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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

たまり場

作者: 彩丸

<い>

 昨日午後十時頃、○○県○○市の中学校の屋上から同市に住む男子中学生(14)が飛び降り自殺しました。遺体の口の中からムカデや蜂など十匹近い虫の死骸が発見されたことから、いじめと見て捜査が進められています。


<ろ>

 涼介が死んだ。

 自殺らしい。中学の屋上から飛び降り。夜遅くに忍び込んだから警備員の人が駆け付けたらしいけど、その人から散々逃げ回った挙句に飛び降りたらしい。酷く怯えた様子で絶叫しっぱなしだったらしい。不可解なのは、何で中学に侵入したのか。

 中学時代には仲が良く、お互いに彼女を連れ出してダブルデートにもよく行ってた。高校は別々だったけど、月に一回はどこかしらに遊びに行ってた。つい二週間前にだってわざわざ東京まで行って一日遊び倒した。何かに悩んでる様子も無かったし、寧ろ俺の方から相談を持ち掛けたくらいだった。だからこそ、そもそも自殺した事自体が俺には不可解だった。

 葬式に出てたのは見知った顔ばっかだった。涼介の彼女の美奈子や俺の彼女の麻耶は勿論のこと、中学の担任や警備員、校長までが出席して涼介の両親に何度も頭を下げていた。警備員の疲れがその日に限って溜まっていた事、屋上を開放していた事、その後の対応が遅れてしまった為に助けられなかった事、……。涼介の両親も彼らを責める事はしてなかった。何か進展が有れば教えて欲しい、息子に関係する物が有れば渡して欲しい。求めてたのはそれくらいだった。

 葬式が終わって、俺は美奈子と麻耶を連れてファミレスに立ち寄る事にした。美奈子は酷く憔悴し、本当に魂が抜けている様だった。ファミレスに着いたところで何も注文しないで、涙を溜めては呼吸を整えてを繰り返すばっかりだった。麻耶が居なかったら落ち付ける事も儘ならなかっただろうし、俺が居なかったらここまで連れて来る事も出来なかっただろう。

 俺はとりあえずドリンクバーを三人分注文した。俺も、とても何かが喉を通る様な気分じゃなかったから、ホットココアを三人分注いでテーブルに運んで、二人と向かい合う様に座った。麻耶は美奈子の右手を両手で包んで、優しくも哀しい目で美奈子を見ている。この分だと、明日以降は抜け殻みたいな生活をしそうな気がしてならない。

 美奈子がまともに口を利ける様になったのは、それから一時間近く経ってからのことだった。呼吸が落ち着き、麻奈の「落ち着いた?」という問い掛けに頷いて返してくれた。

「実はね……、一週間前、涼介からLINEが来てたの。別れようって。何でって聞いても何も教えてくれなくて……。でも、愛してる、幸せになってくれって言ってくれて……。それで一昨日、電話が来たの。涼介から。いつもLINEで電話してたから、どうしたら良いのか分からなくて。本当に別れる事になるかもって思ってたし、もしかしたら謝ってくれるかもって……。でも、無言だったの。何も聞こえなくて、五秒くらいしたら勝手に切れたの。怖くて……。聞いたら、涼介が家を出る少し前くらいだったから……。もし私があの時ちゃんと話を聞いてたら、死ななかったんじゃないかって……」

 美奈子はそこまで言うとまた泣き出した。

 そんな重要な話なんでさっき言わなかったんだ。とは言えないな、今は。もし美奈子の話が本当なら、涼介は一週間前にはもう死ぬつもりだったんだろうな。最後に遊んだ時にもそんな事を考えてたのかもと思うと、情けなってくる。

「もし本当にそうなら、涼介が生き辛い環境を誰かが作ってたってんなら、炙り出して同じ苦しみを味わわせてやりたいな」

 それで涼介が返ってくる訳じゃない事くらいは理解してる。けれどもしこの推測が正しいのなら、あいつの両親と美奈子が抱えてしまった悲しみを犯人自身に与えないと気が済まないと思った。そしてこんな事でも言っておかないと、美奈子は一生自分を責め続ける様な気がしてならなかった。涙や嗚咽の中にそんな思いが含まれてる事を知ってしまったから。

