第34話-9 微睡
アベルたちが任務に向けて英気を養っていたその頃。
ディル皇国領土内のとある山中、山肌がむき出しとなった尾根伝いに一人歩を進めるものがいた。
夜中、しかも裾の長い胴衣に深々とした頭巾という、山登りには到底適さない出で立ちと状況だが、その人物の移動する速度は大分速い。もっとも、速いとはいっても山育ちで慣れているからという訳ではなく、疲労をまったく感じさせない動きによるところが大きい。普通の人間なら、いつ足を取られて真っ逆さまに崖下へ転がり落ちてもおかしくないだろう。
その人物は、やがて尾根の頂に辿りついた。一陣の風に吹かれて衣が張り付いたことで判る体型を見るに、恐らく男のようだ。
眼下には台地が広がっており、その中心には周囲に埋もれて風化しているものの石造りの遺跡が見える。その中の中央入り口の部分だけ、他より高みになっているのが一際目立つ。
それを見つけた男は、道など無い崖を飛び降りた。
突き出た岩伝いへと重力を感じない動きで飛び降り、また飛び乗りを繰り返してはさほど時間を掛けずに遺跡の入り口へ辿り着く。その度、ずしっ、ずしっと見た目からはあり得ないほどの異常な重さを感じさせる音が周囲に木霊する。
数分と経たぬうち、男は目標となる入り口へと辿り着いていた。
「なるほど…この先か。わざわざ劣等種に取り入ってまでこの情報を読み取るには大層手間が掛かったが、どうやらそのかいがあったようだ」
独り言を言いながら歩み寄る。先ほどは遠すぎて分からなかったが、入り口は分厚い石の扉で厳重に塞がれていた。
「邪魔だな」
軽く小突いたように見えた石扉が爆音を立てて四散した。
濛々たる土ぼこりが収まるのを待ってから、爆風で頭巾が脱げた男――セプテクトは、ゆっくり中へ足を踏み入れた。
内部は真っ暗で光の射さない空間が広がって入る。外とは違い、内部の構造は存外しっかり残っていた。
そこを迷うことなくセプテクトは早足で突き進み、階段を見つけては下へ下へと向けて下っていく。延々と繰り返し、深く深く潜っていく。
やがて周辺の壁が灯りを放つ階層に変わっていた。
セプテクトは依然歩速を緩めることなくさらにどんどん遺跡を下っていき、やがて遺跡の深奥にたどり着いた。
「…ここだな」
ざっと左右を見渡す。
左側の壁に埋め込み形の操作盤があることに気づいたセプテクトはひょろ長い左手を伸ばし、かかかかっと指先で軽い音を奏でながら数回叩いた。
「パスコード認証…ロック解除。入室を許可する」
どこからともなく中性的で感情を感じさせない音声が流れ、ほぼ間をおかずしてセプテクトの対面の壁が左右へと音もなく横滑りして開いた。
「おお…」
珍しく、セプテクトが感情を表す。眼前でゆったりと眠る『それ』を見て、セプテクトは珍しく満足げに顔を笑みでゆがめて頷いた。
「残るは『鍵』だが…そろそろ預けておいたのを回収する頃合か」
セプテクトの独白に応じるように、部屋の明かりがゆっくりと明滅する。
「おお、あなたも目覚めが待ち遠しいか。安心召されよ、いずれわたしが目覚めさせてご覧に入れましょう。その暁には、世界をあるべき姿へ…」
その言葉に応じるように、再び部屋が明滅する。
すでにいつもの鉄面皮に戻ったセプテクトが淡々とつづけた。
「問題は、姉と弟のどちらが先かになりますかですが…いずれにせよ、片方が上手く行けばもう片方も何とでもなりましょう」
明滅の度に、ゆらゆらと巨大な影がセプテクトの上で揺らめく。
「そう…それではまた、後日お会いしましょう」
そういうと、セプテクトは元来た道を戻っていく。
彼の後ろ姿を、学府の屋根をはるかに越える高みから、巨大な瞳が夢にまどろむ半眼のままじっと見つめていた。




