5.生しらすは生姜とめんつゆで食べると美味しい
パーティー会場に着くなり、主宰側のため仮面を付けていないアルフレッド殿下が、なぜか真っ直ぐにわたしの元へダンスを誘いに来た。トウモロコシの髭のような、金の巻き毛。澄みきった空のような蒼い瞳の美男子。
ーーああ、やっぱり。
「まぁ。どちらのご息女様かしら。羨ましい事ね」
「くっ。殿下が相手では……」
デビュタントとして社交界にデビューした時に一度だけダンスを踊った事があるから、いくら田舎者でも顔は知っているのよ。ああ、でも。やっぱりそうだったんだ。
「ワルツを一曲」
ホストにそう願われて、断れる人間などいない。ホストでもあり主役でもある彼が踊らない限り、この夜会の参加者は誰ひとり踊る事が出来ないのが、社交界のルールだから。
「美しい貴女とこうして夢のようなひと時を過ごせるなんて」
「……」
暗がりでしか見たことがなかったから、まさかとは思っていたけれど……甘く囁くその声も。
ーーあの鼻眼鏡の彼のものじゃないの。
なんだ。彼は誰にでも甘いセリフを吐くんだ。わたしがどこの誰かは、分からないはずだから。鼻眼鏡の無い彼はどこか遠い存在に思えて、なんだか胸がズキンと痛い。曲が終わってお辞儀をして。泣きそうになるのを抑えて、その場を辞そうとするけれど。
「曲が変わりますよ」
今度はアップテンポな曲に変わり、そのままダンスを続行されてしまう。二曲目はみんなもフロアに躍り出て、それぞれが相手とつかの間の夢を楽しむ。
次の曲も終わり、これが最後とお辞儀をするけれど、次の曲もその次も殿下はわたしを離そうとはしなかった。同じ相手とダンスをずっと踊り続けるのはマナー違反。ましてや相手は、独身のアルフレッド殿下。
ーーああ。
痛いの。嫉妬に狂ったご令嬢の視線が。その親御さんの憎しみの込められた瞳が。
「見慣れない方だから、きっと社交界の常識をご存じないのね」
いいえ存じてますとも。だったら助けて欲しいわ。ガラスの靴で踊り続ける足は、もうとっくに悲鳴を上げているんだから。仮面を付けていても、顔見知りかどうかは分かる社交界の恐ろしさ。
「貴女は僕に身を任せて下されば好いのです」
ええ、そうさせてもらいますとも。必死で彼にしがみついて、解放される時をひたすら待つ。そんなわたしの視界の端にチラチラ映る、美味しそうな料理の数々。
王家主催とあって、王家禁制の食材なんかも使われている。解禁になった鮎の塩焼き、鱧は湯引きに天ぷら、お吸い物まで用意されてるみたい。フルーツも丸ごとスイカのフルーツポンチ。踊りながらも視線はそこに釘付けだった。
「水ナスは生のままサラダに。カツオのカルパッチョの他、牡蠣づくしフルコースも用意してありますよ」
「……牡蠣のどて焼きもご用意下さるのかしら」
キューキュー鳴っているお腹のせいで、誘惑に負けたって仕方のない事だと思うの。
「もちろん。お米は厚釜で炊いたものをご用意しております」
雲ひとつない空の様な蒼い瞳を細め、蕩けるような笑顔で彼は答えた。ふらつくわたしの腰を支えて皆が驚愕の眼差しを向ける中、裏庭へといざなうのだった。
「ごめんなさい。生しらすをもっと乗せて下さるかしら。桜えびも」
山もりご飯に、生しらすと生桜えびを掛けてもらい、付け合わせの焼きナスをつつく。連れられた裏庭には、これでもかと言うほどのご馳走の用意が整えられていた。
牡蠣のどて焼きの味噌の焦げたところを必死でこそいでいると、アルフレッド殿下が声をかけてきた。
「食べ終わったら、貴女の部屋にご案内いたしますね」
「……はい?」
突然意味の分からない事を言われる。王宮にわたしの部屋があるわけなんてないじゃない。何を言っているのかしら。
「僕と続き部屋になっている、妃の為の部屋でこれから過ごしてもらいます」
「え……なぜ?」
驚くわたしの頬に手を伸ばし、ごはん粒をつまんで微笑んだ。
「あの夜は新月でしたね」
「ぶはっ」
まさかダンスを踊った相手がわたしだとバレてるの?いえいえ、彼が気付いたのは新月の夜にダンスを踊った相手。決してぐるぐる眼鏡のメイドのわたしでは無いわよね。うっかり出た溜め息を、牡蠣と共に飲み込んだ。
「お人違いではないかしら?」
「……は?僕が貴女を見間違えるとでも?」
一瞬の沈黙のあと、急に声のトーンを下げて彼が問う。あら嫌だ、五度ほど気温が下がったんじゃないかしら。別の意味での寒気に、ゾクゾクと身体が震えてしまう。
「あの……わたし」
「今日は三つ編みじゃないんですね。それに胸の開いたドレス……」
蒼い瞳が、スッと細められた。嘘っ! もしかしてまるっとバレてるの?
「こ、これは家の者が」
ってどうして言い訳しなきゃなんないのかしら。
「ローズ・マリーベル・フォン・ド・ボー伯爵家令嬢。ぐるぐる眼鏡のメイド姿も、先日の髪を下ろした姿も、もちろん今宵のドレス姿も全てが愛らしい」
バレてるわ! まるっと全てバレてる!