「ええ……。一先ず、明日のお昼くらいにお花を供えに行きましょう? 警備の人とも知り合いになれたし、話せば入れてくれそうじゃない?」

「そうだな。今日はもう遅いし、明日だな。美奈子は……、大丈夫か?」

 美奈子は頷いて見せたけど、自分でこんな事を聞いておいてなんだけど、大丈夫な筈がない。当然一人では帰せない。場合によっては家族の人に連絡を取って迎えに来てもらうか、麻耶の家に泊めてもらうのが良いかもしれない。麻耶も文句は言わないだろう。

「それじゃあ、今日はもう帰って寝よう」

 俺はそう言って冷め切っているココアの残りを飲み干した。ふと、何かが喉に引っ掛かる感触がした。液体とは違う、米粒よりも小さな固形状の何か。俺はその事を一切口にせず、「先に全員分の会計済ませてくる」と言って席を立った。この状況で文句なんか言える筈がないし、もしかしたらココアが冷え固まっていただけかもしれない。

 俺が会計を済ませて少し待ってると、美奈子と麻耶が来た。美奈子は麻耶に肩を借りながら、よたよたと歩いていた。この様子だったら家まで送っていった方が良さそうだな。涼介ん家に置いて来た自転車は明日回収しに行く事になりそうだ。元よりこの状況じゃあ、三人とも歩くほかないしな。花を買って、供えて、自転車を取りに行くついでに改めて涼介の両親と話をすることになるだろう。

 美奈子を無事家に届けると、俺と麻耶はそこで別れて家路に就いた。


<は>

 翌日曜日の朝、俺らは美奈子ん家の前に集まり花を買いに行く事にした。美奈子は昨日よりも憔悴した様子で、目の下にクマも出来ていた。聞けば、昨日は一睡もしていないのだとか。それでも一人で歩けるくらいには回復した様で、少しだけ安心した。

 早速学校に向かう道すがら花屋に立ち寄って、店員に花を見繕ってもらった。特にどんな花が好きだったとかいう話は聞いた事がないし、そもそも菊以外にどんなものを供えたら良いのか誰も知らなかった。店員から渡されてのは菊を中心に一輪、その周りに淡色系の小さい花が幾つも添えた花束だった。値段は千円いかないくらいだったけど、三人でお金を出し合って買い取る事にした。

 校門は開放されていて、校庭ではサッカー部がとテニス部が活動していた。セキュリティは稼働していない様で、三人してあっさりと入る事が出来た。けれども、警備員室に顔を出して挨拶と許可を済ませておく事にした。警備員室には昨日葬式に参列していた警備員の人が座って居た。この人も疲労が溜まっているのか、顔がやつれ果てていた。話をしたら場所を教えてくれ、「守れなくて済まなかった」という謝罪の言葉が添えられた。

「いえ、助けようとしてくれてありがとうございます。香田くんも……、彼の両親も貴方を責めたりなんかしてませんから、そんなに自分を追い詰めないで下さい。勿論私たちも」

 麻耶の物腰は柔らかかったけど、俺にしてみればそれが少し恐ろしくもあった。警備員の人も同じ様に感じたらしく、俺らの去り際にも頻りに謝罪を並べていた。

 校舎裏の角、屋上に続く階段から最も離れた場所から飛び降りて花壇のコンクリートの枠に頭を強打。既に枠は交換されていて、血が垂れたであろう周辺の土も全て取り換えられている。美奈子がそこに花束を置き、三人で少しの間黙祷した。

