6.その日
俺の腕の中のリオンが、呟く。
「どうして……どうして、駄目……なのですか?
僕はただ、兄様と……一緒に居たい……だけ、なのに……」
リオンの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
そして口の端からは、真っ赤な血が。
抱きしめた体は確かに『人のもの』で温かかった。
でも、それも時間がたつにつれ、だんだんと温度を失っていく。
「ヴァティール……溶けない氷を用意できるか?」
「……ああ。でも何に使うんだ?」
俺の腕の中のヴァティールが、赤い瞳で俺を見た。
そして、背中に刺さっていた魔剣を無造作に引き抜く。
「リオンの体を凍らせる」
かつてリオンが『師であるクロスⅦ』にそうしたように。
「お前はアリシアに移ってくれ。アリシアはどの道、もう助からない。
……お前が体を使ってくれれば、彼女も喜ぶと思う。
もう……リオンを生き返らせるわけにはいかないんだ……」
俺は息も絶え絶えのアリシアの手を取って、うつむきながら言った。
涙がどうしようもなく流れた。
あれほどまでに望んでいた弟の復活が、こんな形で実現されるなんて思ってもみなかった。
だがもう、全てが遅い。
今の俺は、一国を滅ぼしてまで、リオン一人を選ぶことは出来ない。
「わかった。氷は用意してやる。
リオンの能力は、今やアースラ以上だ。ボヤボヤしてると、すぐ生き返るぞ?
急いで棺を用意して、凍ったまま詰めてくれ」
ヴァティールが手順を淡々と告げていく。
そして最後に、血まみれのアリシアの手をを愛しげに握り、数秒考え込むようなしぐさを見せた。
その後ヴァティールは立ち上がり、ぐるりと皆を見まわした。
「……ここでの生活は楽しかったから、皆に今のうちに礼を言っておく。
ありがとう。
エル、アリシアと幸せにな!」
「……何を言っているんだ。アリシアはもう……」
「オマエこそ、何を言っているのだ。
アリシアを泣かせたら承知しないと、前に言ったろう?
ワタシはこれからアリシアの体内に移る。でもそれは、アリシアを生かすためだ。
他人を救うための治癒魔法はワタシには使えないが、アリシアの体に移り、内から自己修復を試みれば、まだ何とか助かるはずだ。
ただしこのまま乗り移ったら、アリシアの魂は消し飛んでしまう。
だから、ワタシはワタシ自身を封じて、これから永い眠りにつく」
「ヴァティール……お前はそれでいいのか……?」
「良い」
ヴァティールは、いつもの不敵な顔で笑った。
「アリシアはワタシの娘も同然。
娘を助けるために、我が身を惜しむ親がどこにいる?
前は力及ばず助けてやれなかったが、今度こそ……。
……リオンの件も悪かったよ。
『アースラの人器』になど、絶対に返すものかと思っていたが、返してやれば良かった。
……オマエだけは、リオンを恨んでやるなよ!!
あいつはあいつなりに、頑張ってきたのだからなァ!!
じゃあ、元気でなッ!!」
ヴァティールは傍らに砕かれた氷の山をつくると、人形のように力を失ってくずおれた。
「ヴァティール!!」
抱きとめて呼びかけたが、もう声は返らなかった。
そのかわり、死んだように動かなかったアリシアの瞳がうっすらと開く。
「エル……私、夢を見たわ。ものすごく幸せな夢だったの」
開いたその瞳からは、暖かい涙が流れ続ける。
どんな夢なのかは問わなかった。
それは、彼女だけの宝物なのだから。




