第4話-1 少年、奮起する
それからのアベルはひたすら学府の生活へ真剣に打ち込んだ。
早朝に目を覚ますと軽く身体をほぐし、基礎体力向上の授業では与えられた課題をこなした上でメロサーに追加指導を仰ぎ、剣技の基礎の型をひたすら習う。午前は授業の後採集をこなしたかと思えば、ドゥルガンの天幻術の授業をはじめとした講座をも積極的に受け、終業の鐘が鳴ると校庭に飛び出しては剣を振り続ける。
何事もそうだが、自ら目的をもって取り組むのとそうでないのとでは自ずと成果も変わるものだ。
麦蒔月の半ばにもなると、アベルは午後の授業が終わっても睡魔に負けないまでに進歩していた――睡魔“に”だけは。
「…アベル、大丈夫?」
机に突っ伏したまま、微かに右手を挙げてリュリュに応える。その手の平には、新しい剣だこができては潰された後が山ほど見えた。
「いい加減にしなさいよ、せめて食事ぐらいはちゃんとしなさいよ!」
ユーリィンが竈の前に立ちながら苦々しげに言った。
水だけ飲んでから自室に戻るつもりだったアベルを、それじゃ体が持たないからと彼女が教室へ無理矢理つれてきたのだ。
「無茶しすぎだ」
ムクロですら呆れ声だ。
今日は午前中に雨が降ってきたため、他の班は慮外の恩恵に感謝してくつろいでいるのがほとんどだが、アベルはムクロと空き教室で乱取りを行った。我武者羅にやりあったせいで顔はぼこぼこにむくんでいて、喋ることもおぼつかない有様だ。
「二ヶ月前から一体何があったんだか…」
アベルは、ガンドルスから聞かされたことを皆にはまだ教えていない。
校長が秘密にしようと言ったからでもあるが、事件にリティアナが絡んでいるらしいことも口を重くさせた原因の一つだ。
ユーリィンもさすがに心配そうなまなざしを向けていたが、話す気が無いのを見て取ると、やれやれと頭を振った。目前の湯気が立つ鍋から緑のどろっとした液体を掬い取り、木椀によそうとアベルの前に置く。
「ほら、鶏肉と野菜で作った汁だよ。これなら噛まないでもいけるでしょ」
「うぃ」
言葉にならない返事が卓に突っ伏したままのアベルの口から洩れる。
右頬に一際巨大な青あざができていて、そのせいで口が開けにくいのだ。
「一応傷に効く薬草と熱冷ましになる木の実も混ぜてあるから、ちゃんと飲みなよ」
ややきつめに言われ、アベルはもたもたと顔を上げるとお椀から口一杯に緑の液体を含んだ…が。
「ぶほぁっ!」
「ひゃああっ!」
次の瞬間、むせたアベルは口に含んだものを吹き出してしまった。つんと鼻腔を抜ける、激しい痛みにも似た香りが喉奥と口内の傷をこれでもかとばかりに刺激したためだ。
「あーぁ…やるんじゃないかと思ったけどさ」
事態を予測してあらかじめ身を引いていたユーリィンが、右手で笑っている口元を覆いつつ空いている手でげほごほとむせるアベルの背中を叩いてやっている。その間に、興味をもったムクロがお椀に残った濃緑鮮やかな汁へ人差し指を突き刺し、舐めてみた。
「ごほっ…これ。お前、どれだけ入れたんだ? さすがにきついぞ」
明らかに薬草の分量が多すぎる。
黴っぽいとすら言える臭さとほとばしる苦味、痛くすらある舌への刺激が強すぎて鶏肉と野菜の味は風味付け程度にしかなっていない。
「いやぁそうなんだけどさぁ。しっかり治した方がいいし…何よりこれくらいしないとまた無茶しそうでしょ。」
「……それだけじゃないだろ」
「さぁて、どうかしらね」
ユーリィンは意地悪げな笑みを浮かべるにとどめた。
「…やれやれ」
ムクロは小さくため息を吐くだけで、それ以上の追及は避けることにした。
「さあ、せっかくアベルのために鍋一杯作ったんだから、ちゃんと全部飲みなさいよ」
「ちょっ、それ、無理…」
げほげほと咳き込みながらアベルは非難の声をあげるが。
「あら、ケチをつけるつもり? おあいにく様、アベルの分はこれしかないわ。大体、他のみんなの食べ物は今食べられないのはアベルだって判ってるでしょ。さ、ちゃんと全部飲み終えるまでは逃がさないわよ。アベルが飲みきらないと鍋も片付かないんだから頑張ってね!」
辞退するには遅すぎた。
「でも栄養も豊富なのは事実よ。判ったら諦めてさっさと飲みなさい。それと」
ユーリィンの視線が下に向き、釣られてアベルも視線を落とす。
「あ」
「リュリュに謝っておきなさいね」
そこには、食卓の上で腕組みしたまま、憤怒を湛えた顔で見上げているリュリュが座っていた…全身から真緑色の雫をぼたぼた滴らせたまま。
麦蒔月:10月。




