4.戦火
追い詰められて篭城戦になるまで、ひと月とかからなかった。
故国エルシオンの悪夢が今また再現されようとしている。
もうすでに城の周りは目の覚めるような青で埋め尽くされ、逃れることは絶対に叶わない。
きっと『悪夢のような光景』とは、こういう事を言うのだ。
青い鎧のアレス帝国兵が、完全な装備で城を囲んでいる。
どう足掻こうと、我が国は滅びるだろう。
我々は城に篭城して何とか雪高い冬までやり過ごそうとしていたが、それはそもそも無謀な事であるとほとんどの者たちが感じていた。
同盟を破棄した国々は積極的にアレス帝国に協力したわけではないようだが、それでも奴らが領内を通過していくのを咎めることもなく許し、我が国への道を開けた。
奴等は次々と無傷のまま我が領土内を進み、土地を、民を、蹂躙していった。
国外に逃げ出した国民も多いが、その者達もおそらくアレス兵に捕まるか、盟約を破った国の兵士に捕らえられ、あの悪魔たちに引き渡されたことだろう。
城内に保護された国民はみんな震え、祈るように過ごしていた。
外からは敵兵の怒号が定期的に聞こえる。
皆、精神的にも追い詰められていた。
城内には王が溜め込んだ食料や備蓄水、井戸も三箇所きりだがあるので、当面は困らない。
撒けば数日で芽を出す収穫の早い葉物の種が空き地の全てに植えられ、それは皆にとって唯一の希望となっている。
ただし、王や俺たち、城の重臣だけは知っていた。
それらが芽吹くまで……城は保たないだろうということを。
籠城を崩すにはそれなりに専門の兵器がいるが、案の定、その一つである巨大な破城槌が運ばれてきた。
敵の将校らしき者が号令をかけはじめる。
もう、城内で『希望』を持つ者は一人としていないだろう。
城門を固く閉じていても、いずれこじ開けられ、落ちるのは時間の問題だ。
とうとう火矢がかけられた。
数にまかせた小さな炎が城壁を越えて、どんどん城内に飛び込んでくる。
きっと故国エルシオンも、こうやって責め滅ぼされていったのだ。
俺やリオン、ブラディやアッサム、更には秘書のアリシア、王までが身を晒し、最後の足掻きとして城壁の上から長弓で敵に応戦した。
長弓を扱うなら本来相当の練度が求められるが、そこまでの余裕はない。
それでもある程度の練習で飛距離は出せるので、ささやかな抵抗だけでもやらずにはいられなかった。
下では女子供が消火に当たっている。
しかし火勢は強く、篭城に必要な水を使ってさえ全ては消し止められない。
「兄さん、僕が参ります」
俺と一緒に城壁の上で弓を放っていたリオンが、それを投げ捨て、スラリと魔剣を抜いた。
「何を言っているんだ!! こんな高さから飛び降りたら死んでしまう!
それにあの数が見えないのかっ。
お前一人でどうしようって言うんだ!!」
今にも飛び降りようとするリオンを俺は抱きとめ、引き戻す。
冗談じゃない。
いくら鬼神の強さを誇ると言っても、ワニの池に裸で飛び込むようなものだ。
「兄様、僕を行かせてください。
僕は偉大なるアースラ様の祝福を受けた身。未熟とは言え、試す価値のある技を持ってます」
リオンはそう、呟いた。
笑っているような、泣いているような、そんな表情で。
「アースラ様はかつて、調伏した魔獣の力を使ってアレス帝国を跪かせました。
魔獣の力は絶大で、僕も『クロス神官』として完全体であれば同じ技を使えます。
ただ、全ての封印が解けるまで、あと七年。今の僕では、おそらくアースラ様と同程度には発動しないはず。
それでも―――――」
リオンはキッと前を見つめた。
「あの破城槌を焼き溶かし、千や二千の兵士は道連れにしてみせます。
僕は兄さんを守りたいのです」
その瞳は、死を覚悟した者のものだった。
規模は違うとは言え『アースラの秘技』がリオンに使えるなら、とっくに使っているはずだ。
今になって使うのは何か、相当なリスクがあることは簡単に推測できた。
脳裏によぎるのは、リオンが自分で胸を突いた時の悲しい姿。
あの時も、リオンは俺のために死んだ。
こんな、つまらない俺のために。
「い……嫌だ!! 嫌だ!! 嫌だっ!!
どうしてお前ばっかり……」
離すまいと抱きしめた。
見苦しいほどに涙を流して叫んだ。
それでもリオンは行くだろうと、心のどこかで知っていた気がする。
今までもそうだった。
でも、どうせ死ぬなら、リオンと一緒がいい。
病めるときも、健やかなる時も、俺はお前と過ごしたかった。
だから死ぬときも、お前と一緒がいい。
「……大好きです……兄様…………どうか僕の事、いつまでも覚えていて下さいね……」
その言葉とともに、俺は弟に突き飛ばされた。




