第6話-1 ゆずれないもの
班対抗戦までの間、生徒たち(そして教師たち)の最大の興味はもっぱら初日のアベル班とルーク班の戦いにあった。
一年の主力を集めた班に、化獣を倒した寄せ集め班がどこまで食い下がれるか。
応援する者、逆に野次を飛ばす者、教師陣に隠れて賭けの対象にする者(ちなみに一番の大口客はアルキュス、次いでデッガニヒとガンドルスという噂がまことしやかに流れている)、反応はそれぞれだ。
そんな中で、アベルたちはひたすら研鑽に努めていた。
アベルだけでなく他の仲間たちも自らの目標に添って鍛錬を積み、週末にはクゥレルたち他の班員にも手伝ってもらって模擬戦や授業の復習に取り掛かる。その時間はアベル班以外にとっても、とても充実した物となっていた。
戦技だけではない。
リティアナに先導され、簡単な遺跡に潜りそこでの注意や身の振舞い方なども身につけている。わずかな短期間に、アベルたちは曲がりなりにも冒険屋のひよっこと呼ばれる程度には成長しつつあった。
「よし、ここまでにしよう」
夕刻を告げる鐘が鳴った。
真っ白な息を一際長く吐き出した後、アベルの宣言で各人武器を下ろす。その場にいる十人の誰もが、全身からうっすらとした水蒸気を上げていた。アベル班以外の人たちもいるが、残った半数は早めに上がって食事の支度をしている。
「時間よ…って、ちょうどよかったみたいね」
狙い済ましたように校舎から現れ声を掛けてきたリティアナに、アベルは手ぬぐいで首元を拭きながら答えた。リュリュ、ユーリィン、パオリンと一緒だ。
「うん、いい頃合だ」
彼女もアベル班の教導を担う時間が増えてきたため、最近食事を一緒に食べている――もっとも、彼女自身アベル班での料理を楽しみにしているという点もあったが。クゥロンたちの監督生をはじめとした大半はもっぱら食堂を利用するか自炊している。
「どう、手ごたえは。もう明日だけど」
「手ごたえはあるよ。これも彼らのおかげだよ」
そう答えるアベルの視線を受けたクゥレルがにやっと口角を吊り上げた。
戦闘能力で言えば、彼の班は中々のものだ。
班長のクゥレルをはじめ皆貴族出身で構成されており、アグストヤラナに来る前からそれなりにきちんとした訓練を受けている。彼らとの訓練は仮想ルーク班として大きな実りになっていた。
「当たり前だ、俺たちが手伝ってるんだからな。無様に負けたら承知しないぜ」
「判ってるって。大体、それを言ったら君たちだって得をしてるんだ、お互い様だろ」
苦笑交じりのアベルの返答に、傍で聞いていたウォードが確かにと哄笑した。
ウォードは元々南東の小さな村の農家の出だそうだ。苦労して働いた末に入学金を貯めてやってきたのだが、仲間もほとんど似たような境遇が多くアベルとは特に共感を覚えることが多い。
「でも、アベルたちのおかげで助かった部分は大きいわ。食べ物についての知識って大切なんだって、今更だけど良く判ったもの」
パオリンも深く頷く。
彼女は貧乏貴族の末娘だそうだが、子供の頃に御伽噺を聞いて以来冒険屋に憧れていたのだそうだ。そのため、驚いたことに採取などの勉強を独学で行っていたらしい(もっとも、学んでいたのは貴金属や希少品ばかりだったためこれまではあまり役に立たなかったのだが…いずれは役に立つだろう)。
「まあな、まったくアベルさまさまだぜ」
クゥレルも冗談めかして言っているが、その目は笑っていない。
クゥレルたち三人は勉強会を行ったときと比べて格段に顔色が良くなっていた。
口に出しこそしないものの、内心ではかなり感謝しているのが実情だった。