「懐かしいな。まだ卒業してから半年しか経ってないのにな」

 昼下がりの陽の光が射し込むがらんどうの教室には、ドラマや映画で見る懐かしさの演出そのものが見えた気がした。

「そうだ。ちょっと中見て行かない? ほら、あそこの窓からさ」

 麻耶の指差した先に有る窓が一つ、確かに開いていた。

「あんなにもいい加減なんだもん。見付かっても、「助けて! 殺される!」って叫んで逃げればなんとかなるでしょ。あの人、やつれる程トラウマになってるんだからさ」

 こうなった麻耶は手を付けられないのはよく知ってる。これが度を超すと、麻耶は自分の愉悦の為だけに思考を巡らせ始める。そうして元いじめっ子を自主休学にまで追い込んだ事もあるのだから、どうしようもない。ちなみに、そんな常人離れしている麻耶の方が俺の性癖をくすぐるもんだから、元から手を付ける気も無かったりする。

 麻耶は返事を待たずに俺の腕を引っ張って歩き始めた。俺も、逆らう素振りすら見せずに、引っ張られるがままに付いて行く。こうなると美奈子も付いて来ざるを得ない。美奈子はかまってちゃん、もとい寂しがり屋なのだから。

 靴は窓の下に脱ぎ捨て、靴下のままでサッシを越えて校内に侵入していく。やっぱり校内には誰も居ない様でしんとしていた。麻耶は入り込むなり、机の一つ一つに触れながら扉の方へと歩いていく。俺も黒板やロッカーに目を向けながら麻耶に付いていく。美奈子も「待ってよ」と焦った様な口調で急いで窓を越えて教室に入ってきた。


 窓が、硝子が割れそうな程勢いよく閉まった。


 吃驚して俺と麻耶は「おい美奈子、脅かすなよ」「静かにしないとばれちゃうじゃん」とか言いながら振り向いた。


 窓の外は夕焼けで赤く染まっていた。犬の散歩をしていた人や一瞬前に通り過ぎようとしていた車は音も無く消え、校庭からの声も無くなっていた。


 俺らの悲鳴を聞いて「なになになに?」と怯えた声を出しながら、美奈子は机にぶつかりながら外の景色を目にする。

「えっ? えっ? えっ? えっ? 何? えっ? どうゆーこと、麻耶?」

「しっ知らないわよ。そういう機能でも付いたんじゃないの? ほら、開けてみてよ」

 俺は麻耶の隣に歩み寄って肩を抱き寄せた。俺もそうだけど、それ以上に麻耶の方が体が震えてる。明らかにおかしいと本能が告げてる。

 美奈子が体を震わせながらも立ち上がって、恐る恐る窓に近付いていく。そうして鍵に手を掛けた瞬間、泣きそうな顔をしながらこっちを見た。

「あっ開かない! 固すぎて鍵が動かない! ねえ!」

「隣の窓は? 錆びてるだけかもしれないでしょ!」

 そういうセキュリティシステムだとしたら悪趣味すぎる。ホラーテイストな雰囲気を作って下駄箱に向かわせ、警備員室の前を横切らせる。平日にこんな事は起きた事なかったから、休日仕様なのかもしれない。何にしても、例え窓が開いたとしても下駄箱に行かないとだ。警察沙汰は嫌だ。

 美奈子はヒステリック気味に駆け足で窓の鍵を端から端まで調べていく。そして振り返り、首を横に振った。

「警備室よ。警備室行ってアイツを絞め上げてやるわ!」

 麻耶は俺の腕を振り解いて、扉を勢いよく開けて教室から出て行った。あんな麻耶を見たのは俺は初めてだったし、美奈子もそうらしい。俺らも急いで麻耶の後を

追い掛ける。

 警備員室は教室を出てすぐ右の角を曲がった先、下駄箱を通り過ぎた先に有る。走れば十秒も掛からないだろう。真っ先に辿り着いた麻耶はカーテンの閉められた警備員室の受付窓を、右手を握り締めてガンガンと叩いた。

