看護婦のお仕事 24話~28話
24話~28話
バディと戯れていると、ノックの音が響いた。
「開いてますよ。」
ノックに応えると、ドアの向こうから医師先生と看護婦が入ってきた。
「朝食をお持ちしました。」
トレイで運ばれてきたのは オートミルとアンチョビにリンゴだった。リンゴの皮は切込み細工が施され、ウサギの耳がピンと尖っていた。
「ウサギを喜ぶ年ではないのですが。」
「ウサギで喜んでるように見えますよ。」
看護婦と見つめ合うと、お互いクスリと笑った。このウサギは曰くつきだ。炭鉱に連れられて不覚にも物陰で涙していたときに看護婦に見つかり、その時にこれを出してもらった。以来看護婦は、何かにつけてリンゴにはウサギ耳の切込みを入れるようになった。
「あの時の少年が、もう旅立たっちゃうのね。」
その横顔は少し寂しそうである。いつも支えてくれた女性に僕は何もお返しができていない。
「もうちょっと療養しなきゃいけないので、1週間は足止めみたいですよ。」
「じゃぁ、しっかりと看病しますね。」
看護婦には頭があがらない。幸いベットに座って作業はできそうだし、久しぶりに木でも削って何か作ってプレゼントしよう。
運んでもらった朝食を綺麗に食べあげると、昨日の昼から何も食べていなかったことを思い出した。
「昨日ももってきたのに、少年は寝てたからもって帰って私のご飯にしました。」
それは申しわけないことをした。しかし、眠りに抗えなかったのは仕方がないので許してほしい。
謝罪する僕に、「うそうそ。」と笑いながら続けた。
「本当はバディちゃんとご飯を半分こにしました。少年がいつもバディちゃんと半分にしてるのは知ってたからね。」
笑顔のカウンターパンチに、この女性には敵わないやと両手をあげた。
「そうだ。昨日名前を返してもらえました。改めて自己紹介をしてもいいでしょうか。」
炭鉱奴隷として名前を奪われていたので、昨日まで自分の名前を思い出せなかった。元髭もじゃが解放を宣言してくれたので、自分の名前を思い出せたのだ。
「そうなの!? おめでとう。 じゃぁ教えてもらうわ。」
その様子を医師先生はニヤニヤ笑って見ている。
「改めまして、僕の名は『ダーリヤ・ダニイル・グリエフ』です。 この地を治める領主『ダニイル・アルカージエヴィチ・グリエフ』の子です。」
看護婦は飲んでたお茶を盛大に吹いた。そのままゴホゴホと気管に入った水分と格闘している。医師先生は大爆笑している。床に転がり手足をバタバタ動かして、看護婦の反応がツボに入ったようだ。
バディは、濡れた毛皮を逆立て、ブルブルと振るうと僕の横に座り、みんなの様子を覗っている。
「ちょ・・・ちょっとまって!? 少年が、貴族様!? それもこの領地の跡取り!?」
かなり慌てている。今まで一度もいったことはなかったから仕方がないだろうが、そんなに慌てなくてもいいのではないだろうか。
「うん。そうだよ。髭もじゃ辺りは知ってる話だけど、さすがに看護婦までは伝えられてなかったかな。」
「全くももって初耳だよ・・です。それならそうと早く教えてくれてもよかったのに・・じゃないですか。」
うん、しゃべり方がおかしくなってる。
「話し方は今まで通りで良いよ。よそよそしくされると少し寂しいから。」
看護婦が既を使わずに済むように何時も通りの話し方を促す。相棒も後押しするように相棒も『わふ』と鳴いた。
「そう言うことなら、今まで通りでいかせてもらうね。」
色々飲み込んでくれた彼女に感謝した。
体が濡れたままなのが嫌だったのか、相棒は部屋から出ていった。きっといつもの場所に日向ぼっこだろう。俺と炭鉱に潜る以外は、晴れていれば村から少し歩いた丘の上で日向ぼっこ。雨ならば食堂の裏で愛想を振りまきおやつをねだっている。
俺が呼べば、どこに居てもすぐに来てるので、あまり気にした事はない。
ただ、昨日まで炭鉱奴隷だった身としては、自由に丘の上に行き日向ぼっこができる権利をもつ相棒を羨ましく感じていた事も事実だ。
しかしそれも昨日までの話。
名前を返してもらったということは、すなわち、『借金返済に伴う炭鉱奴隷の労役を終えた』ということなのだ。つまり、俺も自由だ。これからは、相棒と一緒に昼寝をしようが、おやつをねだろうが何でもできる。矜持がある以上おやつをねだる事はないが・・・。
「ご飯食べたら、魔素の適合具合をチェックしてね。」