あれから、アベルたちの班は三班にいろいろ教える条件として、四班合同で協力して食材などを集めること、そして練習に付き合うことを挙げていた。
最初は体よく使われるのではと不安に思う班員もいたようだが、実際に食事量を増やせたことで今では反対する者はいない。
何せ、手分けすることによって得手不得手がはっきり分かれたため効率が良くなったこと、人手の足りない班を手隙の者がまかなえる二点が大きい。
「今回の班対抗戦までと考えていたが、できれば今後もこういう協力体制は維持したいもんだな」
ウォードの意見に、パオリンも頷く。
大まかに見てウォードの班は料理、パオリンの班は採取が得意という傾向がある。
おかげでかなり安定化したのだ、条件を固定化したいと考えるのは当然の成り行きと言える。
「その辺りは対抗戦を終えてからゆっくり考えようぜ。俺たちも学府に残るつもりだが、万が一ぼろ負けでもしたらこれだけしてくれたアベルたちに合わせる顔がねえよ」
クゥレルだけはそう言ったが、アベルは手合わせした感じでは大丈夫だろうと内心思っている。少なくとも、唯々諾々とルークに従う他班よりはいずれも気合が違う。
「それを言ったら、僕たちこそ頑張らないとね」
「ああ、期待してるぜ。何せ俺たちはみんな、お前の班が勝つ方に賭けてるんだからな」
「むっ」
賭けという言葉を聞いて、リティアナの眉がわずかに跳ね上がった。
「あなたたち、賭けなんてしてるの? 学府ではそんなこと、許されてないのよ!?」
クゥレルは大仰に肩をすくめた。
「らしいですね。とはいえ、我々はこうしてアベルたちのお世話になっている身。せめてこういう機会にでも発奮できる力添えができればと思ってしていることなのですよ」
「…ついでに自分の懐も暖めようと思ってるんでしょ?」
クゥレルはリティアナの嫌味に、芝居っ気たっぷりに天を見上げると朗々とほざいたが、その様子は実に堂に入ったものだ。
さすがは腐っても貴族といったところか。
「やぁれ、お美しい方にそのように疑われるとは悲しいことよ。我々も皆を楽しませつつ、ささやかにも自分達の食い扶持も確保したい、そう願っているだけですのに。もう一つおまけに言うなれば、あの高慢ちきの懐を少しばかし軽くしてやる手伝いもしているだけに過ぎませぬ」
胴元にルークの手下が噛んでいるという噂はアベルの耳にも入っていた。
「我らは懐を暖め、彼らは懐の重荷から開放される。誰もが喜ぶ、幸せなことではありませぬか。それなのにこのお美しい方は私を責め苛む! ああこれぞ、世の理不尽なり!」
クゥレルの熱演に、周囲でくすくす笑いが沸き起こっている。
「アベルもとんでもない悪餓鬼を友達にしたものね」
リティアナも苦笑いを浮かべていたが、すぐに神妙な面持ちになって大仰に頷いた。
「でも、最後の考えは悪くないわね。彼らにはしばらく薄いお粥を堪能する機会があっても良いと思うもの」
神妙な面持ちで頷くクゥレル。
「まったくですな。見目麗しい方にもご理解いただけてありがたい限り」
そして苦笑いするアベルに向かって片目を瞑ってみせた。
「はいはい、その辺にしてそろそろ食事に向かおう。今日はムクロとレニーが指揮したんだっけ。…あの二人に任せて大丈夫かな?」
アベルが心配したのは、この場にいないムクロとレニーの二人が険悪なためだ。
性が合わないのかとにかく口論が耐えない(ユーリィン曰く、天人族からすれば神話時代祖を元にしていた魔人族が裏切ったと考えているため、種族単位で敵意を持っているらしい)ので、あえて仲良くさせるためこの二人で組ませる機会を増やすことにしていたが…
なお、問われたリュリュは大丈夫じゃない?と軽く応じた。
