使いたての湯浴みの道具を無造作に報ってよこした。


「それに、ちょうどついさっき新しい湯が張られたばっかりだ。まだ他の生徒には気付かれて無いから貸切状態だった。人の少ない風呂は格別だぞ」


「うーん? そんな、言うほど匂いしてないと思うんだけど…ま、新しいお湯に浸かるのはありか。それじゃあ僕も行ってくるよ」


「ああ。のんびりしてこい…しっかり洗ってこいよ?」


 こうしてムクロの半強制的な薦めに従い、アベルも風呂でしっかり湯浴みしてくることになった。


 身も心もさっぱりしたところで丁度集合を合図する鐘の音が鳴った。





 会場となる大食堂にはすでに集まっていた生徒たちと、配膳に動き回る甲冑たち。そして卓上に所狭しと置かれている料理とでごった返している。先輩たちがいるため、新入生歓迎会のときと比べても人の数が倍ほど多い。



「うわ、すごいな…これじゃみんなどこにいるか判らないや…」


 ムクロと連れ立ってきたアベルは仲間がどこにいるか視線をさまよわせたが、幸い彼が発見するよりリュリュのほうが先に気付いてくれた。



「あ、アベル、ムクロ! こっちこっち!」


 手招きされたアベルたちは生徒たちの間を掻き分け進んでいく。



「やあリュリュ。それにみんな」


 女性陣はすでに固まって座している。


「おっ、アベル良いにおい! ちゃんと風呂してきたんだね、よかったー!」


「えっ…? ま、まあいいけど…あれ、リティアナも?」


 ユーリィンにレニーはもとより、その場にリティアナまでいることにアベルはちょっと驚いた。



「リティアナはここにいていいの?」


「ええ」


 答えたリティアナの耳がほんのり赤いように見えたのはアベルの気のせいか。



「私たち監督生は自分の受け持ちの班のところにいるか選べるんだけどね。わたしも今回はこちらに来ることに決めたのだけど…まずかったかしら?」


 リティアナも自分達のことを仲間として認めてくれているようで、アベルは少し嬉しくなった。



「いや、構わないよ。地図の件もリティアナがいてくれたからこそだし」


 仲間たちにも異論は無かった。真っ先に席を確保してくれていたリュリュを中心に、右手側にユーリィン、ムクロ、アベル。左手にレニー、リティアナという並びで席に着いた。



「他の人たちは?」


「クゥレルの班はあそこにいるよ」


 言われてアベルはユーリィンの指差した方を見た。正面、二つ卓を挟んだところにいたクゥレルのぎょろ目とちょうど目が合い、お互いに小さく片手を挙げて挨拶を交し合う。



「パオリンは私の後ろ、結構向こう側にいますわ。ウォードはちょっとどこにいるかは…」


 レニーの後ろを見るが、あいにく人ごみのせいでよく見えない。



 少し腰を浮かして見ようとしたところで、校長の声が食堂内に響いた。



「静粛に、諸君!」



 怒鳴っているわけではないにも関わらず、広い食堂の隅々まで届く。決して小さくなかった生徒たちの喧騒が、水を打ったようにしんと静まり返った。


 生徒たちの注目が集まったのを見計らい、中央の壇上にいるガンドルスは一つ頷いて朗々とした声で続けた。



「食事時で、かつ目の前に美味しい食事を用意されているのにお預けを食らわされてさぞや腹立たしいことと思うが、老い先短いこのわしの話に今少し付き合ってくれい」



 軽口めいた初っ端の挨拶に、あちこちでくすくす笑い声が洩れる。


 それに対しガンドルスも嬉しそうに目をほそめた。



「さて、諸君も待ちかねていたであろう一年生・班対抗戦の結果を発表しよう。皆は呼ばれた者に惜しみない賛辞の拍手を。また、呼ばれた者はここに来るように」


 生徒たちのざわめきをガンドルスは片手を挙げることで制し、こほんと一つ咳払いした。



「第三位から発表しよう。第三位…クゥレル=ノーズ=グエンジー!」


 拍手の中、照れくさそうに頭を掻きながら前に出てきたクゥレルと握手しながら、ガンドルスは喋っている。



「三位のクゥレルの班は、班員が欠けるという事態においても尚果敢に戦い抜いた。後に読み上げる他の二班を除き、大きな不利を跳ね返して勝ち抜いた。見事な戦いぶりを評価したい」