看護婦が一枚の紙切れをくれた。これは通常は青色だが、一定以上の魔素が溜まっていると徐々に赤くなり、魔素が溜まり過ぎだと真っ赤になる。
渡された紙切れを咥えると、青かった紙は一気に赤へと変わった。
「んー。まだまだ真っ赤だね。」
「まだまだ、真っ赤だな。」
他人事のように事実確認をして、まだしばらくはベットから出れない日々が続く事を再認識した。
「安定するまでは暇だな。」
重度の魔素中毒は常時んであれば即死していてもおかしくない。ダーシャは血統的に魔素を受け入れやすいという下地があるからこそ数日の休養で良いのだ。
第5半減期を過ぎるまでは我慢の子である。第1半減期までが残り2日未満。焦る自分をなだめながら、窓の外を眺めた。
遠くの丘の上を登っていく相棒の姿が眩しく見えた。
「さて、ダーリヤ様もご飯食べ終わった事だし、残りの検診もしようかね。」
ここにきてからの様付けがとても恥ずかしい。
「すいませんが、医師先生。此処に居る間は今まで通り『少年』でおねがいしたいのですが。」
「いえ、そういう訳にもいきません。」
助けを求めるように看護婦に目を配らせた。俺の視線を受けた看護婦は逡巡したが、コクリと頷くと、助け船を提案してくれた。
「本人の辞退もあることですし、いきなり貴族様扱いするのもつらいので、まだ聞いてない事にしましょう。」
さすがは看護婦、話が早い。きっと自分が呑み込めなかったのが最大の理由だろうが、そこは気にしたら負けだ。
「というわけで医師先生もそれでお願いします。というか、この炭鉱で俺が領地の跡取りと知ってるのって何人位いるんですか?」
管理者グループはたぶん知っているだろうとしても、炭鉱責任者と医師先生と看護婦と元髭もじゃ位ではなかろうか。
看護婦はさっきまで知らなかったので、このレベルで知らない人間がいるなら緘口令は行き渡っていたのだと信じれる。
「そうですね~。後は炭鉱責任者位じゃないですか?」
「それなら、尚の事、俺の事は少年のままでいいさ。」
医師先生がいきなり俺に対してペコペコ頭をさげたり、敬語で話しているのをみたら、間違いなく他の労働者は不審に思うであろう。下手をすれば、俺が領地の跡取りというのがばれ、家に対して振りな事になっても困る。
「かしこまりました。」
いや、だからその仰々しさを何とかしようよ。
「これから先は貴族として振る舞わなきゃいけないから、炭鉱では気楽にしたいんだ。」
10才から連れて来られて、早5年。なんだかんだで炭鉱夫達に可愛がられてきた。これが『貴族です。改めてよろしくね。』って言ったところで、皆が戸惑うだけで、せっかく作り上げた環境が粉々に粉砕されるのは願い下げだ。
「はっはっは。分かったよ少年。しかし、君が『月の滴』を発掘したのは鉱山中に広まってしまった事実ですよ。借金返済した鉱山奴隷が名前を取り戻すのは普通の事。それがない方が不審がられますよ。」
言われる事はもっともだ。働く奴隷達は自分の借金を返し、自分を取り戻すために日々働いているのだ。返済した瞬間から自分の名前を大声で叫ぶ者も珍しくない。
「そしたら、ダーシャで頼むよ。」
かつて、家族達に呼ばれ続けた僕の愛称。まったくの偽名というわけでもなく、かといって正体がばれるわけでもなくちょうど良い。
「小さい頃は、その名前で家族に呼ばれていたから、ここの皆に呼ばれるなら、そっちの名前がいいや。」
そんなこんなで1週間がたった。魔素の影響は無くなりはしたが、いまだ全身を痛みが走る。かなり強い影響を受けたらしいが、慣れてしまえば魔術行使時にメリットがあると聞いているので我慢した。
いつものように朝食を看護婦が運んでくれ、それを食べていると、ドスドスと廊下から足音が聞こえた。かと思うと、ドンドンドンと大きなノックが部屋の中に響いた。
「はいはい、開いてますよ。でもココは病人が寝てるから、もうちょっと静かに叩いてくださいね。」
看護婦がドアを開けると、厳しい顔をした男が入ってきた。たしか警備主任で皆の不人気絶頂のオッサンだ。奴隷をいたぶって小遣い稼ぎをしてるケチなオッサンという記憶がある。
俺は関わりにならないように、ユーリーがいつも守ってくれたから直接話すのはこれが初めてになる。
「おまえが、『月の滴』の適合者か?」
不躾に言葉を投げつける。俺の目つきが気に食わないのか、続けざまに文句を言う。
「なんだ、その目つきは? 炭鉱奴隷が己の分をわきまえんか。」
バキッ!!
