3 神様を見たことはありますか
「あいつが悪いのよ、あいつが」
そう言って、女神様は僕からご飯茶碗を奪い取った。ご飯の上に、淡雪のように重なった唐揚げの衣を、じっと見ている。……食べないんだろうか?
「女神様、どうかしましたか?」
「なーんか、胸やけしそうねえ。色も茶色オンリーで華がないし、もっと女子力のあるメニューが良かったわ」
文句を言いながらも女神様は、ザクッと割りばしをご飯に突き立て、グシャグシャかき回した。
辺りにご飯と油の混ざった香りが立ち込める。倒れた少年の鼻がピクリと動いた。
「ふんッ!」
女神様は前歯で割りばしの半分を押さえ、もう半分を右手で引いて割った。続けて口をご飯茶碗につけ、豪快にたぬき丼をかきこんでいく。ボリボリと衣が嚙み砕かれる、小気味良い音が響いた。
「おいしいですか?」
「ん、まあまあね。見た目ほど悪くない。次は甘くて太らないものがいいわ」
「そんな都合のいいモノありませんって……」
まったく、この女神は感謝という言葉を知らないのだろうか。順調に減っていくご飯を見ながら、僕は訊ねた。
「さっきは、どうして男の子の首を絞めたんですか」
「宗旨替えを拒んだからよ。転生させてもらったという感謝の気持ちが、信仰となって私を支える。他の存在を信仰している時点で、転生させる価値は無くなるわ」
信仰? 信仰心が薄いと言われる現代日本で、こんな少年が信仰を持っている?
僕が続きをうながすと、女神様は事の次第を語り始めた――
僕が自宅で目を覚ました頃。女神様は少年を神殿に召喚していた。少年は呼び出されるなり、女神様に向かってこう言った。
『お前、何者だ? ここはどこだ?』
「おめでとー。あなたはね、異世界に転生する勇者に選ばれたの! ぱちぱちぱちー」
女神様が精一杯の愛想笑いで手を叩くと、少年は瞳を輝かせ、身を乗り出してきた。
『本当ですか!? じゃあ、ここがポプテック・ワールドですか!?』
「え? ポプ……何?」
『小川あぶく先生、ポプテック・ワールドに行きたいと願い続けた甲斐がありました。俺、あなたの期待に応えて立派な主人公になってみせます!』
ここで僕は「待った」をかけた。
「あの、ポプテック・ワールドって何ですか?」
「キミも知らないよねー。小川あぶくって漫画家の描いた単行本のタイトルよ」
「漫画ぁ?」
予想外の単語に僕はのけぞった。女神様はごちそうさま、とご飯茶碗をお盆に返して話を続ける。
「この少年、家ではお父さんと仲が悪くて、学校では友達がいなかったんだって。だから自分とよく似た境遇の主人公が活躍する、ポプテック・ワールドにのめり込んでいたみたい。冷静に話し合おうって言ったんだけど――」
『日本も異世界も必要ない! 俺に必要なのはポプテック・ワールドだ! なのにどうして無関係な異世界を救いに行かなきゃならないんだ!?』
少年は鬼気迫る表情でまくし立てる。女神様は、神の力で少年の発する単語を検索し、発言の主旨を理解しようと努めた。
「まあまあ。少年は何か勘違いしてるようだけど、小川あぶくは生身の人間よ? 神様でも何でもない。それよりは本物の神である私を頼ったほうが、ご利益があるんじゃないかなあ?」
『じゃあ神とやら、答えてみせろ。ポプテック・ワールドが存在しないと言うのなら、それを作ることはできないのか?』
「それは、そっくりの世界なら創れるけど……」
このとき、女神様のお腹が「グゥ~」と鳴った。少年も、この音を聞き逃さなかった。
『どうした、神と言うからには全知全能なんだろう? 空腹ぐらい解決できるよな?』
「うるさいな、少し待ってなさい! 誰かお供え物を作ってくれそうな子はいないかなぁ……」
『どうした、神とやら。アンタにも自由にできないモノがあるのか?』
「あン? やんのか、このクソガキが! 私も大概黙ってねーぞ!?」
「それで少年の首を絞めたわけですか……」
「うん。この子、どうしよう? 全部の記憶を消して日本に返そうと思うんだけど、それでいいかな?」
そのときだった。少年のまぶたがピクリと動き、手足が体重を支えようと動き始めたのは。
女神様が身構える。けれど僕は、今聞いた話の中で、何かが心に引っかかっていた。何より、この縁もゆかりもない少年が、かわいそうでならなかった。