もふもふは正義 9話~12話
9話~12話
「もー、待ってたのよ」とばかりにダーシャに飛びついた。背面は黒、腹面は白のふさふさな毛は、撫でる手に沿って沈み、通り抜けるとふわんと元に戻る。
ひと撫でする毎に、もっと撫でてと目を細めて顔を擦り付けてくる。
「こら、くすぐったいってば。」
数時間前に別れ、今日はもう会えないと思っていたのにまた遊びに来てくれたのだ。今日は好きなだけ遊ばせてくれるに違いないと、お腹を見せて撫でてくれるように誘っている。
「本当にバディは甘えん坊だな。」
文句は言いつつも、毛皮の感触に魅了されているのはダーシャの方だ。お腹を撫で、腕を撫で、肉球をプニプニするまでがいつもの挨拶だ。
地面に転がり、上へ下へ体を入れ替えながらじゃれあう。
種族の違いがなければ、仲の良い兄弟でも通るだろう。もしくは、共にもう少し年を重ねていれば、恋人の様に見えるのかもしれない。
息子が洞窟に入ってから10分経った。洞窟の中からは、時折響く嬌声以外は同行者を呼ぶ声はない。
さすがに気になり、ゆっくりと洞窟の中に近づいていった。
「こら、バディ、顔をずっと舐めたら息ができないってば。」
コホンと咳払が聞こえた。
オオカミは少年の顔を舐めまわしながら、ピクリを耳を動かし、テリトリーへの侵入者を覗った。
「えーっと、ダーシャ。そろそろ僕たちにも紹介してほしいんだけどなぁ。」
その声に、ビクリとした。ふかふかの毛皮に甘えられ、目的を忘れていた事を思い出した。
少年の反応でオオカミは侵入者への警戒を強くした。
「ウゥーーーーゥ。」
低い声で発せられた威嚇。耳を伏せ、いつでも飛びかかれる様に侵入者に正対した。
「バディ、大丈夫だよ。僕の父上達だよ。」
安心させるように手を首に回し撫でてやる。言葉の意味を理解したのか、警戒を解き、「何をしに来たの?」とばかりに首をかしげている。
「みんなに、君の事がばれて会いたいって遊びに来たんだ。」
オオカミに伝えるた
「もー。僕が呼んだら来てねって言ったのに。バディが怯えちゃったじゃん。」
ほっぺたをパンパンに膨らまして、父達に苦言を申し付けた。
「それは仕方ないよ。」
腕時計を指差し、更に続ける。
「10分も洞窟の前で待ちぼうけしてたんだから」
「そうよダーシャ。自分だけ可愛い子と遊ぶなんてずるいわ。」
妖精ではなかったが、ぬいぐるみの様な愛らしさでこっちを見ているオオカミに母やほほを赤めている。
「その子犬いつから飼ってるの?」
洗濯物に混ざっていた毛から犬だろうと予想していたマーシャも、みんなの手前自分が抱きしめたいのを我慢して、お姉さんの立場を崩さない。
「紹介するね。この子はバディ。雨宿りにこの洞窟にきて出会ったんだ。ここで一人で暮らしてるみたいだから、うちに連れて帰ってもいいでしょ?」
上目遣いに滅多に言わないオネダリをした。
「とにかく、私もその子を撫でてもいい?」
明確な回答を避けたが、先程から毛皮の虜になっている。
息子の返事を待たずにしゃがみ込むと、「とーとととと」と呼びよせた。その手には干し肉が用意されている。
干し肉に気が付くと、トテトテ歩いて母親に愛想を振りまいた。
「なんて可愛い子なんでしょう。はい、食べていいわよ。」
普段ダーシャがもってくる干し肉と味のランクが違う-父親のとっておきお摘み-は瞬く間にバディを虜にしてしまった。
「むむ、ずるいぞナターシャ。そんな小道具を持ち込むなんて。それも僕のとっておきじゃないか。」
自分の物を最大限に利用した妻を非難しつつ、自分も懐から何やら取り出した。革袋から取り出したそれは、金色に輝く塊だった。自己主張をするように甘い香りを辺り一面にばらまき、気が付くとあふれる涎を、皆呑みこんでいた。
「今回の視察で自分用にかった、とっておきの蜂蜜飴だ。この蜂蜜は島国の桜の花からしか蜜を集めていないという薫り豊な一級品だ。僕にその毛皮をもふらせてくれるなら、お礼にこれを進呈するのもやぶさかではないよ。」
掌に一欠片のせて、毛皮・・・もといオオカミを誘惑する。
干し肉を食べ終わり、甘い香りの方へを顔を向けた。
シルクハットにマントのスーツ姿の男をこれまで見たことがないのか、なかなか1歩目がすすまない。
