第30話-4 和平交渉へ
表面上は以前どおりだが、身近な者ならどことなく感じ取れてしまう程度の違和感を抱えたまま、ハルトネク隊は和平交渉へ出発する日を迎えた。
夜明け前のひんやりとした冷気で満ちたおなじみの転送室に、ハルトネク隊とアリウス以外にはデッガニヒとアルキュスが集まっていた。
「さて、もういい加減耳にたこができておると思うが」
デッガニヒの良く響くはっきりした声が狭い室内に反響する。
「君たちの目的は、王子を無事にオルデン公国へ無事にお連れすることが使命となる。本来なら山岳を突っ切って抜けて貰うほうが早いのじゃが、ちょうど先日の長雨で山道はぬかるんでおろう。王子の足を考え、諸君らにはコルロ河伝いに南下してもらう。海岸が見えてきたところで北西に向かえば、間に一泊挟んで明後日の昼過ぎには着くはずじゃ」
先に受け取っていた地図を見ながら、一同は行軍の予定を頭に叩き込む。
「ええか、繰り返しになるが戦闘は極力避けるんじゃ。王子の身の危険もあるが、迂闊なことをすると和平交渉の席にすらつけなくなりかねん。それだけは決して避けなくてはならん」
そういうと、アリウスが口を挟んだ。
「場合と相手によっては、余を人質として差し出せばそなたらは助かろう。余としてはオルデンに入ることができれば問題ないのだから」
「大有りよ。牢の中から叫んだって意味無いでしょうが」
呆れたユーリィンが即却下する。
「まあ、会敵しないで進むのならあたしらにうってつけな人材はいないわ。その辺は安心して任せてくれていいわ、王子」
不安なのだろう、表情が強張っている王子にユーリィンが笑いかけ。
「そうじゃな。空からの偵察が可能な二人の術者に、影を移動することのできる魔人、何より感覚の鋭い森人」
デッガニヒも同意する。
「仮に王子と関わりある人材がいなかったとしても、今回の任務は諸君らでないと厳しかろうて」
アベルたちが確かに頷いたのを確認し、デッガニヒは後ろに下がった。
「それじゃあそろそろ転送するよ。荷物持ったら部屋の真ん中に集まっとくれ」
アルキュスに促され、荷物を持った仲間たちが言われた通り部屋の真ん中に集まっていった。
お馴染みの眩暈が収まり、そぼ降る雨の中に放り出されたアベルたちは自分たちのいる場所を改めて確認した。転送事故が起きてなければ、ここはデリンヴァー山の山裾だろう。
今いる地点からまっすぐ西南西に直進すれば、夜半には目的地であるオルデン公国の王都、ナルウァルへと到着できるが、その際国を縦断する主要街道を二つ跨がねばならない。そうなると、オルデン公国兵との接触は免れないため、一旦外回りに進んでから北西へと上がる。
むき出しになった岩だらけの海岸と、大河に挟まれているおかげで南からの侵攻はまず無いと考えられるため、そこを一定期間警邏巡回から外す。それが、この度の和平交渉団が向かうに当たってオルデン側から伝えられた取り決めとなっていた。
折り良く、川の流れる音が雨音の合間に程近い東側から聞こえてきている。
予定通り一旦そちらに向かい、そこから川沿いに南下する。この雨なら、海岸に辿り着く前にオルデンの警備隊やディル皇国の斥候に見つかる可能性は大きく下がるだろう。
各自自分の荷物を担ぎなおし、歩き出したアベルたちだが。
「あれ、王子? その荷物は…」
アリウス王子はというと、自分の背丈ほどもあるでかい背負い袋を背負おうとして一歩も動けずにいた。
「い、いや、これは…」
アベルに注目されたアリウスはぎょっとしたように振り向く。
「あれ、王子そんな大荷物なの?」
リュリュが首を傾げるが、アベルたちは王子がそんな荷物を用意するとは聞いていない。
どういうことか尋ねようとした途端。
「うわっ?!」
もぞり、と袋が動いた。
「…王子、これは?」
「な、なんでもない! なんでもないのだこれは!!」
慌ててそう言い繕う王子だったが、生憎そんな子供だましを信じる者は誰もいない。すぐに抑えられ、荷物の中を改めると。
「ぷはっ…もうついた?」
袋から転がり出てきたのは、ベルティナだった。
「そういうことだったの」
アベルとリティアナ、二人掛かりの尋問の結果、ベルティナは二人を心配して付いてきたのだと判った。その際、親しくなったアリウス王子に助力を求めたのだ。
背負い袋に入っていたのは彼がずっと担いでいくつもりだったらしい。
