第4話-3 はじめての(自主)校外見学
「ただいまー」
リュリュが着替えて戻ったとき、アベルは未だ薬湯と格闘している真っ最中だった。ムクロは部屋の隅で腰掛け、腕組をしたまますうすうとかすかな寝息を立てている。
「あ、鍋の方は空になってるね。残りは今飲んでる分だけか…頑張ってるねぇ」
「ええ。アベルもまたこれでいつもの元気を取り戻せるでしょ」
涙目で何かを訴えかけるアベルをあえて無視してリュリュはユーリィンに言った。
「何でもいいけど、またボクに吹きかけさせるようなことはしないでよ」
横目でにらみつけるが、ユーリィンはどこ吹く風だ。
「それはあたしじゃなくてアベルに言って」
「アベルも勿論だけど、大本の原因を前もって取り除く努力は必要だと思うんだ」
「そうね、とりあえず考えておくわ」
リュリュも当然色よい返事が返ってくるとは期待していない。見せ付けるようにして大仰にため息を吐くと、そのまますいっと空を飛び食卓の一角に腰掛けた。
「そうそう、そういえば寮の裏庭でジーン先生が大騒ぎしてたよ。おかげで今も耳がきんきんしてるよ」
「あらまあ、それは災難だったわね」
大して興味も無さそうにユーリィンが相槌を打った。
「何であの先生、ここで先生やってんだろ? いっつも役に立たない占いばっかだし…この間だってそうだよ、やれお気に入りの水晶が曇ったから不吉だの、朝起きたら鳥が騒いでたから不吉だの、あの人一生で休まる時があるのかって心配になるくらいだよ」
「それだけ人生に彩りがあって素晴らしいじゃない。いつでも新鮮な感動を持ちつづけるなんて中々できないことよ?」
したり顔でうなずくユーリィン。それにリュリュはもう一度、大きく嘆息してみせる。
「そうだね、それは良いことだとは思うよ。周りの人間と無理やりその幸せを分かち合おうとしてこなければだけど」
そしてちらり、とリュリュは空の鍋に視線を向けた。
「その点ユーリィンさんはジーン先生の愛弟子として、その素養を立派に受け継いでるよね」
「止めてよ。少なくともあたしは純粋な善意で動いてるんだから」
ユーリィンはわざとらしく神妙な面持ちを作って見せた。
「その理屈が通るなら、ジーン先生もきっと同じように答えると思うけどね」
「残念だわ、あたしがジーン先生と同類に思われるなんて。あたしはただとても友達思いなだけなのに」
大して残念そうに思ってないのはその口ぶりからも明らかだった。
「うんうん、ボクは良く判ってるよ、ユーリィン本人よりもね。ともあれ、ユーリィンとジーン先生の共通点についてはまたの機会に話し合うとして、二人の話を聞いちゃったんだ」
「あらあら、盗み聞き? あまり良い趣味じゃないわね」
ユーリィンの反撃にリュリュは肩をすくめるにとどめた。
「ボクもそう思うけどね。先生方が隠すつもりが無くてたまたまボクの耳まで届いちゃったんだ。それならしょうがないと思わない?」
「それで、何を聞いたんだ?」
いい加減進まない話に痺れを切らしたムクロが口を挟んできた。いつの間にか起きていたらしい。
「昼寝してたんじゃなかったの?」
「お前たちの声に起こされたんだ。昼寝してたとわかってるならもう少し小さく喋れ」
「そっか、ごめんね! それで話はどこまで言ったっけ…そうそう。ジーン先生によるとね、ヴァンディラって街が襲われるんだってさ」
「ヴァンディラ、ねぇ…確かフューリラウド大陸の南西にある街だったっけね? あたしやリュリュには縁の無い街だけど」
「俺もだな。大体、襲われると言っても本当に起こるのか?」
疑わしげなその言葉に、リュリュは首を振った。
「さぁねぇ…あのジーン先生の言うことだし、ボクはまたいつもの発作だといわれても驚かないよ。化獣の群れに襲われるって言ってたけど、どうせいつもみたいな変な夢見たとかってオチじゃないの」
「今の話、本当か?!」
突然アベルが真剣な面持ちで身を乗り出してきてリュリュは驚いた。
「う、うん。メロサー先生は嘘だって言ってたし、ボクもそう思うけど」
「そこじゃない。化獣の“群れ”に襲われる、そう言ってたんだな?」
「うん、それは間違いないよ…どうしたの?」
考え込んだアベルに、リュリュが小首をかしげた。
「まさかとは思うけど…ちょっと校長に会ってくる」
言うなり立ち上がったアベルを、三人も驚きながらもすぐに後を追いかけた。
「髭達磨? いないよ」
まず飛び込んだ教員室に一人残っていたアルキュス先生の言葉に、アベルはがっかりした。
