第35話-3 レニーとセリラナ
「ここですわ」
湖畔の辺に建つ街の中で山側に位置する、富裕層の住宅地の中でも一際目立つ白くて巨大な石造りの瀟洒な建物に一行は来ていた。ただでさえ人通りの少ない往来だが、この辺りまでくると閑散としたものだ。
「はぁ…でかい家ねぇ」
しみじみ感心したようにユーリィンが呟く。
確かに、アベルもここまででかいと思っていなかった。すぐ傍に見える納屋らしき物が、かつて祖父と暮らしていた小屋よりちょっと大きいくらいだ。
「レイニストゥエラさん、さ」
ジーン先生に促され、レニーはややぎこちない動きで門扉に近づく。背丈の倍ほどもある扉の正面に立つと、これまた人の頭ほどもありそうな叩き金を使いごんごんと門を鳴らした。
たっぷりした間を挟みながらも三度目を鳴らそうとしたところで、扉から一人の、天人族の女性が姿を現したのが見えた。
見た目ユーリィンより少し年上っぽいものの、その格好から見るに家政婦長らしい。
その顔を見たところでレニーの顔がほころんだ。
「あ! セリラネ!」
その嬉しそうな声に、セリラネと呼ばれた女性も顔を綻ばせた…のも束の間。
「…何用でしょうか?」
門の向こうから返された返答は、表情同様感情を交えぬ冷たく硬いものだった。
「え? セリラナ…ですわよね?」
知己の思いがけない反応に、レニーが困惑を隠しきれない。
「はい、わたしの名はセリラナです。それが何か?」
まるで初見の相手に対するような反応に、他の仲間たちにも混乱が伝播する。それでもと、リティアナが口を差し挟んだ。
「あの…わたしたち、ここの領主にお話を伺いに来たんです」
「あなた方は?」
怪訝な面持ちを隠そうともせず尋ねられ、アベルは自分たちが名乗っていないことに気付いた。
「す、すみません。僕たちはアグストヤラナ軍学府の生徒です」
「…そうですか。それで、その軍学府の方がわざわざヴァンディラまで何用で?」
セリラナの表情は変わらない。むしろ不審者を見るような面持ちはより顕著になっている。
「ここの出身者であるジーン先生の依頼により、調査したいことがあるのよ。それで、まずは領主様にご挨拶に来たわけ」
このままだと警戒される一方だと判断したユーリィンが、簡潔に話を纏めて説明する。一歩前に出ていたことで、異変が起こるかもしれないと聞いたセリラナの目にほんのわずか迷いがよぎったのを見て取った。
「今、ご主人はご在宅?」
これならば話を聞いてくれるかも。期待を込め改めて尋ねたユーリィンだったが。
「お引き取りください」
「…は?」
セリラナはすでに、元の鉄面皮に戻っている。
「主人はあなたのような不審者たちとはお会いしません」
「不審者って…セリラナ、私の仲間になんてことを…!」
食って掛かるレニーをセリラナは冷たい視線で一瞥して言った。
「この屋敷は、今はプラングウェル様のお屋敷です。わたしはお屋敷を預かる身。お見受けしたところ皆様は冒険屋のようですが、当家の格式に相応しくない方をお通しすることはできません」
きっぱりそう告げられ、アベルたちは言葉を失ってしまう。そこへ、更にきつい一言を投げかけられた。
「皆様のような方には…そうですね、地下下水道がお似合いかと存じます。お引取りください」
そう告げると、セリラナはくるりときびすを返し振り向くことなく屋敷へ戻っていってしまった。
「あっ、ちょっと?!」
いきなり叩きつけられた暴言の前にあっけに取られていたアベルたちが我に返るのと、分厚い玄関の扉が閉まるのとは同時だった。
「セリラナさん! セリラナさん!!」
何度か叩き金を鳴らすも、もはや誰も出てくる様子は無い。
これはもうセリラナに取り次いでもらうのは無理だと判断した一行は、再び最初の転送した丘へと戻ってきた。
「さすがは貴族様、たいしたもんだわ」
「ルークを髣髴とさせる鼻持ちならなさだったよ!」
ユーリィンが鼻を鳴らす。
多かれ少なかれ、仲間たちのほとんどは同意見だ。しかし…
「ん? レニー、あんまり気にしてなくない?」
明らかに顔見知りであるはずにも関わらず、冷淡ともいえる扱いをされたレニーは驚いたことにあまり気にしていないように見える。いや、むしろ上機嫌と言ってもいい。
「何を気にすることがあるんですの?」
不思議そうに問い返すレニーに、リュリュが語気荒く切り返す。