横から、ひょいと蜂蜜をつまむと
「はい、ちょっと変な人でごめんね。でも悪い人じゃないからね。」
妻の容赦ない言動で、父の手から蜂蜜を強奪し、心の弱いところを容赦なくえぐった。
「ナターシャ、変な人はちょっと言いすぎじゃないかな?」
「だって、あなた、しょうがないじゃない。愛らしいバディが警戒したのよ。前に読んだ本にも書いてあったの『もふもふは正義』って。」
はじめ嗅ぐ桜の薫り。蜂蜜飴は口の中で薫りを更に広げ、嗅覚と味覚をダブルで陥落する。その魅力の虜になり、夢中でかじってる。
口の中の飴が溶けなくなると モットチョウダイ とばかりにナターシャに顔をこすりつける。
「あらら、もう無くなったのね。あぁん、そんなに顔を擦りつけたら動けないでしょ。困ったわねぇ。」
まったく困っておらず、むしろ幸せな笑顔をこぼしながら、夫に手を差し伸べ次の蜂蜜を要求する。
「ちょーだい。」
自分の手からあげたいのも山々だ。普段視察でなかなか側にいれない妻の笑顔での要求に逆らえるわけがない。
「僕の分も残しておいてよ。」
勿論食べる分ではなく、あげる分だ。
「はい、お代わりですよ。ほらね、変な人だけど悪い人じゃないでしょ?」
妻は妻なりに、夫のフォローをしているようだ。ただし、変な人発言が地味にダニイルのピュアハートを傷つけていることには、まったく気が付いてない。
左手で飴を与えつつ、右手で耳の後ろを撫でる。
もふっと毛皮に手が沈み込むと、撫でる動きに沿ってもふもふが揺れる。
耳の後ろから首筋、背中、お腹、尻尾と撫でる位置は移動していった。
「決めました。私はお腹担当にします。」
突然の宣言だ。
普段であればそれも通るかもしれない。また、最初に宣言した人が優先順位を取るのはグリエフ家の伝統でもある。しかし、今回は話が違う。
オオカミは生き物であり、第一発見者は息子である。撫でるために消費した賄賂の干し肉と蜂蜜飴は共に夫の物である。2人から駄目出しが出るのは当然のことだった。
「母上、担当ってそこに触っていいのが母上だけって事じゃないですよね?」
「そうだよ、ナターシャ。先程君がオオカミに贈ったプレゼントはすべて僕の物だということを忘れてもらっちゃ困る。そして、君はさっきから撫でまわしてるけど、僕はまだ触れることすら許されてないんだよ。その分の補填として、僕もお腹担当を希望するよ」
しかし、2人の声が聞こえてないように真っ白いお腹の毛をもっふもっふと撫でまわしている。
「バディ。こっちおいで。」
ダーシャが呼ぶと、トッテッテッテとやってくる。目の前でコロンと転がると真っ白いお腹を広げる。「なでて~」と催促している。
「ダーシャ・・・。恐ろしい子。」
干し肉と蜂蜜で陥落したと思っていたが、たったの一言で至高のもふもふが目の前から去って行った。
「ダーシャ、僕も撫でたいんだがいいかい?」
いい加減に自分も触りたくてうずうずしている父は、ついに息子の軍門に下った。
「はい、父上。耳の後ろのこの部分から撫でると喜びますよ。」
耳の毛皮に触れた時に、これまで触ってきた毛皮を超えた柔らかさとぬくもりに触れたことを理解した。
「こ・・・これは・・・。」
夫がもふもふの虜になる瞬間を妻は見逃さなかった。その目には「ライバルが増えた」と書いてあった。
耳の後ろから首筋、お腹に尻尾と一通り撫でまわした彼の顔は、何かを成し遂げた漢の顔だった。
「父上、母上。」
2人の目を見据えてもう一度お願いした。
「バディを、家に連れて帰ってもいい?」
2人は考えるふりをして見つめ合うと、すぐに頷いた。
「何をいってるの?」
あれ?だめだったのかな・・・。ダーシャの心に不安がよぎる。
「そうだぞ、ダーシャ。何を馬鹿なことを言ってるんだ。」
あんなに幸せそうな顔をして撫でていた2人が急に冷たく振舞う。これが社交界のそれはそれこれはこれというやつか。
「バディはもう家族なんだから、一緒に帰って当然だろ。」
「やった。父上、母上ありがとう。」
3人と一匹は皆で抱きついたのであった。
そんな中、マーシャは終始「にくきゅうぷにぷに」と呟きながら、肉球をつつき続けていた。
