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影操師 ―誰かの記憶の物語―  作者: 伯灼ろこ
第一章 少女が生きた記憶
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 8節 少年の目論見

 時間は少し前に遡る。


 明朝、研究所の職員たちが徐水作業に取り掛かっている時間のことである。

「リーテくーん」

 アリアの無事を確認したリーテが宿舎から出たところで、研究者の青年に声を掛けられる。名をベランジェ・ハズワールと言い、リーテがミシェルのことを託した人物である。元から寝癖を直す習慣の無い彼の頭は、爆破に捲き込まれたのではないかと錯覚するほど、とにかくあちこちが歪んでいた。

「おはようございます。なんだか大変なことになりましたね」

「あー、そうなんだよね。てか、天候が荒れてるわけでもないのに水路が氾濫とかさぁ、天変地異の前触れだよ」

「あはは、そうかもしれませんね」

「でさ、その流れ込んできた水の中に色々なものが混ざっててね」

 ベランジェは、水路が氾濫した折りに、水と共に侵入してきたゴミ類の山をリーテに見せる。それらは研究所を取り囲む壁の隅に寄せられていた。

「ゴミを取り除く作業をしていたら、水死体を発見したんだ」

 ベランジェは頭を掻きむしりながら、ゴミ山の中からひょっこりと伸びた青白い腕を指差した。

「死体? 研究所の献体とかじゃなく?」

「違う違う。ウチのもんなら必ず献体番号を腕に掘ってるし。あれは確実にただの死体」

「では、水路の中に落ちていた死体が氾濫の際に研究所内に流れ着いたと」

「そうとしか考えられない」

 なんとまぁややこしいことにーーリーテはゴム手袋を装着して面倒くさそうにゴミを取り除き、死体を引きずり下ろした。

「……死後、まだ日が浅いですね。いや、1日すら経っていないかも」

 水死体だからか、水分を多分に含み、全身がブクブクとだらしなくなっている。故に死亡推定時刻がはかりにくいが、おそらく死後1日以内であることは確実だろう。しかも。

「2体、ありますよ」

「マジー? 水路の氾濫に捲き込まれた哀れな国民2名ってやつ?」

 腕を出していた死体が女性のもので、その奥に隠れていたものは男性だ。

 リーテは2つの死体を見比べ、奇妙な点に気がつく。そして自分が死体を取り出す際に除去していったゴミにもう一度、目を通す。

「ーーーー!」

 ゴミは、ゴミではなかった。泥や藻、虫の死骸などが絡まって判別がつかなかったが、それらは確かにーー

(内臓)

 女性と男性の死体は、ブクブクと風船のように膨れている。それらから水が蒸発した時、おそらく有り得ないほどに平らな死体になるはずだ。何故なら、その死体からは内臓が全て無くなっているから。

(死因は……溺死、ではない?)

 しかし死体には切り傷らしきものは無い。内臓を取り出すには、肉を切り開く必要がある。では散乱する内臓は別の人間のもので、この水死体のものではないとすれば? いや、ならば別の場所に内臓を抜かれた死体があるということになる。

(2つの水死体、そしてこの臓器の量は……どう見ても2人分、か)