 それを聞いたクゥレルは、嬉しそうにはにかんでいる。



「良かったなぁ…」


 アベルも嬉しさのあまり、拍手する手にも力がこもってしまう。



「さて、次の発表だ。第二位は…ルーカス=ディ=エラ=ランディーグス」


 聞きなれない名前に誰だろうといぶかしんだアベルだったが、立ち上がった人物はよく見知った相手だった。



 ルークは大きな拍手の中、片手を挙げてそれに応えながら校長の元へ進んでいった――仏頂面で。



「二位のルーカス班は、大勢の兵士を率いて見事に好成績を収めた。それは後々人の上に立つ者としての素質を遺憾なく発揮した、見事なものであった。また、規範の表層に囚われることなく、持てる最善の手を尽くした発想の柔軟さも忘れずに評価したい」


 ガンドルスが賛美する間のみならず、席に戻るまでの間結局ルークはずっとふてくされていた。



「さて、最後は一位だが」


 拍手と歓声が止むのを待ち、ガンドルスは生徒たちを見渡した。



「彼らはこの一年間、我が学府に実に様々な話題をもたらしてくれた。勿論、中にはあまり褒められたものではない悪評もある。しかし、先の化獣討伐のみならず、今回の班対抗戦において、彼らはその悪評を補って余りある素晴らしい成績を収めた」


 ルークがこちらを睨んでいることにアベルは気づいた。



「リューリュ=ノイ=シュタイルヘッツ、レイニストゥエラ=フィン=パルドールシェム、ムクロ。彼女らは三者三様に見事な天幻術を用い、あるときは仲間の窮地を避け、またあるときは大いなる支えとなった 」


 名を呼ばれた三人は気まずそうにしている。リュリュやレニーはおろおろしており、比較的動じてないように見えたムクロもその実腕組みをしたまま耳まで赤くした顔をうつむかせている。



「ユーリィン=ディアルフルセフは敢て得意な弓を使わなかったにも関わらず、卓越した体術、そして剣術で各班長を倒してきた。彼女に煮え湯を飲まされた者は少なくなかろうな」


 それまでリュリュを肘で小突いていたユーリィンも、自分が呼ばれた段になって気まずい者たちの仲間入りを果たした。



「そしてアベル=バレスティン。仲間の際立った活躍にこそ隠れているが、敵の戦力を一手に引き受ける勇猛果敢な戦いぶり、そして的確な戦術指揮。まさに班の中核を担う存在だ。我の強い様々な種族にも拘らず手を取り合い、すべての班との戦いを見事勝ち抜いた彼ら五人に、皆のもの盛大な拍手を」