「あの家政婦長、知り合いなんでしょ? それがあんな、冷たい態度を取るなんて…」
その言葉に、レニーはああと得心したように頷いた。
「そんなことですの。あれはですねリュリュ、彼女はわざとああした態度をしてみせたんですわよ。怒る必要なんて無いじゃありませんの」
その言葉に、アベルのみならずリティアナたちもええっと驚きの声を上げた。レニーは微笑み、解説する。
「貴族社会では、相手の要求を断るとき普通はいきなり断ったりしないものでしてよ。生の感情を露にするのは不躾なこととされていますけれど、他の貴族など笑顔を浮かべておきながらその実内心ではまったく別のことを考えていることなんてざらですわ。そんなところで直接侮蔑したり、はっきり拒絶なんてしたら敵意が伝わってしまうでしょう? そうなったらいつどんな形で敵対することになるかわかりませんもの。だから、本当に敵意を持っているならばもっと勿体をつけて言いくるめた上で帰そうとしたはずですわ」
「それじゃあ、セリラナさんが敢えてわざわざあんな態度を取ったのは…もしかして、自分の立ち位置が敵だと伝えたかったってことかしら」
そう尋ねるリティアナに向かい、レニーが頷く。
「恐らくそう考えて良いと思いますわ。それに、他にも情報が出てますわ」
なるほどとユーリィンが手を打ち合わせた。
「地下下水道ね!」
「ええ。単に追っ払うだけなら必要ない言葉ですもの。恐らくは…」
地下下水道に向かえ。それが、セリラナの言いたかったことなのだろう。
「はぁ~…」
アベルは感心しきりだ。ジーンも、不思議そうにレニーたちのやりとりを見つめている。
「どうしたんですの、アベル」
「いや、凄いなと感心してた。色々考えてるんだなあって」
素直なアベルの返答に、レニーも気を良くした様だ。
「ふふ、存分に感心なさいまし。しかしそうですわね、今後のことを考えると感心していられるばかりではよろしくありませんわ。あなたにも色々貴族の文化などを教えておいたほうがいいかもしれませんわね」
「ええ…面倒くさそうだから良いよ」
あからさまに顔をしかめるアベルに、レニーはにっこり微笑んだ。
「そうは行きませんわよ。いずれはあなたも貴族の世界に踏み入れることになるかもしれませんもの。最低限、わたくしとつりあう程度には学んでいただきますわ」
「え…」
アベルの顔がさっと青ざめたのを見て、ちょっと憮然としていたリティアナがぱんぱんと手を叩いた。
「さ、話を元に戻すわよ。それで、今後のことだけれど…」
色々話し合った末、アベルたちは夜半になるのを待って水道に向かうことになった。ジーン先生はさすがに班の動きに併せられないため、一人留守番だ。
地下水道は、ヴァンディラ湖に注ぎ込むバウラー川を下流に向けて徒歩一時間ほど行った先に設けられており、ヴァンディラの市民たちの排水を管理している。上流には新鮮な飲み水を確保するための浄水施設までもがあるのは、大多数が水の神を信仰する天人族の街だからこその拘りといったところか。
木立を抜け、切りそろえられた潅木沿いに進むこと数分、崖の斜面に寄り添う形で建っている煉瓦作りの小屋の前に到着した。
「鍵が掛かってるね。ムクロ、鍵開けを頼む」
扉の取っ手を回し、がちゃりと音を立てて閉まっていることを確認したアベルがムクロに解錠してもらうことにした。
「ああ、任せろ。この程度なら数分も掛からん」
そういうと早速扉の前に陣取り、油を少し鍵穴へと注ぎ込む。
宣言通り、数分と経たずしてぴーんと甲高い音が聞こえた。
蝶番にも油を垂らしておいたのでそのまま音も立てずに扉を開け、中を確認する。
誰もいないことを確かめると、アベルたちはそそくさと小屋の中へ入り込み、再び扉に鍵を掛けておいた。こうしておけば、後から誰かが来たとしても警戒されずに済むと判断してのことだ。
「リュリュ、灯りを」
「はいよっ」
買い換えておいた蓋付きの灯具に火を入れ、小屋の中を確認する。
「この先ですわね」
レニーが指差したのは、部屋の隅の地下へとつづく階段だ。人一人が通る位の幅で、光の届かないところまで伸びている。
早速アベルを先頭に、狭い遺跡を潜るときと同じ隊列で階段を下っていく六人。やがて、汚物をはじめとした臭気が鼻を突き刺すようになってきた。
「うえぇ、臭い…」
