第38話-3 戦士の覚悟
「すみませんでした!」
学府へ戻ったアベルが真っ先にしたことは、デッガニヒたちに頭を下げることだった。
「どうじゃ、気持ちの整理はついたかの?」
「……はい」
正直に言えば、まだベルティナを切るということには抵抗がある。
しかし、駄々をこねられる事態でないこともアベルも理解していた。
「うむ。今はそれでよい」
アベルの葛藤を汲み取ったデッガニヒはそれ以上責めようとはせず、ただ頷くに留め周囲を見渡した。
今、校長室には彼とハルトネク隊しかいない。ガンドルスの亡骸は、アベルたちがレジエン湖畔にいる間に外に運び出されたようだ。
「後は理事長とディアンを待つだけじゃな」
デッガニヒがそう言い終えたのと時を同じくして、巨大な虫が引き起こす羽音のようなぶぅんという唸る音が部屋に鳴り響く。少し遅れて部屋の中心が撓んで見えたかと思うと、次の瞬間その場に理事長を伴ったディアンが立っていた。
「ふん…アベル、どうやら頭は冷えたみたいだな」
「…お爺さんも、ごめん」
「これで関係者全員揃ったというところかの。さて、それでは改めて、今後の予定をざっと決めるとしよう。すでに説明した者もおるが、再確認と思ってちゃんと聞いてもらいたい」
誰もが深く頷いた。
「まずはディアン。首尾はどうじゃ?」
「誰に物を言っている。おい、アベル」
そういうと、相変わらず渋っ面のディアンは布にくるんだ品物をそのまま無造作にアベルへと放ってよこした。
「うわっ、何?!」
「お前用に誂えた篭手だ。付けてみろ」
そう促されたアベルは言われたとおり包み布を解いていく。
中には銀白色に輝く右篭手が収められていた。
指先から肘までをがっちり覆う聢りした物で、突貫で作ったためか装飾が一切無い無骨極まりない造りだが、唯一前腕の部分に台形を二つ底でくっつけ合わせたような形をした透明な水晶が埋め込まれているのが見て取れた。
「うわ、何これ?! でかっ!」
リュリュが飛び寄って驚いた。
確かに、水晶だけでリュリュの足から腰までもある。その癖、使われている金属以外の重さを感じさせないのがアベルを驚かせた。
「それはわらわのレプリカじゃ」
理事長が自慢げに胸を反らした。
「その小手には、簡単に言えば奴の障壁を打ち破れる能力を与えてある」
首をかしげるハルトネク隊に、ディアンが噛み砕いて説明した。
「お前たちも一度戦ったなら分かると思うが、あいつの身体は超高濃度の魔素で構成された素体と同じことになっている。要するに、強力な錬金具と同じと思えばいい。そんな相手に普通の武器では傷がつけられん。自動的に表面を覆う魔素が弾いてしまうからな」
「じゃあ、これには化獣の擬態を破ったベルティナの匙のような加工がしてあるの?」
リュリュの言葉に、ディアンがはじめて口元をほころばせた。
「察しがいいな。バゲナンより錬金術の素質があるぞお前」
「えへへ~」
嬉しそうに破顔するリュリュをさておき、ディアンの説明はつづく。
「話を聞くに、兵に紛れ込んでいた化獣は魔素を擬態用に使っていたようだから考え方は同じだ。違うのは、その匙は水に含まれる魔素に働きかけているのに対し、こちらはお前たち、もっと言えばお前たちの持つ武器だけに反応する。急ぎで作ったから効果時間や範囲に限りがあるが、そうやって指向性を持たせることで間に合わせた」
「使う場合は奴と対峙したところで使用者がわらわの加護を求めればよい。『我らが命は光とともにあり』とでもな」
「効果が発動すると、具体的にどうなりますの?」
「その篭手の加護を受けた武器で触れれば即座に核鋼がまとう魔素を分解、霧散させる。そうなれば、相手の肌に刃が通るようになる」
「おおっ、すごい!」
感嘆するリュリュに、理事長が念を押す。
「だが、ゆめゆめ慢心するでないぞ。魔素による障壁が消えただけで、元の肉体が劣化するわけではない。普通の生物なら疲労や怪我による消耗もあるが、従僕にはそれがない。加えてどんな生物より硬い体、突出した力、比ぶべくも無い回復力がある。魔素をはがした後は、純粋な戦闘力による真っ向勝負になるであろうな」
