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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
一年目
22/150

第5話-5 歩み寄る二人



 対抗戦についてアベルたちに説明するため、彼らの部屋に向けて歩を進めていたリティアナは、行く手がやけににぎやかなのに気付いた。



「…何かしら?」



 その喧騒が目的地から聞こえてきていることはすぐに判った。



「何をしてるの、あなたたち?」


「その…いわゆる、自主勉強会って奴だよ」


 詰問されてどぎまぎしながらアベルは答えた。



「自主勉強会、ね…」


 視線をアベルから室内に向ける。教室内は他班を含めた一年生たちでごった返し、鍋を振る音や食材を炒めたり刻む音がひっきりなしに起こっている。



「なるほど」



 勝手なことをするなと怒られるかと思ったアベルだが、リティアナは学府周辺で採れる食材について説明しているユーリィンに目を向けて頷いた。


「採取学の復習をしているってわけね。いいんじゃない」


 怒られなかったことにアベルはほっと胸をなでおろした。



「おいアベル、遊んでないで手伝え! 鍋が足りない!!」


 ムクロの鋭い声が飛んできた。すでに備え付けの鍋はクゥレルたちにも回されており、洗い場には洗う予定の鍋が所狭しと置かれている。



「ご、ごめん」


 慌てて受け取りに行こうとするアベルに、リティアナが尋ねた。


「鍋が足りないの?」


「うん、実はそうなんだ。調理法を説明するなら、実際に作ったほうが早いからさ」


「…なら、幾つか鍋を貸し出しましょうか?」


 リティアナの提案に、それまで説明役に回っていたユーリィンが口を挟んできた。


「作り置き用にも使いたいから、幾つかお願い! 穴空いて無いのをちゃんとえらんでよ!」



「判ったわ。それじゃアベル、ついてきて。確か倉庫に余った鍋が置いてあったはず」


 唐突に名前を呼ばれ、アベルは思わず聞き返した。


「え、僕?」


 リティアナが呆れたように答えた。


「当たり前でしょう。私はどれくらいの鍋が幾つ必要かわからないのだもの」


「それもそうか…でもあっちはどうしよう」


「洗い物はレニーに任せるから、はやく行ってきてね!」


 ユーリィンに促され、アベルたちは再び廊下へ出た。



 二人は正面玄関を抜け、校舎の反対側に向かう。倉庫は反対側の一番奥にあり、正面ホールを中心としてアベルの教室と対称の位置になる。



 倉庫の鍵の掛かってないはずの扉はたてつけが悪いのか、軋み声を立てながらゆっくり開かれた。



「そこの机の上に燭台があるでしょ、それを取ってちょうだい」



 それを受け取ると、リティアナは蝋燭の残りを確認してから廊下の石壁に掛かっている鉄輪にはめ込んである松明で火をつけた。



「さあ、中に入って」


 促されて倉庫に入ると、かび臭い匂いが鼻をつく。匂いに顔をしかめているアベルも中に入ったところでリティアナが倉庫の扉を閉めた。



「何で閉めるのさ?」


「私の一存でやってるからあまり他の生徒に見られたくないの。事情を説明するのも面倒だし」


 そう答えられたリティアナは、アベルの顔をみてわずかに眉をしかめた。



「…どうしたの、変な顔して」



「驚いた。リティアナはもっとその…頭が固いと思ってた」


 アベルの無遠慮な言葉に、リティアナは少し傷ついたようだった。



「…余計なことを言わないできびきび働いて。鍋はたしか、あの辺にあったはずだから探して」


 指差した方を見て、アベルは顔をしかめた。


「あっちって…箱や樽とかすごく沢山あるんだけど」


「ええそうね。それで?」


 冷たく返され、


「…判ったよ」



 それからしばらく、アベルは重さにぶうぶう不平を呟きながら荷物をどかす作業に専念していた。どうにかお目当ての品の納められた箱に辿り付いた頃には汗みずくだ。



「あったあった、この箱よ」


 中には、大き目の鍋が四つ重ねて入れられている。なるほど、これなら充分だろう。



「よし、持っていこう」


 足元がよく見えない状態に限り、何かを踏みつけてしまう――そんなことは人生往々にしてあるものだ。



「うわっ」


 両手に鍋を抱えて歩き出したアベルも御他聞に洩れず、何かに躓き体勢を崩した。



「きゃっ」


 扉側にいたリティアナの方へ、手にしていた鍋ごとアベルは倒れこんでしまう。リティアナ自体は素早く避けたものの、それまで脇へどかして積んでおいた箱の山へアベルは音を立てて突っ込んでしまった。



