表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
一年目
19/150

第5話-2 五人目



 全員がアルキュス先生の検診を終え、教室に戻ってきた頃にはすでに夕方を回っていた。


 彼女の忠告通り、今となると普段の訓練の比ではない疲れがどっと出ている。誰もがすぐにでも床に就きたいと思ったが、ちゃんと食事を摂らないと翌日の訓練は身が入らないことをこれまでに経験しているため、一同はもたもたと食事の準備に取り掛かっていた。



「はううう、疲れたよぉ…」


「ああもうそれ止めてくれよなリュリュ、僕たちも同じなんだから」



 いい加減聞き飽きた台詞にうんざりしたアベルが彼女を肩に乗せて席に運んでやった。



 その両手に抱える大きな木鉢の中には、湯気を立てている琥珀色の煮汁がなみなみと満たされている。


 乾して硬くなった麦餅を手ごろな大きさにちぎって軽く炒めてから、これまたかりかりに焼いた干し肉と香草をみじん切りにしたものとを併せてたっぷり茹でた物だ。四人のお椀に取り分けてもたっぷり残っており、足りなければ麦餅と肉を各自が自分のお椀に追加する形式である。



「はい、どんどん受け取っていってね」



 汁を入れた椀をムクロに渡している最中、ふと以前の言葉を思い出したアベルはユーリィンにたずねた。



「そういえば、ユーリィンはレイニストゥエラのことを詳しいみたいだね?」



 尋ねられたユーリィンはうぅんと腕組して唸った。



「詳しい…まあ、そうなるのかしらねぇ? 何だかんだで人族と繋がりがある他種族って目立つのよ。それに、あたしたちに負けず劣らず美人さんだし」


「美人…ねぇ…うん。美人」



 確かに、三人とも美人なのは認めよう。黙っていればなおいいのだが。



「アベル、どう思ってるかはその顔見れば分るけど、せめてもう少し誤魔化す癖をつけなさいよ? …まあそれは今はおいておくとして、そういう理由で目立つのよ彼女」


「しかもよりによってあのルークたち、だしな…」



 いまやルークたちの一団は他の生徒の中で中核を為す位置にいる。その中に唯一いる亜人だから目立たないわけが無い。



「確かにね。他に幾らでも組みたい相手はいるだろうに…」


「それがそうでもないみたいなのよ」


「え? どうしてさ、あれだけの力量があれば、引く手数多だろ」



 アベルの問いに、ユーリィンは少しだけ考え込むと。



「…どうかしら。あたしはむしろ、逆だろうなと思ってたけど」



 きっぱり、そう答えた。



 人族は、竜人族のような膂力や鋭い爪牙、森人族のような鋭い感覚、小翅や天人族のような優れた術法への適正などを持たない。そういった“力”に対する不安こそが、アグストヤラナ内に限らず世間一般で(元々祖先が邪神たちに付いた魔人族はもとより)大なり小なり他種族を忌避する土壌となっていた。



 弱いからこそ群れ、群れるからこそ見方が大勢に流される。


 学府内という狭い環境といえど、社会の略図ともいえる以上その流れが生まれるのは当然のことといえよう。アベルのような考え方をする者の方こそ異端なのだ。



「どうしてさ」


 なおも首を捻るアベルに


「まあ、かも知れないって話しだし、あたしらが気にしてもしょうがないでしょ。この話はもうお終い」


 ユーリィンは手をひらひら振って話を打ち切った。価値観からして違う相手に、短時間で理解できるよう説明するのは面倒くさい。



 未だ納得できなさそうなアベルを尻目に、皆で食事の挨拶をしようとしたところで扉を軽く叩く音がした。



「誰だ?」



 ムクロの誰何する声に返答も無く入ってきた人物は噂の主だった。


 その挙動にまったく遠慮する様子は無く、怒りに燃える瞳で室内を一瞥したかと思うとアベルを認めるとつかつか一直線につめ寄ってきた。



「ちょっと、あなた! あの猿に何を吹き込んだんですの?!」



 そう詰め寄られたが、心当たりの無いアベルたちは一様に目を白黒させるしかない。



「あのような不躾な真似、到底許せるものではありませんわ!」


「…何の話だ? そう言われても、俺たちには何のことか心当たりが無いんだが」



 最初に我に返ったムクロが落ち着かせようとするが、


「しらばっくれるつもりですの?! そうはいかなくてよ!」


 その試みはうまく行かなかった。



 怒りで荒れ狂うレイニストゥエラを大人しくさせたのは、ユーリィンだった。


 しばし無言で様子を見ていたが、ついと立ち上がると余ったお椀を一つ取ってくる。そして元の席に座りながら、まるでレイニストゥエラの荒れっぷりに気付いていない風にのんびりと喋りだした。



