リオン編 分かれ道8
「…………兄様、ごめんなさい」
しばらく間をおいて出たのは、その言葉だけだった。
とっさに出たのは昔なじんでいた『兄様』という言葉で、それさえももうよくわからないぐらい頭が真っ白になっていた。
兄を除く暗殺隊メンバーは、すべて怪我を負ったはず。
地図だって、僕が持ち出した。
まさか兄が……こんなところまで追って来るとは思わなかった。
どうしよう。
兄は、僕が人を殺すことを凄く嫌がる。
魔力を使うことも。
前に大勢のアレス兵を殺したときには『化け物』と言われてしまった。
あの時に酷似した状況に、身がすくむ。
確かあの時も、僕は血まみれで、瞳は紅かった。
戻らなくちゃ。
早く『リオン』に戻らなくちゃ。
「……今、血の魔縛呪を描いているから……もう少しで戻るから……待っていて下さい」
震える指を血に浸し、僕は紋様を書き続けた。
「……化け物……」
ブラディが小さく呟く。
僕の心臓が、ドクンとはねた。
やはりそう見えるのだ。
僕自身が『化け物』に見えるのだ。
「違う!!」
兄様が大声をあげた。
「俺の弟だ!! 化け物なんかじゃない!!」
しかし、兄の叫びにブラディたちは目をそらし、黙り込んだ。
「いいのですよ……」
どうしようもなく涙がこぼれたけれど、それでも僕は微笑んだ。
兄様は、ちゃんと『僕』のことをわかっていて下さった。
だからもういいのだ。
紋様を描き終えた僕は、立ち上がった。
瞳の色は、もう戻っているはず。
兄に向かって歩を進める僕に、ブラディたちが後ずさる。とても怯えた表情で。
でも兄様だけは、その場を動かなかった。
「誰に化け物と思われても……本当に化け物になってしまったとしても、僕は兄様を守りたい」
今度は精一杯手を伸ばし、恐る恐る兄様の体に触れさせる。
それでもやはり、兄様は僕の手を振り払ったりはなさらなかった。
「僕は守りたい。兄様を守りたい……兄様を……」
声が段々と嗚咽に変わっていく。
兄様は僕を拒絶しなかった。受け入れて下さったのだ。
嬉しくて、もう言葉にならない。
たとえ人から化け物のように見られるとしても、大好きな兄がちゃんと『俺の弟だ』と言って下さった。
その身に触れても、忌むこともしない。
だから、もう『これ以上』を望まなくたっていいのだ。
「……大丈夫。俺は世界で一番、お前のことを愛しているよ」
ささやく声は、耳に甘く響いた。
そして兄様は手を伸ばし、強く……とても強く僕を抱きしめて下さった。
『愛している』って『凄く大好き』って意味だったよね?
昔、シリウスと言う国にすこしだけ居た頃、兄様が僕にそう教えて下さった。
兄様は、心も体もなんて温かいのだろう。
僕は、これからもこの人のためにだけに生きていく。
世界中のすべての人に『化け物』だと言われることになったとしても、兄だけを愛し、大切に守っていくのだ。