「どちらに出かけたんですか? もうしばらくしたら返ってきますか?」
気色ばんで尋ねられたアルキュス先生はちょっとびっくりしたものの、それでも今日は帰らない旨を教えてくれた。
「そうですか…」
元の教室に戻る間、アベルはずっと一人何事かを考え込んでいる。彼の反応に戸惑いを隠せないリュリュたちも後から部屋に入ったところで、アベルは三人に向き直った。
「ちょっと聞いて欲しいことがあるんだ。君たちからすれば、ジーン先生みたいに馬鹿なことを言うと思うだろうけど、まずは終わりまで聞いて欲しい」
言われた三人はお互い顔を見合わせ、リュリュが尋ねた。
「ひょっとして、この前アベルが校長室へ行ったことと関係あったりする?」
「…うん。多分、関係あると思う」
「わかった、聞かせてもらうわ」
思い思いに三人が腰掛けたのを見届けたアベルは、リティアナにまつわる部分以外のガンドルスから聞かされたことを伝えた。
三人は最後まで黙って聞き終えた。
「アベル、お前は…今回もそのブレイアと同じことが起きる、と考えているのか?」
ムクロの問いに、アベルはおずおずと頷いた。
「多分だけどね。化獣は本来その性質上、群れて行動しないはずなんだ」
アベルの言葉に、リュリュたち三人は互いに顔を見合わせる。しばらくどう答えていいか迷っていたが、やがてムクロが口を開いた。
「そもそも今の段階では、その件が本当に起こることかすら判らん。それに加えて本当に“群れで”現れるかもわからんぞ?」
慎重な考えのムクロにアベルは苦笑して答えた。
「まあ、ね。僕もジーン先生の占いがどこまで信用できるかはわからない…僕が逆の立場なら、きっと同じように思う。だけど、今回あえてそれを見極めるために確かめに行くつもりだ」
アベルの言葉に、ムクロたちは怪訝そうに顔をしかめた。
「何故わざわざ?」
「もし誰かが起こしているなら…そいつの正体を突き止めたい」
群れを率いる者を見つけられればそれは今後の調査が大きく進む。校長がいれば相談できただろうが、それができないからと黙して待つという選択肢は選べなかった。
「だからこうやって説明したのは、僕が単独行動をするって改めて宣言しておきたかったからなんだ」
「リュリュが立ち聞きしたから?」
ユーリィンの問いにアベルは頷いた。
「うん。それを僕が偶然聞いただけで、みんなには関係ない。そうしておけば、何かあったときに面目が立つだろ?」
アベルの考えをユーリィンは鼻であしらった。
「色々アベルにしては小細工を考えてるみたいだけど、あたしも行くわよ?」
「え!?」
驚いたアベルに、ユーリィンは呆れたように答えた。
「あら、何を不思議そうな顔をしてるの? あたしは一緒に行かない、なんて一言も言った覚えは無いけど?」
「おいおい、僕の我侭にユーリィンまで付き合う必要は無いんだぞ!?」
「おあいにく様、あたしはあたしの都合で行くの。たまたま今回はアベルと合致したってだけだから、あんたは気にしなくていいわ」
「はぁ…そういうことなら仕方ない、判ったよ。まあどうせ外れてたらすぐ戻るし…」
不承不承、アベルはユーリィンの同行を認めた。
「じゃあそういう訳だから、リュリュたちは残って…」
「もちろんボクも行くよ! 今更止めようとしないでよね?」
続けてリュリュも同意したのを見て、アベルは思わず大きな声をあげてしまった。
「だから遊びに行くんじゃないんだって!」
「アベルにだけは言われたくないよ」
リュリュが唇を尖らせて言った。
「ボクが聞いてきたことなんだから、ボクをおいてけぼりにするなんて筋があわないよ!」
「そんな無茶苦茶な…」
「最後になったが、俺も行くぞ」
ムクロも挙手して同道の意を示した。
「ムクロまで?!」
呆れるアベルに、ムクロは事も無げに答えた。
「久しぶりに学府の外へ行くのも悪くないからな」
その言葉にアベルは呆れてしまう。
「だからさ、遊びじゃないんだって!」
「判ってる、判ってるって」
けらけら笑うリュリュに不安を覚えどうにか思いとどまらせたかったアベルだが、次の授業開始の予鈴が鳴る。時間切れになったことを悟ったアベルは大きくため息を吐いた。
彼女らがこうと決めたら、覆すとなると多大な時間を無駄にしてしまう。それだけは避けたい。
「しょうがない。手短に作戦を決めるよ」
相談に集中していた四人は、それまで廊下で立ち聞きしていた人物が落とした白い羽根が風に吹かれて室内に舞い込んだのにも気付かなかった。