「まあまあ。見ての通り、あたしたち今食事中なの。そのような剣幕で言われても、あたしたちもお腹が減りすぎて頭が回らないわ」


「それはそっちの都合ですわ!」


「そういうなら、こちらの都合を考えずにいきなり飛び込んできたあなたの作法もそんなに褒められたもんじゃないんじゃない? 淑女なら、不愉快な理由を聞き出すにしてももう少し不躾な真似は避けるものよ」


「う…」



 痛いところを突かれたのか黙り込んだのを見計らい、素早く汁を注いだお椀をレイニストゥエラの前の空いている場所にそっと置く。そしてにっこり微笑んだ。



「折角だし、まずはあなたも軽くお腹に入れてからにしない? その方がお互い時間を無駄にしなくても済むし、何よりある程度お腹に入れた方が頭も回ると思うのだけど」


「わ、私はそんな物」


 いらない、と言い掛けたところで鼻をくすぐる良い香りにぐぅと腹の音が鳴り、レイニストゥエラの顔がぱっと赤くなる。



 それに気づかない風でユーリィンは余った木匙を差し出した。



「ほら、よそったんだから食べていきなさい。冷めたら味が落ちるわよ」



 一瞬逡巡したものの、レイニストゥエラは匙を受け取ると隣にいるリュリュとの間に腰掛けた。集まる視線の中、汁を一掬いして口に運ぶ。



「…まあ」


 わずかに大きく目を見開いたレイニストゥエラは、それきり無言でひたすら匙を口とお椀の間を往復させている。その様子を見たムクロが隣のユーリィンにだけ聞こえる声で「お見事」と囁いた。



「言うじゃない。『美味しい物は司教すら沈黙させる』ってね」



 片目を瞑って見せたユーリィンも匙を取る。



「さ、あたしたちも食べましょ。レイニストゥエラも、お替りしたいなら遠慮なく言って。多めに作ってあるし、今日くらいはみんなで楽しく食べても罰は当たらないでしょ」



 勿論、その意見に意義のあるものはいなかった。



 しばし無言のまま匙を動かす音だけの時間は過ぎ去り、一頻り美味しい晩御飯に舌鼓をうった後ユーリィンとリュリュが手分けして皆に野草茶を注いで回った。



「ふぅ…」



 杯を満たした茶色い液体が胃に入り、心地よい暖かさと野草独特の爽やかな風味に誰知らず感嘆のため息が洩れる。


 もう一口、杯を傾けたところでようやくレイニストゥエラは自分の為すべきことを思い出した。



「決めましたわ」


「え?」



 すっくと立ち上がりながら、レイニストゥエラは今さっき思いついた考えを言い放った。その表情はこれ以上の名案は無いといわんばかりだ。



「あなた方、私の部下になりなさい」


「…はぁ?!」



 アベルたち全員、一斉に同じ言葉を口にした。



「あのルークという無礼者をそそのかした罪を償ってもらおうと思いましたが、この料理で見直しましたわ。考えて見れば今日の働きも見事なもの。私の部下としては十分及第点ですわね」



 にこにこと笑顔を浮かべるレイニストゥエラを見て、最初アベルは冗談のつもりかと思った。



「あー…どういうこと?」


「どうもこうもありませんわ。今言ったとおり。優れた班には優れた統率者が必要でしてよ」



 胸を逸らせてそう言い放つレイニストゥエラからは、冗談や酔狂で言っているわけではないらしいことがアベルにも読み取れた。



「えーと…料理を褒めてくれたことは嬉しいけど、その案はちょっと受け入れられないな」



 ひとまず控えめな返答のつもりだったが、それでもレイニストゥエラには不満だったようだ。



「何故です?」



 眉根が跳ね上がったのを見て、アベルもうんざりしてくる。普段なら適当に折れて相手しないところだが、他のみんなのこわばった顔を見るに比較的冷静さを保っている自分が対処すべきだとやむなく判断した。



