65話 『恥+恥+恥= 』
「っガアッ……!?」
股間から下腹部にかけての強烈な痛みが走り、同時に目を覚ます。
「ちょ、ちょっとアネラ!?」
「……えげつねえ……」
「さー……」
アネラが思いっ切り繰り出した容赦のない蹴りに、倒れていたその男――グルッドがのたうちまわっている。
それを見ていたネーアとメルオンも思わず股間を手で覆い、目の前のグルッドに同情の目を、鬼の様な行為を一切の躊躇もなく実行するアネラに畏怖の念を覚えた。
「団長!ほら!早く立って!帰るわよ!!」
((いや……無理だって……))
「ぅ……ぅぉぉ……」
やだもう、見てるこっちも痛くなってくる。
痛く……ああ、そうだった……手の内が心もとない……あれ……おかしいな……涙が……。
対するネーアは今はなき竿と玉を思い、心の中で悶える。
今になってこんなことを再確認させられることになるとは思っていなかっただけに、余計に心に来るものがあった。
「あ、アネラ……ちょっと待ってあげ……あれ?」
「? 何、どうかした?」
「いやだって……男の前で……」
蹲るグルッドを急かすように言うアネラを見て、ネーアが言った。
そう。堂々と、ものすごく強気……というか、まるでいじめっ子のようだった。
普段の――ほかの男性やメルオンに対してだったらこんな大きな態度は絶対に取らないだろうし、取れないだろう。
「そこのおじさんはともかく、団長は別よ。こんな腑抜けたようなのじゃ、尚更男としてなんて見れっこないし」
「おじさ……ッ!?……つーかそうか。アネラとグルッドの関係については言ってなかったか」
「え?はい、全然」
メルオンがそう言うと、後ろにいるネーアの方へ少しばかり寄って行き、話をつづけた。
「レレンと腹違いだってのは言ったよな。アネラの母親も人獣族でな、父親とは別居して2人で生活してたそうなんだがアネラが5歳の頃、母親が急病で亡くなった。それからしばらくの間グルッドが引き取ってたんだそうだ。丁度10年前……確か、オレとのコンビを解消して騎士団に入った間もないころだったな。」
「……なるほど」
つまりはアネラにとってグルッドは父親のようなものということか。
育ての親……恩人にそんな強気なのもそれはそれでどうかとは思うが……まあ、そこにつっこむのはやめておこう。下手に火種を巻きかねない。
「ほら!もうそろそろいいでしょ。団長、早く立って」
「ぅぅ……! その声は、アネラか……?」
思考が回る程度には痛みが引き、グルッドはアネラの声に気が付いて顔を上げた。
アネラはグルッドの顔――その何もかもを失ったような、絶望の色が濃く表れた表情を見て、眉間にしわを寄せる。
「ああ……しばらく見ないうちに、大きく……なったな」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!いつまでもそうしてないで、さっさとレルレに対抗する術を……」
「ちょ、ちょっとアネラ……」
「……レルレ……?ぁ…ぁぁ……そうだ……オレは………!?」
「グルッドさん!?」
「グルッド?」
アネラが発したたった3文字の固有名詞。
これに大きく目を見開き、頭を抱えるようにして反応したグルッドは、立膝になったかと思うと次に両手を自身の腹部へと持っていき、まるで何か確かめるかのように何度も擦った。
「オレは……死んだはずでは……?」
グルッドが我に返りその言葉をつぶやくとともに、愕然とした空気が火山の山頂を支配する。
その声を一番近くで聞いていたアネラも目を丸くして、必死にあるハズの傷を探しているグルッドの肩をつかんだ。
「どういうこと!?説明して!?」
「オ……オレは……また、死に損なて……ああ……あ……ああ……」
「団長!!!」
必死に呼びかけようと声を張るアネラだが、グルッドはどんどん失意の中へと、己の心を沈めて行ってしまう。
「オレは……オレは……また……恥の上塗りを…………!?うあぁ……あああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
頭の中を、まるで無限ループのように先ほど――気を失う前に見た走馬灯が這いずり回る。
恥を晒しながらも、己の名声を落とすことを覚悟しながらも、ようやく死ねると思った。
この苦しみから……生き地獄から解放されると思った。
しかし、レルレは楽にしてはくれなかった。
手元にあった愛剣も、腹の傷と同様に姿を消している。今あれが手元にあったのならば、すぐにでも自分で終わらせられるというのに……。
オレは……また生き残ってしまった。
今度はオレを慕ってくれている親友と娘の目の前で無様にも取り乱し、あろうことか大声でわめきちらしている。
ああ、なんとも見っとも無い。
本当に……本当に……。
「ああ……アネラ……!!」
「な……なに!?」
「アネラぁ……オレをぉ!!……オレを殺してくれェ!!!せめて……!!お前が……!お前の手でオレを終わらせてくれえぇ!!!!」
「――――――ッッッッ!!!」
――オレの存在が、恥そのものではないか。
「グルッドさん!おちついて!!」
いてもたってもいられず、ネーアが一歩前へと足を踏み出す。
しかし次の一歩を踏み出そうとしたところに、それを阻止するかのようにメルオンの右手がネーアの目の前に現れた。
「メルオンさん?」
「嬢ちゃん……ちょっとでいい。ここはアネラに任せてやってくれないか」
メルオンはじっと、お互い肩に手を掛け合っている二人を見て言った。
ネーアもメルオンの真剣な眼差しを見て小さく「はい」と呟くと、視線をアネラに移しその動向を見守ることにした。
「いいか嬢ちゃん。これからアネラが何をしようが、黙ってみててくれ。もしもの時は俺から指示を出す。いいな」
「……え?それってどういう――」
「団長――本当に、それでいいのね」
ネーアが言い終わる前に、アネラがその口を開いた。
しっかりと目を見、グルッドに確認を取る。同時に彼の左肩を掴む右手で手刀を作り、魔力を込め始めた。
「ああ……お願いだ!!もう……もぅ……殺じでぐれぇ……!!!」
「本当に、本当にそれでいいのね!?」
「あぁ……!!!!!」
何かを伝えるように、再度確認の意を示す。
グルッドは顔をぐしゃぐしゃにしながらこれに肯定し、アネラの肩を持つ力を強める。
応えるようにアネラが手刀の先に伸びた魔力刃をグルッドの間の前に見せると、彼は歪み切った顔を少し緩めてアネラを見た。
「……ありがとう……」
「ッ!!…………」
グルッドから出たその言葉にアネラはピクリと、一瞬眉をひそめる。
そのまま数秒、アネラは顔を俯かせ歯を食いしばり、右手の魔力刃を振りかざすと同時に顔を上げ、グルッドの穏やかな顔に視線を落とす。
「――――このッ……」
「アネラッ――!!」
ネーアがその名を叫ぶと同時に、アネラの右手がグルッドへ向けて振り下ろされ―――。
赤黒く染まった山肌に、さらに鮮血が飛び散った。
つづく