 リーテは死体の顔から目を逸らし、唇をギュッと一文字に結んだ。

「ベランジェさん。この死体の始末と国への報告は、僕が代わりにやっておきます」

「えっ? いいの?」

「正式に研究所で働くようになったら、もっと多くの死体を扱うことになるんでしょう? その時の為に経験を少しでも多く積んでおきたいんです」

「そっか! 熱心だね。助かるよ、アリガトウ」

 髪を掻きむしりながら立ち去るベランジェを見送った後、リーテは堪えていた溜め息を一気に吐いた。


「死体処理、お疲れ様」

 そろそろアリアを起こしに行こうかなと考えていた頃、ベランジェが熱い紅茶を持ってリーテのもとへ現れる。

「このクソ寒い中、リーテ君には面倒ごと押し付けちゃったねぇ」

「いえ、お安い御用です」

「そんなリーテ君に朗報でーす。なんとミシェルちゃんの手術に成功しましたぁ! 臓器はあらゆるドナーのミックスだけどね!」

「そうですか」

「あれ? ドライだ。驚いてくれないの? またはめちゃくちゃ喜ぶとか」

「ベランジェさんの腕を信用していましたから」

「むむっ? そっかそっか! それは嬉しいねぇ。じゃーさっそくだけどアリアちゃん起こして来てくれない? 会わせてあげたいしッ」

 リーテは思わず漏れてしまったかのように「へぇ」と感嘆し、一つの提案を申し出る。

「彼女、喋れるんですか?」

「うん」

「では、まず僕だけで会いに行ってもいいですか。アリアに会わせるのは、その後でも?」

「別にいいケド、ミシェルちゃんと話すことなんかあるの?」

「ありますよ。いっぱい」

 ベランジェに教えてもらったミシェルの入院室は、施設の中央を取り囲むように連なる研究室の一つだった。廊下を進み、目的の部屋の前に立ち、扉に手をかけ、開ける。それら全ての動作に、迷いと遠慮は無い。

 ビク、と身体を縮こませる少女が、部屋の中央に置かれたベッドの上に座っている。

 髪は薄いクリーム色だ。玉のような白い肌はエステの賜物か。洋服に隠されてわからないが、身体の傷は塞がれ、臓器もあるべき場所に設置されているだろう。昨日はベランジェがどうなるかわからないと言っていた眼球まで、きちんと埋めこまれている。

(僕が水死体を処理している間に、あの人(ベランジェ)はこれらの手術をやってのけたのか。……まったく、恐ろしい人だ)

 リーテは後ろ手で扉を閉め、少女ーーミシェルの横に立つ。逸らされたミシェルの顔を覗き見て、悟る。

「義眼……」

 目に宿る光はヒトのそれではない。ガラスが光を浴びてキラキラと輝いているものと同質であり、まさに<生きた人形>とも表現すべきミシェルの姿をリーテは興味深そうに観察した。

「そんなにジロジロと……見ないでください……」

 恥じらいではない。ミシェルは明らかな嫌悪を言葉の節々に込めた。

「ん? 僕が見ていること、わかるのかい」

「気配でわかります」

「へぇ、視覚を失ったことによる他感覚の強制補完ーーか。人間って実に上手く出来てるな……。もう周りの動きを感じ取れるようになったの?」

「なんとなく、ですが。それより、貴方は」

「ああ、これは失礼したね。僕はアリアの家族だよ」

「! リーテね! 聞いているわ! アリアちゃんの双子の弟なんでしょう?」

 予想だにしていなかったミシェルの反応に、リーテは少々面食らう。

「ーーえ? うん、そうだよ。アリアが君に話しているの?」

「ええ。貴男の話はよく聞くわ。すごく自慢げに話すのよ」

「……。例えば、どんな?」

 ミシェルは身振り手振りでアリアとの会話内容を再現する。アリアの名前を出した途端のこの変化は、彼女たちが本当に仲が良い証拠なのだろう。

 リーテは下唇を噛んだ。

「えーと、色々話すけど、一番よく聞くのは……リーテが帰ってきてくれて嬉しいーーって内容かな」

「ーーーー」

 リーテはヒュッと息を飲み、軽快に言葉を紡ぐミシェルの唇を睨み付ける。

 聞こえてこない喜びの声と、感じ取れない喜びの気配ーーミシェルは義眼の埋まった顔をリーテに向ける。

「どうしてそんなに驚いているの?」

 リーテの反応を気配で敏感に感じ取り、ミシェルは指摘する。緑色の球の中に映るアリアと瓜二つの少年は、少しの動揺を隠せないでいる。

「……ねぇ、ミシェルさん。君はどうして義眼にしたんだ」

「わからない。視力ならいつでも取り戻せるって科学者の先生が言ってたから、しばらくは目以外のもので世界を視ようと思ったの。ただの思いつきだけどね。幸い、お父さんもお母さんもいないし、私が義眼でも誰も気にしないし。あ、好奇の視線はあるかな」

