第3話-4 老兵の過去
翌日、同時刻。
大きく立派な、黒い樫でできた書き物机に向かい書類に目を通していたガンドルスは、閉じたままの扉の隙間から部屋に入る風のほんの幽かな変化に気付き顔を上げた。
窓外に目をやると、とうに日は沈んでいる。
「そういえばもう約束の時間か。入りたまえ」
のんびりした声を扉の外に向けて掛けると、ややあってから扉が開かれる。
そこにいたのは頬を赤くしたアベルだった。剣は提げていない。
「アベル=バレンティンだな」
のんびりした口調が掛けられたことで、アベルは意を決して口を開いた。
「ガンドルス…校長。あなたに、お聞きしたいことがある…あります。あの日、ブレイアで何があったのか。そして…リティアナと、どういう関係なのか」
アベルが慣れない丁寧口調に悪戦苦闘しているのに気付いたガンドルスは、憎い相手でも負けたことを認める彼の潔さに好感を抱き微笑んだ。
机の上に乱雑に散らばる書類の山を無造作に横へ押しのけると、がたりと椅子の音を立てて立ち上がった。
「気楽に腰掛けたまえ。時間はある、全部話そう」
そう言ってガンドルスは傍の席に着くよう促す。アベルが着席する間に、ガンドルスは傍の水差しから柑橘系の果実の汁を加えた水を注いだ杯を置いてやった。
「さて、そうすると何から話したものかな…」
考え込むガンドルスに、アベルはもっとも気になっていた疑問をぶつけることにした。
「一週間前。彼女に何が起きたんですか?」
ガンドルスの顔が曇った。
「ああ、あれか…リティアナには持病があるのだ」
「持病…ですか?」
「そうだ。強い感情を抱くと、意識の混濁を起こしたり、失神する」
「でも、そんな病気は…」
アベルが怪訝な面持ちを隠そうともせず尋ねる。
彼が知る限り、昔のリティアナがそんな症状を見せたことは無かったはずだ。
そんなアベルに判りやすく伝えようと、ガンドルスは殊更ゆったりした口調でつづける。
「うむ。君も知ってのとおり、リティアナは一度死線を彷徨った」
ブレイアでのことだと悟ったアベルは頷いた。
「その際、アルキュス先生たちの懸命な努力のかいあって命を留めることには成功した。だが…その一方で副作用が残ったのだ」
「それは?」
せかすように尋ねるアベルに答えず、ガンドルスはついと水差しへ視線を背けた。
「…君から見て、今のリティアナをどう思う? 昔の彼女と比べて、何か違いは無いかね?」
「え?」
唐突に自分に返され戸惑ったアベルだが、思い返せば確かに変化はあった。
「…そういえば。なんというか…昔はもっと…笑顔とかよく見せてくれていたというか」
うまく言葉に出来ないアベルに、ガンドルスが水を向けた。
「感情表現が豊かだった?」
「そう、それです」
アベルも、ガンドルスの言葉でようやく腑に落ちた。
過去の彼女の面影に比べ、今のリティアナは感情を余り露にしないのだ。
成長して大人しくなったのかとも思ったが、ガンドルスの示唆はそうではないことを告げていた。
「気付いたのは、リティアナの傷が癒えて動けるようになってしばらくのことだった。元々ここは他に子供のいない環境故、気付くのには大分時間が掛かったのだ」
「でも、どうしてそのようなことに?」
ガンドルスが小さく頭を振った。
「アルキュス先生は治療の影響ではと見ているがな…ともかく、発症したときには魔素が常人のそれと比べ物にならないほど膨れ上がるため、それを外部から調節してやることで緩和する。この学府で処置できるのは俺以外ではアルキュスだけだ」
「じゃあ先日は…」
「ん? ああ、そういえばこの間はアルキュス先生は席を外しておったでな。やむを得ず俺が治療した」
すると、あれは治療行為だったのか…アベルはほっと胸をなでおろした。
そんなアベルを横目で見たガンドルスは、水を一杯口に含んでからそしてとつづけた。
「問題は、対処せんと症状がゆっくりではあるが進行するようでな。アルキュス先生は放置しておくと感情自体が消え去り、いずれは人間としての意識すらなくなってしまう危険性が高いと見ておる」
「そんな?!」
気色ばんで尋ねようとするアベルに、ガンドルスは片手を挙げて制した。
「仮説だが、負担にならない程度に継続して感情へ衝撃を与えればいいはずだ」