「ちょっと、なんてことするんですか! 病人を殴るなんて!」
看護婦が食ってかかる。医師先生は冷静に2人の様子を眺めている。
ベットから文字通りたたき落とされた俺は、殴られた頬より痛い体を動かして、何とかベッドまで登りあがった。
「大体、奴隷の分際でベッドで寝てることすら許されないというのに。このクズが!」
再度こぶしが飛んでくる。うん、俺が家に戻った暁には、こいつの処遇は降格どころか、一度犯罪奴隷に落として、自分の過去の行動を反省させよう。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ。一応少年は借金返済したから、もう炭鉱奴隷じゃないんですよ。」
ようやく口をはさんだ医師先生は、俺の体を起こしながら仲裁にはいった。
暴力男は「ニヤリ」と笑いうと
「そんなことはどうでもいい」
と言い放った。
「お前が発掘したと言いがかりをつけてる『月の滴』だが、あれは俺が炭鉱をパトロールしたときに発見した。いいな! わかったな!」
うん、頭の出来が不自由ということは分かった。
「大体、最初からお前が気に食わなかったんだ。ユーリーに庇護下で甘やかされて、特別待遇のツルハシだ?何様のつもりだ?」
黙っていると、了承したと思いこんで偉そうに文句を言う。
「お前は適合して寝込んでるんじゃなく、サボって横になってるんだよ。分かったらさっさと働け。」
またこぶしが飛んできたかと思うと、男の右手が文字通り飛んで行った。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ! 俺の腕がぁぁぁぁぁぁ!」
見事な叫びっぷりだ。耳元で喚かないでほしい。鼓膜が破ける。
「他人の財産略奪、および貴族への反逆現行犯で処刑を実施した。小さな領主殿。私の到着が遅れた為、暴力にさらされた事をお詫びします。」
泣き喚くおっさんの後ろには、刃を携えた1人の女性が立っていた。
「えっと・・・?」
うん、意味がわからない。周りを見渡すと、看護婦も固まっている。
「てめぇ! 俺に手を上げるとはいい覚悟だ! 生きてこの炭鉱から出れると思うな!」
さっきまで泣きわ喚いたおっさんは、呼子を吹くと女性に捕縛刻印を投げつけた。しかし、刻印が効力を発する事はなかった。
「なぜだ!?」
とっておきの武器が効かず焦るおっさん。対象に女性は冷静にオッサンを見て、溜息をつくと両手の掌を肩の高さまであげると首を左右に振ると。
「呆れる程に愚かですね。」
オッサンの馬鹿さ加減を口にした。
「貴様! いったい何者だ!? その泥棒奴隷の仲間か!?」
怒りで顔を真っ赤にしたオッサンはどんどんヒートアップしていく。
いや、おっさん。泥棒はお前だし。
「泥棒はあなたじゃないですか。いきなり人を殴り飛ばした上に、難癖をつけて財産を奪おうとしたあなたじゃないですか。」
看護婦もいい感じに熱くなってきた。逆に女性は冷静に冷たい目でオッサンを見据える。
「『月の滴』の発見者は、発見した『月の滴』の大きさに関わらず、『月の滴』の祝福を受ける。『月の滴』の影響を受ける魔素刻印が祝福を受けた者に危害を加えないのは常識ですよ。あなたが発見したと嘯く『月の滴』が誰が発見者かをきちんと証明していますよ。」
懐から何かをつまみだすと。
「小さな領主殿。失礼します」
そう言うと、女性は俺に何かの刻印を放り投げた。
「ほら、さっき貴方が投げつけた同じ刻印を小さな領主殿に使いましたが、やっぱり発動しないでしょ。」
有無を言わさぬ確認方法に、さすがのオッサンも黙った。
そこに、呼子で集まった警備隊が部屋に飛び込んできた。
「主任! いったい何が!?」
部屋に駆けつけ現状を把握すると、女性に向かって刃をむけた。
「貴様! どこの賊だ!?」
刃を向けられた女性は、凛と警備隊に挑むと、言い放った。
「この男は、卑しくも己の分をわきまえず、貴族に暴力を振るい、財産を奪おうとした盗賊だ。ゆえに、現行犯で処罰するところだ。」
いや、あの、ね? あまり貴族言わないでほしいんだけどな。
「冗談も休み休み言え! どこに貴族が居るという。それとも何か? そこのガキが貴族様とでも言うのか?」
人を小馬鹿にした口調で笑いあう。
「えぇ。そうですよ。」
女性はその言葉を肯定し、1枚の書状を開いた。
「これは、領主閣下、『ダニイル・アルカージエヴィチ・グリエフ』様より預かりし書状だ。そしてこう書いてあります。『炭鉱奴隷として働き、いずれ月の滴を発掘もしくは、借金完済する我が息子ダーリヤ・ダニイル・グリエフの護衛として、グリエフまで無事送り届ける事を任命する』と。そして、今ベッドにおわす方こそ、ダーリヤ・ダニイル・グリエフ様であらせられます。」
勿論、その書状には父の押印がある。文字が読めない者でも、この押印を知らないものはこの領地に1人もいない。
「というわけで、そこの賊を捕縛して懲罰室にでも突っ込んでおいてください。」
俺を殴ったおっさんは顔を真っ青にして、彼女の掲げた書状を見ている。顔が真っ青なのは書状を見ただけではなく、右手からの流血も関係してるのではないだろうか。後で掃除が大変だろうな・・・。
オッサンは観念したのかおとなしく捕縛された。看護婦は嫌そうな顔をしていたが、オッサンの止血処置をしている。
医師先生はそれを眺めている。いや、仕事しようよ。
「お見苦しいところをご覧いただき、申し訳ありませんでした。」
オッサンの事などまるで無かったかのように恭しく頭を垂れる女性。
「申し遅れました。私の名前はサヤーニャ。サヤーニャ・ステファンと申します。」
これが、俺と彼女との出会いだった。