第35話-1 ジーン先生の占い再び
夏が深まるにつれて、戦の気配に染まるようにして学府内はぴりぴりとした空気で満ちていた。普段能天気なベルティナでさえ時折不安げな顔を見せるようになったその中でも、ただ一人だけは変わらない様子だった。
「ハルトネク隊!」
その一人――ジーン先生が、大またで教室へ飛び込んできたのは、早朝の自主練を済まし食材の調達のため裏山へ向かおうとしたところだった。
「ああ良かった、間に合って」
ほっと胸を撫で下ろすジーンと対照的に、六人の表情が曇る。悪い人ではないのは判っている…が、相手するのが面倒くさい。だが、ほぅっと胸を撫で下ろしたジーン先生はハルトネク隊の自分へ向ける視線に構うことなく用件を切り出した。
「実はあなた方に依頼があるのです」
「依頼…ですか?」
その言葉に、アベルたちは戸惑うように互いの顔を見つめ合わせる。
「ですが…その、依頼は普通直接伝えることは禁じられているのでは?」
レニーの言葉通り、本来依頼は何者であろうと一旦購買部を通して掲示板に張り出される。生徒たちの力量と比べて無理すぎないか、また一部の生徒の独占を禁じるための措置だ。
「判ってます。だけどそんなことをしていたら間に合いませんし、何より私の依頼をまともに受け止めてもらえるとは限りません」
「いや、さすがにそんなことは…」
反論しようとするリティアナを手で制し、ジーン先生は良く通る声ではっきり告げた。
「ヴァンディラに、危機が迫っているのです」
今度は、アベルたちの表情が引き締まった。
「それは…占い、ですか?」
「もちろんですとも。わたくしの占いなのだから確実だというのに…」
さもありなん。
ただでさえ面倒臭い人物が、論拠に占い――しかも当らないともっぱら噂の――を持ち出すのだ、まともに取り合えという方が無理だろう。
「本来なら時間を掛けて納得してもらうところだけど、今回は時間が足らないの。だから、今回はあなたたちに依頼を持ってきたという訳。大体、あなたたちならわたくしの占いを信じてくれるでしょ?」
途端、仲間たちがの視線がリュリュに向けられる。
もちろん、ここでジーンが言っているのは一年時のことだ。あのときはリュリュが立ち聞きしたことが発端だった。
「ユーリィンさんもいるし、何よりあなたたちがヴァンディラを救ってくれたことは今でもはっきり覚えていますわ。あなたたちなら、私の予言を覆してくれる…そう信じておりますの」
ユーリィンを見つめながら熱っぽく訴えるジーンの言葉の終わりに、アベルは引っかかりを覚えた。
「予言を覆す? どういうことです? 先生は、僕たちになにを求めてるんですか?」
その質問に、ジーンは一瞬あんぐり口を開いたかと思うとぴしゃりと自身のおでこを叩いた。
「そうよね、最初に言うべきだったわよね」
そしてこほんと一つ咳払いして言った。
「ヴァンディラが、数日後…消滅する」
「消滅?!」
「ヴァンディラが?! どうしてですの!?」
全員が驚いたが、中でも故郷とするレニーの驚きは一入だ。
「原因まではわかりませんわ」
ジーンが悔しそうに唇を噛み締めながら首を振る。彼女いわく、占いは結果だけ与えられるもので過程は判らないのだそうだ。
「ただ、先ほども言いましたように数日後ということは恐らく二、三日後に何かが起きるのは間違いないと思うの」
「うーん…」
アベルが腕を組んで唸る。なるほど、確かにそう考えると今日明日には行動に移さねばならず、悠長に購買部に話を持っていく暇は無さそうに思える。
「ねぇ、アベル」
しんと静まり返った教室内で、レニーが声を上げた。
「もし良ければ行ってみませんこと? 確かに動くには動機が希薄ですけれど、私も故郷に何かあるかもと言われては気になりますわ」
「ふむ…」
「それに、もし仮に急いで購買に捻じ込んだとしても、危険があるなら生半な実力の下級生などでは解決するどころか巻き込まれる可能性があるのではなくて? 私たちならば、ある程度の危険は跳ね除けられると思いますの」
その言葉に、仲間たちも同意する。
アベルとしても、ここで他の生徒に流れた結果被害が出たとしたらやりきれない。
「…判りました。幾つか条件は出しますけど、それで良いなら受けます」
「条件とは?」
「一つ、終わった後購買部に先生から事情を説明してください」
アベルの後をリティアナがすかさずつづける。
「二つ目、報酬は購買部の計算を準拠にした上で追加分を算出しておくから、それをきちんと支払ってください。保障されない仕事なのだもの、危険が想定される以上必要な経費です」
アベルが何か言いかけるも、先に鋭い視線でにらまれてしまう。黙っていろということだと察したアベルはおとなしく従うことにした。
「三つ目。わたしたちは現在待機中になります。ですので、期限は三日。この間、特に異常無しと判断した場合はそのまま戻ります。また、その場合でも依頼料は頂きます」
リティアナの提案にジーンは顔をしかめた。が、すぐに考え直したのだろう、頷くとただしと言い添えた。
「そういうことなら、今回はわたしも同行します。その上であなた方の働き具合を確認し、それに応じて報酬を決めさせてもらいますわ」
「え?! うーん…気持ちは判らないでも無いけどさ。荒事かもしれないとなったら先生どうすんの? さすがに依頼人を守って戦うってのはボクらあんまり経験無いからやりたくないんだけど」
不安そうに顔をしかめるリュリュの疑問に、ジーン先生は胸をそらせて応じる。
「もちろん、軍学府に勤める者としてそれなりに戦えますとも。大体、あなたたちがヴァンディラに行くなら転送陣か転送球が必要でしょう? そのためには私もついていかないといけませんわ。ああそうだわ、メロサー先生もあなたたちの野営訓練が非常に素晴らしかったと言ってましたわね。良い機会ですからわたくしもその成果を是非見てみたいですわ!」
「え…で、でも糧食とかは…」
「そうねぇ、狩りをしろというならできなくはないけど…ある程度はヴァンディラの町でも買えるでしょう? そこでの材料費などはわたくしが負担しますわ。その分料理で楽しませてくれますわね!」
ぺらぺら喋るジーンの言葉にリティアナがしまったと顔をしかめる。彼女自身としては厳しい条件を突きつけることで思い留まらせようと考えたのだろうが、結果納得ずくになってしまった。依頼人として同行したいと言われれば断ることはできない。
悔しげに臍を噛むリティアナをちらと見て、アベルは大きく嘆息した。
「…しょうがない、これも乗りかかった船だ。さっそく準備に取り掛かろう」