「僕たちは互いに誰かの部下とか、従わせたりしてるような関係じゃないんだよ」


「そのようなこと…ありえませんわ。大体、あなたが指示していたではないですか」



 アベルはきっぱり首を振って答えた。ここは譲るわけにはいかない。



「確かに戦闘のとき指示はしたよ。でもそれはあの場で仲間に頼まれたからで、普段は命令なんてしてないし、そういう立場にもいたくないよ」



 それを聞いたレニーはあんぐりと口を開いて見渡した。



「で、でも普通こういう場では身分や立場の違いを設けるものではなくて? 優れた者が民を導くのは、我々に与えられた義務。ルークも、人族にはそういう社会ができていると言ってましたわ」


「君やルークがどういうところで暮らしていたのかは知らないし興味も無いけど」



 不愉快な名前を聞いたことでアベルはやや語気を荒くした。



「ここは王様のいるお城じゃないし、貴族と生活してる町の中でもない。ここにいる仲間は、みんな同じ“ただの生徒”だよ。それは君だって同じことだろ」


「それは…」



 レイニストゥエラは目を大きく見開いた。あまりに当たり前のこと過ぎて、逆に誰かによってはっきり指摘されるまで思ってもみなかったらしい。



「どうしても納得できないなら、ここにいる間の僕たちにとってはそういう考え方は通用しないと思ってくれ。この広い世の中、ルークたちのような付き合い方もあるんだろうけど、少なくとも今の僕たちはそういう付き合い方を好まないししたいとも思わないんだ。君がどうしてもそういう付き合いを求めるなら、よそへ行った方が良いよ」



 アベルは努めて角の立たない言い方を選んだ。疲れている上、美味しい食事を終えた直後に面倒くさい論争をするなんて誰でも避けたいに決まっている。



「それじゃあ…あなた方は、その…」



 残念ながらレイニストゥエラにはまだ終わらす気は無いようだ。とっとと議論を終わらせて出て行ってもらいたいというアベルの願いむなしく、戸惑いを露にしつつあえて聞きにくいことに踏み込んでいく。



「気を悪くしたらごめんなさい。それではその…法や規則を護りたくないはみ出し者ばかりが集まった、というのは本当なんですのね」


「そうじゃないってば」



 それまで黙って見ていたリュリュが言を継いだ。



「他の人族と組みたくないってのは確かにあるけど。それを抜きにしても、ボクたちは一緒にいたいからアベルと一緒にいるんだし、彼を信じてるからこそ戦いの場で指示に従ったんだよ」



 ムクロもすかさず付け足した。



「少なくとも、こいつはルークのように他人を盾にするつもりはないからな」


「では、校長に切りかかったのも? そういう立場に甘んじるを得ない学府の風潮が納得できないからと言うのは…?」



 アベルが大きく首を振る。



「違う。理由は…長くなるから省くけど、そんなしょうもない理由じゃないことは断言するよ。大体、僕は学府の風潮も校則もそのときはここに着たばっかりで知らなかったんだ。知らないのに納得できないも何も無いだろ?」



 そこまで言われ、レイニストゥエラは目を丸くして訊いた。



「それは全部…本当、ですの…?」


「もちろん。そんなこと嘘ついてもしょうがないだろ?」



 過ちを指摘され、信じられないと皆の顔を見渡すが、その表情から自分の考えがことごとく的外れだったことにようやく納得したようだ。たっぷりした間を置いて、恥ずかしそうに顔を伏せていたレイニストゥエラが上目遣いで見上げ、ぽつりと呟いた。



