57話 『これからのこと』
アネラは抱き着いたまま、ネーアの胸にうずめた顔だけを少しばかり浮かせる。
そうして口を開こうというとき、心なしか抱きしめてくる腕の力が一瞬強まったような気がした。
「陛下から……何か、預かってない…?」
アネラは小さな、本当にネーアにだけ聞こえるような声でそう言った。
「え?……あ、うん。ちょっと待ってね」
預かっているもの……と言えば、あれのことなのだろうか。
ネーアはポーチから大事にしまっていた親書を取り出して見せる。
それをアネラが受け取ると、ネーアの腰に回した手でそのまま開封し、中身だけを顔の横へ持ってくる。
悪い、いけないと分かりつつも、少しばかりきなってネーアもその書面をのぞき込んでしまう。
そこには〝今次護衛任務における概要と用注意事項〟と綴られていた。
どうやら指令書のようなモノらしいが、ネーアがのぞき込んでいるのに気が付いたアネラはサッと書類を彼女の腰へと回し、脇から覗き込むように読み進めていった。
(離れはしないんだね……別にいいけど)
苦笑いをしながら、そんなアネラをまじまじと見つめてみる。
こうしてると年相応……よりも少し幼い。どうしてもそんな印象を受けてしまう。
何だか放っておけないような気がしてならないのだ。
まるで我が子を見守るように三度アネラの頭を撫で、その程よく癖になる肌触りを実感する。
(……やっぱり綺麗な毛並みしてるな。ボクももう少し気遣った方が――-!!)
そこまで考えてハッとし、首をブンブンと横に振った。
何を考えている!男の子を保つのだ!
あの時―――穴倉での一件で一度たがが外れてしまったせいだろうか。
既に〝ネーアという女性〟である自分が、少なからず男としての自分の自我に上書きされている気がする。
元の顔も名前も分からないという状況も相まって、一週間弱という短い期間であったにもかかわらず、その一件は精神にそれなりの……いや、かなりの影響を与えていたらしい。
とにかく平常心を保つように、一度ゆっくりと深呼吸をしてみる。
――と同時に、丁度読み終わったらしいアネラがぼふっとネーアの胸に顔をうずめた。
「ふぉっ……読み終わったのね。ボクに用事ってそれだけ……?」
その質問にアネラは首を横に振る。
まあそうだろうとは思っていたが。
「伝えないおいけないことがあるの」
「……と、いいますと」
ネーアのその返しに、アネラは部屋の外も含めて周囲の気配がないかを確認してから、またネーアにだけ聞こえる声で言った。
「この町にレルレが来てる」
「――な……は!?なんだって!?」
「しっ……できるだけ小さい声でお願い。辺りには誰もいないようだけど念のため、ね」
「ッ……。わかった」
レルレはここに来ていることを知らないのではなかったのか。そもそもその情報はどこから?……それにしても少し警戒しすぎではないのか。
色々疑念はある中、ひとまずはアネラの言うことに耳を傾けることにする。
「この指令書を簡単に訳すなら、要はレルレを探し出せってこと。表向きは絶対に悟られないように、グルッド騎士団長のケアも含めて、アイツが逃げる前に……今日明日中にやれって」
「じゃ、じゃあ早く動かないと」
ネーアがそう言って動こうとすると、アネラは抱き着く腕により力を込めて静止させる。
そしてアネラは、少しばかり声のトーンを落として続けた。
「待って…。言ったでしょ、表向きは悟られないようにって。私たちは特に事を起こさない」
「で、でもそれじゃ探せないんじゃ――むぐ」
そこまで言いかけて、ネーアの唇を塞ぐようにアネラの人差し指がそこにあてられる。
すると、今まで頑なに離れようとしなかったアネラは、ネーアの背中に回していた腕を戻す。
そして彼女の唇にあてていた指を自身の口元に持ってくると、ウィンクをして言った。
「安心して。もうわかってるから♪」
「へ?」
ネーアは一体なぜという疑問と、この短時間でどうしてという驚きを同時に見せる。