 次の瞬間、大食堂が万雷の拍手に包まれる。


 ルークをはじめとして今も尚嫌う者たちはおざなりに拍手していたが、それよりもはるかに自分達を賞賛する人が多いことにアベルたちは驚きを隠せなかった。



「さあ、アベル。前に出たまえ」


 鳴り止まぬの拍手の中、アベルはクゥレルやウォード、パオリンたちが嬉しそうに手を叩いているのを見つけた。



「頑張ったな」


 そう言いながら差し出された右手は、大きく暖かい。



「ありがとうございます」


 アベルはその手をしっかり握り返した。



「今度はお互いの手を取れたな。俺は嬉しく思うよ」


 ガンドルスはその場にいる者だけに聞こえる声で実に嬉しそうに言った。



「はい。僕もです」


 アベルも、笑顔でそれに応えた。


「これなら、あなたと共に戦えますね?」


 ガンドルスも頷く。


「うむ。これなら、一先ず他の先生方も説得できよう。さしあたっては、これだ」


 そして、小さな木箱を取り出すとアベルに向けて差し出した。


「これは?」


「班対抗戦で優秀な成績を収めた者に与えられる徽章だ」


 リティアナが言ってたもの、そしてかつてこの学府へ辿るための切欠となった徽章。


  銀の輝きが、今は誇らしく思えた。



「振り返ってみるが良い」


 生徒たちの視線を受け止めるアベルに、ガンドルスが良く響く声で言葉を投げかける。


「その徽章は、彼らすべての頂点に立った証だ。これからはそのことを忘れず、ふさわしい覚悟と矜持を忘れないよう、切磋琢磨をつづけて欲しい」


「…はい!」


 アベルの覚悟を新たにした返事に、ガンドルスは満足げに深くうなずく。


 そして、再び生徒たちを見やって口を開いた。



「それから、彼らの班をはぐれ者班、と呼ぶ者もいるようだ」


 何人かの生徒たちが、ばつが悪そうに下を向いた。


「確かに、その呼び名はある意味彼らの正鵠を得ていると言えよう。だが、諸君らの代表となるには少々…ややけれん味が足りないと思う。そこでだ、俺から提案がある。彼らの仲間に縁ある木から受けて、彼らを今ここで、『ハルトネク』隊と名づけたい」


 生徒たちがわっと騒ぎ立てる。



 アベルにはその名に聞き覚えがあった。


 ユーリィンの故郷の森奥深くに生えると教えてもらった、独歩の巨木。


 確かに、言われてみればこれほど自分たちに相応しい名前は無いかもしれない…とアベルは納得した。



「気に入ったようだな。それではそろそろ仲間の元に戻りたまえ。他の生徒たちもいい加減待ちくたびれる頃合だからな」


 判りましたと返事して元の席へと戻ったアベルが着席したのを見届けてから、ガンドルスは再び生徒たちに向かって口を開いた。



「さて、班対抗戦については各人色々話したいこともあるだろうが、ひとまずここまでにしておこう。そろそろ腹の虫を養うべき頃合だろうからな」


 その言葉に、ちらほら散発していた拍手や私語が止んだ。音の止んだ折を見て、ガンドルスは言葉をつづける。



「諸君、この一年よく頑張った。さぞや苦しい思いをしたり、悔しい思いをした者もいよう。だが、その経験が更に諸君を大きく成長させてくれる糧となろうことを、俺は確信しておる」


 誰もが校長の言葉に何かしら感じ入るものがあるようで、室内はしんと静まり返っていた。



「まだ君たちは人生のほんの入り口に立ったに過ぎぬ。思いもかけぬ様々な苦悩や葛藤がこれからも諸君を待ち受けるであろう。だが、英雄と呼ばれた者も、そうでない者も等しくその入り口を潜り抜けておる。そこから何を糧にし、どう生きていくかは君たち次第だ」


 あのルークですら、何を思うのか神妙な面持ちで聞いている。



「なればこそ、仲間と共に様々な苦難に真剣に立ち向かい、ここで経験したことすべて自らの礎として一日一日を大切にしてもらいたい。仮にこの学府を卒業できなくとも、君たちの学んだことがきっと確かな人生の支えとして先行きを切り開く一助となることを、 我々アグストヤラナの教職員はみんな切に願っておる」


 ガンドルスは穏やかな笑みを浮かべたまま、そこまで言い切るとぽんと両手を叩いた。



「さあ、硬い挨拶はここまでだ。後はゆっくり、心行くまで食事を味わいながら無事今年も終わることを神々に感謝しようではないか」


 直後、歓声が沸き起こる。食器がかちゃかちゃ鳴る音が、そこかしこで聞こえはじめてきた。



「さあ、僕たちも食べよう」


 そう声を掛けるよりも早く、リュリュは目前の大きなゆで卵に齧り付いている。仲間たちも思い思いに狙いをつけた料理に手を伸ばしており、アベルの言葉に耳を貸す者は誰もいなかった。



 アベルも苦笑して、どれから手をつけようか料理に視線をめぐらす。校長の方を振り向いたアベルはふと、視線を上げた。



 もしその際、アベルの視界に熱々に焼けた緋緋色(ひひいろ)鵞鳥(がちょう)の丸焼き肉が飛び込んでこなかったならば、ちょうど大食堂へ駆け込んできたドゥルガンと二言三言交わしたガンドルスの表情が途端に険しいものに変わったのを目にできただろう。



 しかし、実際にはアベルだけでなく、それに気づいた者は誰もいなかった。


緋緋色鵞鳥ひひいろがちょう:鵞鳥とされているがキジ科の鳥類。冬になると真っ赤な冬毛を蓄え、広げて求婚するという特性を持つ。味は大味で決して美味しくは無いのだが、その冬毛が広げられた様は曙光のようになるため、無事に新年を迎えられますようにという意味合いを込めて年越しの日に食べるのが大抵の人族の都市での慣わしとなっている。

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