第36話-3 急襲
アリウスをデザムに預け、受け取った転送球で急遽学府へとんぼ返りしたアベルたちは景色が変わったところで言葉を失った。
白い校舎は爆発の後だろうか黒い煤と焼け焦げた跡とであちこちがまだらになっており、本来なら生徒たちの往来で賑わっているはずの踊り場ではバゲナンが操る銀鎧の錬金兵が至る所で化獣兵の軍勢と戦っていた。
扉がきっちり閉められている大食堂は聞こえてくる声からして一年生の避難先となっているようだ。その扉を破ろうと暴れる陸王烏賊の化獣三匹相手に、単身コツラザール先生が足元をちょろちょろ駆け回りながら身長の半分もある馬鹿でかい山刀を使って器用に足の肉をそぎ落としている。
反対の、少し離れた木陰では錬金兵の手が回らないのか、身を隠しながら危なっかしい手つきで二年の生徒たちが弓を射ていた。
「ああもう、まったくなんて様なの! せめて矢をあらかじめ地面に突き刺しておくくらいしないからもたもたして間合いを詰められるんだわ! 基本的なことがなってないじゃないの!」
慣れていないため無駄射ちが多く、新しい矢を番える隙を突いて突撃してくる山犬の化獣に慌てふためいて逃げ出す者もちらほら見受けられたものの。
「うわぁ…占術より弓術担当の方が向いてるんじゃないのあの人…」
リュリュが呆れ半分に感心したのはジーン先生だ。
校舎正面にある教室に隠れたジーン先生が、幾つもの巣穴から外を伺う地鼠よろしく不規則にあちこちの窓からひょこひょこと身を出し、あるいは隠れつつして、迷い無く化獣の頭を正確に矢で射抜いては生徒たちの撤退を必死に援護している。
その狙いはユーリィンに負けず劣らず正確無比だ。
「あちらは何とかまだ持ちこたえられそうだが…このままでは不味いぞ、アベル」
その隙に弓手たちは持ち直すことができたが、それを見て洩らしたムクロの言葉に状況を把握したアベルも頷いた。
中でも熱戦が繰り広げられている校庭では、いくつか敵味方が入り乱れている塊が見えた。
それらの中心にいるのはルークたちといった生徒の中でも比較的技量が優れている者たちか、メロサーら教師たちだ。ぱっと見の上では学府側が有利だが、逆に言えばそれ以外の生徒たちの負担がしわ寄せが集まっているとも言える。
こうなったのは、いかんせんまともに戦えるだけの技術や経験を持つ者が少なすぎるからだ。
学府と契約している冒険屋の大半は、クゥレルたち同様ディル皇国での戦闘に駆り出されたためここにはいない。元々人数が多すぎるため、順次ベンナグディル城備えつきの転送陣で戻ってくる予定だったため、即戦力は期待できまい。
今はそこそこに戦えている錬金兵がいるおかげで戦局が拮抗しているように見えるが、バゲナンの魔素が尽きたときが学府の終焉となるだろう。
その前に何とかしなくてはならない。
アベルは辺りを一瞥すると、ひときわ化獣たちの集まっている一角に向かい駆け出していく。そこに敵味方関係なく誰かしら、指揮を執るような者がいるだろうと判断したからだ。
「こちらハルトネク隊だ! 援護に入る!!」
そう叫びながら、背を向けている化獣の背中を切りつける。そいつがぎゃっとうめいて倒れたことで、対手の顔が見えた。
「おお、戻ったかアベル! 首尾はどうじゃ!」
倒れた化獣に剣を突きたてながら、デッガニヒが尋ねる。普段はにこにこと笑顔を絶やさない彼の顔が今は鮮血に塗れ、激しい戦いのあったことを如実に示していた。
「アリウス“王”は、ディル皇国に残って兵士たちの動揺を抑えています!」
アベルが手短に報告を終えると、デッガニヒは頷いた。
「任務成功、何よりじゃ。じゃが、その展開は奴さんにとっては想定のうちだったようじゃな」
「誰ですかそいつは」
デッガニヒと互いに背中を預けるようにして新手の化獣と切りあいながら、アベルは尋ねる。その左右でも仲間たちは各自他の生徒たちと協力して化獣を駆逐していた。
「詳しくはわしも知らん。アリウスなら見知っておったかも知れなんだが…じゃが、見る限り司祭の格好をしておったように見えた。いつの間にか校庭に姿を現しておってな。気づいたメロサー先生たちが制止しようとしたが、奴さんが手を大きく振った途端どこからか化獣が大挙して現れたのじゃ。わしらに表に出たときには後手後手でな、生徒の避難も十分にできておらん有様じゃ」
