第33話-2 デッガニヒの過去
いつしか窓外ではすでに日が傾きかけており、夜まで粘ろうとする蝉の物悲しげな鳴き声だけが響いている。
差向き試合は終わりを告げ、宛がわれた部屋へ引っ込んでいたハルトネク隊とデッガニヒは再び道場へ呼び出された。
すわこれで終わりだアグストヤラナへ帰れると気が軽くなったアベルたちは、しかし先客の姿を認めて誰もが首を傾げた。
「何故彼らがまたここに?」
そうデッガニヒが言った先。神棚の前には、ドリスやザウェモンらアベルたちと戦った五人が正座している。その前に離れて座っているマジノーは、アベルたちが来るまでは彼らと話していたようで、扉を開けたデッガニヒに気づくとその場で向きを変えた。
「…呼ばれてきたが、何のようじゃ?」
ザウェモンらが一様に顔を俯けているのを見て、デッガニヒは触れないことにしたようだ。
「明日の団体戦について、話がありましてね」
マジノーの言葉に、アベルたちは驚いた。
すでにこちらが五戦五勝してみせたのに、まだやろうというのか。
そんな不満を見て取り、マジノーは眦を吊り上げた。
「もちろん! この士官学校は、優れた兵士を生み出してきた。我が校こそ、戦の旗印には相応しい。彼らが、アグストヤラナの連中なんぞに遅れをとる訳がないのだ。あれは…そう、何かの手違いだ! 大体、考えてみれば兵士が個々人の戦力を競っても意味があるまい? 兵として、隊を組んでの戦いを見なくては意味がない」
確かに一面はその通りだろう。
しかし、アベルは彼の物言いが癪に障った。
思うところは色々あったが、それでも個々人での戦いは全力を尽くした。それを一言で無為なものにされたように感じたからだ。
そして、それはセイゲツ側の何人かも同じように感じたように見受けられた。中でも、ザウェモンの膝上に硬く握り締められた拳は白くなっている。
「ちょっと」
何か文句を言ってやろう、そう思って半歩進み出たアベルだが、その前にデッガニヒが立ち塞がる。出鼻をくじかれたアベルは文句を言う機会を失し、その間にデッガニヒがのんびりした口調で話し出した。
「のうマジノー。お前さん、何か勘違いしとりゃあせんかの?」
「勘違い?」
顔をしかめるマジノーに、デッガニヒは淡々とつづける。
「わしやこの子らは、お前さんの部下でもなければ生徒でもない。ここまではお前さんの顔を立てて付き合ってきたが、うちの生徒がお前さんの我が儘にいつまでも付き合わねばならん義理は無いぞ」
そういうと鋭い目つきで睨みつける。二人の視線が交錯した。
「その子らもそうじゃ。生徒はお前さんの私欲を満たす道具ではないわい。…お前、あの連中に似てしまったのぅ」
そしてデッガニヒが嘆息すると。
「…うるさい!」
それまで慄いていたマジノーが怒鳴った。
「家督を無責任に捨てたお前がしたり顔で抜かすな! そのせいで我が家の家名は地に落ちた! 私が必死に努力した結果汚名を返上したのだ、それも知らずにぬけぬけと…」
憎しみに満ちた眼差しを、デッガニヒは真っ向から受け止める。
「なるほど、その責めは受けよう。じゃが、子供たちにその憎しみをぶつけるのはちと不作法なことではないかのう。家名に拘るなら、尚のこと無関係な子供たちにまで恥をさらしたくはあるまい。他にもっとやりようがあったのではないかの?」
「何が言いたい?」
「お前さんがわしに対して含むところがあるのは判った。なら、余人を交えることもあるまいて。明日、わしとマジノー、お前とで戦う。それで負けたほうは勝ったほうの言うことを聞く……それでどうじゃ」
「兄上と私とで?」
デッガニヒが深く頷くのを見て、マジノーは鼻でせせら笑った。
「お忘れか、稽古のとき兄上は一度も私に勝てなかったのだぞ? それをこの大一番で?」
「御託はいい。どうじゃ、受けるか受けないか。受けんのであれば、わしらはこのまま帰る。長居しても得られるものが無さそうじゃからの。セイゲツの協力を得られんのは残念じゃが、諸国には個人戦の戦いぶりで納得してもらえるじゃろうて」
