2 たぬき丼
目を覚ますと自分の家だった。もっと細かく言えば、現代日本のベッドタウンに建つ一軒家の、キッチンに置かれたダイニングテーブルに突っ伏して眠っていた。
時計を見ると17時。自分の身に何があったのか思い出す。30分前、少し早いけど夕食の仕込みをしようとした。冷蔵庫を開けて、チューブにんにくが無かったのに気づき、買いに行こうとキッチンのドアを開けて――
「……神殿で女神様と出会う夢か。リアリティのある夢だったな」
自分の中に、こんな夢を見てしまう童心が残っていたことに苦笑する。もっとも夢なんて不条理なモノであるからして、気にすることもあるまい。
改めてチューブにんにくを購入するべく、僕はキッチンのドアを開けた――
「やあ、久しぶり」
「は?」
扉をくぐると、そこは木立の中の神殿だった。さっきまで茜色だった空は、青く明るい色に書き換わっている。
そして神殿の中央にある祭壇の上では、金髪碧眼の女神様が笑顔で手を振っていた。
「帰ります」
「ちょちょちょ! ちょい待ち!」
僕が扉を閉じようとすると、女神様はすごい勢いで飛びついてきた。
「ちょっとお願い、何か食べるモノ持ってきてくれないかなぁ?」
「食べ物ぉ?」
「いま異世界に行きたい系男子と面接中なんだけどね、お腹が空いて仕方ないの。どんなにお粗末でも我慢するから食べ物持ってきて」
「お粗末って……」
あんまりな言い方に僕は抗議しようとした。でも、それより早く女神様のお腹が「グゥ~」と鳴った。
「用意できたら、このドアを開けて。時間を止めて待ってるから。お願いね!」
『どうした、神とやら。アンタにも自由にできないモノがあるのか?』
「あン? やんのか、このクソガキが!」
言い争う声を残してドアは閉まる。なんだか「面接」という単語からは想像できない、すさんだ空気が漂っていた。
「食べ物、ねぇ……」
僕は考えた。あの女神様の言うことを聞く義理なんて無い。怠惰で、雑で、かわいげのカケラも無い。
「でも――あの性格で僕に頭を下げるってのは、よっぽどお腹が空いてるんだよね」
僕は袖まくりすると、フライパンに油を注ぎ、コンロの火を全開にした。
乾いたボウルに片栗粉、しょう油、料理酒少々、とき卵半分を入れる。
かきまぜるとドロドロした物体になるので、油の温まり具合を見ながら、少しずつフライパンの中に落としてやる。すぐに浮いてくるので、はしでかきまぜ、焦げ色を全体につける。
網ですくって、キッチンペーパーの上で油をきったら、軽くアジ塩をかける。うーん、油としょう油の香りがミックスして最高だ。
そう、これは唐揚げ――の、衣だけを天かすのように集めたもの。鶏肉に仕込むチューブにんにくを切らしていたのが、逆にこれを作ろうと決めさせてくれた。
お客様用のご飯茶碗を出し、ジャーから昼の残りご飯を軽く盛り付ける。上から唐揚げの衣をザーッとかけてやれば……
「たぬき丼、一丁あがり! 女神様、できましたよ!」
僕はお盆にご飯茶碗と割りばしを乗せ、キッチンのドアを開けた。
「この邪神め!」
「黙れクソガキ! 落ちろ!」
「何をするっ、ぐ……げ……」
そこには、貧相な少年をチョークスリーパーで失神させる、大人げない女神様の姿があった。
彼女は僕の姿に気が付くと、少年の体を神殿の床に横たえ、満足そうに呟いた。
「落ちたな」
「なんで満足してるんですか!?」
僕のツッコミは、広く高い青空へと吸い込まれていった。