恐らくそいつがセプテクトだろう、アベルは直感した。
先刻のレラザールは神がどうとか言っていたが、それとどんな関わりがあるのか…ともかく、今は情報を集めるのが先決だ。
「そいつはどうしてここへ?」
アベルの疑問にデッガニヒは頭を振った。
「さあて…判らんがなんにせよ、ろくなことは企んでおるまい」
説明しながらも飛び掛ってきた正面の化獣の腹を下から突き、あばらのぼきぼき粉砕される音を立てつつ吹っ飛ばしたデッガニヒは、今度は左から飛びかかろうとした化獣の攻撃をもひょいとかわして空いている拳で鼻っ面を力の限り撃ち抜く。歯を何本も撒き散らしながらそいつは人ごみの中へぶっ飛んでいった。
「やるじゃない」
ユーリィンの賞賛にデッガニヒはにやりと片目を瞑る。だが、すぐにもとの真面目な顔に戻った。
「それより、ここはわしだけでええ。お前たちは、学府の地下へ向かっとくれ! 地下牢の先の階段から行ける!!」
「どうして地下へ?」
顔をしかめたデッガニヒの返答に、アベル、そしてリティアナが顔を青ざめさせた。
「侵入者が小さな子供を引きずりながらそちらに向かったんじゃ。あれくらいの子供はここにはベルティナしかおらん。ダーダとガンドルスが単身後を追ったが、奴は病み上がりじゃ。その癖あやつめ、わしが共に行こうとしたら生徒を守れと断りおって…ともかく、放置できることではあるまいて」
それだけ聞けば十分だ。
「判りました、行ってきます。ベルティナを確保し次第戻ってきて手伝いますので、それまでご無事で!」
「おう、早めにな。こちらも片付き次第後を追う!」
会話を打ち切ったアベルは対面の化獣を蹴り飛ばし、地面に転がったところを刺し殺すと身を翻し仲間たちを引きつれ共に校舎に向かった。
「この先だな…まさかまたここに来ることになるとは思わなかったよ」
アベルたちは地下牢の前を駆け抜ける。
「今回は牢屋に用が無いだけましだね~」
「まったくだわ…あたしらにとっては懐かしいわね」
かつて入学式の日に連行された地下室から下へ続く扉に掛かっていた大振りの錠は凄まじい力でねじ切られており、侵入者が確かにこの先へ侵入したことを知らしめていた。
扉を開くと中からひんやりした空気が肌を舐った。薄暗い行く手の先に、埃の積もった下りの石段が見える。
「行こう」
六人は二列縦隊となって階段を降り進んでいく。最初は一度に三、四段ずつ飛ばしで駆け下りていくアベルにすぐ後ろのムクロとユーリィンが続いてきたが、すぐに彼らは今いるところがただの地下への階段ではないことに気づいた。
「ねえアベル、何階になるかなここ」
「さあ…。部屋も無いし、ぐるぐる回ってるから…少なくとも七、八階分くらいは下ったはずだけど…ただ、ベルティナがここを通ったことは間違いない。だったら行けるところまで行くまでだ」
床を剣で指し示したアベルが呟く。
その先端に灯された燃えない火は、階段に積もる埃の上に残された小中大と三人分と獣の足跡を照らしていた。小さい方は引きずられたような跡がたびたび残っており、無理に引致されているらしいことがわかる。
「ベルティナも抵抗してるんだわ!」
リティアナが声を張り上げた。
「ああ…急ごう」
急ぎ足で下り続ける六人が代わり映えのしない風景にいい加減うんざりしてきたところで、ようやく変化が現れた。
まるで井戸の底のような突き当りに辿り着いたのだが、そこの壁、平たくなった一面に嵌め込まれていた鉄扉が無造作に開け放たれている。
「この先か…だが、これは」
開かれた扉の先に短剣を差し伸ばし、写った光景を見たムクロがレニーを呼ぶ。それを覗き込んだ彼女は大きく頷いた。
「ええ、間違いありませんわ。あの遺跡と同じですわね」
「とすると、この先は遺跡のどこかに繋がってるのかな」
「或いは、他の区画などと繋がってるのかも知れないですわね。ムクロはご存知?」
ムクロは首を横に振る。
「知らない場所だ」
「ならここで首をひねっていても答えは出ないな。ここから先は何が飛び出るか判らない、慎重に行こう」
アベルの言葉に五人は頷く。
そうやって歩を進めるハルトネク隊だったが、幸い次の変化はそれほど時間が掛からずに済んだ。
六人の向かう先を伸びた廊下の先から、何かを殴るような音、そして微かに悪態をつくような男の声が聞こえてきたからだ。
アベルたちは急いだ。