「望むところだ」
珍しく、ムクロの言に熱がこもっている。ネクロが利用されたことが怒りを掻き立てているのだろう。
「時間はどれくらいもつの?」
ユーリィンの疑問に、理事長が答えた。
「おおよそ一日。短いと思うかも知れんが、どうせ成功するにせよ失敗するにせよその程度で十分じゃろうて」
「ボクのクロコは? 武器じゃないよ?」
不安げに尋ねるリュリュに、理事長はさらに説明した。
「案ずるでない、要は同じことよ。そなたらの意志を増幅させ、魔素を打ち消すのじゃからな。…あるいは、持ち主の意志を増幅する故、むしろ純粋に意志を通わせるその傀儡の方がより効果が出るかも知れぬ」
それでも得心がいかないのか、リュリュは何度も首をひねっている。
そして、デッガニヒが締めくくった。
「くれぐれも繰り返すが、決して気を抜くでないぞ。例え身を守る魔素を削れたとしても相手の能力は高い。人を何とも思わず、おまけに長年人の世に雌伏してきただけの老獪さも兼ね備えている。実に危険な相手じゃ。この戦いできっちり止めを刺さなくては、今後どんな災厄をこのフューリラウドに振りまくか想像も出来ん」
一同は深く頷いた。ユーリィンの預言がセプテクトを指すのであれば、ここで逃すわけにはいかない。
「ところで」
一息置いたところで、アベルは聞きたくなかった質問をあえて尋ねた。
「篭手を発動させてから切ったベルティナは…どうなりますか?」
沈黙が重く垂れ込める中、理事長がゆっくり話し出した。
「……鍵の娘は、一度肉体を構成している魔素を分解し、核鋼が表にむき出しになった状態で起動コードを発動させられておるはずじゃ。そなたたちから見て人格や思考に見えるものは、核鋼に流れる魔素が人などでいう脳波にあたる形で担っておる。すなわち、それが破壊されるということは…脳を破壊されるに、等しい」
魔素が触れた時点で分解させられる、ということはつまりベルティナという人格そのものが消失することを意味している。つまり――鍵として使われたら最後、助ける手立ては無い。
覚悟をしていたつもりだったが、あえて明言されたことでアベルたちの気持ちは重く沈んだ。
「そして、他の者たちだが…彼らの分まで対抗手段が設けられんこと、そして何より敵の狙いが今も尚こちらに向けられることも考慮せねばならん」
咳払いして注目を集めたデッガニヒが話をつづけた。
「そこで、戦力を三つに分けることにする。まずは学府に残り、押し寄せてくる化獣を防ぐ役目。これは主にわしら学府の者たちとで当たる」
「俺も手伝おう。錬金兵を半分担当してやる」
ディアンがぶっきらぼうに言った。
「バゲナンはまだ回復しきれておらんようだからな。とうに戦線から退いて錆び付いている老いぼれだが、いたしかたあるまい」
「うむ、そうしてもらえると助かる。二つ目は、ディル公国連合軍じゃ。アリウスに聞いたが、セプテクトのいると思しき遺跡は王族だけに秘された場所だそうじゃ。恐らく、そこへ至るまでの道にはディル皇国内に残された化獣たちが大勢配置されていよう。そのため、そやつらの目を外部からひきつける必要がある訳じゃが、そこへは他学府のみならずアグストヤラナからの希望者も数人募ることになるじゃろうて」
「どうしてわざわざ学府の希望者を?」
「敵をかく乱するためにも、格好が似ている者の方が良かろうと思ってな」
「リュリュを誤魔化すのって難しくない?」
「それについては問題あるまいて」
理事長が会話に割り込んだ。
「遺跡では、主にスペクトラムアナライザーが侵入者を監視するようになっておる…うん、そなたらには判らぬよな、すまなんだ。ざっくり言えば、見た目そのままではなく、魔素で周囲の動体反応…動くものを確認しておるということじゃ。そこな小翅族の少女はそれなりに魔素の蓄積量は多いが、他の種族と比べたらの話。従僕や神とは比肩し得るべくも無い。故に、他の生徒でも問題なく誤魔化せるであろう――無論、目視できる距離になったら別の話じゃろうがな」