「え? でも、さっき感情が激しくなると…」
ガンドルスが頷く。
「だから、強すぎもせず、かといって何も無いままで放置するのでもない、というさじ加減が必要なわけだ。適切な刺激が必要なのだ。例えば…顔見知りとの係わり合いなど丁度良かろう」
ガンドルスの言葉に、アベルは素直に喜ぶことができない。
「…でも、僕は話していて彼女は怒っているところしか見たことがありません…」
むしろ、疎まれているようにすら感じてしまう。
「何、若いうちの男女のすれ違いはよくあることだ。いずれまた昔のように話せるだろうとも」
ガンドルスの言葉に、アベルはどう答えて良いか判らなかった。
まだ納得は出来かねるが、今は気持ちを切り替えようともう一つの疑問を尋ねることにした。
「…リティアナのことは大体判りました。次に、ブレイアで何があったのか…それを教えてください」
「ふむ…ブレイアでのこと、か…」
ガンドルスの視線は、対面のアベルではなく、遥か遠くを望んだ。
「あの日のことはよく覚えておる。それにしても、あのとき俺に飛び掛った子供がこれほど大きくなるとは、俺も年をとったわけだ」
言葉は軽く聞こえるが、アベルはどことなく苦々しいものが混じっているように感じられた。
「当時、学府代表や一教師としてだけではなく、それまでの――俺は元々、とある国で兵を率いる立場におったことがあってな――仕事の延長として、各国へ出向くことがままあった」
昔を懐かしんでいるのか、空を見つめるガンドルスの瞳が細められる。
「そんななかで、俺はとても大きな”力”をたまさか預かることになってしまってな。それを封印できる男の力を借りるため、ブレイアへ立ち寄ったのだ」
「とても大きな力?」
口を挟んだアベルに気を害した風でもなく、ガンドルスは一度うなずくと答えた。
「この世界には時折、様々な力を持った遺物が世に出ることがある。中には、一つの城どころか国まるごとを消し飛ばすような力を持っていたり、大勢の人々の傷を一瞬にして癒す物もあってな。その力を、どんな犠牲を払ってでも手に入れようとした相手がおったのだ」
それを聞いたアベルは、ふと気付いた。
「もしかして、それって《錬金具》ですか?」
アベルの質問に、ガンドルスはにっこり笑った。
「うむ、その通りだ。練金術は二年次から、煉気術は三年次から受講可能になるから、君はまだ練金術の授業は受けておらんかったはずだな? よく学んでおる、感心感心」
「え、ええ…」
大仰に感心する様子に、アベルは照れくさくなって鼻の頭をかいた。
数日前にたまたまリュリュが教えてくれたのだ。
彼女が使っている人形のクロコや鎧が《錬金術》の産物である《錬金具》で、《錬金術》とは『過去の優れた技術で生み出されたモノ』あるいは『それを動かす道具・技術』の総称なのだと聞いてある。
「若いうちは色々興味を持つことだ。そうすることで、後々何が必要なのか選択するときにも幅が広がり、それだけで強みになる。知っていれば良いか悪いか迷うこともあろうが、知らなければ比べることすらできんからな」
そう言うガンドルスは妙に嬉しそうだった。
「おっといかん。さて、話を戻そう。とにかく、俺は急いでおったのでな、道具屋に寄るだけにしてブレイアを後にした」
ガンドルスは、目を瞑りわずかに頭を振った。
「その後だ、ブレイアが化獣の群れに襲われたのは。スダ・ザナ山の中腹に差し掛かろうというとき、俺は何の気なしに振り向いた。無数の赤い光が村のあちこちで光っていたのが見えて俺は遠目にも嫌な予感を感じてな…急いで戻ったが、そのときにはもはや手遅れだった」
「じゃあ…」
アベルは愕然とした。
彼も同じなのだ。
ほんのわずかばかり、ガンドルスが先にブレイアに着いただけのことだったのだ。
「俺がブレイアに泊まっておれば、また変わったのかも知れん…いや、今更言ったところでどうにもならんことだな。駆け戻った俺は斧を力の限り振るい化獣どもを片付けたが、結局生き残った者はみつけられなんだ…あの子を除いて、な」
ガンドルスは目を閉じつづけていく。
「しかもリティアナも大怪我を負って、そのままではすぐに死ぬ有様だった。それに気づいた俺は、生存者の探索と本来の目的を打ち切りここへ戻ることにした。あの子を助けるために」