実際には、横槍が入る可能性があること自体を懸念しているのだがデッガニヒはそのことをおくびにも出さない。
「…いいでしょう」
しばらく迷ったものの、マジノーはその提案を受け入れることにした。
「では、明日私と兄上とで決闘を行う。敗者は、勝者に従う。武器は?」
「普段使っておる武器で構わんぞ」
「いいでしょう。それ以外の規則は個人戦のときと同じでかまいませんな?」
デッガニヒが頷いたのを見て、マジノーはにやりと笑った。
「それでは改めて、もし私が勝ったなら…ハルトネク隊の六人、我が士官学校で貰い受ける」
アベルたちはえっと驚きの声を上げる。しかし、デッガニヒだけはそ知らぬ風で頷くと言い返した。
「ならば、わしが勝ったら要請に応じセイゲツ側からも兵を出してもらう」
「いいですとも」
「うむ、話し合いが上手くまとまって何よりじゃわい。さて、これで話は済んだのう? わしらは部屋に戻らせてもらい、明日への英気を養わせてもらうぞ」
マジノーも頷いたことで、デッガニヒは道場をすたすた出て行こうとする。誰に文句を言うべきか迷っていたアベルたちは、互いに顔を見合わせると已む無く彼の後を追って出た。
「ちょっと、何であんなことを勝手に決めるんですか!」
部屋に付いた途端、真っ先にリティアナがデッガニヒに食って掛かる。他の仲間たちも同様に詰め寄りこそしないものの納得できないといった面持ちだ。
「…何でも何も、協力を取り付けることこそが任務じゃったはず。わしはその条件を整えたまでに過ぎん」
「だからって、あんな強引な約束を取り付ける必要は無いでしょう! 団体戦でけりを付ければ…」
「それで本当に終わると?」
冷たい声で遮られたアベルは返答に詰まった。確かに、あのマジノーの反応では仮に明日団体戦を行い、それに勝ったとしても同じようにいちゃもんをつけてぶり返す可能性は高いだろうとアベルも思う。
「だけど…」
何か言い返そうとするも、結局言葉にならないアベル。
しかし、別の人物がデッガニヒへ質問をぶつけた。
「本当に、協力を取り付けることだけが目的なのか? そうではあるまい?」
「……どうしてそう思うんじゃ、ムクロ?」
デッガニヒ、仲間たちの視線がムクロへ集まる。
ムクロは意に介した素振りも無く、淡々と持論を述べた。
「…来たときから引っかかっていた。妙にマジノーは俺たち…いや、あんたに対しての当たりが強いんじゃないかと。そしてさっきもだ」
「家督を捨てた、とか言ってたわね」
ユーリィンの言葉にムクロが頷く。
「そうだ。実の兄弟にしては大分殺伐としてると思ってな。一騎打ちになるよう仕向けたのも、それと関係してるんじゃないのか?」
ムクロにも兄弟がいるから、何かしら斟酌できるところがあったのだろう。
仲間たちの視線が、今度はデッガニヒに向けられる。
デッガニヒはしばしどう答えたものかと迷ったが。
「そうじゃの…無関係、と言えば嘘になる。わし自身、割り切れておらなんだということじゃろうな」
どうやら、素直に認めるほうを選んだようだ。
アベルは仲間たちと見合わせ、頷いた。
「デッガニヒさん。もしよければ二人の間に何があったのか、聞かせてもらえないですか?」
「お前さんらも部外者ではない、か。……まあええ。よくある話じゃ、面白くも何とも無いぞ」
そういうと、部屋の中心にどかりと腰を下す。アベルたちも、彼を中心に車座に座った。
「ノードリアス家――わしの実家じゃな――は、とある国の貴族じゃった。武門として名を馳せてはいたが、王位とはかなり遠い…まあ、没落貴族という奴じゃよ。そこで、わしは家督を継ぐ…はずじゃった」
それと同じことは、マジノーも言っていた。
「ただ、元々わしは貴族の生活に向いておらんでな。常日頃から頭の固いマジノーとはよく衝突しておった。それでも、それなりには親しいといえる関係じゃった…ある日まではな。それが、わしが家を捨てた日じゃ」