屋敷に帰るまで、洞窟に行く時間のゆうに倍以上はかかった。理由は簡単だ。ダメな大人がバディの取り合いをしたからだ。
「やっとついたー。」
普段なら走って10分もあればつく距離を、なぜ1時間かけて歩かなければいけないのだろうか。」
本気で疑問を感じながら、遅かった原因に目をやると、またしても醜い大人の喧嘩が始まっていた。
「だからナターシャ! まだ僕の番だってば。」
「いえ、あなた。あの協定は家に着くまでだったはずです。それなら屋敷の敷地内に入ったら協定終了じゃないでしょうか?」
原因は相棒である。
「ほら、バディちゃんも私の方に来たがっています。」
「そんなズルをしてバディを誘惑するとは、ダーシャに言いつけるんだからね。」
左手に先程旦那から収奪した蜂蜜飴をバディに見せながら誘惑している。
「え?くれるの?」とバディはトッテトッテとナターシャの方に身を寄せた。
「母様。子爵家の名に懸けてズルはまずいというか、ペナルティ発生というか・・・。」
しゃがみ込んで手櫛で毛並みを整えている母の耳に、ダーシャの声は届いていない。バディの耳だけがピクリとこちらを向いている。
服はすでに毛だらけ。家事担当のマーシャは今後毎日の仕事が増えることを想像し、頭痛がするおもいである。
「母様、しゃがんで撫でるのは、家に着いてからって約束ですよ。いい加減にしないと夕飯の時間におくれますよ。」
言葉が届くまでに時間がかかるのだろうか。ゆうに1分が経ってから返事がきた。
「大丈夫。もうここは家の敷地だし。夕飯もちょっと遅れたぐらいじゃ温めなおしたらいいんだから。」
「奥様。食事の時間を己が愉悦の為に送らせ、更には温めなおせばよい。そう仰られましたか?」
背後から、地獄の底から発せられたかと聞き間違える闇を携えた声が聞こえた。代々うちの台所を守り続けてるジラーノフさんだ。
その声が聞こえた瞬間に母はビクッと身を逸らした。
ただでさえ偏食気味の母の為に、種類の多くない食材を駆使し、栄養バランスが偏らないように、必要であれば自分で採集や狩りもいとわない我が家の最強コックは、下手したら門番のカバコフより物理的に強い。
門番がいらないのではと思われるくらい強いが、食事を作ることを生きがいとし、何より食べてくれる人の笑顔を見るのが好きだか。
そのために自分の給料の一部を新しい調味料やレシピの糧にしているのは屋敷で働いている誰しもが知っている。
自由奔放な母でも、このコックには頭が上がらない。
「ち・・・違うのよジラーノフ。」
彼の機嫌を損ねうと、夕飯の時間が夕食の時間になってしまう。
「そ、そう。ダニイルよ。ダニイルが悪いのよ。マーシャあなたも見てたでしょ。ダニイルがバディちゃんを一人占めしようとするのが悪いのよ。」
ジラーノフが目に入れても痛くない可愛がりをしている孫に最終判断が託された。
いえ、奥様。帰りの道中ずっとバディのいる場所を自分の横とわがままをいって帰宅時間が遅くなったのはあなたのせいです。
旦那様の番になっても何かと自分の横に呼び寄せたりと姑息な手を使っていたのも周知の事実です。
そして、私の番をは夜になってからといったのは忘れてません。
裁判官の目には慈愛がなく、公正な判断を導いた。
「有罪」
冷酷な判決に打ちのめされた母は苦悶の表情をしていた。
領主の帰還により、その日の夕飯はいつもより豪華だった。その理由にバディの歓迎会の意味合いもあったのは言うまでもない。
母の強い意向で、とっておきの鹿のモモ肉で作られたハムと、注文してから1年かけて届いたパルマ産のチェダーチーズを惜しげもなく使っている。
「あーん、おいしい。ダニイルが帰ってきたからこそ食べれる贅沢よね。」
といいつつ、母が料理を取り分けている相手はバディである。
「はい、バディちゃん。いっぱい食べてね。」
そんな妻をあきらめた様子でみながら、ウォッカを流し込む父。諦めてるのではなく、妻の喜んでいる姿をみて微笑んでいる。
「父上、今回の視察は何か面白いことがあったのですか?」
せっかくの豪華な夕飯なのに、2人の視線がずっとバディに行っているので少し嫉妬気味である。
「ああ、いっぱいあったよ。」
グラスを煽って土産話を始めた。