「そういう…ことだったんですか…」
正にリティアナにとっては育ての親というだけではなく、命の恩人でもある。なるほど、彼女がガンドルスのことを大切に思うのも当たり前のことだとアベルも得心がいった。
「君に気付かなかったのは、不覚という他は無い。もう少し、転送石を使う前に気を払っておくべきであった」
いきなり頭を下げられ、アベルは釣られて自分も頭を下げながら両手を打ち振った。
「い、いえ…こちらこそ、詳しいことを知りもしないで…切りかかったりして、すみませんでした」
「なに、あれは俺にとってもいい刺激になった。なんならまた切りかかってきてもいいぞ?」
「と、とんでもない。もうしませんよ」
呵呵大笑しながら大きな拳を握りこむガンドルスに、アベルは慌てて両手を振って断った。
もはや今のアベルにガンドルスへの敵愾心は残っていない。
そもそもあの日ガンドルスが引き返してこなければリティアナは無論のこと、遅れてブレイアに着いたアベルも化獣の餌食になっていたに相違ない。仇どころか、自分にとっても命の恩人なのだ。
「ふむ、まあ君がそういうならそれも良かろう。それにしても、ブレイアか…こういってはなんだが、君の家族も大層難儀なところに住んだものだ」
ふと、その言葉にアベルは何かが引っかかった。
少し考え込み、アベルは右手を挙げた。
「…校長、幾つか質問してもいいですか?」
「うむ? …どうやら真面目な質問のようだな」
アベルの顔に真剣なものを感じ取り、ガンドルスは窓外をちらりと見やった。
「時間はまだあるな。構わんよ、何かね?」
「ありがとうございます。まず…化獣はどういうところで生まれるんですか?」
「基本的に人や獣の往来が少ないところだ。人などがいるとよどむ前の魔素は大概そちらにひっぱられるからな。逆に大きな遺跡などがあれば、そこに複数発生することで化獣が同時多発することはまれにある」
「化獣はどれくらい長く生きられるものなのでしょうか?」
「ほとんど短命だったはずだ。長くて一月か。今後授業で習うはずだが、化獣は野に棲む獣へよどんだ魔素が吸収され、暴走したことで発生する。獣が変化したものである以上、何かを食らわずに生きるということはできん。むしろ突然ついた強大な力や肥大化した肉体を支えるため、本来よりはるかに悪食かつ大食らいになるという傾向にある。結果として、その肉体を支えるための食事をつづけることが難しくなるため、仮に生きていたとしても自壊する」
そこまで聞いたアベルの頭の中で疑問がはっきりした形をとっていく。
「やっぱり…不自然だ」
「む? 何がかね」ガンドルスはいぶかしげに尋ねた。
「僕の家族はスダ・ザナ山の中腹に十年以上住んでいました。けれど、あの日以外で化獣の大量発生を見かけたことは一切ありません」
「ほう?」
ガンドルスの顔がしかめられる。
「…念のために聞くが、近くに遺跡などは?」
「傍には無いはずです。少なくとも、僕が知る範囲では聞いたことも見たこともありません」
「…なるほど」
ガンドルスも、アベルの意図を把握した。
「俺はブレイア周辺の地理に詳しくなかったから、未発見の遺跡か、或いはスダ・ザナの山頂あたりでたまたま同時期に群生したのが襲ったのかと思っていたが…」
「ええ。山の中が化獣だらけになっていて、それがたまたまブレイアを襲ったとは考えられないんです。もし、そういう遺跡があったら僕は今頃ここにいなかったでしょう」
人の入らない環境で無い限り、化獣が自然に大量発生することは無い。そして、そのような遺跡はブレイア近郊には存在しない。
「俺が現れたときに限ってそれまで一度も現れなかった大量の化獣が現れた…なるほど、確かに都合がよすぎる。第三者の介入があったと考えるのが自然か」
ふぅむ、とあご髭を梳きながらガンドルスも唸った。
「まったく…俺としたことが。思い込みで見逃していたとは情けない」
普段行かない場所ということに加え、心情的に調査がおろそかになっていたのは確かだ。そのせいでちょっと調べれば判るはずの異常に今まで気付かなかったのが悔やまれる。
「でも、どうしてわざわざ校長がきたときに…?」
「それについては大方想像がつく。封印を阻止するか、或いは奪い取るつもりだったか…むしろ問題は黒幕がどうして俺の動向を知ったのか、だ」
