62話 『夕暮れに思うこと』
「な……なんて?」
「む、聞こえなかったのかい?君をおムコさんに迎えたいと言ったんだ。」
「い……いや、そ」
そういう問題じゃないだろう!!??
一体何を考えてるというのか!!
ネーアは反射的に視線をアネラの方へちらりと向ける。
そのアネラがレルレに向けている目は、ネーアが抱いていた驚きや戸惑いというものよりも、何かおかしなものを見るようであった。
「あなた、それは失礼よ」
「へ?」
「ム」
より一層ネーアの表情から驚きが薄れ、戸惑いが色濃く表れる。
こうしているうちにも刻一刻とグルッドを救うタイムリミットが迫ってきているかもしれないのだが、それどころではなかった。
何かまずいことでもいったかという、少し何かを考えるかのように手を顎に寄せるレルレを前に、アネラは淡々と言葉を続ける。
「そこはせめてお嫁さんじゃないの?いくらあなたが女性だからって、女の子に大して一方的にお婿さん呼ばわりは失礼って言ってるのよ」
「え……い、いや……アネラ、さん?」
そういう問題でもないと思うのだが!?
というか、どこか変なスイッチが入ってしまったのか、アネラの目がさっきとは違う意味で怖い。
しかしそんな風に戸惑うネーアをよそに、アネラの言葉を真に受けて「なるほど」とこぼすレルレ。
続けてパチンと指を鳴らすと、その指をそのままネーアを指すように向け、少々愉快さが乗った声で言う。
「じゃあ改めて、ネーアをお嫁さんに迎えたい。どうだい?」
「だからそういう問題じゃないでしょって!!――――あッ」
思わず声が――それも結構大音量で出てしまった。
半ば反射的に片手を口元に持っていくがもはや手遅れ、2人の視線はバッチリつかみ取っている。
「はぁ……もう、趣旨。お婿とかお嫁とか、そこじゃないでしょうが」
「あら!大事なことよ!実際どうするかはネーアの自由かもしれないけれど、そこは大きく変わってくるのよ?」
「アネラ……悪いけど、やっぱ先にあがっててもらっていいかな」
アネラの言うことをバッサリ切り捨てるように、ネーアは真剣な眼差しでレルレを見ながら言う。
一瞬ムスッとするアネラだったが、真剣なネーアを見て自分から脱線していたことに気が付き、首を縦にふった。
「じゃ、じゃあ……私は一旦部屋に行ってるから」
「――わかった」
本当はメルオンと合流してほしいところであるが、彼女にそれは難しいだろう。
致し方なしと返事をするネーアに、レルレも笑顔を真剣な表情に変えてネーアを見つめ返す。
一つ、気になることがあったのだ。
それはアネラの前では言えないこと……そしておそらく、レルレもそのことをわかってあんなことを言っていた。
脱衣所へ続く引き戸が閉められた音を聞き取ると、ネーアは一呼吸おいてその言葉を発する。
「レルレ、君は――ボクの正体を知ってるのか?」
我ながら直球だ。
証拠となるものは、その何もかもを見透かすかのような優しい眼差し。そして先ほどの「おムコさん」という言葉だけ。不十分にもほどがあるだろう。
しかし、絶対に何かを知っている。なぜかそう思えたのだ。
むしろ、ネーアの言葉を聞いたレルレの表情を見ると、気づかせるためにわざと言ったとしか思えなかった。
「……直球だねェ」
意外というような、少しばかりの驚きをもって返答するレルレ。
しかしすぐにその表情を戻し、目を見て話を続けようと口を開く。
「ならば僕も率直に答えよう。『知らない』」
「――!!」
真面目に、且つはっきりと帰ってきたその言葉を、ネーアは素直に聞き取ることができなかった。
じゃあ何なんだと、新しい疑問の方が真っ先に浮き上がって口を動かそうとする。
――が、有無を言わせずにレルレが話を続けた。
「人の本質――正体なんて誰にも解らない。そう、それがたとえ、自分自身であっても、ね。……あーでも、君が知りたいことはおそらく知っているよ。」
少し得意げに言ってみせるレルレに対し、肩透かしを食らった気分のネーアは眉を顰める。
時間がないというのに、本当にどうでもいいというのか。