「…なんて無茶苦茶な真似を…遊びに行くわけじゃないんだぞ」
さすがにアベルも呆れ顔だ。
「すまぬ、勝手なことをしたとは判っておる。だが、死地へ向かう父者母者を心配する心意気を前に、余はどうしても止めることはできなんだ。責めるなら余をを存分に責めるがよい」
「どちらの責任でもない、両方だ。どうする、アベル?」 とムクロ。
仲間たちがアベルを見る。しばらく腕組みをして考え込んだアベルだが。
「手間だけど、一旦戻ってベルティナを置いてから改めて戻ってくるのが一番良いだろうね…あっちでも心配してるだろうし。とりあえず、僕だけで行ってくるよ」
そう言って、ベルティナの手を繋ぐと空いているほうの手で帰還用の転送球を取り出す。
「帰還、アグストヤラナ!」
帰還するための合言葉を唱える…が、変化が無い。
「あれ? …え、なんで?! 転送球が壊れた?!」
「ええっ、それだと帰れないじゃん!? 次ボクに貸してみて!」
何回か、人を変えて試してみても同じだった。
と、しばらく様子を見ていたリティアナが何かを思いついたらしく、アベルに提案してきた。
「…もしかして。ねえアベル、その転送球を貸して。ベルティナを預かっていてくれる?」
「う、うん。判ったよ」
そうしてリティアナだけで試した結果、なんと無事に転送できた。
「どういうことかな…?」
すぐに戻ってきたリティアナから新しい転送球を受け取った別の仲間が再度試したところ、今度も無事転送できたことを確認してようやく一行は何が起きているか想像がついた。
「まず間違いなく…ベルティナが原因だろうね」
アベルの言葉に、ベルティナとアリウス以外の全員が頷く。
どうやら彼女は昨年末のディル皇国から転送したときの経験を利用して、故意か偶然かは判らないが転送できないようにしているのだろう。
「だからさ、危険なんだってば。大人しく帰ってくれよ」
「やだ! ぱぁぱと、まぁまと、いっしょがいい!」
「ああもう、何でだよ…今までの任務のときは大人しく待っててくれたじゃないか」
「だって…べるとおなじくらいの、ありうすがいるもん…」
どうやら、同年代のアリウスがいるのだから自分も一緒に連れてけ、ということらしい。
アリウスはアリウスで彼にしか果たせない使命があるからだ、そう説き伏せたがベルティナは頑として頭を縦に振ろうとしない。いい加減呆れ果てたアベルは大きく嘆息した。
「ああもう、なんて頑固なんだ! まったく誰に似たんだか…」
その後もまだしばらくそうしてなだめたりすかしたりして返そうと試みたアベルたちだったが、最終的には連れて行くしかないと諦めた。
「いい、ベルティナ、王子。ベルティナも同行するには条件があるわ」
リティアナが鋭い視線で子供たちを睨みつける。
「学府のほうも、已む無くわたしたちが連れて行くことに許可が出ました。ここからは、わたしたちの指示に絶対従うこと。学府に戻るまでの間、あなたたちは子供ではなく、わたしたちの部下として扱います。何か疑問や問題点、気になることがあればまずはアベルかわたし。二人ともがいなければ他の人たちに尋ねること。決して勝手な行動を取らないで」
連れて行くからには、命令に従うことをしっかり理解して貰わなくてはならない。学府の裏山を探索するようなつもりで気まぐれにふらふらされては溜まったものではないのだ。
「もし、約束が守れない場合はベルティナだけその場に置いていきます。用事が済んだら迎えに来るけど、それまでは一人ぼっちでこの森の中野宿することになるわ。もちろん、真っ暗な夜中もあなただけでね」
ぶるっ、とベルティナが頭から爪先まで大きく震えた。一人で夜の森の中に放り出されるのはまだ怖いらしい。
「そして最後に。わたしたちが向かう先には危険なこともあるけれど、決して慌てたり騒いだりしないでわたしたちを信用して、その判断に従って頂戴。どう、二人とも約束できる?」
「う、うん、わかった! べる、やくそくする!」
ベルティナが大きく頷き、嬉しそうにアリウスを返り見る。
アリウスも、満足そうに頷いた。
とうとう、自分たちの熱意が通じたのだ!
彼女たちの高揚を喜ぶように、リティアナもまた笑顔を浮かべ言った。
「あ、それとは別にあなたたち。もちろん帰ったらたっぷりお説教するから、今から楽しみにしておきなさいね」
二人は揃って肩を落とした。




