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55話 『アネラ・イースデル』


「……拾って」


 アネラはグローブを投げた体勢のまま、顔だけ俯かせて言った。


 メルオンのこの反応からして、おそらくは決闘の申し込みだ。

 投げつけたグローブは白手袋の代わりなのだろうが、いったいなぜ今そんなことを?


 ネーアが隣で繰り広げられているその事象を頭で理解しようとしていると、メルオンは苦笑いをしてアネラを見る。

 その本気と言わんばかりの強張った姿勢を見るや否や、メルオンは頭を抱えて「はあぁぁ……」と深いため息をついた。

 そして――


 ごつんっ!


「痛ぃ!!」


 アネラの頭に再びげんこつが入る。

 そのまま中腰になって彼女の目の前に顔を出したメルオンは、足もとに落ちたグローブを指さして言う。


「受けねえよ。ほら、グローブ拾え」


「なんで!!!」


 アネラは押し当てられている拳を頭で押し上げるようにして、まるで駄々をこねる子供のごとくメルオンにそう言った。

 一体この2人はどういう関係なのか。

 たった一回だけあったことがあるという間柄にはとても見えないその光景に、ネーアはただ茫然とそのやり取りを眺めていた。


「なんでじゃない。そもそも受ける理由がねえだろうに。大方お前、嬢ちゃん……ネーアがオレに取られるとでも思ったんだろ?誰もとったりしねえから安心しろ。というかだな、まずは嬢ちゃんに言うことがあるだろう?ずっと見てたぞ。あいつの妹だな、やっぱ」


「うっ……」


 メルオンのお説教に委縮するアネラ。

 そのアネラの脇を掴み、「ほれ」と言いながらネーアに向けると、うつむかせた顔をちらちらとさせながら、アネラはその口を小さく開いた。


「ごめん、なさい……わたし、もふもふを見ると…つい……」


「あ、あははははは……き、気にしてないから、そんなに泣きそうな顔で謝らないで、ね?」


 もふもふを見るとつい触りたくなると。

 どこかで聞いたようなことを言うアネラを、苦笑いになりながらもよしよしと頭を撫でてあやしていると、いかにももふもふしてそうな、フリフリと可愛らしくふられているアネラの尻尾が目に入る。


(イヌ科……の人獣族だよね。どう見てもボクの尻尾より気持ちよさそうなもんだけど……)


 そんなネーアの目線に気が付いたのか、アネラは照れるようにしてふっている尻尾を己の陰へとひっこめる。

 「ごめんごめん」と軽く謝るネーアを後目に、今度はじっと視線を向けられていることに気が付いたメルオンが「はいはい」と、三角形になるように2人の間に座り込んで話だした。