「ベレズニキはさすがに港町。相変わらず新鮮な魚が揚がっていたし、住人を始め行商人までもが笑顔で商売していたよ。」
新しいグラスに土産に持ち帰った葡萄酒を注ぎながら続ける。
「ヤイヴァは新しい魔法具ができたみたいで、こっちにも商人がたくさんいたね。なんでも空飛ぶホウキを加工して、大型搬送具を完成したらしい。これができれば馬がいなくても行商ができると言っていたけど、魔力の補給をどうするかはこれからの課題だね。」
妻のグラスにも葡萄酒を注ぐ。
「なんでも100kmの移動に金貨10枚分の費用がかかると言ってたから、魔力効率化がどこまで進むかが楽しみだよ。僕の領地からこんな素晴らしい技術が生まれると、今後の発展が楽しみになるね。」
ダーシャのグラスにも注いだ。
「キゼルとクバハは相変わらずだよ。鍛冶の街と鉱山の町。あそこの産業効率がもう少し上がれば、僕の領地は安泰なんだけどねぇ。」
全員のグラスが葡萄酒で満たされた事を確認して、おもむろに立ち上がった。
「さて、これからの領地発展と、新しい家族に乾杯!」
「かんぱーい!」
それぞれがグラスを掲げ、一息で飲み干す。
「ん~。いい葡萄酒だ。今年は当たり年だね。今度の税収は楽しみだ。」
「そうだ、ダーシャ。今日の洞窟だけどさ。」
いきなり自分の弱いところを突っ込まれ、むせてしまう。
「はい。もう一人では行きません。」
バディと行くことを考え、一人で行ったことを素直に詫びる。
「いや、それはいいんだ。いや、あんまり良くないんだけど、その話じゃなくてね。」
にこりと笑うとバディの横に座り込み、鹿のモモ肉ハムの骨の部分を咥えさせた。
「この子の故郷でもあるわけだし、僕はあの森に入ったことは一度もない。もうすぐダーシャも7才だし、あの洞窟の周りを測量して君の領地として前渡ししようと思うんだ。」
ブフーーーー!! 思わず口に含んだ料理を噴出した。
「もう、ダーシャ!お行儀が悪いですよ。」
これにはさすがの母も注意をした。
「そしてあなたも、いきなりすぎますよ。」
「いや、ナターシャ。そんな急な話でもないんだよ。」
妻の言葉をすんなりかわし続けた。
「ダーシャの祖父、僕の父なわけだが、アルカージエヴィチ前領主からも7歳の誕生日の時に領地の前渡しがあったんだよ。僕はダーシャ程活動的じゃなかったから、森じゃなくて川沿いの小さな土地だったけどね。」
バディを撫でながら遠い昔を思い出す。
「7才の誕生日に領地の前渡しは、うちの代々の習わしなんだよ。月が降ってから100年頃かな、今から約300年前の話なんだけど、ボリス領が皇帝の反感を買ってお取りつぶしになったことがあったんだ。たまたまその直前、7才になったグリエフ子爵が領地の前渡しをされていて、何とかボリス領主の首だけでお家断絶を免れたんだ。それ以来、我がグリエフ家は7才の誕生日に領地の一部を前渡しして、いざって時の保険にしているんだよ。」
夫の突然の発言が思いつきでないことを理解した。
「そういうことでしたら、やっぱりあの森の側がいいですね。森だけじゃなくて、水場も必要ですから、近所の湖と川も領地に入れましょう。いざって時の為に、領民が居ないと困るから、近所の村も2~3か所適当に見つくろいましょう。
正当な理由があるのなら容赦する必要はない。ダーシャの為というか、バディの為というか、いざという時に備えてかなりの前渡しを提案する。」
「おいおい、そんなに渡してもダーシャはまだ税収管理できないよ。」
多少ひきつった笑みを浮かべながら、妻の暴走にブレーキをかけた。
「いえ、何かあったらバディちゃんは洞窟暮らしに逆戻りするのよ。それならダーシャにちゃんと領地を渡しておいて、私も一緒にそこで困らない暮らしができるようにしておかなきゃ。」
ダーシャやバディの為ではなく自分の為だった・・・。
「いや、まぁ・・・うん。」
こうなった妻には何を言っても無駄だ。それにいずれは息子に領地管理を任せるのであれば、あらかじめ多めに渡しても何も変わらないだろう。諦めを混ぜつつ、そう決断したのであった。
「セルゲイ、書類を用意しておいてくれ。」
傍らにずっと控えていた執事にいいつけ、バディのお腹を撫でる領主であった。