4 唐揚げはどこまで唐揚げなのか
ふと、あることに思い至って、僕は女神様に聞いてみた。
「ところで女神様」
「何?」
「小川あぶくって面白いんですか?」
「世間での評価は、特濃城太郎のパクリだそうよ」
特濃城太郎。若手カリスマ漫画家だ。友達の家に行ったときしか週刊誌を読まない僕でさえ知っている。
「少年はそのことを……?」
「知らないんじゃない? 知ってれば原作の方をリスペクトするだろうし」
「うるさい……お前らも特濃信者か」
「うっ」
少年から発せられる怒気に、僕は半歩ばかり後ずさった。目が本気だ。さっき気絶させられたことすらお構いなしに、玉砕覚悟で襲いかかってくるのが想像できる。
少年が僕たちに向かって一歩踏み出した。
「どいつもこいつも特濃、特濃。小川先生の面白さを誰一人認めようとしない。違うって! パクリなんかじゃないって! どうして小川先生じゃダメなんだよ!?」
そう言うなり、少年の両目にみるみる涙が盛り上がった。
僕は女神様の脇腹を肘で突っついた。
(女神様、ちょっと)
(何よ、こんな時に!?)
(僕の家に空間をつなげてもらえますか?)
(はあ? いいけど何するのよ?)
(少年を説得します)
少年の叫びは続く。
「ちくしょう、何が女神様だ。結局、ポプテック・ワールドなんてどこにもないんだ!」
「結論を出すのは早いんじゃないかな」
「えっ」
僕は、背後の空間とつながった自宅のキッチンへ戻ると、たぬき丼を手にして戻ってきた。
「良かったら、これを食べてくれるかな?」
「どうして……」
少年は何かを言いかけたが、最後まで言えなかった。ゴクリとつばを飲み込んでしまったからだ。
僕は少年がお腹を空かせているのではないかと推理していた。さっき気絶していたとき、たぬき丼の香りに、無意識に反応していたからだ。
果たして、少年はご飯茶碗を手に取った。
「……いただきます」
そこから先に、言葉は必要なかった。ポリポリと唐揚げの衣を嚙み砕く音が、全てを語っていた。
しばらくして、少年から空のご飯茶碗が返ってきた。そこで僕は少年に聞いてみた。
「いつからご飯を食べてないの?」
「昨日の夜から。ごちそうさま」
「お粗末様でした。ちょっと僕の話を聞いてくれるかな」
少年の目を、まっすぐに見て問いかける。
「いま食べてもらったのは唐揚げの衣なんだけど、お肉が入っていないよね。これは唐揚げと呼べるかな?」
「え? 呼べない……でしょ。唐揚げの衣だもの」
気のせいか、少年の言葉遣いが穏やかになった気がする。僕はありったけの勇気で言葉を紡いだ。
「正解。けれど、お肉から離れていても唐揚げの衣だ。味や風味が無くなったりしないんだよ」
「……ねえねえ。それって小川あぶくと、特濃城太郎のこと?」
女神様の問いかけを、僕は首を振って否定した。
「僕が言いたいのは、小川あぶくと、この少年のことです」
「お、俺の!? なんで俺が小川先生と関係するんだよ?」
うろたえる少年を傷つけないよう、けれど間が空かないよう、次の言葉には細心の注意を払った。
「作者の考える世界と、読者の考える世界は、完全には一致しないと思うんだよね。でも少年が小川あぶくから受けた影響は本物で、少年を形作っている。お肉から離れても『唐揚げの』衣って呼ぶみたいに、さ」
「……」
少年が黙り込んだ。どうした、次の瞬間には怒って殴りかかってくるか?
だが僕は、あえて言葉を続けた。
「週刊漫画って読んだことある?」
「……ない」
「でも学校の同級生とか、みんな読んでるでしょ?」
「読んでる。特濃城太郎の漫画ばっかり」
再び、少年の目が剣呑な光を帯びる。ところが、そこに割り込んだのは、あの女神様だった。
「そっか。少年も漫画が読みたくて、初めて手に入れたのが小川あぶくだったのに、みんなからパクリだって言われたのよね。仲間はずれになっちゃった?」
「!」
少年は大きく目を見開くと、酸素を失った金魚のように、口をパクパク開閉させた。