7節 オマエノ名前ハ?
ーーオマエノ名前ハ?
そう訊ねられた。
誰に?
誰だったっけ。
『答えちゃいけない!』
そうも言われた。
誰に?
誰だったっけ。
ねぇ、リーテ。私の、本当の名前はね……。
目が覚めた。窓から射し込む陽射しが眩しい。
あまり心地のよい目覚めではない。
隣りに誰もいない、寂しい目覚めだ。
「はぁ」
起きてすぐに溜め息など、まるで2年前のあの時に戻ったようである。
「……2年前?」
2年前、リーテが戻ってきてくれたあの日。
「私……は」
疑問が渦巻く。渦巻く必要など、無いはずなのに。
「あれ……私……?」
頭が痛い。ぐるぐると渦を巻く疑問は、頭痛を引き起こした。
頭をおさえ、痛みをまぎらわせようと身体をよじるとベッドから転げ落ちた。
「っ……。……馬鹿みたい」
なにをやってるんだろうと自分を嘲笑ってみた。
頭に痛みを抱えながら立ち上がり、アリアはベランジェの元へ向かった。
「はい、頭痛薬」
頭を押さえていると、それだけで事態を理解したベランジェは白い錠剤を差し出した。お礼を言って受け取り、ゴクンと飲んでみるとすぐに効果を発揮したように思えた。
「まぁ辛い仕事だからサ、弱い子は精神病んじゃったり、体調の不良を訴えたりするんだよねぇ。アリアちゃんもその1人だったりする?」
「……いえ。私は大丈夫です。頭痛は多分、仕事内容とは関係が無い気がしますし」
「そ? でも今日のお仕事ではもっと辛くなるかもしれないよ? 一応聞くけど、手伝ってもらって大丈夫だよね?」
アリアは数秒だけ答えに詰まるがすぐに了解の意を示す。
「<やつ>の正体についても知りたいですから」
「そっか。じゃあジャストタイミングかな。実は今日は<やつ>について僕が研究した結果を、実践を交えて説明したいんだよね!」
「ほ、本当ですか。でも、実践って……」
ベランジェは「来たら分かる」とだけ言い、昨晩、選別を行った場所とは別の実験棟を案内する。そこには、強化ガラスと鉄格子で囲まれた場所に閉じ込められた1人の少年と、それを見物するように一列に並ぶ村人6名の姿があった。
村人たちは、昨日アリアが死者であると指摘した者たちであった。
(なにをしているの……?)
村人たちはてっきり死者に返されているものとばかり思っていた。少しホッとした心持ちで近づくと、ベランジェが片腕を伸ばしてそれ以上の進行を制止した。
「ベランジェさん?」
「それ以上は近づちゃいけない。この距離を保つんだ」
その時のベランジェの表情は誰にも有無を言わさぬほど厳しいものだった。研究者として、普段はおどけていても実験をする時だけは真剣になるような、そんな感じで。
気がつけば他の職員たちも実験棟にはいない。いたとしてもアリアたちと同等の距離から実験棟を監視している。
(なに? 今から何が始まるの?)
アリアは背伸びをし、伸ばされたベランジェの腕の上から実験棟を覗いた。
実験棟内では、強化ガラスと鉄格子に囲われた少年が村人たちへ向かって何かを話しかけている光景が見えた。話している内容までは聞こえないが、少年の表情を見る限り淡々としているようだ。
対して、話しかけられている村人たちはしきりに互いに顔を見合せ、苦笑いを浮かべている。
少年はどこにでもいそうな普通の子供だ。どこから連れてきたかはわからないが、その少年が村人に背を向けた時、村人と、そしてアリアはほぼ同時に悲鳴をあげた。
少年の背中には、全く別の人間の頭が付いていたのだ。飛び出ているーーと表現した方がよいのか。とにかく少年の異様なる風体に驚いた村人たちは実験棟から一斉に逃げーーだせなかった。
(えっ……?)