「さっき通りすがりにちょっと覗いた限り、問題なかったみたいだったよ」
どうやらこれで一つ懸念は無くなったか、アベルはほっと胸を撫で下ろした。
「そうか、それはよかった。対抗戦の最中に仲違いなんてしてる場合じゃないからね」
足取りも軽く教室へ戻ったアベルたちを出迎えたのは。
「だから、塩に決まってますわ!」
「馬鹿なことを。ソイユの汁を垂らしたもの、それできまりだ」
真っ二つに二分化した料理班だった。
「……もし、リュリュさん?」
「…あっれぇ??? さっきまでは問題なかったんだけど…いや、ホントだからそんな目で見ないでよアベル…うわ~んっ、ユーリィ~ン!」
非難のまなざしを向けられたリュリュは引きつった笑いを浮かべるとユーリィンの影に隠れてしまった。
「はぁ…」
こめかみを抑えるアベルをユーリィンがとりなした。
「まあまあ。本当に今さっき喧嘩し始めたばかりなのかもしれないし。そんなことより、ほったらかしにしてていいの? あたしは面白いから見てても構わないんだけど」
「そうもいかないよ…僕はもうお腹がすいて目が回りそうなんだから」
他に誰も動こうとしないのを見て取ったアベルは小さく嘆息すると一歩踏み出した。
「あのさ、二人とも。何をそんなにいがみ合ってるんだよ」
それまで互いをにらみ付け合っていた視線が同時にアベルに向けられる。
「この分からず屋がソイユの汁を馬鹿にしたんだ。卵の片面焼きにはソイユの汁しかない!」
先に口火を切ったムクロの意見に、レニーが眉尻を吊り上げた。
「そのような草の汁など、私の料理に似つかわしくありませんわ! 何より、この料理には塩だけの完成された味わいこそが相応しいのです!」
ムクロも負けてはいない。
「判っていないのは貴様だ。単純な料理だからこそ、塩よりもソイユの汁の複雑な味が引き立てる。そんなことも判らないとは大した舌じゃないだろう!」
「自分に自信がないからそのように飾り立てるんじゃなくて?」
「飾り立てる? 背中にどでかい飾りをぶら下げておいてよくも言う。君こそもう少し、広い視野を持つように心がけたほうがいいな!」
「そんなへんちくりんなお面を被ってる人にだけは言われる筋合いありませんわ!」
再びアベルそっちのけで言い争いをはじめた。しばらく互いに好き放題言い合った後、まったく同じ拍子に振り向く。
「アベルはどう思う?!」
「…どっちでもいいよ」
呆れに呆れているアベルは力なく答えた。
「というか心底どうでもいい。卵を塩で食べようがソイユの汁で食べようが、何が大きく変わるってことでもないだろ。今の僕たちはへとへとでそんなことを気にする余裕は無いし、お腹に入れば味なんてどうでも良いってなりつつある」
反論しようとする二人を手で制し、
「大体、塩もソイユの汁も今はみんなのおかげでいきわたるほどあるだろ。それなら、両方一緒に出せばいいじゃないか。で、好きなほうを好きなように食べる。そうすれば文句も出ないだろ? さ、納得したら準備に取り掛かろうよ」
それでめでたく議論は完全に打ち切られた。一緒に来たクゥレルたちのメンバーも散開し、各自皿を置いたり料理をよそったりと忙しく立ち働きいている。
「まあ、これも仲良くなった証ってところかしらねぇ」
アベルが軽口を叩くユーリィンをにらみつけると、彼女は小さく舌を出して準備の手伝いに駆け出していった。
「まったくもう…」
「ね、ね」
と、リュリュが尋ねてきた。
「気になったんだけどさ、そういうアベルの好みは?」
「僕? うーん」
少し考え込んでアベルは答えた。
「僕は花の蜜をたっぷり掛けたのが好きかな」
即座にその場にいる全員が言った。
「それはない」