「おじさん! 私たちです! 香田涼介の友人の!」

 しかし、麻耶が何度呼び掛けようとカーテンが開く気配すら見せない。

 俺らも急いで麻耶の元に駆け寄る。


 夕焼けに染まった校庭にも、誰も居なかった。

 その事を一瞬でも視認してしまった市村潤の目の前で、昇降口のすぐ外で空から何かが降ってきた。その何かに市村潤は見覚えが有った。

 中学校の近所で有名なでぶ猫。

 四つの脚は全て無く、頭も落ちて地面にぶつかった衝撃でグチャグチャになっていた。頭や脚があった場所からはダラダラと血が溢れ出ていく。


 鳥肌が立って、全身に嫌な寒気が走った。ヤバい。ここに居ちゃ駄目だ。一刻も早くここから。どこか鍵が無くて、開く場所……。

「麻耶! 美奈子! さっきの教室まで戻って窓割って逃げるぞ! ヤバい!」

 麻耶が警備員室を諦めて、俺らが引き返そうとするよりも素早く俺らの横を駆け抜けていった。一瞬見えた表情は、怒りに満ちている様にも見えた。歯を食いしばって、眉間にシワを寄せて。

 俺らも麻耶に続いて引き返した。それを見せない様にする為に、美奈子の手を引っ張って昇降口の方には視線がいかない様に向きを変えさせた。元からヒステリックになっていたお蔭で、どうやら見ないで済んだらしい。

 麻耶は教室に辿り着くなり扉に手を掛けた。けれども開く気配が無い。当然鍵は締めて来てないし、そもそも職員室に有る鍵を使わないと開け閉めは出来ない。慌てて、美奈子の手を放して廊下側の窓に殴り掛かった。割れない。ヒビが入らないとかそういうレベルじゃなくて、ビクともしない。俺が中一の時に上級生が窓ガラスを割って回って校長に呼び出された事件が有ったけど、その後で強化ガラスにしたなんて話は一度も聞いてない。その上級生が拳で殴ってたのは確かで、翌日から左手がガーゼまみれだったのも目撃した。

「逃げるぞ! どこでもいい! とにかく、とにかく逃げるんだ!」

 俺はそう言って、片っ端から窓ガラスを殴りながら廊下を走った。察してくれたのか、麻耶も通り過ぎる扉一つ一つに手を掛けながら俺と並走した。その後ろを、美奈子は必死に走って追い掛ける。当てなんて無い。とにかく、昇降口から一番遠い場所に。

「二階の渡り廊下! あそこなら窓無いし、二階からなら骨折くらいで済むかも!」

 麻耶は嬉しそうだ。けど、俺は出来ればその行動は執りたくない。渡り廊下はここからだと昇降口の上辺りを横切らないといけない。それにあんなものを見た後だと、同じ結末を辿る様な気しかしない。けれども、現状それ以外にここから脱出する方法は無い。

 階段はもうすぐだ。美奈子の体力的にも、階段は様子見しながら慎重に登った方が良いかもしれないな。後ろの警戒は麻耶に任せて、俺が先陣を切るか。

 作戦を伝えて、俺らは階段に差し掛かる角で一旦足を止める。そして手筈通りに、俺が階段の先を見上げる。踊り場の上に有る窓から見える、不気味なくらいに赤い空事以外は問題無さそうだ。一先ず踊り場手前まで来て、二人にここまで来るよう手で合図した。

 折り返し地点だ。相変わらず、自分たちの息する音すら耳障りに感じる程静かだ。この様子なら……。

 俺は作戦を変更し、三人同時に階段を上って渡り廊下まで駆け抜ける旨を二人に伝えた。行くなら今だ。何も無い今。右手を上げて二人に合図を出し、一気に駆け上がる。


 どこかの教室の扉の開く音が響いた。


 警告音だ。誰かが居るとか、そんな希望的観測は有り得ない。何か居る。本能的な恐怖だ。足が前に進もうとしない。鳥肌が、寒気がヤバい。声を出しちゃ駄目だ。息するのすら……。

「りょう……すけ……?」

 美奈子がふらふらと階段を上っていく。擦れ違う直前に振り向き様見えた表情は、明らかに正常じゃなかった。キョトンとして、まるで漫画に有りがちな操られている様な目をしていた。

 俺の感じた何かは、少なくとも涼介の霊じゃない。駄目だ美奈子。それ以上……。

「美奈子! ダメ!」

 麻耶が、今までに聞いた事がないくらいに悲痛な叫び声を上げた。その声に醒まされて、俺は階段を駆け上がった。美奈子は渡り廊下とは逆の方に歩いていった。そっちは袋小路。非常階段も有るには有るけど、窓が立ち塞がってる。