アリアは見た。
必死に逃げようと手足を振り乱す村人たちの身体が宙に浮かび、吸い寄せられるように強化ガラスに張り付いてゆく様を。
村人たちは自身の身体に起きた摩訶不思議な事象に恐怖し、助けを求めるも職員たちは誰も動かない。
「ベ、ベランジェさん……」
「まぁ見てて」
ガラスに張り付いた村人の身体は、まるで巨大なヘラで叩かれたように平らになってゆく。身体を圧迫され、悲鳴すら出せなくなった村人は数分の間苦しみ続け、そして何かが破裂する音と共に事切れた。
「あ……」
事切れてもなお、村人の身体はガラスに張り付いたままだ。
「あれね、ガラスに張り付いてるわけじゃないんだよね」
ベランジェが何を言わんとしているのか。アリアにはその先が読めてしまった。
「強化ガラスの中いるあの男の子に、吸い寄せられているんだよ」
「…………」
「もし今あの強化ガラスを割って隔たりを無くしたら、村人6名分の肉体は男の子の身体の一部になるだろうねぇ」
「…………」
「アリアちゃん。あの男の子の正体、わかる?」
「…………」
「わかったでしょ?」
「…………」
記憶に蘇るのは、2年前の悪夢。
めずらしく早起きをしたアリアは、部屋の窓から家族3人の姿を見る。
母親は洗濯物、父親は薪割り、弟は水汲み。自分も何か手伝おうと玄関の扉を開けた時、<やつ>と目が合ったのだ。
そいつは人間の形をしているのに人間ではなく、ただ人間を集めて形成されただけの集合体であった。
たくさんの人間の目が、全てこちらを見下ろしている。突き刺さる視線よりも、アリアは早くこの場から逃れたい一心で弟の腕を掴んだ。
ーーオマエノ名前ハ?
アリアはギョッとしてそれを見た。何故なら、それが声を発したからだ。
名前をたずねている。
答えなくちゃならないの?
答える必要などないの?
「ベランジェさん……酷いわ」
「んん?」
「昨日、私が死者であると指摘した人たちを……こんな形で殺すなんて」
どことなく、アリアの口調からは抑揚が無くなっている。
ベランジェはニタリとした笑顔を浮かべたまま、頬を掻く。
「僕は、あくまで死者を死者へ戻しているだけだよ。でも、ただ戻すだけではなく人体実験に利用させてもらっているだけ。別にいいよね? 所詮は死者だもん。ーーこれを酷いと言うなら……センフェロンの町で、生きた男女2名を殺して水路へ突き落としたアリアちゃんは、どうなるの?」
笑顔と笑顔の間から、鋭い眼差しが放たれる。
「……あれは……ミシェルを……助けようと思って……気がついたら……勝手に死んでたんです……」
「つまり無意識的に能力を使っちゃったってワケか。良かったねぇ、アリアちゃん。もし目撃者がいたら、今頃アリアちゃんも公開処刑されてるよッ」
「…………」
「あ、まぁでもその場合はリーテ君が必死になって助けにくるか……ふふふ」
「…………」
「男女の死体が偶然にも研究所へ流れついた時、始末と国への報告書を偽造してくれたのはリーテ君だよ? 感謝してあげなよ??」
「…………」
「ああでも、当のリーテ君自身が謎だらけか」
「……リーテ」
「ねぇ、アリアちゃん。教えてくれない?」
ベランジェは白衣の両サイドのポケットに手を入れ、実験棟の中で強化ガラスにへばりつく少年を眺めながら、問う。
「君の両親は、どうやって死んだのかな?」
「…………」
ーーオマエノ名前ハ?
父親と母親が、ほぼ同時に質問に答えた。その直後、2人はそいつの一部となっていた。右肩部分と左足太股部分、それぞれに父親と母親の顔はあった。
2人は、質問に答えた途端に身体が宙に浮かび、吸い寄せられたのだ。
ーーオマエノ名前ハ?
父親と母親を取り込んだあと、そいつは同じ質問を繰り返した。対象はアリアと弟である。
アリアは答えるべきなのか、答えるにしてもどう答えるべきなのか迷った。
『答えちゃいけない!』
そう叫んだ弟の手は、アリアから離れていた。
そして、そいつのうなじ部分に、弟の顔はーー
「!!!!」
頭の中を鈍器で殴られたような、そんな衝撃が走り抜けた。
アリアは目を開け、強化ガラスの中にいる少年を見て叫ぶ。
「<やつ>だわ!!」
甲高い悲鳴のようでもあった。実験棟へ向けて走り出そうとするアリアを、ベランジェは羽交い締めにして引き止める。
「アリアちゃん」
「間違いない! あの子供は<やつ>の別個体の幼体よ! あれが次々と人間を取り込んでいったら、私の家族を殺したあの巨体にまで成長するの!!」
「アリアちゃんっ」
「子供はきっと村人たちに名前をたずねたんだわ! そして答えたから、吸収されかけた!」
「アリアちゃん!」
「返して! 私の家族を返して! 私のお父さんを……お母さんをっ……リーテを返してよぉぉぉお!」
泣き叫ぶ、その声を止めたのはベランジェの質問だ。
「え? リーテ君って、死んでるの?」
死ンデルノ?
死ンデルノ?
死ンデルノ?
思い出したような、気がした。




