6.それは恋じゃありません
わたしがアルフレッド殿下の妃とか、冗談でしょう?
「わたしは伯爵家を継がないといけないので、アルフレッド殿下の妃には--」
「僕たちの間の子に継がせればいい。そのために、貴女には数人子を産んでもらわないといけませんね」
「ひっ」
席を立った彼が優雅な足取りで近付いてきて、ひと房おろしたわたしの髪を手に取り口付ける。
「零時の鐘で帰るシンデレラ。僕から逃げられるとでも?」
髪にキスをしたまま、蒼い瞳に見つめられ囚われそうになった。ううっ、息が止まるわ!
「貴女のスナップの効いた平手に、急所に入った重い蹴りに、僕は度肝を抜かれました。
ーーこれはもう恋としか言いようがありません」
「それは恋じゃありません。変態って言うんです」
「ふふっ。辛辣な貴女の言葉に、身震いしてしまいますね」
ひぃぃっ! どうしましょ、やっぱり変態だったわ。最初の印象は間違っていなかったじゃないの。
鼻眼鏡のない端正な顔でも、彼は変態のままだった。
ーーゴーン、ゴーン
その時だ。零時を知らせる鐘が鳴り響いたのは。
「あっ!失礼します」
借りた馬車は零時になったら帰る約束なの。それまでに乗り込まないと、自力で歩いて帰る事になる契約なの。慌ててダッシュで逃げるはずだったのだけれど。
「きゃあっ!」
階段の途中で片足が何かにくっついて、靴が片方脱げてしまった。
「ふっふっふ。こんな事もあろうかと、トリモチを用意しておいてよかったです」
ドヤ顔の彼が近付いてくるので、脱げた片方を諦め走って階段を駆け降りた。トリモチで捕まえようだなんて、わたしはネズミじゃないんだから!
「きっと貴女を迎えに行きます!」
「いやーっっ!」
声に振り向くと、脱げた靴に頬ずりしている殿下の姿が目に入り、ゾワッと背筋が寒くなった。ああ、アルフレッド殿下に無礼を働いた者として、手配されたりなんかしたらどうしよう。伯爵家絶体絶命の危機にならないように祈りながら帰った。
それから数日後。
「この家にはもう一人娘がいたはず」
王家の使いの声が、屋敷の広間に響く中。わたしは顔面蒼白で台所に隠れていた。使者は一人ではなくて、バタバタと屋敷に入ってくる靴の音とざわめきからすると、大勢の人が押し掛けているみたい。
《この靴がぴったり合う女性をアルフレッド殿下の花嫁とする》
例のアルフレッド殿下がそんな馬鹿げた事をやり始めたなんて、知ったのはついさっきそのご一行が我が家の門を叩いた時だ。だって怖くて外に出られなかったし、屋敷の手入れや家庭菜園の世話もしなきゃいけなかったから……つまりは引きこもっていたの。
それよりお継母さまもお継姉さまもご存知だったんなら、教えてくれてもよかったのに! お継姉さま方がガラスの靴を試している間に、うまくお継母さまに誤魔化してもらって逃げようと思っていた。
「どうせこ最後の令嬢もサイズが合わないわよ」
「さっき試した三人全員合わなかったもんねー」
ヒソヒソざわざわしてる人の声の中には、野次馬のものも混ざっているみたい。みんな勝手に入ってきちゃったの?
「ベル、いい加減に観念して出てきなさい」
「お継母さま……」
継母に促され渋々台所を出て皆の前に姿を見せる。玄関ホールを見てあらビックリ。嘘でしょう!
「さぁ、ローズ・マリーベル嬢。この靴がピッタリ合えば貴女は僕のものだ」
チョビ髭の鼻眼鏡を付けたアルフレッド殿下がドヤ顔で靴を差し出した。アルフレッド殿下自ら来るなんて!
「ぐるぐる眼鏡のメイドでも、落ちぶれた伯爵家の令嬢でも。僕はどちらの貴女でも良いんです」
殿下はわたしの前でひざまずき、ガラスの靴を差し出した。
「美味しそうに食べる貴女を、月を見上げる寂しそうな貴女を見ていました」
「……殿下」
下からわたしを見上げるアルフレッド殿下の瞳は、どこまでも澄んだ空の色をしていた。そういえば殿下はどんな格好をしていても、必ずわたしを見つけてくれた。
「ずっと貴女を見ていたから、どんな格好をしていてもすぐに分かりました」
じっとわたしを熱っぽく見つめる殿下に、『ずっと見ていた』が文字通りだなんて思いもせずにときむいてしまった。
ううっ、どうしましょう。胸がきゅーんとなってしまうわ。殿下の金の巻き毛も空色の瞳も、艶やかな声も大好きなのよ。ずるいわよ、そんなチョコも蕩けそうな熱い眼差してみつめて、お砂糖を煮詰めたくらいに甘く艶やかな声で囁くなんて。
「さぁ、貴女の靴ですよ」
恐る恐る足を差し出して、彼に靴を履かせてもらう。
「それに鼻眼鏡の僕でも、王子の僕でも。態度の変わらなかったのは貴女だけでしたし」
「ひゃっ」
そう言いながら、そのまま爪先に口付けてきた。び、びっくりした。思わず硬直してしまったわ。