その表情にアネラは不思議そうに首をかしげつつ説明をと口を開いた。
「あら、知らないの?私たち人獣族……特に女性はね、モンスターや魔人を構成するマ素という物質に敏感なの。ま、その度合も人それぞれだし、みんながみんな同じように感じ取れるわけじゃないんだけどね。この町にいる異質な、そして大きいマ素がどこから来てるのかなんて私にはバレバレよ」
「ボクは何も感じないけど……」
「言ったじゃない、人それぞれよ。例えば貴女の『モンスターと心を通わせる』力。これもその一つね……聞いたことない能力だけど、間違いないわ。」
「ほほう……そんな秘密が」
「本当に何も知らないのね。向こうの世界の人獣って皆そんな感じなの?」
「へっ!?」
唐突に来たその質問に、思わず変な声をあげてしまう。
どうやらネーアの基本情報は知っているらしいが、この世界に来る前の……もともと人間の男だったという事実はやはり知らないらしい。まあ、男だったということは国王にも神官にも言っていないのだから当たり前なのだが。
「あ、う、うん……というか、向こうに亜人はいないんだよ。ボクも元々人間だったんだけど、こっちに来るときにちょっとあって……ね。あはははは……」
間違いなく事実なのだが、なんだか騙しているような気がして少しばかり後ろめたい気持ちになる。
だって元男だなんて、そんなことアネラが知ったら間違いなくややこしいことになるし。
「ふーん……不思議なこともあるものね。……――そうね、よかったら今度一緒に人獣族の里に行かない?私も小さいころにママに連れられて何回か行ったことがあるだけなんだけどね。今の自分が何者か知るのって、大事だと思うの!」
人獣族の里。
一瞬そのワードでケモミミ娘の楽園的な何かを思い浮かべるネーアだが、希少種だということを思い出して冷静になる。
しかしながらアネラの言う通り、自分の身体のルーツと言うのには純粋に興味もあったので快く受けることにする。
「うん。それは是非行ってみたいな。いつになるかはわからないけど、きっと行こう。でもまずは、2人とも無事でいないとね」
「ほんと!やった!!約束よ!」
ネーアの返事に、アネラは静かにと言ったことなどすっかり忘れ、うれしそうに彼女の両手へと手を伸ばす。
両手繋ぎの状態になって笑顔を浮かべるアネラを見たネーアも、自然と笑みをこぼしながら安心して言葉がこぼれ落ちた。
「……よかった」
「っ――!!な、なに急に!?」
顔を真っ赤にさせ、頬を抑えるようにするアネラ。
ネーアはそんなアネラに、笑みを浮かべたまま優しい声で続けた。
「いや、そんな顔もできるんだーって思ったらつい」
「――――――っっ!!」
アネラはさらに顔を赤くして、耐えかねたのかわからないが再びネーアの胸に飛び込んできた。
これにネーアは「あはは…」と微笑しながら、よしよしと頭を撫でる。
アネラはあからさまに顔を隠すようにしているが、尻尾は正直でまんざらでもないようだった。
「話がそれちゃったね。この後はどうすればいいのかな。メルオンさんたちのところにも一回戻らないといけないし」
撫でながらアネラに問いかける。
これに顔をうずめたままのアネラは、そのままでもギリギリ聞こえるくらいの声で言った。
「今日は……このまま華の湯に、泊まり…ましょ。部屋は、もう用意 してある。から……」
「うん。わかった」
スイレンに到着したのが午後3時ころ。
そろそろ夕刻になるだろうし、近くに敵がいる以上、下手に動かない方がいいのは明らかだ。
ネーアとしても今日くらいはゆっくり羽目を外して、温泉にでも浸かりたい。
おそらくこの分だとアネラも一緒に泊まるのだろうし、少しくらいは大丈夫だろう。
「それじゃ、行こっか。向こうついたらまた色々話そう!」
ネーアがそう言うと、アネラはそっと離れて頷く。
そしてそのままネーアの手を取ると、嬉しそうに尻尾を振りながらドアノブに手をかけた。
つづく
次回から温泉だ(*'ω'*)