「いててて…」


「何してるの、扉にも当たったじゃない! 壊れた物は無いようだから良いものの…」


「ご、ごめん」


「まったくもう…気をつけなさいよね」


「う、うん」



 アベルが荷物の山から抜け出そうとする間、リティアナは扉を開こうとしたが。



「…あら?」


「どうかした?」


「扉が…開かない」


 驚いたアベルも駆け寄って試したが駄目だった。



 恐らく先ほど荷物がぶつかったことで蝶番がおかしくなったのだろう。


 二人であちこち弄ってみたり叩いたり、終いにはアベルが体当たりしてみたが扉はうんともすんとも言わなかった。



「うわ…困ったな」


「そうね…」



  さすがに疲れてアベルは床に座り込んだ。リティアナも傍の木箱に腰掛ける。



「この時間だと、場合によっては明日の朝までここから出られないかも知れないわね」



 リティアナも、澄ました顔とは裏腹に声に疲れがにじみ出ている。



「さすがに皆探しに着てくれるとは思うけど…どちらにしろ、もうしばらくは出られそうに無いか」



 そう考えたら、急に腹の虫が鳴った。考えてみれば、もうとっくに食事時だ。



「うう…お腹すいたなぁ」


 アベルの言葉に唱和するように、腹の音がもう一度倉庫内に響いた。



「…すごい音ね」


「面目ない…」



 しょうがないわね、とリティアナは立ち上がると腰に結び付けていた袋から何かを取り出した。



「これでも食べてなさい。わたしが作ったからあまり美味くないかも知れないけど」


 手渡された物に、アベルは見覚えがあった。



 干した藪苺の実を水飴に絡めて干した物だ。リティアナの母が良く作ってくれ、彼も幾度もご馳走になったものだ。



「これって…懐かしいなぁ」


 早速口に含むと、懐かしい甘味が広がってくる。こうしているリティアナがやはり自分の知る彼女だと確信したアベルは無性に嬉しくなった。



「それにしても暗いね」


「怖いの? お化けが出そうだとか思ってるんじゃないの?」


「そ、そんなことあるわけ無いだろ。もう幾つだと思ってるんだよ! …でも、ちょっと安心したな」


「何が?」


「昔と変わってなくて。前にも同じようなことがあったなぁって、思い出してた」


「…そうね。一緒に探検しているときに、これよく食べたっけ」



 リティアナもアベルの隣に腰を下ろし、自らも藪苺の実の飴漬けを口に含む。その顔は依然無表情だったが、どこか懐かしんでいるように見えた。



「あのときも倉庫に閉じ込められたんだよね。あとでばれてすごく怒られたなぁ」


「そうそう。バーンズ小父さんちの裏手の広場とかで一日中追いかけっこしたりして、夜遅くまで遊んで。懐かしいわねぇ」


「バーンズさんといえば、その隣ですっごく大きな頬垂犬飼われてたの、覚えてる?」


「ああ、いたいた。いつも寝てるのに、傍に寄るとすごい勢いで噛み付いてこようとして。あるときなんて、その頬垂犬に吼えられて、アベルびっくりして傍の池に落ちたこともあったわよね」


「や、やめてくれよそんなことまで思い出すのは…」



 ひとしきり懐かしんだところで、お互い黙り込んでしまう。先に口を開いたのはアベルだった。



「…あのとき、君が死んだ…ううん、殺されたと思ってた」


 業火の燃え盛る町の中で見たリティアナの姿は死んだものとしか思えなかった。



「でも、そうじゃなかったんだね」


 リティアナは小さく頷いた。


「ガンドルス校長が助けてくれたのよ」


「校長からも聞いた。命の恩人なんだよね…僕にとってもだけど」


「ええ」


 久しぶりの穏やかな時間。アベルは懐かしかった。



 この時間をくれたお礼に何かしたいな、と考えたアベルは、ちょうど良い物を持っていたことを思い出した。



「あ、そうだ。リティアナ」


 言いながら、腰に下げていた巾着袋を後ろ手にもぞもぞと探る。すぐに捜し求めていた物が手に当たった。



「これ…」


「まあ…!」


 差し出された髪留めを見て、リティアナが驚きの声をあげた。



「あなたがこれを拾ってくれてたのね? アベル」


「え? リティアナの…なの?」


 その言葉にアベルはびっくりしたが、そんな彼の様子にリティアナは気づかないようだ。



「ええ、そうなの。校長から贈られた、大事な贈り物なのに無くしてしまって…困ってたのよ」


「そ、そうなんだ…」


 受け取ると、心底嬉しそうにそそくさと髪に飾り付けるリティアナと対照に、急速にアベルの興奮がしぼんでいく。



「ありがとう、アベル。本当に助かったわ」


 目じりに涙を浮かべすらして礼を言う彼女にどう答えていいか判らず、アベルは喉に骨が刺さったような心持ちでこたえた。



「…どう、いたしまして」


 そっけなくさえ聞こえる返答だが、リティアナはアベルの変化に気づかない。



 しばし、並んで座ったままの二人に沈黙が訪れる。


 アベルはいったん迷ったものの、あえて切り出すことにした。


「あの力…ヴァンディラで、陸王烏賊の動きを止めたのは…リティアナ、君なのか?」



 しばらくの沈黙を経て、


「そう、わたし」


 リティアナが押し殺したような声で言った。


「相手を強制的に従わせる力を持ってるの。…びっくりした?」


 アベルはゆっくり頭を振る。


「…そう、校長から聞いたのね?」


「…まあね」


 アベルは静かに答えた。その静かさに反し、リティアナは口調を強めていく。


「恐ろしいでしょう? わたしの力は、化獣だけじゃないの。アベル、あなたにだって使えるわ。こんな不気味でおぞましい力を持ってる相手だと知って幻滅したでしょう? ブレイアを滅ぼした化獣だって、ひょっとしたらわたしが…」


