第4話-2 リュリュ、聞いちゃいました
「んもー! しんっじらんない! 幾らボクが他人よりちょっっっとばかし小さいからって、人のこと汁まみれにするなんて!!」
ぷりぷり怒りながらもリュリュは一人廊下を飛んでいた。あの後アベルが必死に謝ってくれたものの、全身から立ち上るすさまじい匂いは途切れることのない不快感を搔き立てる。
おまけに原因の片割れであるユーリィンは謝るどころかげらげら笑い、最後には立っていられなくなって椅子にもたれかかっても尚ひぃひぃ笑いつづけていたのがまた腹立たしい。今リュリュの中での怒りの比重はどちらかといえばユーリィンの方に偏っている。
「うう…おかげで下着までびっちょびちょじゃんか。さっさと着替えないと風邪引いちゃい、そ、そ…くしゅんっ」
秋も深まり、物陰では肌寒さすら感じるようになってきている。
可愛らしいくしゃみをしたリュリュは、気持ち速めに飛ぶことにした。
階段を上がり、自室に戻る三階の廊下を進んでいたとき、ふとリュリュの耳に妙に間延びした聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「それはほんとうですーか?」
「メロサー先生?」
教員室ではなく、わざわざ人目のつかない寮の裏手で何を話しているんだろう?
普段なら気にも留めないところだが、ふと興味を覚えたリュリュは覗き見してみたい誘惑に駆られた。
「んー…ちょっとくらいいいよね?」
周囲を見渡し、誰もいないことを確認するとリュリュは窓によっていく。声の主はリュリュのいる廊下の外、真下の裏庭にいた。
「あれは…ジーン先生かな?」
飾り用に垂らした虹色に彩られた細長い布を被り、襟の立つ丈の長いたっぷりとした紫紺の衣服に身を包んだ天人の中年女性の姿は見間違えようも無い(はじめて彼女を見たとき、リュリュをはじめ多くの生徒たちはその異常に派手な外見から彼女のことを旅芸人だと勘違いした)。
占術学科のジーン先生は、デッガニヒのそれに比肩し得るでっぷり突き出た腹を揺らしながら鼻息荒く保証した。
「本当ですわ! 私の占いにそうでましたもの! 今日の昼過ぎですわ!!」
両手を鷲爪のように開き今にもメロサーに飛び掛らんとする風情は、どことなく大蟷螂を捕食せんとする華美な禽鳥を髣髴とさせた。
「ま、またまーた、どうせ望郷の念に駆られただけなんじゃないんですーか? だいたーい、先月もーぉ、そんなこといって大騒ぎした挙句ーぅ、里帰りしただけじゃないですーか」
「そ、そのときとはまた違う占いが出たんですのよ! 今度は本当の本当なんですわ!」
毟られた鳥の羽毛のような、不ぞろいの切れ込みが入った両袖から突き出たぽっちゃりした両腕で頭を抱え込む。ジーンのそういう大仰な動作は決して実際の痛苦を感じているわけではなく、人目を引く癖の様なものだ。
「うへぇ…うるっさい…」
まるで幼い娘のような甲高いキイキイ声が、離れたリュリュの耳にもよく刺さる。
リュリュは早くもげんなりしていた。
やはり、彼女のことはどうにも生理的に受け付けられそうに無い。
入学当初、実はリュリュも占いに興味があって数回彼女の授業を受けた時期がある。だが想像していたのと違いジーン曰く実践より理論を重点においていた点、そして何よりその声音から察せられるように気持ちが高ぶるとちょっとばかり感情的になって手がつけられなくなるという悪癖が嫌で、今はもう受講していない。
ちなみに同様の感想を持つに至った生徒は結構いるようで、今では彼女の受け持つ授業は座学で楽であるにも関わらず生徒の数がだんとつに少なかった。
「ユーリィンもつくづく変わってるよねぇ、あの先生が平気だなんて」
リュリュはしみじみ嘆息紛れに今回の発端となった人物のことを思い出していた。
不思議なことに、ユーリィンは超音波にも負けず真面目に占術の授業に出席している。そういう性質ではないと思っていた友人の意外な一面を知って驚いたものだ。
「ですーが、所詮占いは占いなのでーは、ありませんーか?」
「いいえ間違いありませんわ! ヴァンディラが化獣の群れに襲われるんです!!」
下では二人の問答がつづいている。
「今回の占いは間違いありませんわ! 私だって、一つの占いで済ますところを今回は三つも試したんですからね! 三つも、三つも、三つもなんですわよ!!」
詰め寄るジーンの歩幅と同じ分だけ、メロサーが後ずさる。
「とはいってもですねーぇ…わたしはーぁ、あなたの占いをあんまり信じてないんですーよ。時代の節目にーぃ、関わるようなことは当たーる…でしょーぅ? 今の時代ーぃ、どこも戦争ばかりーで、節目ーも何も無いじゃないですーか」
「まあなんてこと!? メロサー先生は私の占いを信じないと仰るの?!」
「い、いーや、そういうことではなくてですーね…」
「そういう風にしか聞こえませんわ! 大体、今回の占いはそういう点から見てもですね、大きな意味を抱えるかもしれないんですわ!!」
すでに彼女の興奮は最高潮に高まっており、噂の悪癖を遺憾なく発揮しようとしている。ほんのちょっぴりだけ、リュリュはメロサーのことが気の毒になった。