 ミシェルは笑った。自嘲気味であるが、しかし晴れ晴れしく。

 アリアが救った少女は、成長と表現して良いのかわからないが、確かに以前とは変わっていた。センフェロンの町に住んでいることや王宮の行事に参加出来ることをステータスとしてただ自慢するだけではなく、極限の恐怖を味わい、しかし乗り越えたことで物事を多面的に見ることが可能になったようだ。

 しかしこの変化は、以前のミシェルを知らないリーテにとっては気付くことの出来ないものだ。

「……ミシェルさん」

「なに?」

「お願いが……あるんだけど。聞いてもらえるかな……いや、絶対に聞いてもらわないと困るんだけど」

「なに? アリアちゃんの弟くんの頼みごとなら聞くわよ。ただし視力が必要なこと以外ね」

「そう、良かった。この願いごとに視力は要らない」

 リーテはやっと笑顔になる。目を細めて口角を上げているその仕草をミシェルは感じ取り、しかしそれが無理に作った笑顔であることも同時に視抜いている。

「願いごとは1つだけさ。しかも、とっても簡単」


ーーもうアリアに会わないほしい。


 ミシェルがその願いごとの内容をきちんと理解して、脳が身体へ指令を伝達するまでにしばらくを要した。時間にして数秒だったかもしれない。しかし、人体の構造から考えると十分に遅い伝達の巡りだった。

「どうして?」

 やっと伝達された脳からの指令は、リーテに疑問を投げかけること、であった。

「私……聞いたわ。悪い人たちに襲われているところをアリアちゃんに助けられたって。私を救う為に町中を駆けずり回ったって。そして貴男が、私をここへ導いてくれたってーー!」

「うん、事実だよ」

「まだお礼を言ってないの。私は、助かることができて本当に良かったって思ってる。両親は死んで家も無くなっちゃったけど、私には友達がいる。ベランジェさんだって、行き場が無いなら研究所の仕事を手伝ってと言ってくれた」

「そう、良かったね」

「……っっ。確かに私は少し……貧しい暮らしをしている貴方たちを見下していたのかもしれない。国内にすら住むことの出来ないアリアを嘲笑い、善人の振りをして手を差し伸べたりしていた」

「別にそれは構わないんだよ」

「センフェロンにいる私の友達は、みんな王都に住んでいた。親たちは悪どい商売もしていなくて、全員が王宮の官僚だったり貴族だったりーー……ステータスは、私より遥かに上だった。そんな私の自慢話を、アリアは素直に羨ましいと言って聞いてくれた。それが心地良かった。だから次の舞踏会へは、本当に、一緒に……行こうと思って……」

 ミシェルの耳に、吐き捨てるような呼吸音が届く。ミシェルは瞬間的に身体を強張らせ、布団を掴む。

「僕の考えと君が主張する内容は根本的に違うよ。僕はね、ミシェル・カーデルという存在がアリアに悪影響を及ぼすから、もう近付かないでほしいと言ってるんだ」

「た、確かに私を助けたアリアちゃんは、国内では白い目で見られちゃうかもしれない。憧れだった王宮へはもう入れないかもしれない。だからせめて少しでも、少しだけでも恩返しを」

「恩返し? 臓器のほとんどが他人のモノで、加えて目の見えないお前に出来ることなんて、何も無いよ」

 情け容赦の無いリーテの言葉が心臓に深く深く突き刺さる。アリアから聞いていた人物像とは全く駆け離れた冷酷な姿は、ミシェルに多大なるショックを与えていた。

「君の存在はむしろ害でしか無い。研究所にいたいなら、いればいい。ただし僕の大切なアリアをこれ以上、困らせないで」

 このまま話を続けていても埒が明かないだろうとリーテは判断し、最後にミシェルを徹底的に突き落とす言葉を叩きつけ、背を向けた。

「どうして私を助けたのよ!」

 扉に手をかけたところで、涙を含んだミシェルの声が振り上げられる。リーテは後ろを向くことなく、面倒くさそうに呟いた。

「当然のことさ。ーーアリアの為にはね」

 全ては、アリアの為に。

 そして扉は閉められた。

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