ガンドルスのしかめっ面を見てアベルは尋ねた。
「どうしてですか?」
「俺がブレイアへ飛んだことは急ぎの用件だったため当時学府内の者だけにしか知らせなんだ」
よく事情を飲み込めないでいるアベルに、表情の暗いガンドルスが説明した。
「…当時から辞めた教員は一人もおらん。つまり、敵は今もこの学府内にいる」
罪も無いブレイアを滅ぼした奴は今も尚、のうのうとアグストヤラナで教鞭を取っているのかも知れないのだ。
「そんな! 許せない…」
その正体も判らぬ相手にアベルは激しい怒りを抱いた。それはガンドルスも同様のようで、先刻までまとっていた穏やかな空気は今では静かな怒気と変じている。
「これは感傷に浸っている場合ではないな…アベルよ、すまんが時間が欲しい。俺を許せんという気持ちはまだあろうが、その復讐にはしばらく応えてやることができん。今更ではあるが、そいつを見つけ出し、けじめを付けさせなくてはならぬ」
そのガンドルスの言葉に、アベルは呆れたように答えた。
「何馬鹿なことを言ってるんですか。さっきも言いましたが僕からは感謝こそすれ、校長に復讐しようとする気持ちはもうこれっぽちもありませんよ。ただ、一つ、お願いがあります」
「何かね?」
「その犯人を捜す手伝いをさせてください。僕にだって、その権利はあるはずだ…でしょう?」
目を丸くしたガンドルスだが、すぐにわっはっはと大笑いした。
「うむ、そうだな、うむ。君には共犯者たる資格が確かにある」
そういうと右手をアベルに差し出した。その表情からはすでに笑いは消えうせ、真剣な瞳がアベルに向けられている。アベルは迷うことなく、その手をしっかり握り返した。
「よし、そうと決まれば色々調べなくてはならんな。当時は教師陣に告知したが、まずは彼ら以外にも知る者がいたかどうかを調べなくてはならんだろう。これから当分忙しくなりそうだ」
「僕も手伝います!」
アベルの提案に、ガンドルスは少し考え込んだ後いいやと断った。
「さっきはああ言ったが、さすがに今君に動いてもらうのは得策とは言えん。今回我々が気付いたことは、できる限り秘密にしなくてはならんからな」
「それはそうですが…」
確かに当時秘密が洩れたことから事件が起きたからこそ、秘密にするのは判る。だけど何かはぐらかされたようにアベルは感じた。
「なぁに、焦ることはない。何せ俺のことをずっと真相に気付けない間抜けだと相手も油断しておるだろうから、今度は逆手にとってしっかりこちらが準備をする番だ。アベル、君にも手伝ってもらうことはいずれあるだろうから、手伝いはそのときに頼むことにしよう。だから今はまず、他の教師たちに認められるようになりたまえ」
「先生たちに認められる…ですか?」
不思議そうに聞き返すアベルに、ドゥルガンは片目を瞑って尋ねた。
「君は今のままでメロサーやドゥルガンに協力してもらえると思うかね?」
アベルは無言で首を振った。
どう考えても彼らに好意的に思われているとは言い難い。
「ああ見えて先生方は個人の好き嫌いで動く方々ではない…いや、多少はあるかも知れんがね。今回に限らず、何をするにしても協力してくれる人は多いほうが良い。まずは、先生に限らず信用を勝ち取ることだ。一人で為せることには限りがあるのだからな」
アベルは渋々とうなずいた。
「うむ、君のその素直さは好意に値するな。授業で成果を出せば、きっと先生方もいい形で応えてくれよう。これは俺の今まで見てきた経験則だ」
「…つまり、まずはより学業に専念しろということですね」
「そうだ。君はまず何よりもここの生徒だからな、学生は学生らしく…ということだ。それに俺にも教職者という肩書きがある。特定個人の生徒に便宜を図るのは、あまりよろしくないのだよ」
うまく誤魔化されたような気もするが、それでもガンドルスの言うことはもっともである。アベルは不承不承ながらうなずいた。
「よし。さて、もう遅い」
空を見上げ、月の位置を確かめたガンドルスがぽんと両手を打ち鳴らした。
「明日の訓練も厳しいのだろう? そろそろ部屋へ戻り、明日に備えたまえ」