「…信じますわ。あの男の言葉に誠意が露ほども無いのは明らかですし、そこから察するならばあなたたちに対する風聞もほとんどが根も葉もないものなのでしょう」



 ようやく今日最後の騒乱が終わりそうだと、アベルは内心ほっとした。



「…あのさ、さっきも何かすごい剣幕で怒ってたけど、何があったの?」


 ふと興味が沸いたのか、リュリュの不躾な質問にレイニストゥエラは柳眉を寄せた。



「私に、ここへ残りたければ子飼いの部下になれと言ってきたんですわ。そうすればメロサー先生に口利きして助けてやる、と」



 ああ、と皆得心する。したり顔でそう命じるところが容易に思い出せた。アベルに到ってはまったく同じ趣旨のことを言われている。



「幾ら学府に残れると言っても、我がパルドールシェム家に対する失礼な振る舞い…到底許せるものではありませんわ!」


「…俺たちからすればどっこいどっこいにしか見えなかったがな」


「う…」



 レイニストゥエラはムクロの呟きにいささか傷ついたようだった。



「それは…そうですわね、今になって思えば無礼な態度をとったと思いますわ。…ごめんなさい」



 それでも素直に頭を下げたのにムクロも少し驚いたようで、いやとかなんとかごにょごにょ言ったかと思うと、大人しく口をつぐんだ。



「君が大変腹を立てた理由については判ったし、それについて僕たちも共感できる部分は多々あるけど…」


 アベルはやんわりと矛先を変えさせることにした。


「わざわざここに来たのは誤解を解くため、ということでいいのかな? それならこれでお互いの誤解というかわだかまりは無事解けたと思うんだ」



「そ、それは…そのぅ…そうなんですが…」


「ん? まだ何かあるの?」


「え、ええ…その、あの…なんというか…」


「ああ、そういうことかぁ」



 言いにくそうにもじもじしているレイニストゥエラの様子を見ていたリュリュがぱん、と両手を打ち合わせた。



「ねえアベル。レイニストゥエラも、ボクたちの仲間に入ってもらおうよ」



 その言葉に、アベルは怪訝そうに顔をしかめた。



「え? でも、それはさっき無理だって…」


「うん、ボクたちを部下にするってのは無理だってのは彼女ももう判ってると思う。けど、そのことを抜きにしてもレイニストゥエラはどっかの班に入るしかないんだ。ね?」



 リュリュの問いに、レイニストゥエラはおずおずとうなずいた。



「どうしてさ?」


「あのさぁ…アベル忘れちゃったの? ここの校則」


 そこまで言われてようやくアベルも思い出した。



 リュリュたちといることが当たり前になりすぎていて、最低三人から六人までの班を組まないと退学処分になることをすっかり失念していたのである。



「で、でもレイニストゥエラだって仲間がいるだろ?」



 レイニストゥエラは静かに首を振った。


「…みんな、ルークの方についていってしまいましたわ。食事代の支払いとかよく立て替えてくれていたから、彼が命令したら反対する者なんていないのです」



「食事代、ねえ…よその班員まで賄えるとは、たいした金持ちだわ」


 ユーリィンは呆れ顔だ。



「レイニストゥエラはどうしてたの?」


「私は幸い蓄えがあったから、それを切り崩していましたわ。…残りわずかですが…」



「道理でよく食べたもんね」


 ユーリィンの言葉に耳まで真っ赤にしながらも、レイニストゥエラは胸をそらして言った。


「もてなされたんですもの。ちゃんと頂くのが礼儀と存じましてよ」


 ユーリィンはくすくす笑いながらも、そうねとだけ応じるにとどめた。



「こほん。それで話は戻しますけど、他の班も私を入れてくれるところは無くて…」


「それで、うちに来たってこと?」


 こくんと頷く。



「今残ってる班は大抵新参が入れるような環境じゃない…か」


 他にも理由はあるだろうが、さすがにそれを口にするのはアベルにもためらわれた。



「そういう訳ですから…恥を偲んでお願いします。私をここに入れていただけないかしら」



 ずばり切り出され、アベルたちは考え込んだ。杯に入った野草茶が冷め切った頃、ようやくアベルの考えはまとまった。



「…皆はどう思う? 僕個人は構わないと思ってるけど」


 ムクロは肩をすくめてお前に任せるとだけ答えた。



「ボクはさっき言ったとおり。面白そうだし、余裕もあるから入れてあげようよ!」



 最後まで黙って考え込んでいたのはユーリィンだった。


「そうね、あたしも賛成で。今後のことを考えたら、好き嫌いは別として欲しい人材だと思う」



「それでは…!」


 ユーリィンの返答に、レイニストゥエラの顔がぱあっと輝いた。



「うん。これからよろしくね」


 差し出したアベルの右手を、レイニストゥエラはしっかり握り締めた。


麦餅むぎもち:パンのこと。出来立ての物を食べるということはほとんど無く、あらかじめ作り置きして乾燥させておき、食べるときはスープにつけてふやかして食べるというやり方で摂っている。大抵は塩で味を調えた野芋や山野草中心のスープなので、このときは疲れた中英気を養おうとちょっぴり贅沢しているのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