次第に感情が怒りと焦りにすり替わっていく中、その自慢げな表情をクスリとさせて、なおも話し続ける。
「ごめんよ。今のは少し意地悪だったかな。―――これを手に取るんだ」
レルレがそう言って指を鳴らすと、ネーアの目の前に何やら手のひらサイズの真っ黒い箱が姿を現した。
水中に落ちようとするそれを慌ててキャッチすると、一瞬鈍い光を放ち、ネーアの手の内に収まる。
その箱はどこか既視感のある、しかし同時に禍々しさを感じるものだった。
「……これは?」
「願いを叶える奇跡の箱……とでも言っておこうか。僕は今日、それを君に渡しに来たのさ。使うかどうかは君次第、好きにするといい。ただ、それを使っても君を元の世界に帰すことは不可能だとだけ言っておくよ」
「は……はあ」
胡散臭い。ものすごく胡散臭い。
〝願いを叶える〟と?そのフレーズに対してはどうしても敏感にならざる負えない。
本当だったら突き返しておきたいところではあるのだが、素直に返品できるとも思えないのでひとまずは持っておくことにする。
「じゃあ、僕はこのくらいで失礼するよ。また会おう」
「は!?まさか本当にこれだけ渡して帰ると!?」
本当に一体何だって言うんだ!?
あまりにあっさりと吐き出されたその言葉に、思わず威圧的な言葉があふれ出る。
何か重大なことを言うのかと思えば、胡散臭い箱一つ渡してじゃあさようならだと!?
こんな時にふざけるなと、いい加減にしろと説教でもくれてやりたい。
しかしレルレは、「その通りです」とばかりに真剣な表情を笑顔に変え、口を開く。
「心配せずとも、またすぐに会えるよ――最も、次は敵かもしれないけどね。ふフふフふ……」
「おい!ちょっと!!」
最後にパチンと指を鳴らすと同時に、まるで黒い渦に飲まれるかのように、レルレがその場から消えていく。
ネーアは咄嗟に手を差し向けるが、湯気をきるだけに収まり、ひとりになった露天には静寂が訪れる。
天を仰ぐともう夕日も沈もうという時間。
体の火照りと共にもうそれなりに時間がたったことを改めて感じるネーアは、右手に握った箱を少しばかり見つめると、先ほどまでの不満をため息に乗せ、意識を切り替えるようにぽつりとつぶやいた。
「……ひとまずは、あがろう」
事を整理するにも、グルッドを救出に行くにも一旦メルオン達と合流しなければならない。
重い腰を上げ、ネーアは人が来る前にと足早に露天風呂を後にした。
===ウェスレ火山 山頂===
彼女――レルレは確かに言った。最後のチャンスをあげようと。
その瞬間、意識が途切れ……気がつけばここにいた。
「何をしろと……ヤツは、オレを貶めて何をしようと言うのだ……!?」
まるで理解できない――いや、したくないというのが正しいところだろう。
ズタズタにされたプライドを前に、グルッドはただただ呆然と遠方に見える温泉町を眺める。
もういっそ楽になりたい。
グルッドが思うのは、そんな逃げ腰の言葉ばかりであった。
「……ここから落ちれば、死ねる……のだろうな」
それが恥ずべき行為であることは重々承知している。
その感情を優先すれば、自分はこの上ない後悔と未練を残すことになるであろうことも、結果が悲しみしか生まないということも、重々承知しているつもりだ。
「…………―――」
しかし時として、人間は感情を優先しがちな生き物だ。
そこに楽な道が転がっていれば、自然とそちらへ流れていく者は少なくない。
その結果がどうなるかなど考えることもせず、ただただ今を生きる者はそのような行為に、無意識のうちに手を染めていく。
「―――――」
グルッドはただただ呆然と、日の暮れていく温泉町に目を向け、今頃メルオン達はどうしているのだろうかなどと考え始めていた。
何故か手元にあった愛剣を、己の懐へと突き立てながら。
つづく
夏コミお疲れ様でした&ありがとうございました!
無料頒布した特別編は18日に短編の方で別途公開されます!合わせて63話も更新予定ですので、改めてそちらの方で告知させてもらいます!