そう言うとかっかっかと気持ち良さそうな高笑いを上げながら、ガンドルスは部屋の扉を開けた。アベルは外に出ようと足を一歩踏み出したところで、聞き忘れていたことを思い出した。
「あ、そうだ。校長、最後に一つ。質問いいでしょうか?」
「ん、何かね?」
気軽に振り返ったガンドルスだが、アベルの質問に表情が暗くなっていった。
「ふと思ったのですが、化獣を操る力を持つ人はいるのでしょうか。都合よく大量の化獣が現れたなら、それを先導した者がいる可能性は高いと思うんです」
その問いに、ガンドルスはしばし目を伏せたが。
「…いる。とても稀な例だがな」
扉を閉めながら、はっきりした声で肯定した。
「では、その人が操ったという可能性も…」
今度は、首を横に振った。
「それはない…はずだ」
珍しく、歯に物が挟まったような物言いにアベルは引っかかった。
「どうしてそう思うんですか?! 操る力を持っているなら警戒するべきでしょう! それとも、今はいないとかそういう…」
煮え切らない回答にアベルが切り込むと、ガンドルスは悲しそうに目を伏せた。
「いや、今も確かにいる。そして古今東西俺の知る限り、そんな力を持った者はひとりしかおらん」
「ならその人に話を聞いてみなくちゃ…」
ガンドルスは部屋を横切りながら、やや間を置いてから小さく答えた。
「リティアナだ」
「…え」
聞き間違いかと耳を疑ったアベルに、ガンドルスは噛んで含めるように言う。
「リティアナなのだ、化獣…いや、生きとし生ける者すべてを操る力を持つ者は――もっとも、その力があったからこそ、彼女は若くして冒険屋として身を立てることができるようになった訳だが…な」
「それは…間違いないんですか?!」
椅子に腰掛け、ガンドルスは重々しく頷く。
「俺自身も一度直接見たことがある――彼女を孤児と侮蔑した生徒をすんでのところで殺すところだった。その者は自らの拳を喉奥に突っ込み、窒息死しようとしておったよ」
その言葉にアベルは顔を青ざめさせる。
「リティアナが激しい怒りなどで自身を制御できなくなった場合、暴走した魔素が周囲におる者の意識へ勝手に干渉する。それは化獣どころか人ですら避けられん」
「…だけど、それで彼女が関わってるとは断言できないはずじゃないですか!」
アベルの呟きに、ガンドルスが小さく頭を振った。
「確かに、ブレイアで直接リティアナが関わったという証拠は何も無い。だが、彼女自身で律しきれない力がある以上、詳らかになれば関連付けて考える者も現れよう。そうなれば、混乱するのは火を見るより明らかだ」
だからこそ、今も尚彼女の力についての情報を教師たちまでに留めておいたのだというガンドルスに、アベルは深い苦悩を見た。
「…思い返せばあの娘には気の毒なことをした。人が持つには余りある剣呑な力を持たせてしまった…俺が助けたばかりにな。せめてそれならばと色々身を守る術は教えたが、おかげで年頃の娘のような幸せとはかけ離れることになってしまった…」
力なくそう漏らすガンドルスに、アベルはなんと返事して良いか判らなかった。
「…アベル。君がアグストヤラナへ来てくれたことが、あの子にとって好転の機会になってくれればと俺は願って止まぬ。勝手な言い草だが、俺は期待しておるのだ。先に言った様に、君と接することで彼女の症状が緩和され、いずれは普通の少女のように笑える日が来るのでは無いか――とな」
そういうガンドルスの瞳が、これまでに見たことの無い弱々しいものにアベルは思えた。
「…さ、だいぶ遅くなった。この話はここまでにしよう。アベルも明日に備え、部屋へ戻りたまえ」
すぐにいつもの快活さを取り戻したガンドルスに追い立てられる形で今度こそ廊下に出たアベルは、曲がり角できらりと光る物を見つけた。
「おや? これは…」
月明かりを跳ね返していたのは銀に輝く髪留めだった。
その傍には数滴、雫の滴ったような痕が残っていた。
練金術、練金具:他二種と違い、物品に込められた魔素を使用、或いは物品の魔素を利用して特殊な働きを引き出すための技術。
太古にはその技術が発達しており、魔素の蓄電池である素体と電子回路の役割を持つ核鋼との組み合わせで色々作成・使用されてきた。
現在は新しく生み出す技術は喪われて久しく、遺跡の奥深くなどで発見されることがあり、冒険屋の貴重な収入源となっている。




