第30話-1 リティアナ、己と向き合う
リュリュとユーリィンが浴場で交友を深めていた丁度そのころ。
しんと静まり返った保険室内で、リティアナは寝台の横の椅子に腰掛けていた。
時折洗面器に張った冷水に浸した手ぬぐいを絞っては、寝台の上のガンドルスの胸元や頬をそっと拭ってやる。
保健室内の暖炉には火が踊っていたが、ガンドルスの巨体はひっきりなしに細かく震えている。額は拭った傍から大粒の汗を吹き出していた。
本来はこれらはアルキュスの仕事だが、彼女がどうしても手を外せないときや休憩時には、こうしてレニーやリティアナをはじめとした手の空いた生徒が替わっている。
中でも、リティアナは外に任務に出ているとき以外の暇な時間は、かいがいしくガンドルスの面倒を看るのに費やしていた。
「またにじんでる…」
その視線が顔から胸、そして腹へと下っていく。そこに巻かれた包帯は、新しいのに替えたばかりにもかかわらずすでにうっすらと赤く染まっていた。
ガンドルスの容態は一時期に比べ、大分持ち直してきてはいる。
しかしそれでもえぐられた腹は安易に塞がらない。
いや、塞ぐどころかじくじくと傷口が壊死していっているため、普通の人間ならとうの昔に死んでいてもおかしくない。魔素を注ぐことでその侵食は抑えられるものの、無尽蔵につぎ込めるものではないためどうしても治療は遅々としたものにならざるを得ない。
今のガンドルスが生きながらえていられるのは、リティアナが自分の身を犠牲にする勢いで魔素を注いだことが大きい。しかし、リティアナの負担を懸念したデッガニヒはそれ以上の無茶を禁じ、ハルトネク隊に強制的に組み込ませたのだ。
その対応に不満はまだあるものの、一方でリティアナはその命令に納得する自分がいることに気づいていた。一昔前…いや、二年前なら、軍機違反などと気にせず看病していただろう。
リティアナを押しとどめたのは、一人の少年の存在だ。
反論しかけたその瞬間、アベルのことが脳裏に浮かんだためリティアナは引き下がった。
そのときはデッガニヒたちに驚かれたものだが、一番驚いたのは当のリティアナ本人だった。
(どうして、わたしは…)
抱いた疑念は、こうやってガンドルスの看病をする度、押さえつけた心の隙間から這い出してはリティアナを悩ませる。
彼女もまた、自らの心のうちに確実に芽吹きつつある気持ちと向き合えずにいた。
表で、夕刻を告げる鐘の音がなった。
今日も悩んだだけで時間がすぎてしまった。嘆息しながらも恒例となった後片付けをしていると、ふとリティアナの視界の片隅で何か動いたように見えた。
「今の…」
振り返り、そちらを見る。そこにはガンドルスが横たわっている。
と、ガンドルスがわずかに身をよじり、息を吸ったように見えた。
「ぁ……!」
リティアナは声を上げようとするが、感極まって声が出てこない。
その間、ガンドルスのたくましい胸板がゆっくり、上がり、下がる。
しばらくして、ガンドルスは目を開いた。
そしてリティアナは、確かに久方ぶりの彼の声を聞いた。
「やれやれ…また、死に損ねたか…」
驚きに声も無く固まるリティアナの頬を、やがて一筋の嬉し涙が伝った。