「嬢ちゃん、覚えてるか。ミネルバで服拵えてくれたやつのこと」


「え?あ、はい」


 今着ている服を作った張本人。

 ミネルバの町でオーダーメイド専門の仕立て屋『かわのや』を営むレレンのことだ。

 忘れようはずもない、あの癖には散々な目にあわされ……


 ……〝あの癖?〟


 ふとネーアの思考が止まる。

 そしてかつての出来事とついさっきあった事を照らし合わせたところで、メルオンが話をつづけた。


「こいつ、アネラはレレンの妹だ。腹違いだけどな」


「あ……あー……確かに、そっくりです……はい」


「ハハハハ。嬢ちゃんには良くない知らせだったかもな。でも、アネラがなんで嬢ちゃんに過剰反応してるのかわかったろう?」


「……さん、姉さんの名前、出さないで」


 ネーアが苦笑いのまま納得する中、アネラは機嫌を悪そうにしてメルオンにそういう。


 何故名前を出すなというかについてはまあ想像に難くない。

 何せあんなにさらさらで枕にもできそうな立派な尻尾とイヌ耳を携えているのだ。レレンと一緒に居れば1日中まとわりつかれていたに違いない。

 さぞトラウマになっていることだろう。

 彼女も全く同じ癖を持っているという点を差し引けばものすごく同情する。

 その尻尾も、もふもふしたモノというよりはトラウマを沸騰とさせるコンプレックスに近いのだろう。だからこそネーアに反応したのだ。


「悪かったよ。でもやっぱりお前、決闘申し込む以前にそのあがり症治ってねえじゃねえか」


「あ……あがり症!?」


 ネーアはその言葉を聞いてアネラを見てみると、なるほど確かにさきほどまでの勢いがまるでない。

 露骨にメルオンから目を逸らすようにしていて、どことなく落ち着きがないというか、レレンの話をしたからだろうか……耳と尻尾をびくつかせている。


「け……決闘は、目隠し……してやる……し…」


「そういう問題じゃないだろう……とりあえずグローブ拾え、な」


「うぅ……」


 アネラが渋々グローブを拾い、もとの左手にはめる。

 するとまるで逃げるかのようにスッと立ち上がり、2人に背を向けるようにして口を開いた。


「ね……ネーアさん、あとで支部に来て。待ってるから」


「え、あ、うん……行きま――」


 ネーアが言い終わる前に、アネラは走って行ってしまった。

 小さなため息とともに目を向けてくるメルオンに相づちを打ちながら、ネーアは先ほどから気になっていることを聞いてみようと切り出した。


「あの……ちょっと失礼かもですけど。あの娘…あがり症って、どういうことですか?さっきまであんなに元気だったのに。それにメルオンさんも、一回会ったって接し方じゃないですよね、あれ……」


 メルオンは少しばかりギクッとした表情を見せてから、アネラの走っていった方向を見て話しだす。


「オレはレレンからよくあいつの話を聞いててな、なんていうか……可愛くない妹みてぇっつうか……自分でもよくわからないんだ。そのせいかもしれんなあ……オレはあいつにかなり嫌われてると思う。アネラのあがり症はな、男と目があうと出ちまうんだと。さっきは嬢ちゃんにじゃれついてハイになってたろうから、レレンのことを出されて我に返ったんだろう」


「な……それ、騎士団を任される身としてどうなんですか……」


「さあな、それは陛下に聞いてくれ。まあ、やるときはやる娘だよ。馬車で言ったろ?グルッドに彼女がきっかけをくれればいいがって。そういう影響力も持ってる娘だ」


「そ、そう……なんですね」


 いまいち釈然としない。

 そんな風に思いながらも、一応質問の答えは返ってきたのでそれ以上は聞くまいとする。

 一度折れた心に渇を入れるというのはそう安易なことではない。何故折れてしまったのか、彼の心はどうして欲しいのか。その一点を正確に突かなければ、かえって状況は悪化しかねないのだ。

 しかしながらネーア自身はアネラのことも、グルッドのことも何も知らないが故、力になることもできない。

 メルオンの話を聞き終えた後、そんなもどかしさを感じていた。


「ネーーアーーー!!!」


「んぉわッ!!」


 そんなところにメリィが勢いよくネーアの胸元に飛び込んでくる。

 今まで何回かあったこのシチュエーションに慣れてきている自分が嫌だ。

 そんなことを思いながら、胸元で顔をすりすりとさせているメリィの頭を掴んで持ち上げると、それを横からのぞき込んだメルオンが口を開いた。


「メリィ、どした?」


「よかったさああ、ご主人もいたさあああ!急にいなくなったから心配して探してたのさ!」


「ああ……それはすまなかったな。グルッドは」


「今もロビーで座ってるさ」


「そう言えばそうでした……」


 すっかり忘れてたとばかりにネーアは少し顔をゆがめる。

 それを見たメルオンは、優しく微笑んで彼女の頭に手を置きもう片方の手で拳を作ると、それを自身の胸にとんとんと叩いて言った。


「おう、あんまり待たせてるのも悪いからな。嬢ちゃんはアネラのとこ行きな。受付はオレが済ませとくからよ」


「あ、ありがとうございます!ではお言葉に甘えて」


「任せとけ」


「気を付けてさー?」


 ネーアは二人の厚意に頷いて返すと、地図を確認しながらできるだけの速足で騎士団支部に向かった。




 ===[大国騎士団スイレン支部] 待合室===


「そ……そんなこと、にわかに信じがたい。この町の騎士団長だろう?それで務まるわけがあるまいて……陛下も何もおっしゃられなかったしな」


 あがり症のことを聞いたハレイドが述べる。

 しかしそれだけではないと言いたげな番兵の女性は、ここからが大事なんだと口を開こうとした。

 その矢先――


「ちょっとなんで入り口に誰もいないの!今日の番兵!サーラはどこ!!!」


 怒鳴り声をあげて、アネラがずいずいと支部の中へと入っていく。

 その一階の奥、使用中の札が掲げられた待合室の扉が目に入るや否や、一直線にその扉に向かって長方形の室内を歩いていく。

 ―――そして


 バタン!

「入るわよ」


 扉を開ける大きな物音と共に、待合室に可憐な少女の声が響く。

 その瞬間、待合室は一瞬凍り付いた。


 一人はこれから起こるかもしれないことに恐怖を覚えて。

 もう一人はいきなり入ってきた礼儀知らずの小娘に目を奪われて。


 そしてもう一人は、知らない男が自分の目の前で立っていることに訳が分からなくなって。






 つづく

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