48話 『Back to Zero』
真っ暗闇の何もない空間――なぜか既視感のあるその空間に、エコーがかった老人の声が響く。
声の主を探そうと首を動かす。その際、先ほどまではなぜか向くことができなかった下も、普通に見ることができた。
「……ッなんなんだよさっきから……!!」
おろした視線の先……そこに見えるものに、疑心暗鬼になりながら手を向ける。
すると自身の手の平の中に、布越しの柔らかい感触が広がった。
「……――ウソだろ?」
その感触、眼下に見えるもの……自身のもので間違いない。改めて自身の体がどうなっているかを探ると、それは先ほど……散々追い回して見失ってしまった少女と全く同じ格好をしているようだった。
「ボク……女に……!?はぁ!?」
なるほどさっき誰かと思った声はやっぱり自身の喉から出たものだったらしい。
動揺と困惑に思考能力を奪われる中、再び老人の声が響く。
<せっかく帰してやったというのに自ら舞い戻ってくるとは。ぬしも物好きであるなア……フフフ>
「な、何を……」
<おおそうか、我が奪ってやったのだったな。これは失礼した>
この声は一体何を言っているんだ。
こいつが奪った?ボクから?そんなこと言ってもこの声とは初対面……
「―――記憶?」
<ホウ。そこまでたどり着いたのか……しかしそうこなくては興も冷めるというモノよ>
図星か。
今のボクから欠けているもの。
それがこの姿の見えない何かに奪われたと!?
(取り戻さなくては……!!)
<本当によいのか?>
「――!!?」
まるで心でも読まれたかのように老人の声が聞こえる。
<我がぬしから贄として抜き取った記憶は、ぬしからしてみれば苦痛の記憶……本当にそれでも良いというのならば、その望み、叶えてやらんこともない>
「苦痛……?どういうことだ!!一体何があったって言うんだ!?」
<…………>
その質問に対する答えはない。
苦痛とは、一体たった一夜のことで何があったというのか。
何もかもが解らない。
<して、どうするというのかね?それでも良いのならば、その記憶返してやろう>
そんな中で、その声は決断を迫って来る。
世の中には知らない方が幸せなんてことも沢山ある。きっとこれは、その類に属するものなのだろう。
しかし知らなければ始まらない。
そして、このまま元に戻れるかも全く分からない……選択肢はなかった。
「……いい。返して欲しい!」
覚悟を決めて答える。
<いいだろう。その望み、しかと聞き入れた……ククク>
老人の声が響いた数秒後、ボクの体が淡い光に包まれる。
その光はどんどん強く、暗闇の空間を照らす――そして。
「ッ痛―――!!!」
激しい頭痛に襲われると共に、大量の情報が頭の中に流れ込んでくる。
「あ……ああ……」
異世界へ召喚されてから、老人の声――管理者にその記憶を奪われるまでのこと。
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
頭痛が強くなり、悲鳴が喉の底からあふれ出てくると共に、ボクを覆う光も最大に達し、流れてきた膨大な情報が映像となって記憶がさらに鮮明に蘇える。
そして――
「……―――思い……だした」
メリィやスマとの出会い。
ミネルバの町での騒動、世界の果てのこと。
王都メフィルへ赴いたこと、管理者との二度目の接触。
己の暴走、精神を堕としかけたこと、アルフェトラへ赴いたこと、その理由。
「――でも……」
――そして管理者が望みを叶える時、必ず贄を必要とすること。
つまりそれは……。
「ハメられた……!」
ボクが元の世界に行く前、管理者は「また会おう」と言っていた。つまりはここまで織り込み済み……すべては奴のシナリオ通りに踊らされていたと言うこと。
感じていた違和感は、きっと本当に全部の記憶を奪ったわけじゃない。わざと残り香でも残すかのようにしてこの場に誘い込み、Yesと答えるようにすべて仕向けたんだ。
異世界に行ってからのたった1か月程度の記憶にとどまらない……更なる存在の奪取のために!