難しい言葉がつらつらと出ているが、問題ないということだけはかろうじてアベルたちにも理解できた。
「なるほど。納得しましたわ」
「最後は、アベルたち遺跡深部に向かうハルトネク隊。可能ならば他の者もつけたいところじゃが、時間との戦いになる以上大多数の部隊を送り込むのは混乱を招いて危険になると判断した。諸君らの目的は、単身ベルティナの救出、及びセプテクトの撃破」
少しの間を置き、言いづらそうにデッガニヒはつづけた。
「…そして、ベルティナが救助できない場合――その破壊までもが任務に含まれる」
今回は誰も――アベルを含め――口を差し挟む者はいなかった。
「それでは作戦を開始する。陽動部隊は三十分後、そしてハルトネク隊は戦況に応じて転送陣で向かってもらう。以上じゃ…異論や反論はあるかの?」
デッガニヒが一同を見渡す。
「一つ、教えてください」
アベルが手を挙げた。
「何かね?」
「…僕らが失敗したときは、どうなりますか?」
その言葉に、室内の空気が変わった。
やや間を置いてから、理事長が答えた。
「それを聞いてなんとする?」
「僕には、責任として知る義務があると思います」
「…胸糞の悪くなる話であってもか?」
アベルは頷く。理事長は、小さく嘆息してつづけた。
「アベル、お前に預けた小手には、お前の生体反応を読み取る機能もついておる。お前が生きている間は、なんら問題ない。じゃが、生体反応が無くなった時は…わらわが、その小手があった場所に向かい、今撃てるだけの力を放つ」
教師たちやディアンは黙ったままだ。彼らはすでに聞かされていたのだろう。
「そうすることで、小手を中心とした半径5km圏内のあらゆる存在を焼き尽くす…わらわと同じ神である弟を除いてな。それ故、そなたたちにのみ託するのじゃ。どうじゃ、辞退したくなったか?」
言下にアベルは首を振る。
他の仲間たちも、口を開く様子は無い。ただ黙って理事長をまっすぐ見つめていた。
「いいえ。おかげで後顧の憂い無く行けます。……ありがとうございます、理事長」
そういって深々と頭を下げたアベルを筆頭にハルトネク隊が部屋を後にする。
「責めるどころか、頭を下げられるとはな…わらわにはそのようなことをされる資格など無いというに。まったく、このようなことしかできぬ我が身が恨めしいわ」
残った理事長は哀しそうに長嘆息した。
「それはこちらも同じことじゃ。生徒を矢面に立たせることしかできんのがもどかしいわい」
そこへデッガニヒも同意するのへ、ディアンが呆れたように返した。
「耄碌したか、おいぼれども」
「何がじゃい」
「ここは何だ、軍学府だろうが。老人たちの屯する王宮じゃあるまいに。わしの孫も、あいつを支える他の連中も、立派にやれるだけの力を持っている。前に出て行くのは、これからの未来を担うあいつらのような連中にこそ相応しい。俺たち年寄りは、黙って後につづく連中の支えになればいいんだ。あいつらを信じて待つ辛い役目こそ、今の俺たちのすべき役割だろうが。いつまでも女々しく嘆くな鬱陶しい」
「ぐぬぅ…」
デッガニヒは苦々しげに呻いた。
「ええいまったく、ガンドルスの奴め、恨まなくてはやってられんわい。面倒なことばかり押し付けおって…あの世であったらたらふく酒をおごってもらわんと割に合わんぞ」
その言葉に、ディアンも頷き、そして仏頂面を崩さず言った。
「まったくその通りだな。そしてもう一つついでに言えば、そんな面倒なことにわしらを巻き込んだお前からまずは酒を奢ってくれるんだろうな?」
理事長も、舌なめずりをして同意する。
「ええい、この生臭神めが!」
デッガニヒは一旦ぽかんと二人を順繰りに見つめた後、やがて小さく頭を振ってぶつぶつ文句を呟いた。