「それがよく判らないのですけど…貴族であることを捨てるなんて余程のことですわ。何故ですの? マジノーさんと何が?」
「いや、マジノーは関係ない。むしろ被害者と言ってもよい」
デッガニヒはきっぱり言った。そして、部屋の中ではない、どこか遠くへと目を向けた。
「今も思い出す…あの日は、こんな感じの蒸し暑い夜じゃった。母方の親戚筋から、マジノーを跡取りとして養子に出して欲しいという話が来たのじゃ」
この時代、貴族は世襲制が常である。そのため、次男以降は長男の身に何かあったときの代用という見方をされることが主だった。
しかし、当然ながらそうおいそれと起こることではない。そのため、別の男児が恵まれない貴族たちへ里子に出されることはままあることだった。
「しかし、その貴族には元々跡取りがおっての。調べてみたところ、どうやらその貴族は直前に国王の不興を買っておった」
「それでは…」
真っ先に何を言わんとしているか思い至ったレニーに、デッガニヒは微かに怒ったような表情を浮かべた。
「うむ。要は生贄じゃ」
引き取り手は本来の跡取りの代わりに、新たに養子とした子をもって国王の怒りを解くつもりだったのだろう。
「そんな!」
はっと息を呑む音が静かな室内に響いた。
「親御さんは…」
「知っておったよ」
そう答えたデッガニヒの横顔は寂しげだった。
「問い詰めたが、そのときはっきり言いおった――これで穀潰しを厄介払いできるとな。それを聞いたとき、わしは見限った。奴らにとって、わしらは家族ではなかったのだと判ったでな。じゃから、兼ねてから考えておった出奔を前倒しで進め、飛び出たんじゃ。マジノーが行ってしまった後では手遅れになるからのぅ」
「なるほど…」
そこからの展開は、マジノーの独白と併せて想像がつく。
跡取りのいなくなったノードリアス家では、マジノーを手放すことを嫌がったに違いない。結果母方の親族から恨まれ、結果悪評が流れた(流された、のかもしれない)。その名誉を挽回するため、マジノーは親の期待を一心に背負わされたといったところだろう。
「んー…でもさ、それならおっちゃん、マジノーにはっきり教えとけばよかったんじゃない? 少なくとも、感謝されこそすれ恨まれる筋合いじゃないと思うんだけど」
リュリュの疑問に、デッガニヒは小さく頭を振った。
「それも考えたがのぅ、それはさすがに恩着せがましいことじゃ。下手に教えれば、奴を苦しませることになる。そう考えて黙っておったのじゃが…見事に裏目に出た格好じゃな。まったく、人生はままならないもんじゃわい」
「そんな呑気な…」
呆れたリティアナに、デッガニヒは気楽な口調で答えた。
「とはいうても、起きたことを今更悔やんでも仕方あるまいて。後は明日の戦い如何じゃな」
「いや師匠、あんた数年来カタナ触ってないはずでしょ? それで勝てるの?」
ユーリィンが不安そうに尋ねる。
「さあて、のぅ」
デッガニヒは、顎の周りに生えた無精ひげを無造作に撫でた。
「まあ、勝負は時の運とも言うからのう。そのときになってみんと判らんて」
「そんな他人事みたいに…」
アベルが太いため息を吐く。
アベルとしてみれば、アグストヤラナに執着したのはそこにリティアナに関する情報があると思っていたからであり、今となってはその必要は無い。仲間が共に移るのならば特に異存は無いのだ。
しかし、リティアナはそうも行くまい。
彼女のガンドルスへの拘りを無視して連れて行くことは難しいと思われる。もし仮にデッガニヒが負けた場合、アベルはリティアナだけでも免除してもらうよう頼み込むつもりでいた。
リティアナと別れることを思えば辛いが、昔の生存を諦めていた頃に比べれば我慢できないほどではない。
だが、アベルの懸念を払拭するようにデッガニヒは殊更明るい声で告げて話を打ち切った。
「いずれにせよ、先のことはまだ判らんもんじゃ。今から思い悩んでおっても仕方あるまいて。さあ、この話はここまでじゃ」