<楽しかったかね?短いながらも故郷の友に会うことができたのは>
「何を今更白々しい……!」
ボクはその声……記憶を取り戻してから即座に発動した魔力感知によって浮き彫りになった管理者に向かって、皮肉と敵対心を目一杯込めて言った。
<フム。純粋に気になっただけなのだがな……まあよい。ぬしに興味が湧いてからか、どうも我もよくない癖がついてしまったようだ。これは清算せねばなるまい>
「何を言って……」
今度は一体なにをしてくれるつもりだ?
悪い予感しかしない中、清算と言うワードが気になる。
清算するとはつまり、犯したことをきれいさっぱり償うということ……その言葉が真に意味することは何か、予想もつかない。
<我が罪は我が力を以ってして清算せねばなるまい。我はその代償として……ぬしから抜き取ったものすべてを差し出そう>
「――は!?」
今なんといった。全部返してくれるってことでいいのか!?
読めなくなった言葉も、分からなくなった自分の顔や名前も、全部帰ってくると!?
それならそれで願ってやまないことだが、この人の嫌なことをするのが大好きな管理者のことだ、きっと何かある。そう思った矢先、管理者の声が、いつもより更にエコー気味に響く。
<おっと、それはそうとして……ぬしへの〝罰〟がまだであったな>
「そら来た……」
前回は願いを叶えるための代償に、異世界での記憶全てを差し出した。
そして今……、ボクには叶えるべき願いがまだ残されている。
清算をすると言ってこの老人、再び異世界に踏み入れるための罰に当たる贄は取る気満々らしい。
<先ほど、記憶を戻してやったことの贄は不問としよう。しかしこちらの罰は受けてもらう……丁度ぬしに存在を返してやるのだ。ぬしが叶えた〝2つの願い〟分、欲望の渦も2つ分巻き戻させてもらおう>
管理者は、最後の1文をものすごく嫌味たっぷりな舌回しで発した。
それよりも今こいつはとんでもないことを口にした。
渦を2つ分巻き戻すだと?それってつまりはこれまでの2回分が全部なかったことになるってことじゃないか。結局今返すと言った分も獲る気満々なんじゃないか!
「ふざけるな!!それで清算のつもりか!?何も解決しないじゃないか!!」
<勘違いするでない。これは我の自我を修復するために必要なこと……贄はこの世界のために必要なのだ>
全く説明になっていない。まともに会話しようとしていたらこっちがおかしくなってしまいそうだ。
この異常なまでの執着は本当に一体何なのか。ここまで来たらそこまで完全に暴いてやらなければ気が済まない。そんなことさえ思い始める。
<案ずるでない。願いの残りには影響せん……ただ、乗り越えるべき試練が少しばかり増えただけだ>
「この……!!!本当にふざけるなよ!!他人事みたいなこと言うな!!!!」
魔力感知で見える、管理者であろう影に向かって怒りを乗せた拳を繰り出す。
何度も、何度も、ストレス発散でもするかのように影に連続パンチをくれてやる。
しかしそれが何かに当たることはなく、無残に空を切るのみだった。
「くそ!!!くそ!!!くそ!!!!!」
次第に息切れし、膝に手をつく。
<…………>
ボクが息を切らす中、管理者が何かを言うことはなかった。
そして
===[アルフ城] 医務室 ===
「……」
「ネーア!!!」
「よかった、目が覚めたのね!」
「………うん……」
ネーアはゆっくりと、異世界で目を覚ました。
ずっしりと重みの感じる華奢な女の子の手を、横たわる顔の前に持っていき、じっと数秒間見つめた後、怒りに任せて握り拳に変える。
同時に眉を顰め、何かを決意したかのように声にならない声で小さく口を動かすと、数秒後、ため息と共に手を下ろした。
「振り出しに、もどっちゃったよ……」
悲痛と絶望に満ちたその声が、狭い医務室に寂しく響いた。
つづく