「しないよ。幻滅なんてするもんか」



 今度ははっきりした答え。その口調の確かさに驚いたリティアナは、怒ったように自分をまっすぐ見つめるアベルと目があった。



「僕が校長を襲ったとき使おうと思えば使えたはずなのに、君は使わなかったじゃないか。そうしなかったのは、普段から使いたくない、使わないように自制していたから…違う?」



 アベルには確信があった。



 ヴァンディラで陸王烏賊に向けていた彼女の顔を見たから。


 見慣れた無表情にも関わらず、アベルには今にも大粒の涙が零れ落ちそうに見えたのだ。


 感情表現が乏しいはずの彼女が心の底から辛そうにしている…それこそが何に比しても彼女が自分の知るリティアナであることの証左だとアベルは確信していた。



「だから…自分からそんな風に思うのはやめてよ。他の誰が何と言おうと、僕にとっての君は昔と同じリティアナだよ」


「アベル…」



 再びの沈黙。今度はリティアナがそれを破った。


「わたしも…死んだと思ってた」


「誰が…僕?」


「ええ」



 リティアナが頷いてみせる。もはやいつもどおりに戻ったその表情からは、今の彼女がどう思っているのかアベルには掴み取れなかった。



「ここに連れて来られてから、私はしばらく――一週間くらいだって聞いたわ――意識が無かったんだって。ようやく意識を取り戻したとき、あの人がそばにいて、周りの人たちみんな死んだ。只一人、生きていた少年がいたけど彼も恐らく死んでいる…そう聞かされたの」



 訥々と喋る間、アベルは黙って聞いていた。



「化獣は全部倒したはずだけど、それでも誰もいない町でたった一人残された子供が生きていけるとは思えない。アベルのことだって思ったけど、同時に死んだと考えてた」


「あの後、僕がいないことに気付いたお爺さんが来てくれたんだ」



 彼の家庭事情を通りすがりの旅人に過ぎないガンドルスが知る由も無い。アベルもまたブレイアの一住人だと思っていたのだから、死んだと思い込んだのは仕方の無いことと言えよう。



「そうだったのね…良かった」


 ほぅ、と吐息を吐いたのがアベルにも聞こえた。



「夜に抜け出してきたからとても怒られたけどね」


「おかげで命拾いしたのだから、そう言うものじゃないわ」


「うん、判ってる。なんだかんだでここに来ることを許してくれたし、お爺さんには感謝してもし足りないよ」とアベル。



「…それで、アグストヤラナに来て…あなたはどうしたかったの?」


 率直な質問に、アベルは少し困った。頭を掻きながら、考えを取りまとめる。


「ここに来るまでの僕は、君を連れ去ったあの男――校長だったわけだけど、彼のことを突き止める一心しかなかったんだ。どうしたい、ということは改めて考えるとはっきり決めてなかったなぁ…お爺さんが反対したのも、そのせいなんだろうなきっと」



「…あなたって、本当に馬鹿ね」


 表情は変化していなかったが、アベルには彼女が苦笑したのがわかった。



「…わたしのことを忘れて、普通の狩人として生きていくことは考えなかったの?」


 アベルはうぅんと首をひねった。


「そう言われてみれば考えたことも無かったな」



 わずかな間を置いて、リティアナがもう一度、ぽつりともらした。


「あなたって、本当に馬鹿」


「そう何度も馬鹿馬鹿言わないでくれよ」


 アベルは口を尖らせる。



「事実でしょ。いきなりわたしの命の恩人に切りかかったりしたし」


「う…そ、それは悪いことをしたと思ってるよ」


 ばつが悪そうに頭を掻くアベルをしばらくにらんだリティアナは、やがてはぁとため息を吐いた。



「いいわ。もう許す」


「本当かい?」


 恥ずかしそうに目線をそらしながら、リティアナは頷いた。



「ええ。まあ…考えて見れば、ずっとわたしのことを気に掛けてくれていた訳だし…アベルにはアベルの事情があったってことも判ったしね。反省してるみたいだから、これで水に流してあげるわ」


「ありがとう」アベルは心から礼を言った。



「僕たち、仲良くなれるかな? その…前みたいに」


 リティアナも微笑する。


「もうお互いの誤解も解けたし、大丈夫だと思うわ」


「良かった」



 リティアナと和解してわかったことがある。



 彼女が感情を抑制できないのは恐らく治療の後遺症だけではなく、ブレイアでの出来事が自分のせいかも知れないと感じているせいでもあるのではないか。ならば、黒幕を突き止められればきっとリティアナの心の枷が外せるはず。



 本来の彼女を取り戻すためにも、必ずブレイアを滅ぼした犯人を突き止める。


 そうアベルは改めて、覚悟を固めたのだった。


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