「静かにしなさいよ。臭いのは言われなくてもわかってるんだからさ」
顔をしかめるリュリュをユーリィンがたしなめる。ユーリィンの方がより強く悪臭を感じているため、リュリュもそれ以上不平をもらせない。
階段が床に変わり、街側にぽっかり口を開けた通路へ一向はそのまま言葉少なに歩みを進める。
しっかりとした石組みでできた地下水道は実に快適な環境とはとても言い難かった。廃棄物の匂いだけでなく黴や埃の匂いも混じっており、誰もが険しい表情を浮かべている。
「またか…」
そうして進む中薄明かりに見えた曲がり角で、誰とも無くうんざりした声が上がる。
地下下水道の割りにあちこち入り組んでおり、根気強くアベルたちは目印をつけて進んでいく。仕事で来た以上、なるべく見落としが無い様すべてを確認するつもりだが、皆口にはしなかったもののこんな依頼を持ち込んだジーン先生を内心酷く恨んでいた。
そうして数度目の曲がり角を抜けたところで。
「しっ! 黙って!」
ユーリィンが鋭く制止の声を上げ、アベルたちはぴたりと動きを止めた。
しばらく目を閉じ耳を済ませていたユーリィンは、やがて先頭に立つとアベルたちを誘導してずんずん突き進んでいく。アベルはどうしたんだと尋ねたかったが、彼女の邪魔にならないようしっかり口を噤んで後を追った。
程なくして、ユーリィンが何を聞きつけたのか、他の仲間たちも理解することとなる。
「…呻き声?」
殆ど消え入りそうな、しかし確かに全員の耳に届いたのは苦しそうな男の呻き声だった。
「今の…確かに聞こえたな」
歩調を上げ、あちこち通路を覗き込む。やがて、しばらく一本道が続いた先で石牢が居並ぶ一角に出た。
「あなたたち…これは一体?!」
石牢の中に閉じ込められているのは、薄汚い格好をしているが大多数が天人だ。
「…あなたたちは…もしや、奴等の手のものでは無いのか?」
その中でも比較的汚れのましな壮年男性が、アベルたちに気付くと格子にすがりついた。
「僕たちはアグストヤラナ軍学府の冒険屋です。とある伝でヴァンディラに異変があると聞き、その調査でやってきたのですが…」
そういって周囲を見渡す。
今いる区画は八室四区画の牢屋が設けられており、そのほとんどに人が放り込まれている。だが大半は苦しそうに呻きながら床に転がっており、かなり消耗しているのが見て取れる。
「そうか。それが誰だか知らんが、渡りに船だ。すまんが助けてくれ。わしはミーゼスという。わしらはヴァンディラの住人だが、いきなり拉致されてこんなところに放り込まれたのだ」
「拉致とは穏やかじゃないわね。ミーゼスさん、誰が一体何の目的で?」
ユーリィンの疑問に、ミーゼスは首を振る。
「どちらも判らん。わたしは役場からの帰りに後ろから誰かに襲われ、気付いたらここに入れられていた。誘拐犯は時間を置いて粗末な食事を持ってくるから、朝と晩のそれだとして大体一月ほどここに入れられておる計算になる。その間、他の街の人々がぽつぽつ入れられてはどこかへと連れ出されていく」
「顔は見た?」
「生憎、すっぽりと覆面を被っていて判らん。ただ、体格は女性と男性、どちらもいたように思う。そのときは男の方が指示を出していたし、食事の配膳は女がやっていたな」
「その人たちの種族はわかる?」
「…認めたくは無いが、どちらも天人で間違いなかろうな。二人とも羽があった」
レニーが顔をしかめる。
ここまでの情報を聞く限り、セリラナとプラングウェルが関わっている可能性が一段と高まったと言えそうだ。
「連れ出されたというのはどこにかしら?」
「それも判らん。何せ、連れて行かれた人々は誰一人として戻ってきておらんのだ」
アベルたちは顔を見渡す。どうやら、想像していたより大事が起きていたようだ。
「助けるのは当然としても、今の状態だと難しそうね」
「消耗している人が多すぎて連れて歩くのは無理ですわね。ならば、まずは鍵を手に入れ、安全を確保する。その上で街の人を呼んできて救出を手伝ってもらうのが理想的かしら」
ミーゼスもそれに同意する。見えない区画の牢の中には自分で動ける者が他にもいるかもしれないが、それを当てにするのは楽観的過ぎるだろう。
「よし、それじゃあまずは鍵を探そう」
アベルの言葉に、ミーゼスが元来た道とは反対側を指差した。