「ねっねえ、二人とも! あっちの窓が開いてる! 出られる! 涼介が、涼介が導いてくれたのよ!」

 清水美奈子はそう言って、閉まり切っているガラス窓に向かって走っていった。市村潤と河合麻耶の制止の声も聞かず、嬉々として。

 硝子窓に頭から突っ込んだ。硝子窓は音を立てて割れ、破片が清水美奈子の背中から腿にかけて幾つも突き刺さっていく。割れたまま残った窓硝子が脛に刺さり、体勢を崩して前のめりに倒れていく。硝子の破片が散らばる中に、顔面から。

 清水美奈子は悲鳴を上げながらも、咄嗟に血塗れの両手を突き出して顔を守ろうとする。しかし両手の平がベランダの床の上に、硝子の破片の上に着いた瞬間、破片が傷口を抉り、血で滑り、その中に顔面から飛び込んだ。

 少女のものとは思えない様な絶叫が市村潤と河合麻耶の鼓膜を震わせる。

 右足は脛の中程から先が切り裂かれ、激痛で悶える内に清水美奈子の全身は赤く滲んでいく。


 そして今になって気付く。

 清水美奈子が飛び込んだ窓のすぐ近くにある教室の扉が、開いている。

 二人は絶句し、その場から動けないまま、その向こう側から出てきたものをまざまざと見てしまう。

 この学校の制服を着た男子が、液体の入ったラベルの無い二リットルペットボトルを持って清水美奈子に歩み寄る。彼女の足元まで来るとそれはペットボトルのキャップを外し、彼女の顔の上で逆様にした。

 液体を掛けられた清水美奈子からは更なる絶叫と共に、白い煙が上がっていく。


 爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ、爛れ。


 首の肉が融け落ちて声が出なくなるまで、清水美奈子は絶叫した。


「潤!」

 麻耶に腕を引かれて我に返り、美奈子を置き去りにしたまま俺らはその場から走って逃げた。

 異常だ。幽霊じゃないにしても、異常だ。美奈子のあの行動も、あの、長谷川みたいな……。

「あいつ、もしかして」

「余計な事考えないで! 今は逃げて!」

 異常だ。麻耶の言動が、その異常の正体を物語っている。

 さっきの男子は、恐らく、長谷川清だ。二年前に学校の屋上から飛び降り自殺をした、居ない筈の何かだ。一瞬だけはっきりと見えた。顔の皮膚が全部剥がれて、肉が剥き出しになっているのを。それでもそれには長谷川の面影が有った。

 異常だ。なんとかして、せめて麻耶だけでも逃がさないと。

 次の角を曲がれば昇降口の上に位置する廊下に出る。そこから渡り廊下までは一直線に三十メートルくらいだ。

「聞いて、麻耶。俺がクッションになる」

「何言ってんの?」

「何だっていい、聞け! 着地に失敗して死ぬ。そういう未来を、さっき見たんだ。だから俺が麻耶と地面の間に入って、少しでも怪我の少ない状態で麻耶をここから逃がす。上手く行ったらそのまま浩宗寺に逃げ込め」

