第33話-3 対セイゲツ対抗戦、最終戦
その日はじめじめと寝苦しい夜だった。
おかげで朝目が覚めたとき、寝しなの話に加えて枕が変わったこともありアベルは実に重い気分に悩まされたものだ。
それは他の仲間たちも同様のようで、一人また一人と起き出してはもそもそと億劫そうに身支度を整え出した――一名を除いて。
そのデッガニヒはというと、ただ一人実に爽やかな目覚めといったところだ。
ぱちりと目を覚ましたかと思うとさっさと起き出してはてきぱき身支度を整え、運ばれてきた朝食を瞬く間に平らげてしまう。悩むことなどまったくないといったその風情に、アベルたちは半ば呆れて物も言えなかった。
「そろそろ行くとするかのう」
お替りを五回もして朝飯をたっぷり腹に詰め込んだデッガニヒは、一つ大きなおくびをしてよたよたと立ち上がり、道場へ向かった。その格好は普段と同じ、腰に帯びているカタナだけはユーリィンから一旦返してもらっている。
「本当に大丈夫なのかなあの爺さん…」
リュリュが心配そうに言うのへ、ユーリィンが返した。
「大丈夫よ、ああ見えて強いから…強いはずだから」
だが、さしもの彼女も今日ばかりはどことなく不安げだ。
「リティアナは…その、もし……移ることになったら、僕から頼んでみるよ。考えてみればリティアナは生徒じゃなく、契約している冒険者だからきっと何とかなるさ」
「え? え、ええ…ありがとう。でも、わたしは大丈夫だからあまり気にしないで」
そう答えるリティアナだが、思ったより切羽詰った感じがしないことにアベルは内心驚いた。
彼女の気性なら、ガンドルスと引き離されることを嫌がったはず。
アベルにはもちろんのこと、その心境の変化はリティアナ自身にも驚きをもたらしていた。
アベルとリティアナ、微妙な空気を抱えたまま一行は道場の扉の前に立った。
「よっこらしょっと」
デッガニヒが扉を開くと、昨日同様すでに生徒たちが神棚を中心にぐるりと座っており、その前に道着に身を包んだマジノーが座してこちらを睨んでいた。
「ずいぶん早いのう、マジノー」
デッガニヒの言葉を無視し、マジノーは兄を通り越し後ろに並ぶアベルたちを見る。その表情は、すでに今からどんな扱いをしようか算段していることがありありと見て取れた。
「さて、それではさっさとはじめるとするかの」
軽く体をほぐし終えたデッガニヒが促し、マジノーも立ち上がりカタナを構える。こちらも、デッガニヒが使っているものと形がよく似ている。
ただし、よくよく見れば別物だとわかるだろう。
長さは半ディストンほど長く、刃紋は波打つような大胆なたれに乱れ、その上を霞をひいたかのごとく細かな沸えが流れている。デッガニヒのカタナが陽光の桜なら、こちらは夜霞といったところか。
「それでは…はじめっ!」
リティアナの試合開始の合図と同時にマジノーが打って出る。
すばやい動きの三連続。デッガニヒの喉、鼻先、眉間へと鋭い突きが繰り出される。
しかし、デッガニヒは慌てることなくそれを受け、払い、そしてわずかに半歩下がってかわす。その動きに、ユーリィンは思わず舌を巻いた。
見切りができている。
特に最後に至っては、豆粒半の距離を見切っている。森人であるユーリィンならともかく、一般の人族であるデッガニヒが為すとはよほどの胆力であろう。
その驚きは対手であるマジノーも当然抱いていたが、それでも動揺を見せず攻め手を休めないのはこれまたさすがと言えた。
カタナを軽く握りなおし、さっと横に凪ぐ。今度はデッガニヒも動き、かわしてはマジノーの鍔の辺りに一撃を加えてきた。その応酬を皮切りに、互いに矢継ぎ早の攻防を繰り出していく光景を両校の生徒たちは息を呑んで見守った。
中でもハルトネク隊の驚きはかなりのものだった。
デッガニヒの肥満体は、痩せぎすではあるが整った肉体を持つマジノーの攻撃にまったく引けをとっていない。普段見せる鈍重さと裏腹に、別人のような軽やかな動きを見せている。
やがて、二人の動きにも変化が見えてきた――いや、マジノーにと言うべきか。
マジノーの肩が激しく上下している。一方でデッガニヒの方はというとまったく乱れていない。人の数倍も呼吸を必要としそうな体型にも関わらず、だ。
その光景を前に、マジノーは焦りを募らせる。
なぜだ?
なぜ、自分の剣は届かない?
この兄は、かつては一度足りとて自分に勝てなかったではないか!