「それならあちらを探してみてくれ。誘拐犯が食事を持ってくるときは、必ずそちらから来ていたから」
「ありがとうございます」
礼もそこそこに向かうと、確かに区画の隅に小部屋があった。管理人用に誂えた部屋なのか、粗末な木製の机と椅子が二脚、無造作に置かれている。
「これじゃない?」
リュリュが無造作に机上へ放り出してある鍵束を見つけた。
「うん、鍵の数も牢屋とぴったりだしこれだろう。よし、それじゃあ一旦戻ろう」
再びミーゼスの前に戻り、彼を助け出そうとしたところ。
「いや、わたしは今はまだ良い。わたしの足は萎えて長時間走るのが厳しい。足手まといになるし、何より入れ違いでもし誘拐犯が牢屋を見て脱走に気付かれたら監視が厳しくなる」
「なるほど…そういうことなら判りました。すぐに街の人を連れて戻りますのでもう少しだけ頑張ってください!」
「ああ、頼んだよ。そうだ、これを持っていくと良い」
そういうと、ミーゼスは懐から手巾を取り出すとアベルに手渡した。
「その隅に刺繍してあるのはわたしの家紋だ。それを見せれば、街の人々も話を聞いてくれるはずだ」
「ありがとうございます」
手巾を大切に仕舞い込み、アベルたちは曲がり角に記した目印に従い小屋にまで元来た道を駆け戻る。そうして小屋へと繋がる階段に足を駆けたところで、アベルはふと上から声がすることに気付いた。
「どうした、アベル」
「しっ…」
後ろにつけているムクロを制し、耳に手を宛がい聞くように促してやる。それを見て察したリュリュがさっと手を振り灯りを消した。
「…外からね」
ユーリィンが断言したのは、部屋の中に灯りが無いことからだ。代わりに窓から差し込むのだろう、ちらちらと灯りが飛び込んでくるのが見える。
注意して階段を足音を立てないようにして昇り、扉側に近寄る。扉越しなため声がよく聞き取れないが、どうやら男性が怒鳴っているようだ。
「……いうつもりだ! わたしのことを嗅ぎ回っていた相手をそのまま帰すなど…」
つづいて女性の声がかすかに聞こえる。それに一同は聞き覚えがあった。
「申し訳ございません、旦那様」
「セリラナ?!」
レニーが思わず声を上げる…が、幸い外には漏れ聞こえなかったようだ。
「何ならお前も送るか? 他の連中同様に。実験用、餌、幾らでも必要なのだ。お前でもそれは構わんのだぞ」
「そ…それは……」
「忘れるな、お前は所詮ただの道具に過ぎん。幾らでも代わりなぞ用意できることを忘れるな」
どうやら共犯者がいるらしい。
それを確かめるべく、アベルたちはそっと気付かれないよう扉を開け、外を見た。
「やっぱり…」
こちらに背を向けているのは間違いない、セリラナだ。
ならばその対面にいるでっぷり太った中年男性が旦那様という言葉からしてプラングウェルだろう。痩せていれば整っていただろう顔つきは長年の不摂生で頬が弛み、その目は間断なくあちこち見ていてどことなく小ずるそうな印象を与える。
背中に生えた羽が対比で小さく見えるため、どことなくよく太った藪鶉を想起させた。
「あっ」
そして、その足元に転がるものを見てアベルたちは小さく声を上げた。
やけに派手な格好――ジーン先生だ。ぴくりともしないところを見ると意識がないように見える。
「とりあえず、この女だけは捕まえたが…一緒に来ていたはずの連中はどこへ行ったやら。おいお前、何か知らんのか」
セリラナは小さく頭を振った。どうやら誤魔化すらしい。
「どうするアベル? 今不意を打てば捕らえることは簡単だぞ」
ひとまず確認したいことは確認し終えたと見て、ムクロが小声で尋ねる。
「そうだな…いや、やっぱり今しばらく様子を見るんだ」
アベルは少し考え、この場では手出ししないことにした。ジーン先生がいるし、他に仲間がいた場合囚人たちまで人質に取ろうとする危険性も見越してのことだ。
「一旦地下へ退こう」
再び扉を閉めなおし、アベルたちは分岐路まで戻った。ここならば、仮にプラングウェルたちがやってきても上手くやり過ごすことができるはずだ。
もし、そのときに二人、或いは一人だけならば襲い掛かりジーン先生を救出する。そう告げ、仲間たちは灯りの無い通路の中息を潜めて誘拐犯がやってくるのを待っていた。
やがて、何か重いものを引きずる一人分の足音が六人の潜む通路に向けて近づいてきた…