 それしか浮かばなかった。そして、口にして初めて覚悟が決まった。なんと言われようと、後で恨まれようと構わない。

 麻耶は必死に俺を説得し続けてくれた。それでも俺は、もう何も聞かずにただ走った。もうちょっとでゴールが見えてくる。そこの角を曲がれば、後は一直線。


 異常だ。角を曲がった先に市村潤が見たのは、昇降口だった。

 階段は下りていない。しかし当然、渡り廊下へと続く道も無い。

 相違点が有るとすれば、下駄箱が全て開いている点。

 二人は足を止めて、立ち尽くした。昇降口の正面にも階段は有る。引き返す事も可能である。そのどちらにも動かず、立ち止った。

 無意識の内に、市村潤は確認したいた。猫だったものの死骸を。それは今も昇降口の外に転がっていた。

 そうしている内に市村潤は或る事に気付き、声には出さずに絶叫する。


 転がっている猫から一番近い下駄箱の一番上の箱から、ボトボトと黒く長細い何かが溢れて落ちていく。それらに動く様子は見られないが、際限無く溢れて零れ落ちていく。


「ごめんね、潤。巻き込んじゃって」

 声が震えていた。隣に居る麻耶に視線を向けると、涙を流している。

「何言ってんだよ。俺だって……」

「違うの。そうじゃなくて……」


 途端、全ての下駄箱から黒く細長い何かが吐き出された。ダムから放水される様に滔々と溢れ、瞬く間に床を黒く染めていく。

 市村潤はそれらの正体に気付き、呻き声を漏らした。

 大小様々なムカデの死骸。中には体が中程で引き千切れているものも有る。


 思い出した。今までの全部、長谷川清の受けたイジメの内容だ。ガラスで傷付けられるのも、化学の薬品をかけられるのも、下駄箱にムカデの死骸を詰め込まれたのも。

 麻耶ほど頭が良くなくても、流れでなんとなく理解してしまった。麻耶は、あいつのイジメに関わってた。そして多分、涼介と美奈子も。

「逃げて!」

 腕を引かれて、俺は踵を返して走った。振り返っちゃいけない気がした。叫び声を上げながら、涙を目に貯めながら、走った。


 河合麻耶の正面には、本校舎から体育館へと続く渡り廊下の前にはそれがいた。顔の皮膚は全て剥がれ、制服の至る所に血痕が残っている。無表情のまま目を見開いて、直立している。

 二人がそこに行き着いた時には、既にそれはそこに居た。そして、動く気配もなかった。

 市村潤にはそれが見えていないようだった。或いは意図的に視線を逸らしていた。職員室の壁を見て、動こうとしない。

「ごめんね、潤。巻き込んじゃって」

 河合麻耶はそれと向き合ったまま、静かに涙を流し始めた。恐怖で足が竦み、頭が生きる事を諦め始めていた。

 それの両目から血がダラダラと流れ始めた。

「何言ってんだよ、俺だって……」

「違うの。そうじゃなくて……」

 突然それがあらんばかりに口を大きく開け、悲鳴を上げた。声変わりの済んでいない甲高い声で。溺れている様に、或いは呻く様に。

「逃げて!」

 河合麻耶は市村潤の腕を掴んで後ろに引いた。彼女が自分の命を犠牲にして時間を作っている間に清水美奈子の場所まで辿り着けば、或いは市村潤だけは逃げられる可能性が有る事に彼女は賭けた。


 河合麻耶の両膝と両肘があらぬ方向に折れ、その場で仰向けに崩れ落ちた。

 河合麻耶は何が起きたのか理解できなかった。痛みは無かった。

 河合麻耶は悲鳴を上げそうになった。しかし恐怖で声が出なかった。


 それが、正面から覗き込んでいた。顔に息が掛かる程近くで、絶叫していた。


 河合麻耶の腹部や肩や顔に踏みつけられた様な衝撃が加わる。

 どこかの骨が折れる様な違和感が彼女を襲った。

 それでも痛みは無かった。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、踏みつけられた。

 鼻が折れる感触、背骨が砕ける感触、肋骨が臓器に刺さる感触、首が折れる感触、頭蓋骨が割れる感触。

 その間もずっと、河合麻耶は目を閉じる事も声を出す事も許されなかった。


 三十秒近く経って、それは急に口を閉ざした。

 途端に、それまで感じている筈だった痛みの全てが思い出したかの様に彼女を襲った。

 そうして、一瞬だけ河合麻耶は絶叫しながら絶命した。


 麻耶がどれだけ耐えられるのか分からない。けど、麻耶の命を無駄にしちゃ駄目だ。二階に上り直して、美奈子が開けてくれた窓から出てそのまま飛び降りる。ガラスを踏む事になるけど、そんなのどうでもいい。麻耶も美奈子もそれ以上の苦痛を感じている筈なんだ。