疑問が自身の力量への疑いに変わっていくにつれ、マジノーの剣先も鈍っていく。
そして、とうとう決着の刻を迎えた。
限界が近いと察し焦ったマジノーは、残った力を恃みとする得意技に載せて放つことに決めた。
後ろに飛びのき、そして全力を持って踏み込む。同時にしっかり柄を握り、最初に放った三段突きをもう一度、同じ急所めがけて放った。
「そうくると思っておったわい!」
だが、それすらデッガニヒは読んでいた。マジノーが退いた隙を逃さず握りなおし、まったく同じ軌跡で三段突きを放つ。喉、鼻先を狙った攻撃は互いの中間で突き刺さり、そして最後の一撃はデッガニヒのカタナがマジノーのそれを弾き飛ばした。
「勝負あり!」
マジノーの喉元、三分の一ディストンのところでぴたりと切っ先が止まったところで、リティアナの声が道場に響く。やや遅れて、マジノーはその場にへたり込んだ。
「ふぅ、やれやれ…久しぶりの肉体労働は、老体には堪えるわい」
ぼやくデッガニヒに、ハルトネク隊が駆け寄った。
「すごいすごい、おっちゃんすごいよ!」
「師匠ってのは伊達じゃなかったのねぇ。見直したわ、うん」
「ただの肥満体じゃなかったんだな」
「今さりげに失礼なこと抜かしおった奴がおるな…まあええ、まだ終わっておらんからお前さんらは戻っておれ」
ハルトネク隊を一旦下げ、デッガニヒはまだへたり込んだままのマジノーの前に立つと見下ろし言った。
「これで決まったの。わしの勝ちじゃ」
マジノーは言われたことが判らないのか、怪訝な面持ちで見上げる。
「お前さんの、負けじゃ」
噛んで含めるように言うと、ようやく目の焦点があった。
「…なぜ、だ……?」
「何がじゃ?」
「なぜ、兄上に勝てない…聞けば、用務員として過ごしていたという。そんな、安穏とした生活をしていた兄上に負けるはずがない! なぜだ!!」
「確かに用務員はやってたけど」
その疑問に、ユーリィンが肩をすくめた。
「鍛えてなかったわけじゃないわよ」
「……え?」
「師匠は、あたしに教えるようになってからも、人知れず素振りなどの稽古はつづけてたみたいよ? わざわざ沖合いに出て、誰にも見えないところでやるようにしてたようだからあえて何も言わなかったけど」
「…見ておったんかい」
苦々しげに言うデッガニヒに、ユーリィンはもう一度肩をすくめて見せた。
「森人の視覚を舐めすぎよ師匠」
「余計なことを言いふらすなよ? そういうのは隠れてこっそりやるからかっこええんじゃ」
つい、と視線を外したユーリィンにデッガニヒは嘆息した。
「…まあええわい。話は戻すがの。確かにわしは鍛えておったが、それを抜きにしてもお前さんには負けんかったと思うぞ」
「なぜ!」
「その考え方故にじゃよ」
意味が判らないのか、呆然と聞くマジノー。
「元々、お前さんはまっすぐ攻める剣筋が際立っておった。その動きは確かに、当時のわしより抜きんでておったよ。迷いがない分、恐ろしかった」
途端、マジノーの顔がやっぱりと明るくなる。それを悲しそうに見やり、デッガニヒはつづけた。
「じゃがのう、人は、変わるんじゃ。わしが当時お前さんに勝てなかったのは、対処の仕方が判っておらんかったからじゃ。しかし今は違う。色んな人に会い、色んな出来事と接し、その中から最善と思われる言動を取る。日々そうやって過ごしたことが、わしにとっては何よりの糧となったのじゃ」
『アグストヤラナの与えられた命令に従うだけの兵士ではなく、国や種族と言った狭い範疇に拘ることのない、大切な者を護ることのできる一人の存在として皆さんが巣立っていくことを』
アベルはふと、アグストヤラナ軍学府の掲げる理念を思い出していた。
そして、セイゲツ生と自分たちとの違いに思い至った。
セイゲツ生はマジノーに命じられて戦ったのに対し、自分たちは――発端は何であれ――自らの意思で戦っていた。
学生に教える教員の信念の違いが形になって顕れた、ということなのだろう。
「生き様、積み重ねてきた人生は、剣にも出るし、誤魔化しがきかん。お前さんの剣は、相手を見ない、己の型にだけ凝り固まった独りよがりの形だけの剣じゃ。そんな血が通わん剣程度に、わしは負けんよ」
そして、険しい顔になり言った。
「戦の旗印になりたいと主張するのもよかろう。じゃが、それは何のためじゃ? 見たところ、少なくとも生徒たちを思ってのことではあるまい? 先にも言ったが、生徒らはお前の私兵じゃないぞ。それが判らんうちは、いくら対抗戦を組もうとうちの子らも負けはせんて」
そうはっきり言われたマジノーは、ぼんやりと背後を向き、生徒たちを見渡す。セイゲツ生たちの彼を見る目は、お世辞にも温かみの感じられるものではなかった。
がくりとマジノーは項垂れた。
「幸い、まだお前は若い。いくらでもやり直しはできる。まだ戦争までにはわずかなりとも時間はある。こちらからの出兵要請はせんから、まずは生徒たちとともに見つめなおすことじゃな」
そういうと、デッガニヒは立ち上がりアベルたちに向き直り率先して道場を後にした。
「よし、これで用事は済んだ。わしらもアグストヤラナへ戻るとするかのう」