 階段を駆け上り、踊り場で切り返して。茫然とした。その先で、屋上へと続く扉が開かれている。

 一階間違えた? 幻覚を見てた? 引き返さないと……。


 階段の下で、それが見上げていた。


 屋上から渡り廊下の屋根に飛び降りて、そこから地面に飛び降りる。それ以外にもう道が無い。

 階段を駆け上がって、屋上に出る。空は相変わらず不気味な程赤く、静かだ。

 立ち止ってる暇はない。後戻りは有り得ない。急いで……。


 この校舎はコの字形に建てられていて、市村潤が目的の場所に行く為には反時計回りに六時間分移動する必要が有った。そこまでは市村潤は理解していた。しかし、その最初の角を塞ぐ様にして有刺鉄線のバリケードが、飛び越えられない様に何列も張られていた。

 屋上の扉が音を立てて閉まった。

 扉の前に、それが立っていた。


 市村潤の体は突然吸い寄せられ、胸の高さ程しかない柵に背中を打ち付けられた。

 十字架を模る様に目に見えない何かに両腕を押さえ付けられ、指の一本すらも動かなかった。

 両脚も動かず、柵が徐々に全身に食い込んでいく。


 市村潤の後ろから何かの両手が伸び、親指以外の全ての指を彼の口に捻じ込み、無理矢理に口を開かせた。

 頭を後ろに無理矢理引っ張られ、空を見上げる事になる。

 市村潤が振り払おうとしても、ビクともする気配が無い。

 その手に体温は無く、例えるならゴミ袋一杯の生ゴミを腐らせた様な酷い悪臭を放っていた。

 その感触に市村潤は何度も嘔吐き咳き込んだ。


 それが市村潤の顔を正面から覗き込んだ。

 それが口を大きく開くと、中から枝豆程の大きさの蜘蛛が糸に垂れながら真直ぐに、市村潤の口の中へと下りていく。

 だらだらと、何匹も。

 その数は次第に増え、口には収まり切らなくなり、溢れ、溢れ、溢れ。

 目を離す事も、瞬きすらも許されず。


 突然体が自由になる。

 彼が気付いた時にはもう遅く。

 口を押さえ付けていた何かの手に引っ張られて、市村潤は頭から瞬く間に落ちていく。

 後頭部を強打し、頭蓋骨が砕け、首が折れ、体をぐったりとさせる。


 屋上には、警備員が立っていた。


<に>

「ね、しんさんの噂、知ってる?」

「屋上で虫を殺したら出るっていう、あれ?」

「そ! 実はあれ、ウチの学校にも出るらしいよ」

「え~。立ち入り禁止なのに?」

「立ち入り禁止だから、よ。調べてみたら五年前に実際にやった人がいて、その人が屋上から飛び降り自殺したから立ち入り禁止にしたらしいんだ。で、怖いのはその死体なんだけどね、お腹の中からムカデが何匹も出て来たんだって」

「えっ? うそっ……。でっでも、要は屋上に行かなきゃ良いんでしょ? 呪われるだけなんだしさ」

「美穂がさ、最近調子乗ってると思うんだよね。彼氏出来たみたいだし」

「それは……。でも、もし……」

「カナだって今私から聞いて初めて知ったんだし、所詮噂よ。虫は美穂に先に殺させて、何かあったら私らだけ逃げれば良いんだし。肝試しよ、肝試し」

「理奈がそこまで言うなら……」

「それじゃ、けってー! やるのは……、今週末の土曜ね! 来なかったら……」

「分かってるってば。もう……」

閲覧頂き、ありがとうございます。


この作品は

何か企画やってんじゃん→三千文字以上とか一日千文字書いて三日で行けるじゃん→ホラー挑戦してみたかったし試しに

という単純かつ粗末な思考の元、着想から投稿までが一週間で行われた突貫クオリティとなっております。


ホラー初挑戦ということで、

想像したら鳥肌が立つ、救いがない

をコンセプトに、他事には拘らず書きました。

「呪怨」からの影響を多かれ少なかれ受けた作品となっています。


機会があればまた書きたいと思いますので、

その時は誤って手に取って頂けると幸いです。

それでは。

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